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ラストワン




 サウスブロック、人気の少ない洋館で、コウはサクと二人きりで会議室にいた。



「ヒカリがここを飛び出すのはなんとなく予想が付いてたが、まさかお前が見逃すとはな……コウ」


 昨晩ヒカリとサクラを見逃したコウは、サクラの父親捜索に難を示していたサクを説得するため、珍しく朝早くから洋館に来ていた。サクのため息に頭を掻いて、怒られる前に両手を合わせて片目をつぶって見せた。


「許してやってくれよ、頼むから。ヒカリにとって誰かを助けるのは一番大事なことだし、それが友達の大事な人だったらなおさらだろ? だからさ、ほら、ここは俺に免じて……ダメ?」


「いや、別に怒ってるわけじゃないさ。ただなぁ……それをサナが知ったら、どうすると思う?」


 ヒカリを蝶よ花よと大事に扱うサナだ。一人で――サクラを入れれば二人だが――飛び出したと知れば心配するだろうが、それを知ってて行かせたと聞けば。


「……良くて全力のビンタ、悪くて……訓練の(てい)でタコ殴り」


 それで済めばいいけどな……サクは低く唸ってどうにか誤魔化す方法を考えようとしていた。どうやらサクはヒカリが飛び出したことを怒る気はないようだ。






「……珍しくコウがサクと話しこんでると思ったら、そういうこと」


「げっ」


 ドアの開く音と共に入ってきたサナは、腕を組んで部屋の入口に立っていた。睨みつけるように二人を見る。



「さ、サナ……さん?」


 いつもだったら、その脚力をもって全力で近づき、その襟を掴んで激しく頭を揺さぶってくるだろう。だが今日に限っては、サナは腕組をしたまま移動しようとはしなかった。


「……何でもない。どうせヒカリと合流するんでしょ?」


 戸惑うコウから目を逸らして、サナはサクに声をかける。



「どうせあっちに行くことになるんなら、サクラをがっかりさせないで最初から行ってあげればよかったのに」


「まあそれが一番なんだけどな……レジスタンスにとって全く関係のない人を一人見つけるために全員を動かすのは難しいが、それよりは先行したヒカリを『しょうがないな』なんて言って合流する方が多少は円滑にいくだろ?」


 サクが人の悪い笑顔を浮かべるのを見て、サナが何か言いたそうな顔をする。


「つまり、ヒカリをダシにメンバーみんなを釣るってことか?」


 サナの言いたそうなことを代言したコウが、不満げに机から降りた。



「そんな顔しないでくれよ、そんな言い方するから悪く聞こえるんだ。たった一人の人間を探すためだけに40人近くを別ブロックまで移動させるのは厳しいぞ」


「分かってる、別に非難してるわけじゃないわよ。ただ、そう……さすが、小狡(こずる)いなって思っただけ」


 サナは手を顔の前で振って、それから会議室を出てく。







「ちょちょ、ちょい待ち!」


 2階の廊下に出たサナを追って、足音が近づいてくる。どうしたの? と付いて来たコウを振り返った。



「さっきは随分大人しかったな?」


「別に今殴りかかっても良いけど?」


「はいすいません。じゃなくて。……もしかして、俺が昨日言ったこと気にしてる?」


 どこか縮こまってるように見えるコウを見て、思わず噴き出す。



「あんた、なんでそんな弱気になってんのよ。大丈夫、私がそんな小さいこと気にすると思う?」


「お前はいつも気にしてるだろ、特にヒカリに関しては」


「あら、良く見てらっしゃる。だけどあんたに言われたことは気に病んでないわよ、少しは気にしてるけど」


 だけどね、と腰に両手をあてて背筋を張って見せる。



「コウの言うことは正しいし私もその通りだと思う。確かに私は少し心配し過ぎだろうなと思うよ。

 でもね、昨日あんたに注意されたくらいで私の8年続く生き方が変わるわけじゃない。そんなすぐに変えられるようなら私も、ヒカリも、誰も苦労しない」



「でもありがとうね、私の事気にしてくれて」サナは少し微笑んでから、踵を返して階段を降りた。




「……そりゃ、気にするに決まってんだろ、バカ」











 サクの思惑通り、行方不明者を探しに飛び出したヒカリを拾いに行くという名目は、無線機の向こう側のメンバーを簡単に頷かせた。


「――俺達にだって手伝わせてください!――」


「――全く、あの子は本当に優しい子なんだから……私達も合流して、一緒に探してあげましょう!――」


「――僕も手伝う!――」



 サナはメンバー達が乗り気な様子であることを知り、内心安堵した。この様子なら小細工を施す必要はなかったんじゃないかな。そんなことを考えていると、視界の端でミズキが眼鏡を外しながらサクに耳打ちをしている様子が見えた。


