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もう一度、イーストブロックへ




 約二か月振りに遭遇したヒカリとアズマの視線は、1秒と経たず逸らされた。


「悪い、待たせた。俺はこっちのチェックをする」


 アズマは自らヒカリのボディチェックを買ってでて、ヒカリのすぐ傍まで寄る。それから体を検める振りをして、非難の色の強い言葉を投げかけた。


「……お前、なんでこんな所にいるんだよ」


 対するヒカリも他の兵士に悟られないよう、前を向いたまま言葉を返す。


「煩い、あなたこそパルチザン守ってるんじゃないの?」


「俺の部隊は各地を回ってんだ。一部隊を壊滅させた奴を追い詰めたと聞いて飛ばされてきたんだよ」


 それからウエストホルスターのM&P9に触れて、眉を寄せて舌打ちする。




「……お前は何か知らないか?」


「知らない、知ってたとしても言うわけ無いでしょ! 大体、さっさと私の事告げ口すればいいじゃん。それなのに何やってるの一体」


 無意識のうちにユイを庇ったヒカリは、それ以上突っつかれてボロを出す前に話題を変えようと、アズマを挑発する。


「告げ口するにも、レジスタンスの幹部の顔を知ってる言い分を考えなきゃいけねえだろ。少しは考えて物を言え」


 その一言はヒカリをムッとさせるのに十分すぎた。


「よく言うよ、女の子が2人こんな時間に出歩いてるのに、自分は呑気に飲み物買ってて。ポケットから出てるよ、全く、素晴らしい兵士だね」


 目の前でしゃがんで自分のポケットを検めるアズマに、ヒカリはさっきの意趣返しだと言わんばかりに鼻を鳴らす。




「……いい態度じゃねえか、こいつめ……ほら、ボディチェックは終わった……ぞ!!」


 アズマが大人げなく、ヒカリの腕を右手でポンと叩く。アズマとしては悪気はなく、ただちょっと馬鹿にしてきたヒカリの頭をデコピンするような、そんな軽い気持ちでやったことだった。


 ――こっちの気も知らねえで。



「いっ、ったい……!!」



 しかし、アズマの右手はヒカリの左二の腕に――包帯を巻いた腕に直撃し、アイにもらった鎮痛剤でカバーできない程の激痛が何の心構えもない状態で全身を走る。


 左腕の痛みの声に3人の兵士は即座に反応した。ニシとヒロは何か目配せをし合い、左手を押さえるヒカリに銃を向ける。間違いなく、ヒカリが腕を怪我していると気づいただろう。


 その射線を遮ったのはやはり、他でもないアズマだった。





「悪い二人とも、銃を下ろしてくれ。こいつは俺の知り合いの子供だ。今の大袈裟な態度で思い出した、いつもこうやって迷惑かけんだよ。それに昔から家出を繰り返して、あいつらに心配ばっか掛けるんだ」



 それはアズマの、たった今考えた芝居だった。痛みで涙目になったヒカリもなんとかその意図を把握して、大きく舌打ちをする。


「うるせえな、アズマさん、あなたにうちの何がわかんのよ!」


 唐突のことで、ヒカリの中の放蕩娘のイメージと普段の言葉がごちゃまぜのまま口を飛び出す。だが、それを気にしていられるほど、ヒカリもアズマも平常心ではいられなかった。


「あいつらがお前をどれだけ心配してるかはわかるさ! 『あの子はいつも家にいないで、その内事件に巻き込まれてしまうかもしれない』なんて俺に相談してきたくらいだぞ」


「……そんなこと、あの人たちはしない。あんな人たちが家族だなんて……私は、うちは認めない!」


 考える時間もないまま即興で合わせるヒカリの言葉には間違いなく、ヒカリ自身の心が映し出されていた。


「あの人たちがうちの事を心配してるなんて嘘! 本当は、私がいなくなってせいせいしてるのよ!」


「そんなわけないだろ、自分の子供が大事じゃない親が何処の世界にいるんだ!」


「あなたと私は住む世界が違うのよ! お父さんやお母さんに愛されて育ったあなたとは!!」


 痛む左腕も忘れ、ヒカリは初めてアズマと出会ったあの時の様に叫ぶ。どうしてこの人はこうも私の心を揺さぶるんだろう。そんなことを思っても、荒ぶる語気を落ち着かせることができない。



