インフェルノ
「――――!! ――っ、――――――――!!」
口にガムテープを貼られた男性が、両手両足を結ばれた姿でビルの一階に転がっている。その男はさっきまで廃工場を警備していた1人で、トイレを済ませようと離れた所をアズマに羽交い絞めにされていた。唯一の武器であったピストルクロスボウはヒカリに没収されている。
「これで、地上は1人、上は3人だ」
手をパンパンと打ち鳴らし、ヒカリに渡した細長い筒――スタングレネードを見る。
「アズマさんが位置についたら、キャットウォークに上った私が3人をこれで制圧。サクラちゃんはあなたと一緒に行動して、倒した人にガムテープを貼る。それから速やかに突入。で、いいね?」
ピンに通した人差指だけで手榴弾をくるくるとまわし、ヒカリが作戦の再確認をする。ヒカリの口調が相変わらず冷たいことに少しだけ俯いたが、アズマとサクラは同時に頷いた。
「内部の状況はわからない。スタングレネードは一つしかない。そして可能な限り誰も殺してはいけない。中で銃を構えて待ってる可能性もある、それでも行く気は変わらないの?」
「うん。相手からしたら、狙う相手は多い方が気が散るでしょ? それにもし中にお父さんがいたら、一緒に戦ってくれるかもしれないし」
おどけてファイティングポーズをとるサクラに、一抹の微笑すらくれないヒカリ。
「……やっぱり、先に中の様子を窺った方が良いんじゃないか? 時間に余裕がないからと言って、焦って虎穴に飛び込むのは得策じゃない」
「さっきも言ったけど、嫌なら待ってれば? 私は待たない」
冷たい視線に見透かされるような感覚を覚え、降参だと両手を上げる。
「わかった、行こう。サクラは俺から離れるな」
「……制圧完了。2人とも、中に入って」
2分後、全ての警備を排除したヒカリは、アズマとサクラを正面シャッターの脇にある通用口から内部に突入させる。例え武器を持たされても所詮は訓練の積んでいない民間人。怪我の完治していないヒカリでも容易に無力化できた。
それからヒカリはMSRの銃口を、ガラスの割れた隙間から建物内に向けた。幸い警備の倒れた音は聞かれていないらしく、騒ぎは起きていない。
建物の中では、男女合わせて10人が、理路整然と並べられたデスクの上のパソコンと向かい合っていた。割れたガラスや倒れた棚が散乱していることに目を瞑れば、どこかのオフィスのようだ。そこへアズマとサクラの2人が扉を開けて入っていき、その場は騒然となった。
「ちょ、ちょっとあんたら誰だ!?」
一番扉の近くにいた男が驚きの声をあげて、椅子から離れる。するとどこからか、マイクが通電するプツッという音が聞こえ、続けざまに誰かの怒鳴り声が木霊した。
それを聞いた10人の男女は一様に怯え始め、デスクにかけてあったバットや鉄パイプを握りしめる。同時にアズマはファイブセブンを抜いた。
「その場から一歩でも動いたらこの引き金を引く。お前らがここへ来た目的を言え」
奥からスーツに眼鏡という姿の男が、拳銃――グロック17を片手で構えたままアズマ達に歩いてくる。その指はトリガーにしっかりとかかっていて、ふとした瞬間に引いてしまいそうだった。
「……いや、あんた軍人か?」
アズマの顔を見たスーツの男が、左目を細める。どうせ使えないならとビルにSCARを置いてきたアズマは、一切の反応を示さずに男のグロック17を見詰めた。
「……まあいい。まずはここへ来た目的だ。早く言わないとその子供を撃つ」
狙いをアズマからサクラに変え、ゆっくりと左手を添える。
「……私は、お父さんを探しに来た。私の父親をどこにやったの?」
緊張を悟られないように、サクラがゆっくりと口を開く。
「父親? ……そうか、俺達が何をしてるか知ってるんだな」
「そう……あくまで対話したいの。だけどね、サクラちゃん。世の中には言葉の通じない、通じても決して理解し合えない人たちがいるの、知ってるでしょ? そういう時は諦めるか、武器を抜くかしかない。私はあの時諦めた。今度は諦めるつもりはない」
――守るべきものを守るためなら、喜んでこの手を汚そう。
あの時の、諦めたような目を持つ強盗団の男の声がヒカリの頭に響く。それを振り払うように、或いは心を浸染させるように、頭を振ってMSRに意識を沈める。
「遅えなぁ! 遅え遅え、何してんだぁ!!」
眼鏡の男が出てきた部屋から、マイクから聞こえた声の持ち主が扉を蹴って出てくる。その男もやはりブラックスーツを着ていたが、眼鏡の男と違いネクタイを緩めていた。
「おいディク! 何手間取ってんだ?」
「申し訳ありません、所長」
ディク……とヒカリは呟き、その言葉を呑みこんであだ名の意味を理解した。
「あんたがここのボス? 私の父親を、お父さんを返して! 返しなさいよ!」
