血痕
「お母さん、今日はジャガイモが安かったし、白滝はうちにあるから肉じゃがにしない? 私も一緒に作るから!」
「そうね、久し振りに良いかも」
イーストブロック、大きな買い物袋を三つ提げた親子から、そんな会話が聞こえてくる。夕方の太陽が2人の影を伸ばし、戦ぐ葉が足を速くさせる。
「やった! 早く帰ろ!」
踊るように歩く少女が跳ねて、ビニール袋が楽しそうな音を立ててはしゃぐ。
「あ、もう返事が来てる!」
家に戻った二人は、ポストを開けて郵便物を手に取る。その中の一つに真っ白な便箋を見つけ、娘は嬉々として家の扉を開けた。
「ただいまー! お父さん、買い物してきたよ!」
つい一時間前に皿洗いをしていた父親を呼ぶ。しかし、少し待っても返事は無かった。家事を終えて寝てしまったのか、それともどこか外に行ったのか。
「あれ? おとーさーん? 休みだからって寝てちゃダメだよー!」
気配の無い父親を探して、娘は二階へあがった。
「……部屋にもいない。トイレにも……いない。自転車はあったし、こんな時間から車でどっかにも行かないだろうし……飲み物でも買いに行ったのかな?」
――あのお父さんだし、一人でどっかに出かけたりしないでしょ。それとも、お隣さんに捕まっちゃったのかなぁ。
「お父さんは? 寝てた?」
一階に戻った娘が1人だったことにおどろき、母親は皿を洗う手を止める。
「ううん、どこにもいなかった。わざわざスーパーでお茶買ってきてあげたのに……」
ま、いいや、とソファに寝転がると、手に持った便箋を開けて手書きの文字に目を走らせた。所々漢字が平仮名になっていて、隅にはクレヨンで鍋の絵が描かれているのが可愛らしい手紙だ。
「ふんふん……『この間のおなべは、とってもおいしかったね。また皆で一しょに食べたいな!』お、中々嬉しいことを言ってくれるなぁ……私も今度、皆に会いに行ってみよっかな。元気にしてるかな?」
手紙の返事でいっぱいになった頭の中に、子供みたいな夢を持つ友達が浮かぶ。
「今度、お父さんにまた送ってってもらおっと。電車で遊びに行くのは遠いしなー」
しかし、父親は戻ってこなかった。時計の針が一周しても、手紙の返事を書き終えても、肉じゃがが煮立っても。
4月3日、土曜日、午前11時。
「――……次のニュースです。ノースブロックで発生した大規模な工場爆発事故について、政府軍は今朝、何者かが故意にスチームの気圧を異常なレベルまで上げた可能性があると発表。この事故によってオージア全体での鉄鉱石の産出量が7%減少する見込みを示しています。
続いては、ウエストブロック郊外で発生した無差別殺傷事件についてです。昨日未明、ウエストブロックから東に位置する集落で連続して……――」
「……なんか最近、いやーな事件が多いなぁ」
エントランスのカウンターに座ったコウが、テレビのニュースを見ながら呟いた。
「そのうち、全部俺達のせいにされそ」
ここ最近、レジスタンスの洋館に人気は少なかった。ミズキやシュンは洋館に住んでいるため然程関係ないが、サウスブロック全体を、ヒカリ達を取り逃した政府軍が目を光らせているからだ。ヒカリの傷は化膿しない程度にアイが看てくれていたが、軍は相変わらず病院を見張っていて、左腕を負傷した少女を探している。
「ここまで外に出れないと、鬱屈してくるよね」
コウの後ろで、右手で紅茶のペットボトルを空へ放り投げながらヒカリがため息をつく。一見普通の服装だが、そのパーカーの下には包帯が巻かれている。
「しょうがない。今でも軍は躍起になってヒカリを探してる。危険は冒せない」