 サクラを含んだ3人は、目の前で突如始まった言い争いに目を丸くした。




「……ちょっと2人とも、落ち着け」


「アズマ、そんなムキになんな。君もだ、家族は娘の事を心配するに決まってるだろう」


 ついさっきまで銃を向けていたことも忘れ、ニシが見かねて2人の間に出てくる。お陰で冷静になれた、と言うようにアズマは大きく息を吸って、自分の頬を叩く。


「悪い、こいつらを家まで送ってってもいいか? このまま帰れって言ってもどうせ帰んないだろうし、このまま行かせたらどうせ他の仲間に捕まって終わりだ」


 ニシは後ろのヒロと再び目を合わせる。今度は長く、1~2分程声のない会話をしていた。冷や汗を流すアズマは無意識にヒカリとサクラの前に立ち、二人の様子を窺う。


 やがて結論が出たらしく、ヒロが銃を肩に担いで腕時計を見た。



「……しょうがねえか。隊長は四日後まで、隊を離れてセントラルシティの方で会議に参加する。かの悪名高きサカマキ大佐殿の招集だ。

 だから、まあ、少なくともそれまでは大丈夫だ。家がどこか知らんが、例えノースブロックの更に上にあろうと、4日あれば帰ってこれるだろ?」


「ああ、済まない。出来るだけ早く帰ってくる、それまでは頼んだぞ」


 そう話を切り上げると、アズマはサクラとヒカリを掴んで強引に引っ張っていった。それを送る視線に、猜疑心があるとわかっていたから。










「ちょっと、ちょっと! そろそろ離して!」


「あ、ああ」


 2人から十分に距離を取った所で、ヒカリがアズマの手を振りほどく。振り解かれた右手がそのまま左手を押さえるのを見て、アズマは自分の軽挙に腹が立った。


 ――やっぱり、こいつは知ってたのか……もう一人を匿ってるとしたら、やはりレジスタンスのメンバーか?


「悪かった。どっちかが撃たれたのは知ってたが、お前だとは……悪い」


 顔をあげるヒカリの目は、以前見た通りのどこか温かみのある目だった。侮蔑するような色が見えず、安堵する。


「別に、それはいい。わざとじゃないのはわかるし、少しだけだけど痛みも引いたから」


 そう言うヒカリの右手は、しっかりと左腕を押さえている。



「でも……自分の子供が大事じゃない親は、絶対にいる。あなた達が支配したこの世界じゃ、尚更」


 それからサクラに声を掛け、ヒカリは振り返って駅へ足を進める。振り向き様ヒカリは、戦争を経験したアズマも息を呑むほど冷たい瞳をしていた。


「……おい、どこ行くんだ?」


 気圧され、声を出すのに一呼吸置く。その質問に答えたのはサクラだった。



「もう一週間前からお父さんが行方不明で、助けてって言ったらひーちゃんが捜すの手伝ってくれるって。それで、イーストブロックに向かってる所!」


「イーストブロックにって……まさか、この広いオージアでたった一人の失踪者を探そうとしてるのか?」


 そんなの無駄だ、と言うより前にサクラの顔が目に入る。


「なに、ただの人探しで私を捕まえる?」


 足を止め、ヒカリはアズマを挑発する。


「そんなに捕まりたいなら自己紹介しながら軍の官舎に行ってこいよ。俺が言いたいのは、かなり骨が折れるぞってことだ。なにか手掛かりはあるのか?」


 首を振ったサクラは、それからヒカリにも聞かせた状況をもう一度説明した。




「買い物から戻ったらおらず、乗り物は残されて、荒らされた形跡もなかった、と……」


 サクラの話を聞いて、アズマが唸る。


「強盗や殺人が目的じゃないな」


「そんなことはわかってる。本当に自販機に飲み物を買いに行ってる間に事件・事故に巻き込まれたか、自分から失踪したか。そのどっちかだと思ってる。どっちにしてもサクラちゃんのお父さんは生きてる」