出てきた男がポケットに手を突っ込んでいることや滲みでる雰囲気からそう叫び、その偉そうで高慢な態度にも物怖じせずに噛みつく。
「ぁあ? そうか、それが目的か」
顔こそ壮年だが、その態度は悪ガキが背伸びをしているようだった。だからヒカリには、そんな男が顎に手を添えて考え込む様子が何となくおかしく感じた。
所長と呼ばれた男はアズマとサクラを見てから、顎に添えた手を下ろした。
「ディク、折角だから調べてやれ。お前の父親の名前は?」
素直に要求を受け入れられたことにサクラは驚くが、アズマとヒカリは嫌な気配を感じ取った。アズマはディクという男がパソコンを操作するのを間断なく見張り、ヒカリは2人の傍の男女が急にバットを振り下ろさないよう息を詰める。
「お前の言った名前に間違いはないな?」
パソコンから顔をあげたディクが、名前の再確認をする。それだけでサクラは不安に押しつぶされそうになるが、歯を食いしばってしっかりと頭を下げる。
「その男は今……身柄が憲兵の元にある」
「え……? それじゃあ軍がお父さんを助けて!」
その言葉に希望を持ったサクラが顔をあげる。
「今日中に、遺体の身分確認で電話がいくだろう」
希望に顔を綻ばせていたサクラは、その言葉が理解できない。僅かに口角をあげたまま「え?」という音を発し、そして絶望に叩き落とされる。
「お前の父親は死んだよ」
「なんだ、ざーんねん、もう死んでたか。ディク、ちょっと見せろ……ああ、あいつか。『家族にだけは、娘にだけは!』って叫んでた奴だ」
所長がパソコンに近付いて、そこに浮かんでいる文字を読む。
「なになに……1日にサウス・イーストブロック間を通る軍の現金輸送車を襲い、6人の仲間と共に全員死亡、だってよ。雑魚だな」
目を見開いて崩れ落ちるサクラを、アズマはなんとか支える。だが軍の現金輸送車と聞いたアズマの手が、サクラの肩に食い込んだ。
――あの話か……あれはやっぱりレジスタンスじゃなくて、こいつらの……
「残念だったな、わざわざここを突き止めて、外の奴等を倒してこんなところまで来たのに。当の父親はお前が来る4日も前に死んでるってよ。かわいそーに。
まあ、そう落ち込むなよ。父親に会う為にここを突き止めたんだ、折角だから会わせてやろうじゃねえか。……お前ら、やれ」
所長が不愉快な笑い声を反響させ、バットや鉄パイプを握る部下に命令をする。だがその話を聞いた者たちは皆俯き、一歩たりとも動かなかった。
「おいおい、お前らまさか言うこと聞かない気か? ……はっ、笑えねえ。てめえら、全員家族がどうなってもいいんだなっ!!? 自分の手を汚すのが嫌だから、友達が、恋人が痛めつけられて死んでもしょうがねえもんなっ!!」
動かない部下に逆上し、ピストルクロスボウを持つ女の首根っこを掴む。それからその武器を奪うと、躊躇いもなく女の眉間に引き金を引いた。女の体が大きく跳ね、やがて動かなくなる。
「言うことを聞かないと、お前も、お前の家族も、こういう目に遭っちゃうぞ?」
所長はその醜い本性を見せる。その言葉に背中を痛めつけられた部下は、泣きそうな顔をして逃げ場を求め、目の前のアズマ達に殴りかかってきた。その後ろには、再びグロック17を片手で構えたディク。
アズマが観念したように目を閉じ、サクラから手を離す。
「今更諦めても遅えぞ。怨むんなら……」
「ヒカリ、諦めろ!!」
その隣でサクラは、ごめんなさいと唇を噛む。ついさっき「私にも守らせて」なんて偉そうなこと言ったのに……と。
アズマ達の目の前の男がパソコンを叩き始め、怪訝そうに画面を見つめる。
「ヒカリ? その名前は確か……あいつの姪じゃなかったか……?」
それを一顧だにせず、所長は背を向けてその場を立ち去ろうとする。
「もういい、ディク、片付けろ」
その命令を受けたディクが人差指に力を込め始め……銃声が轟く。
ヒカリはアズマの言葉を聞いて、心を固めた。何より見せしめの様に殺した女性を見ては、耐えようとすら思わなかった。冷え切った瞳の中に、怒りに燃える深い赤の炎が見える。
MSRの7.62mmの銃弾がグロックを撃ち抜き、ディクの手の中で破裂する。痛みに悶える声を無視しMSRを手放すと、P90で窓ガラスを全て破壊する。銃を横に傾け、完全に引き金を引いたままにした。廃工場の中を銃声が包み込む。
絶叫と、ガラスの砕け散る音が、その場の混乱を助長させる。
後ろにいたはずのディクが床でのたうち、どこからか銃声がし、上からガラス片が落ちてくる。実際には誰の頭上に降り注ぐことも無かったが、恐怖がその工場を支配した。2人を除いて。
「何よ、どうなってんの!?」
「わかんねえよ、わかんねえ!」
「上に気をつけろ、ガラスが降ってくる!