「なんかあったのミズキ。ミズキがそうやって来る時は大体嫌なニュースだけど……」


 エントランスにいる数名のメンバーを見て、サナを階段の踊り場へ手招きする。



「セントラルシティからイーストブロックへ補給物資輸送隊が出発したことを確認した。クローバー作戦の影響でセントラル・イースト間の橋は依然復旧中のため、南へ大きく迂回ルートを取るらしい。この部隊を攻撃すれば、サウスブロックの警備も多少は緩まるかもしれない。

 それと残念なことに、サウスブロックの警戒に関するレポートを確認することは出来なかった。ヒカリとサクラが無事にこのブロックを脱出できていたとしても、この人数を移動させるのはリスクが伴う」


「だから、少人数での先行部隊がその補給部隊を叩き、陽動。その後本隊が緩くなった警備をかいくぐり、先行部隊と合流しヒカリを捜索する。そういうことか」


「そう。……サク、一つ言わせて。この状況で大人数を移動させるのは本当に危険。下手を打てばレジスタンスという組織そのものが危機的状況に陥る可能性は容易に挙げられる。

 それに加えて、ヒカリの目的は人探し。軍の目に付くような行動をすることはなく、あの子……いえ、彼女なら万が一の状況でも上手くやれるはず。失敗しても命の危険はない。

 それでも、行くの?」


 その目からは珍しく、彼女の表情と同じくらいに意思を読み取ることが出来ない。だが言っている内容は単純だ。


 デメリットが大きすぎる。やるべきじゃない。それくらいならサナにだってわかった。




「ミズキの言ってることは正しいかもしれないけどさ、でも少なくとも私は一人でも行くわよ」


「それはわかってる、私もそれを止められるとは思ってない。だけど他のメンバーはそうはいかない。私たちは彼らの命を預かっているのだから」


 二人の主張は平行線をたどる。



「……ミズキ、その補給部隊の構成は?」


「護衛は二個小隊相当。ハンヴィー6両、隊員32名。そして補給物資は弾薬、爆薬、食料、それとSCARとは別種の銃火器がいくつか。恐らく個人の注文品」


 どうする? と4つの目がサクの方を向く。


「……そうだな、それじゃあ……」


























「……もう大丈夫、彼等は行ったよ」


 静かに玄関を閉じてリビングに戻った白髪の男性は、それぞれ靴を抱えて窓ガラスの傍に固まる3人に声を掛けた。


「ほんと? ……あー良かったー!」


 緊張から解放されたサクラは、全身から力を抜いて靴を抱える両手を垂れ下げた。



「本当にありがとうございます、あなたが匿ってくれなかったらどこまでも走って逃げることになってましたよ……本当に、ありがとうございます」


 玄関にスニーカーを置いてから、3人は匿ってくれた礼に頭を下げた。ヒカリ達は刃物を持った民間人に追われている最中、この男性に助けられた。サクラが『不思議なおじさん』と称した男性の家だ。