 ヒカリが腕を組んで、アズマに正対する。



「いや、まだある。もしかしたら、その父親も誘拐されたのかもしれないんだ」


「誘拐?」


 もうすぐ40近い男性を? なんで? 様々な疑問を乗せた言葉を返し、説明を求める。


「取りあえず、お前達はイーストブロックに行くんだろ? 俺も付いていく」


「はっ!? なんであなたが付いてくるの!?」


「詳しくは電車で話す」と言うと、自ら2人の先頭に立った。



「あの~、結局、2人は知り合いなの?」


 いまいち状況の呑み込めないサクラは、2人の間柄を尋ねる。


「ん、んー、まあ知り合い、かな?」


 知り合いっていう仲なのかな、と自問自答をしだすヒカリ。


「ああ、命を狙われただけの、ただの知り合いだ」


「……なんなの一々嫌味を入れてきて。私は皆を守るために戦ってるだけ!」


「へー奇遇だな、俺はこの国を守るために戦ってるんだよ、似た者同士仲良くしようか」


 いがみ合う2人を見て、サクラが納得のいったように頻りに頷く。


「2人とも凄い仲良いんだね!」



「そんなわけない!!」



「でしょ」と「だろ」が同時に返ってくる。


「誰がこんな人と! 大体この人、私を捕まえにここにいたんだよ!? そんな人と仲が良いわけないじゃん!」


「こいつが狙撃手に撃たれるなんてヘマをするからここに来る破目になったんだぞ! しかも自分は怪我してる癖に遠出しようとして、そんなバカと仲良いわけあるか!」


 言い争う声が夜のブロックに響き渡り、最後はフンと顔を背け合う。サクラには2人のその姿に、サナとコウが重なって見えた。










 駅の前についた3人は、アズマを筆頭に一直線で向かっていく。ヒカリは今まで何度も使ったことのある駅だが、深夜2時の構内は3人の足音を小さくさせた。


「誰だ、止まれ! ……なんだ、お前か」


 駅舎に入った気配を察知し、柱の後ろにいたアズマとは別のチームがヒカリ達に銃口を向けた。しかし、3人の先頭にアズマが立っていることに気付くとすぐに銃を下げ、「悪い」と手を垂直に立てる。


「これから夜遊びに耽っていた娘たちを送ってく。目を離してまたここいらをうろつかれても困るからな」


「それは職権から離れてんじゃねえか? 少なくとも任務とは関係ねえ」


「まあそうかもしれんが、放っておくわけにもいかないだろ」


「ああ、いや、別に文句言ってるわけじゃねえ。とにかく、手は出すんじゃねえぞ、未成年略取は擁護できねえ」


 いいからさっさと仕事に戻れと笑い、券売機へ向かう。道中、ヒカリの表情が陰るのをちらりと見たが、気にせずイーストブロックまでの切符を3枚買う。


「ちょっと、自分の分は自分で払う!」


「うるせぇ、心配しなくてもあとで利子付きの請求書送ってやるよ」


 ……さいてー。ヒカリとサクラの呟きは誰もいなくなったホームによく響いた。









「――2番線、快速列車が到着いたします。ご利用のお客様は安全のため、一歩下がってお待ちください――」


 深夜の誰もいないホームは、それだけでどこか寂しさを感じさせる。ましてやそこにアナウンスが流れれば、いつもの見知った駅とは違う側面を見ることができた。


「すっごい、こんな大きな駅なのに誰もいないね。なんか、わくわくする!」


「楽しそうだね、サクラちゃん。でも多分、電車には何人か乗ってるんじゃないかな」


 階段を上がってきたサクラとヒカリは、ポケットに手を突っ込んで電光掲示板を見る。どうやら次の電車が丁度一つ前の駅に止まっているようだ。


「電車は終日運行だから大変だよ。給料良くても運転士にだけはなれねえな」


 少し遅れてエスカレーターを上がってきたアズマが、欠伸をしながら腕を組む。


「私には兵士の方が大変そうに見えるけどね。常識のある人にとっては」


 ヒカリが新たな口論の燃料を投下しかけた時、電車のライトがホームに差し込む。



「あ、来た! おぉー案外乗ってるね」


 速度を落としていく電車の中にはサラリーマンやOLなどのスーツ族が一車両に5人程乗っていた。こんな時間までお疲れ様です、とヒカリはぼんやり考える。


 電車が完全に停止すると、開かれたドアからヒカリ達を訝しむ顔が降りてくる。車両の中では、まだ眠ってる男性が別の女性に肩を叩かれていた。


「すいません、終点に着きましたよ。すいません、すいません!」


 肩を揺さぶった所で男性がガバッと目を覚まし、口許を拭って女性に礼を言う。どうやら2人は知り合いではないようで、いくつか挨拶を交わしてヒカリ達と入れ違いに電車を降りていった。