「バカ野郎上向くな、目に刺さるぞ!」
バットを握っていた民間人達はガラスを見上げ、或いは頭を覆ってうずくまる。その結果、アズマ達は十数人の目の前にいて誰にも見られていないという状況が生まれた。そしてそのチャンスを逃さず、アズマは目の前の敵に向かって駈け出す。
一番近くにいる男の襟を掴み、手前に軽く引き寄せる。突然首元を掴まれた男は焦って体を後ろに反らし、アズマから離れようとした。アズマはその勢いを利用し、男に足を掛けつつ全力で後ろに倒す。
「寝てろ!!」
正面から、女が鉄パイプを振りかざして走ってくる。
「息子の為に、死んで!!」
アズマはたった今倒した男のバットを掴み、何とか女の振りおろしを受け止める。そのまま右に払うと、手首を蹴って武器を落とした。
――ヒカリの伯父のように、何かをダシに脅されてるのか……
「息子を助けたいなら、武器を捨てろ!」
ヒカリは弾切れを起こしたP90をMSRの隣に置き、足元に転がる警備の物だったピストルクロスボウを左手に持つと、深呼吸をしてから窓枠に足を掛けた。眼下ではアズマやサクラが工場の中央へゆっくりと進んでいて、それより少し奥で武器を構える民間人たちと数人ずつ戦っている。混乱のおかげで袋叩きになってはいないが、あと数分すればアズマは囲まれ、先程の所長に処刑されるだろう。
「……サクラちゃん、努力はするよ」
机の傍で屈む少女に、小さく呟く。それから体の力を抜いて、中空へ倒れこむ。
混乱する工場の中、ヒカリは空を舞った。衝撃をいなせるよう極力前方に倒れこんでから、窓枠を蹴って推進する。そのままガラスの飛び散っていない地面に突っ込むように着地し、間髪入れず右手で地面を押すように前転した。工場が綺麗に保たれていたからこそ出来た芸当で、一般的な廃工場のようにガラクタだらけだったなら、こんなダイナミックエントリーは出来なかった。
高鳴る心臓を押さえヒカリは、片膝立ちの姿勢のまま近くの女と目が合う。恐怖と混乱で彩られた瞳はヒカリを外敵と判断し、怯えるようにスキーのストックを顔面に突いてきた。
流石のヒカリも息を呑んで横転し避ける。転がっていた鉄パイプを手に取ると、再び突き出されたストックを掻い潜って、横から思い切り叩き折る。
「下がって! 下がりなさい!」
クロスボウを女に突きつけ、床に平伏すよう命令――というより懇願――をして、ようやく一人を無力化した。
「くっ、少し助けてくれ!」
折れたスキーストックを人のいない方へ放り投げてから見ると、アズマが、壁際で4人に取り囲まれていた。1人1人だと勝てないと気付いた相手は、アズマを半包囲してにじり寄っていた。サクラは隠れているようで姿が見当たらない。
「これは、貸しだからっ!」
ヒカリはアズマを包囲してる内の右端、パーカー姿の男の背中に飛び蹴りを放ち、左隣の女の足を鉄パイプで払う。突然意識外の敵に仲間を倒された残りの2人はバットを手に、それぞれアズマとヒカリに向かっていく。
アズマはそれを避けて羽交い絞めをしたが、ヒカリはそれまでの大立ち回りで息が上がってしまっていた。そのせいで、体格の優れた男の渾身の一撃を避けることが出来ず、鉄パイプで受けとめようとして押し負け、勢いを殺すことができずまどもに頭をバットで殴られてしまった。
頭を殴られて床に倒れ、視界が暗くなる。前後がわからなくなり、クロスボウは気が付けば取り落としていた。尻餅をついた状態のヒカリに追い打ちをしようと、男が歩きながら再びバットを振りかざす。チカチカと目を眩ませたヒカリは一瞬息を詰まらせるが、それまでに溜まっていた怒りや憤りが自分を叱咤し、再び鉄パイプを握らせる。
「ううぅ、あああぁぁ!!」
男は馬鹿の一つ覚えのように全力でバットを振り下ろす。それをヒカリは、仰向けのまま、床に両肘をつけた状態の鉄パイプで迎え入れた。両掌を凄まじい衝撃がびりびりと走り、手を離してしまいそうになるが、舌を噛んで自分をしっかりと保つ。