「そうは言ってもですよ、ミズキさん……たまには家に帰りたいよ」
少し遠くで椅子に座るミズキに同意をしつつも、それでも暇なものは暇だと反論する。ユイと出かけて狙撃されてから少なくとも3週間は経っているが、警戒が緩む様子はない。洋館からヒカリの家まではそこまで距離はないが、左腕が満足に使えないヒカリ一人では万が一の時対応できないため、大事を取って洋館で待機している。
「サナはどこ行ったの?」
「何で俺に聞くんだ。あいつはリーダーと一緒にヒカリの家に行ってるよ、お前の着替えとか諸々持ってくるって」
実のところ、今着ているパーカーもミズキのだ。「ミズキの匂いがするー」なんて言ってふざけては、よくミズキに顔を赤くしながら叩かれている。自分の家でもないところに数週間も缶詰になっていては気も滅入りそうだが、ほとんど毎日訪れる幼馴染や他のメンバーのおかげでヒカリの気分はまだ落ち込んではいないようだった。それに見方を変えれば、洋館だってミズキやシュン、サクの家だ。友達の家でお泊りしていると考えれば、この状況もそこまで悪くはないだろう。
そんな自分へのごまかしも、そろそろ限界が近づいてきているようだった。指で机を叩く音が日に日に大きくなっていく。
「暇だよ……いくらなんでも暇すぎる。夏休みだってこんな暇じゃないよ。よし、ミズキ、チェスやろ! どうせミズキだって暇でしょ?」
そう言うと思って、と、ミズキは既にテーブルに用意されたチェス盤を指す。
「さっすがミズキ!」
ヒカリは駒を並べると、先攻を譲った。にやりと笑って、パーカーのフードを被った。
「後手の先というものですよ……ミズキの作戦はもう粗方見てきたからね、ここから私の連勝が始まるから、見ててよ?」
「うわー、負けた……くっそぉ」
「今日は私の勝ちね。出直してきなさい」
ぐぬぬぬ……と唸るヒカリを尻目に、ミズキはオレンジジュースで喉を鳴らす。テーブルに備えてあるメモ帳に正の字を書き足すのは、敗者の役割だ。
「でもでも、21勝24敗だからまだチャンスはあるよ! そうやって余裕ぶってると、後で逆転されても知らないからね~?」
「そうね。ヒカリがあと十年修行してこられたら、私に勝ち目はないかもしれない」
「言ったね!? よーし、も一回やろっか、嫌とは言わせないよ……?」
指をポキポキと鳴らし――実際には鳴らなかったが――気合を入れなおす素振りをする。そこへ鍵の開く音が響き、エントランスに冷たい風が差し込んだ。
「たっだいまー。ヒカリ、着替え持ってきたわよ。あとコンセント周りも確認したけど、やっぱ冷蔵庫以外はちゃんと抜いてあったわ」
一緒に戻ってきたサクは、肩に掛けた楽器ケースをコウの隣のカウンターに横たえた。
「ほら、ヒカリのMSRも持ってきたぞ。どうせお前は、これがないと不安だろう?」
ポーンを指の間で転がしていたヒカリは、立ち上がってカウンターに近づく。元々は吹奏楽をやっていた友人が「もういらないから」と言って譲ってくれたのが、このエレキギター用の黒いハードケースだった。内装はMSR用に入れ替え、設けられたポケットには吹奏楽部のCDが入っている。周りには友達と貼ったバンドや動物のステッカー。そして無数の傷が、ケースの辿った歴史を感じさせる。
「ありがとうございます、これがないと夜も7時間しか眠れないんですよ。サナ、街の様子はどうだった?」
「7時間も眠れれば十分でしょ。駄目、まだまだそこら辺に兵士がいるわ。本気でヒカリを探しに来てるわよ」
「えぇ~、他のブロックで最近事故とか事件多いんだしさ、普通もう少しそっちに人手割かない? いっぱいニュースやってるよ」