「いやいや、困っていればお互い様ですよ。それにしても、一体何をしたらあの人数に追われるのかな……?」


 紳士的な態度だが、どこか只者ではない雰囲気を感じ、ヒカリは警戒を解かずに笑顔を浮かべた。まだ若々しい黒に白髪が混ざっている。もう5~60歳あたりだろうか。


「いや、それが我々は何もしていないんです。通りを歩いていたら突然彼らが路地裏から飛び出して、主に俺を狙ってきたんです」


 アズマはファイブセブンにセーフティをかけて、ネクタイを引っ張るようにベストに余裕をもたせる。



「……だとしたら、彼等も何か唆されたのかもしれないな」


「彼等も?」


「唆された?」


「どういうことですか?」


 サクラ、ヒカリ、アズマが3人同時に疑問を呈する。少し驚いた男性は目を大きく開いて、それから歯を見せずに笑って椅子を勧めた。


「とりあえず、紅茶でも淹れましょう。お三方とも、私の話に興味を惹かれたのでしょう?」


 少し不安に感じた3人だったが、ヒカリの見たその笑顔は確かに優しかった。





「さあ、どうぞ。中にはまだ何も入っていない、そこに角砂糖があるから、好きに入れてください」


 可愛らしい赤いポットを上手に操って4つのマグカップになみなみと入れ、カチャンと優しく置く。


「そこのスーパーで買えるような廉価品で申し訳なく思います。客人用の茶葉を切らしてしまっていて……」


「いえいえ、お構いなく。……それで、さっき言ってた事って……」


 60歳ほどだろうか。男性はマグを傾け、小さい溜息をついてから頷いた。



「最近、人がよくいなくなってしまうんだ。私の友人だってもう4人程顔を見ていない。それと同時期から、ここら辺を見知らぬ人たちがよく通るようになったんです。スーツを着こなす彼等はどうやら誰かを見張ってるようで、いつも耳につけた機械で誰かと話をしているんです」


「耳につけた機械……インカムか。それにスーツか、どっかの組織の人間かもな」


「そうなのかもしれませんね。ただ彼等はスーツだけでなく色々な服装で通りを歩くのですが、必ず耳に機械を付けているのです。私は特に趣味もなく、暇が高じて彼等に気付きましたが、まあ普通の人ならまず気付かないかもしれません」


 ふんふん、とメモを取っていたヒカリは、「もし迷惑じゃなかったら、いなくなってしまった4人のお友達についてを、詳しく教えてもらえませんか?」と、まるで探偵らしく振る舞った。


「……年寄りの陰謀論だと、切り捨てないのですね。それでは、2人の助手を引き連れた可愛らしい探偵さんの為にも、詳しく話さなくては」


 もしかしたらサクラの父親がいなくなった原因がつかめるかもしれない。一言一句聞き逃さない、と肩肘を張る3人をリラックスさせようとおどけたように居住まいを正した男性は、ふとヒカリの顔をまじまじと見詰めた。




「……なんですか?」




 じっと見つめられると少し居心地が悪い。ヒカリは私が何かしてしまったのかと、申し訳なさそうに尋ねた。誰にもわからないように身を固め、浅く腰かけた体に力を入れる。だが続く言葉はまるで予想していないものだった。


「ああいえいえ、すいません。その目元を、どこかで見た様な気がしまして」


「……はぁ、目、ですか」


 不思議なことを言い出す男性に、ついつい首を傾げる。



「それで、話は……ああ、私の友人を詳しく訊きたいのでしたっけ?」


「ああ、はい。もしよければ、お願いします」


 集中して聞く為に、ヒカリはテレビの音量を下げさせてもらう。何かの事件についての見解を発表していた専門家の声は、誰にも聞こえることなく消えていく。




 それから30分程掛けて話を聞いたが、結局あまり有益な情報は得られなかった。












「4人に共通点はない、か……お前らは何か気になることとかはあったか?」


「いやぁ、私もひーちゃんも、特には……はぁ、早く見つけなきゃならないのに」


 ヒカリ達は意気を消沈させて、好きな数の角砂糖を入れた紅茶を飲む。サクラは三つ、アズマは一つ、ヒカリは入れていない。



「大丈夫だよサクラちゃん、私言ったでしょ、絶対に見つけてみせるって! なんてったって、サクラちゃんの大事な、大事なお父さんだもん!」


「うん、そうだよね……ありがとうひーちゃん、私が落ち込んでたら見つかるものも見つからないもん!」


 そうしてすぐに元気になるサクラは、見てるこっちも元気にさせられた。



「2人はとても仲が良いんだね。……そうだ、ついでだから一つ、老人の昔話に付き合ってくれないかな。そんなに長くは無いから」


「しかし、俺達はこの子の父親を探さなくては……」


 アズマがサクラに目線を送ると、サクラは笑って親指を立てて見せる。


「私達を助けてくれたんだもん、話相手くらいなら付き合いますよ!」


「ありがとう、あなた達はとても優しいようですね。そんな人が、もっと増えればいいのですが」


 嫌味じゃないですからね、と念を押してから、男性は滔々(とうとう)と話し始めた。



















 私には、年の大きく離れた弟がいましてね。私達は幼い頃……もう50年近く前になるかな。いつも喧嘩をしていた。というよりは私が一方的に言われていたのですが。殴ったり殴られたりということはありませんでしたが、子供心に弟とは馬が合わないんだ、と思ったのをよく覚えてます。