「娘の為なんだ、諦めてくれ!」
「娘さんを、助けたいなら、どいてよ! こんなことであいつらが約束を守ると思う!?」
「思わないさ! だけど家族を見殺しにするわけにはいかないんだ!」
アズマは締めてた男の無力化に成功したようだが、更に別の敵と闘っていた。ナイフを相手に距離を取りつつ、隙を見つけようとするアズマが視界の端に見える。
――こいつは、私が自分で倒さなきゃ。
男はバットの両端を持ち、真上から体重を掛けて押し切ろうとする。バットには自分の血がべっとり付いていた。その顔にどうしても過去がよみがえるヒカリは目を閉じ、鉄パイプを握りなおした。
――お前はすぐには殺さねえ。死にたい、殺してほしい、殺して下さい。そうおねだり出来る様になったら、縊り殺してやる。
唾棄すべき過去、その表紙を飾る男の下卑た笑いが、脳内を埋め尽くす。
「……るさい。うるさい、うるさい! 私は今、闘ってるの! あんたは死んだ、私が殺した! 二度と、目の前に、出てくるなっっ!!」
撃たれた左肩が痛み、左手の力が少しだけ弱まる。ハッと目を開いたヒカリは、思い切って左手を勢いよく下げ、同時に思い切り右手を上げた。
全体重を掛けていた男は顔の左側面を鉄パイプで叩かれる。体重を乗せすぎて勢いあまって前のめりに転びそうになったがなんとか踏ん張ると、ヒカリの上で再度バットを振りかざした。その隙を待っていたヒカリは足を男と自分の間で溜めて……全力で足を伸ばし、男の胸を蹴り飛ばす。
「ごふっ……!」
男は立ち上がって数歩後ずさり、胸を押さえて片膝をついた。ヒカリは上半身を起こして足を開くと、左足で地面を蹴り、左手で地面を押す。そのまま右側に倒れこむように男に放った蹴りは、こちらに頭を垂れるようしゃがみこむ首に直撃した。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
近くのデスクを頼って立ち上がり、右手で額の汗を拭う。そうやって汗を拭った手が前髪の生え際を撫でた際、突然鋭い痛みがヒカリを襲った。自分の手を見ると血で赤く染まっていて、立ち眩みに襲われる。例え僅かなりとも衝撃を抑えたとしても、鉄パイプで頭を殴られるのは非常に痛い。
それでも今は休んでる暇はない。アズマはナイフを持つ相手に苦戦している。助けなければ。
「ヒカリ、俺じゃない!」
だが、自分の方に援護しに走り出したヒカリを見て、アズマは叫ぶ。
「サクラを頼む!!」
アズマの視線を追って、ヒカリが息を呑む。そこにはサクラが、スーツの男に銃を向けているところだった。
サクラが、M360Jを所長と呼ばれる男に向ける。今の今まで息を潜めて隠れていたのは、この時の為だった。
「あんたが、私のお父さんを……ヒカリちゃんの伯父さんを……」
「違う! 俺が殺したんじゃねえ、お前の父親を殺したのは軍だろう!? 俺は関係ねえ、そ、その銃をどかせ!」
後ずさりながら、所長が顔を引き攣らせる。だがそんな言葉でサクラは納得しなかった。
「あんたが私のお父さんを誘拐しなかったら、お父さんが殺されることは無かった! 全部あんたのせいよ、そうでしょっ!?」
その声に所長は、踵を返して小部屋に戻ってしまう。だが鍵を掛けるより先に、サクラがドアを開ける。ヒッと、情けない声が喉から漏れた。
「……た、頼む、許してくれ。な? 俺達は本当は、この国の為にやってるんだよ。な、信じてくれよ」
そのくだらない言い訳は、怒りに震えるサクラの耳に入らない。逃げる所長を追いかけ、部屋の中を回る。やがて机の傍に追い詰めると、両手で拳銃を突き付けた。
「おいおい、まさかほんとに撃つわけじゃないだろ?なあおい、な?」
その言葉を無視し、サクラは引き金を引いた。