「――この電車は20分後、折り返しイーストブロックへ向かいます。次の出発は、2時、27分です。――」





 20分待って、結局前から二番目の車両にはヒカリ達3人しか乗らなかった。後方の車両には数人が乗り込んだようだったが、その数は20人を満たさない。



「……もう寝たか?」


「うん、サクラちゃんは疲れてるみたいだから。ずっとお父さんが心配で、一週間以上自分だけで捜してたらしいの」


 向かい合って座っていたヒカリとアズマは、ヒカリの右隣で肩にもたれるサクラを見る。電車に乗って5分と経たず、スースーと寝息を立てていた。




「それで、どうして私達についてきたの?」


 欠伸を手で隠しながら、サクラの背中に回っていた左手を少し楽にする。


「さっき、その子の父親は誘拐されたかもしれないって言っただろ? 最近、失踪事件が多いんだ。俺の部署じゃないから詳しくは知らんが、捜索願が多すぎて捌き切れてないらしい。軍の間じゃ、巨大な人身売買グループでもいるんじゃないかって話だ」


「人身売買……」


 サクラが眠るまで説明しようとしなかったのは、あまり聞かせたくない話だったからかもしれない。


「それじゃあ、サクラちゃんのお父さんはもうどこかに……」


「まだわからない。とにかく今は、少しでも急ぐべきだろう」


 その時、電車の振動でサクラがヒカリの膝に倒れ込む。穏やかな寝息を立てる少女を見て、ヒカリの心は少しだけ痛んだ。





 ガタンゴトン、と静かに電車に揺られる。ヒカリとアズマは不意に目を合わせて気恥ずかしくならないよう、互いの向こう側の景色を眺めていた。時折、少し座り方を変えるときの衣擦れ音だけが2人の間で行き来する。



「お前の家族は、お前がレジスタンスに入ってることを止めたりしないのか?」


 沈黙を嫌ったアズマは、さっきのヒカリの言葉の意味を確かめようとした。伯父がヒカリになんらかの暴力を振るうという話は覚えていたが、両親についての話を聞いたことは無い。


「あの人たちは……きっと止めるんじゃないかな。私が捕まったりしたら、あの人たちが道連れになるかもしれないから。そもそもとっくのとうにこの国を出てるけど」


「国外逃亡か?  お前を置いて?」


 絶句したアズマを見て、ヒカリの表情が再び陰る。


「きっと、アズマさんは本当に家族に愛されてたんですね。私はそんなこと無かったから……羨ましい」



 そんな言葉を聞いたアズマはしかし、少なくともヒカリは愛を知ってると思った。そうでなかったら、ヒカリはあそこまでサクラを優しく撫でられないと、そう思った。


「本当に?  お前の周りでお前を大事にしてくれる人は、1人もいなかったのか?」


「友達は大事にしてくれるよ。でもその“大事”は箱にしまい込むだけで、私を愛してくれてるわけじゃない」


 それから目を伏したヒカリは、ふとサクラを撫でる手を止める。いつの間にかサクラは、静かになっていた。



「……あ、わかんない、もしかしたら居たかも。でも……」


「何か思い出したのか?」


 もう殆ど覚えてないけど……と、宙に浮かんで離れようとする記憶を捕まえるように、ヒカリの視線は上を向く。


「もしかしたら、だけど……おじさんだけは私の事を、少し気に掛けてくれてたかも」


「伯父さん? それは、軍人の奴じゃなくてか?」


 違うよ、と首を振りつつ、アズマに不満げな顔を見せる。



「もしかして、この間私とサガラさんの話聞いてたの?」


「……ああ。別に盗み聞きしてたわけじゃないぞ、お前が勝手に話し始めただけで俺は別に……」


 目を細くするヒカリの顔を見て、観念したように言い訳を述べるのをやめる。



「悪い」


「悪いと思ってるなら結構です。それで、さっきの話だけど……軍人のあいつは、母方の血縁者。多分おじさんは……父親と喧嘩してたのを覚えてるから、そっちの繋がりじゃないかなぁ」