そう言ってテレビのチャンネルを変えていく。
「えーっと……工場の爆発に窃盗、詐欺、銀行襲撃に……ん、今のは……」
沢山のテレビ画面の中で一つ、ヒカリの目に止まったニュースがあった。そのチャンネルはサウスブロックのローカル局の放送で、軍に半包囲された銀行をヘリから生中継で映しだしている。
「これ、あそこの銀行だよな? あの、ここ出て左にずっと行った所にある」
「間違い無い。……人質もいるみたい」
ミズキの言うとおり、銀行のウインドウ越しに男性が歩いてきた。タオルで猿轡を噛ませられたその男性は、手に持った画用紙を掲げてみせた。
「――人質となった男性が何かメッセージを伝えようとしているように見えます! 『俺はこんなこと望んでない、助けてくれ』。これはもしかしたら、犯人からのメッセージなのかもしれません!――」
「なんでサウスブロックだけで、短期間で2回も銀行が襲われるわけ?」
おどけてアキレス腱を伸ばすサナは、M93Rのスライドを引くと、ホルスターに戻した。
「コウ、様子見に行くわよ。なんかちょっと気になるし」
「あいよ、承った」
「えっ、じゃあ私も行く!」
「いや、ヒカリはここで待っててくれ。あの銀行には俺達だけで行く。シュンも何か工作室で作ってるしな」
でも……と食い下がるヒカリに、サクは肩を優しく叩く。
「今ヒカリは軍に捜索されてる。そんな状態であの現場に出張ったら、様子を見るどころじゃない。安心しろ、別にちょっかいかけてくるわけじゃないんだ」
サクの言葉に俯いたヒカリは素直に引き下がると、カウンターの反対側に回り袖をまくった。
「じゃあ、行ってらっしゃい! 私はなんか作って待ってるよ」
「やたっ! じゃあ行ってくるね! 多分手を出すことは無いから、大丈夫!」
じゃあ行ってくる! とコウ達はヒカリを残し、洋館を出ていく。
サナ達が道を歩いてすぐ、遠くから軍のハンヴィーのサイレンが聞こえてくる。次第に正面に車両の姿が見えてきて、屋根に乗せられた赤と青の回転灯が4人の影を作りだした。
「本当に近いな……全員あんまり目立つような行動を取るなよ」
歩いて十分程で、その現場にはたどり着いた。何人もの野次馬がハンヴィーから数メートル離れたところを埋め尽くしていて、様子を窺うのに軍人から姿を隠す必要はなさそうだ。
「わかってるって。取りあえずビルの間からでも様子を見ようぜ」
4人はハンヴィーで封鎖された道路を迂回して、路地裏に入り込んだ。
「どうだ、なんか見えるか?」
「んー……人質が4人いるわね。サラリーマン1人に、行員が3人。全員タオルを口に噛ませられてるけど、目隠しはされてないみたい」
「……監視カメラ2台の映像を傍受した。犯人は1人、奥に人質が更に2人いる。拳銃一挺の他に武装は見られない……けど」
ミズキが自慢のラップトップで、行内のカメラ映像を見せる。確かに武器を持った人間は一人だが、気になる場面はそこではなかった。
「これは……どういうことだ?」
銀行奥にあるベンチに座り項垂れた犯人は、人質に慰められるように手を掛けられていた。両手で頭を抱えた犯人は拳銃を手放していたが、人質は誰も取り上げようとしない。
「何が起こってんの? 映画かなんか?」
「あれは銀行じゃなくて病院だろ。声は聞けないのか?」
「駄目、このカメラは映像だけの機種みたい。一体中で何が……」
「……了解、確認した。これからブラボーを動かす、準備しておけ。アウト」
風に乗って、軍人のそんな言葉が聞こえてくる。通信相手は流石にわからないが、なにか状況が動き出す予兆を4人は感じ取った。
「何か変わった様子は見られるか?」