 当時の私は虫も殺せないような、いわゆる”ひ弱”な子供だった。弟は私と違って、よく友達と殴り合いの喧嘩をしては相手を下していました。体格は殆ど変わらないのに、どう間違えたらこんなに性格が変わるのだろうと、今考えても不思議なものです。


 それでも、私達も成長するにつれて少しづつ変わっていったように思えた。弟が怪我をして帰ってくることもそれまでに比べたら少なくなった。私も……家に出る害虫くらいは殺せるようになったよ。


 それから更に時は過ぎ、私達は所帯を持った。私と妻は子宝には恵まれなかったが、弟夫婦にはとても愛くるしい娘が生まれたと聞いた。



 だけど……やはり、弟は弟だったんだ。人の深い所は、時が過ぎるくらいじゃ変わらないものだったんです。











「私と妻は、娘が生まれたと聞いてすぐに弟夫婦の所へ行き、心からお祝いをした。その時はまだ何もなかったんでしょう、皆笑顔で、幸せだと思っていました。

 私が違和感を持ったのは、次に訪ねたとき。多分あれは……女の子が3歳の誕生日を4カ月程過ぎた頃だったか。嫌がる弟に無理を言って会わせてもらったら、女の子が部屋の隅で泣いていてね。『どうしたの?』と聞いたら、その子は親から隠れるように私に駆け寄ってきたんだ」


 苦虫を噛み潰したような顔をする男性の話を聞いて、アズマはちらりとヒカリの様子を窺った。


 ――確かこいつも、ヒカリも虐待を受けて……


 ヒカリはマグカップから手を離して、男性の話をただじっと聞いていた。



「3回目、最後に訪ねたのは、女の子の4歳の誕生日。押しかけて家に上がらせてもらった私達は、プレゼントを渡す際に服を捲くって、腕とお腹を見せてもらった。

 残っていたんですよ、くっきりと。腕にも腹にも、恐らく背中や胸や、全身に。内出血をした、黒い痣が」


 気が付くと、男性のマグカップを握る手が小刻みに震えていて、指は力を入れすぎて白くなっていた。


「私は、激しく弟を詰った。後にも先にも、あそこまで怒り、口汚い言葉を選んだのはあの時だけでした。あいつは……弟は、兄さんには関係ないと言った。何が関係無いものか、私達は数十年ぶりに激しく口論をした。だけどそれを止めたのは、他でもない、女の子だったんだ。

『おじさん、お父さんをいじめないで。わたしがうごくのが、おそいからおこられるの。バカだからたたかれるの。お父さんもお母さんもわるくないの』」


 ピクリと、マグカップを持つヒカリの手が痙攣する。



「私は、私は人生で初めて、弟を殴り飛ばした。あの子の言葉を聞いて、泣きながら笑う顔を見て、気が付いたら殴り飛ばしていた。『子供にこんな笑顔を浮かべさせるな!』と、私はあの子の目の前で父親を殴ったんだ、弟と同じことをしたんだ」


 そこで男性は深呼吸をする。それは欠伸を噛み殺したようなものとは違う、自分で意識して、冷静になる為のものだった。



「親に虐待を受け続けた子供は、時に親を守る行動を取る。その女の子もきっと、ずっと虐待され続けて……」


 アズマの言葉に、男性は苦しそうに頷いた。




「……それから弟は、無理矢理私達を追い返そうとした。最早弟の嫁にも期待はしていなかった、きっと同じなんだと悟っていた。だけどそれから私は……なにもしなかった。『自分があれだけ怒ったんだから、きっとあいつならわかってくれるだろう』そう自分に言い聞かせて、女の子を見捨てた。それから数年が経って、国境の近くで弟達の本人確認をしたとき、そこにあの子の姿は無かった」




「……ちょっと、待って下さい。『国境の近くで弟達の本人確認』って、一体……どういうことですか?」


 それまでじっと耳を傾けていたヒカリが口を開く。そこでアズマは、ヒカリが男性に身を乗り出していることに気付いた。両肘をテーブルに乗せて、瞬きもせずに食い入っている。


「弟達は、どうやらこの国から逃げ出そうとしたようでした。あの頃は丁度軍がクーデターを起こして、本格的に生活が一変し始めた頃だったから、壁を越えようとする人たちが沢山いたんだよ。弟もその1人だった。あいつは、壁を超える前に兵士に見つかって、制止を無視して逃げて……」