 “おじさん”を思い出しているのか、ヒカリの顔は少しだけ緩んだ。


「それでも……やっぱり、虐待を受けてる子供を扱うのは嫌だったんですかね。何回かだけ来て、それから全然顔を見せてくれなくなりましたもん」


 結局しょげかえったヒカリは、欠伸を隠して窓に頭を任せる。眉に深い皺を作るアズマの顔が、視界の外に出ていく。



「……ああ、そっか。今になってやっとわかったよ、どうしてクマだったのか。あれはあの人達からのプレゼントじゃなかったのか」







「……どうせ始発から終着までずっと乗ってることになるから、お前も寝とけ」


 3駅を越えた所で、未だ1人も乗り込んでこない車内でアズマが気配りを見せる。


「わーやっさしー。お心遣い痛み入ります」


「本気で言ってんだ、前も言ったが隈が凄いぞお前。ちゃんと寝てるのか?」


「すやすやぴー」


 あくまで冗談を返すヒカリに呆れたアズマは、諦めて窓の外に視線を移す。



「……私だって、好きな時に寝たいよ」



 幾らか時間の経った後。誰に投げかけられるでもない言葉がヒカリの口から零れる。




「……俺がいると寝れないか?」


 そう言って隣の車両へ移ろうとするアズマを、ヒカリは制止した。


「気持ちは嬉しいけど、でも関係ないから大丈夫。そもそも寝ること自体得意じゃないの。極々たまーに睡魔に負けることはあるけどね」


「寝ることが得意じゃない、っていうのは生まれて初めて聞いたな。寝つきが悪いのか?」


 曖昧に微笑んだヒカリは、とにかくそういうことだから、とサクラを撫でる。


「あなたも……アズマさんも寝てて良いよ。私もその内寝るから。気にしないで」


 力無く笑うヒカリを、アズマは敢えて見ないようにした。その寂しそうな笑顔は、嫌なことを思い出すから。










「ターゲットがイーストブロックへ移動を開始したと情報が入った。理由と目的を探り、状況にあった行動を取れ」


 何処かの建物の中パソコンを叩いていた人影は、背後から音もなく接近してきた人物に了承の意を伝えた。


「イーストブロックへ……それは好都合ですが、ターゲットの監視は私の役目だった筈。一体どこからの情報ですか?」


 椅子を回転させて、自分の上司の影を見る。


「軍からだ」



 その短い返答は、少なくとも複数人で行動してることを示唆していた。理由を探れと言われたからには軍に連行されているわけでなく、大規模な捜索網が敷かれてるサウスブロックでこんな時間に歩く少女を、兵士が見逃す筈が無い。


「ターゲットは現在、兵士と協力関係にある、と」


「勘は衰えてないな。その通り、兵士と正体不明の少女が同行しているらしい」


「了解しました、動向の把握、及び監視を行います」


 しかしまだ、正面の影は動こうとはしなかった。手を腰の後ろで組みながら、背筋を張ってこちらを向いている。



「貴様、何のために我々のデータベースを開いている」


 パソコンには数十枚の顔写真、経歴、それに膨大な量の備考が浮かんでいた。仕事に、血縁者、友人、趣味、嗜好、癖、そして精神状態。


 上司がその内容を確認するより早く、影はパソコンの電源を落とす。


「御心配無く。下位の者たちには見せておりません」


「当然だ。組織の機密に関わる以上(みだ)りに使用するな」


 不服そうに影を揺らして、上司の言葉に反論する。


「情報を大事にしまい込むことに何の意味があるのでしょうか。使わなければ何の意味もないでしょう?」


 とはいえ、と立ち上がって続ける。


「機密保全には細心の注意を払っています。これ以上信用を失ったら、どうなるかわかりませんから」


「……俺はお前がここに連れてこられたときから面倒を見てるんだ。『あいつ』を失望させるようなことはしてくれるな」




 8年来の付き合いである上司の言葉に、影はその長い髪を揺らして消えた。







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