「死んだ……」



 言葉を出せなくなった男性を、ヒカリが引き継ぐ。ヒカリの表情は、相変わらず見えない。




「遺体を確認しているとき、彼らと遭遇したという兵士がやってきて、事の経緯を教えてくれた。どうやら彼らは5人で行動していたようで、第一の壁を越えたところで見つかったそうです。一緒にいた仲間を突き飛ばして折り畳みナイフで襲い掛かってきたものの、開けるのにもたついてた所をやってやったと言ってました」


 その顔は複雑そうだ。



「……第一の壁?」


 だがヒカリとサクラは同時に不思議そうな顔をする。この国を覆う壁に第一も第二もないじゃん。考え込むヒカリと違い、サクラの目はそう言っていた。だがそれに異を唱えたのは男性だけではなかった。



「場所にもよるが、この国を囲う『壁』は一枚じゃない。外側から地雷原、2m程度の小さな壁、有刺鉄線の巻き付いたフェンス、そして5mの壁。セントラルオージア側の大きな壁が『第一の壁』、国境側の小さな壁が『第二の壁』だ」


 当たり前のことを説明するような姿に、ヒカリは鋭く睨みつける。


「……私、それ知らない」


「そりゃそうだ、最重要機密だぞ。この国を抑圧する壁という実態なんだ、捉えようによってはパル……お前が調査しに来たノースブロックの工事現場よりも重要だ」


「……ていうかアズマさん、最重要機密知りすぎじゃないですか? 最重要の価値が下がってってる気がする」


「俺には、この人に壁の情報を漏らしたその兵士こそ、どうかと思うがな」


 口を閉じたまま鼻から大きく息を吐く。





「それはきっと、弟の嫁の兄が、つまり戸籍上は私と関係のある人に、軍の偉い方がいたからでしょうね。

 彼らの姿を確認したとき、そこに女の子の遺体がなくて、私は、それより前に弟達が殺したのかと、そう思ってた。だけどそれから更に1年くらいあとに、再び葬儀の手紙が送られてきたんだ。確か7年程前だったかな。

 亡くなられたのは弟の嫁のお兄さん、その偉い人で、殺人事件の被害者だとニュースを見て知った。そのニュースによると、肩に一回と、下腹部をズタズタになるまで刺されていたと言っていました。そして、同棲していた女性が行方不明だとも。確証はありません、ですが確信はありました。私に泣きながら笑いかけた、あの女の子だと思ったんです」



 ――あの蜂も、赤い雨も、忘れたことはない。



「一度だけ亡くなったあのお兄さんに会ったことがありましたが、お世辞にも……良い人という印象は持てなかった。『俺は軍人だ、そこら辺の一庶民とは違うんだよ』なんて独り言も、一度聞いたことがあります。

 だけど腐っても軍人、恨みを持たれることは多くてもその分、見知らぬ人に突然何度も刺されるほど油断することは無いだろうと思いました。それに、もしあの女の子が生きてナイフを持ったなら、きっとそれくらいの身長だろうと思ったんです。

 だから、きっとあの女の子は生きているんです」



 ――信じられない。だって、こんなところで、想像だにしてなかったのに、まさか……



「きっと、あの女の子は生きてる。だから私は償わなければならないんです、あの時見捨ててしまったことを。目の前で暴力を振るったことや、あんな図体ばかり大きなクマの人形一つを残して去ったことを。

 償わなければならない、抱き締めて、愛を与えなければいけないんです。それがあいつの兄としての……あの子の伯父としての義務なんです」


 ――ごめんなさい。そのクマさんはもうなくなってしまいました。ズタズタに切り裂かれちゃって……開かなくなったナイフはきっと、クマさんを突き刺すときに壊れたんです。



「こんな話をしてしまって申し訳ない。あなた達の気分を害するつもりはないのですが、この胸を責め苛む昔話を、誰かに話しておきたいと思いまして。妻は肺を患って先立ち、これがただ一つ、私に残された人生の責務ですから」


 アズマとサクラは無意識にカップを持ち上げる。もうとっくに、4人のカップは空だった。


 そのうちテーブルに置かれた1つに、俯く瞳から一滴、音も立てずに注がれたことに、男性は気付かなかった。










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