手で目に覆いを作り、コウは建物の影から頭を出して様子を窺った。
「……表の奴等、撤収してくぞ。どういうこっちゃ」
コウの言う通り、銀行を半包囲して膠着状態にあった部隊が、一斉に車両に乗り込んでその場を離れていく。行内に立て籠っていた男も、不審に思って身を晒さないように外を見渡している。だがその様子すら無防備で、やはりどこか違和感を拭えない。
「待った。銀行裏手の監視カメラに映った。軍の小隊が裏口に張り付いてる」
裏口を蹴破ろうとしているのか、ドアを叩く轟音がサナ達の耳にまで届く。
「なんであいつら、あんなに音立ててるわけ?」
「突然の轟音は人を驚かせることができる。それに相手が一人きりで精神に余裕が無い状態なら特に」
実際、男は慌てふためいて窓から離れると銀行内部で走っていく。ミズキのカメラに目を移すと、拳銃を拾った男が扉の前に急いで物を動かし始めていた。しかし、扉が蹴られた衝撃で即席のバリケードはすぐさま綻びを生じる。
そこへ人質の主婦が駆け寄ってくると、何か男に耳打ちをしだした。音声が拾えないので何を言ってるかはわからないが、首を横に振った男は暫く考え込んでから、主婦に深く頭を下げた。
「何の話をしてるんだ……?」
それから再度二人は駈け出し、カメラから姿を消す。次に4人の前に姿を見せた時、男は主婦のこめかみに銃口を突き付けていた。
主婦を自らの盾とした男は、責め立ててくる音から逃れるように銀行正面の道路に飛び出した。それと同時にドアが吹き飛び、銀行内に兵士が浸透する。人質のタオルを外し救助しつつ、数名は銀行の窓に近づき犯人の姿を追う。
「そりゃあ、そう逃げるしかないよな。どうする? このままここで見てるのか?」
「……いや、今俺達が介入するのはまずい。ここら一体はまだ軍が監視してるんだ、俺達が姿を見せればレジスタンス全体の危機になる」
「でもこのままじゃ、人質もろとも撃たれるんじゃ……」
言い淀むコウに、サクは首を横に振る。
「ここは、我慢してくれ」
「大丈夫です、僕があなたを撃つことは絶対ありません」
男は銃を突きつける主婦に優しく言葉を掛ける。
「あたしゃあいつらの方が撃ってきそうで怖いよ」
そういう主婦の視線の先には、銀行からこちらを窺う兵士達の姿があった。
「頼む、来ないでくれ! 俺は息子を助けたいだけなんだ!」
しかしその懇願に、答えてくれる人間は一人もいない。
「くそっ、何なんだよ!」
「また、助けたい……一体どういうこと?」
男の不可解な言動を訝しんでサクを振り返るが、俺もわからん、という風に首を振られてサナは眉根を寄せる。
「何故部隊を撤収させてから突入したの……?」
ミズキに訊こうと思ったら、別の考え事で声を掛けたサナに気付いていなかった。
「単純に、あいつらが馬鹿だからだろ。敵に逃げ道を用意したら、そこに逃げ込むに決まってるじゃん」
深く考えすぎだろとコウが声を掛け、思考の迷宮に入り込んだミズキを呼びもどす。
「……確かに」
「な? ミズキも、もう少し楽に物事を……」
「確かに、追い立てられた鹿は山を回って逃げ道を見つけると、一直線に逃げる。その習性さえ分かっていれば、狩るのは容易い……」
立て篭もり犯を鹿に例え、ミズキは猟銃を撃つ動作をする。
「……つまり、軍は意図して逃げ道を作ったと?」
コクリと頷く。それに被るようにして銃声と、悲鳴が鳴り響いた。
男は主婦に銃口を突き付けるために、大きく肘を開いていた。そこを、どこかのビルで待機していたであろう狙撃手が狙い撃ったようだった。
撃たれた衝撃で拳銃を手放した男は、ゆっくりと歩いてくる兵士達から必死に逃れようと後退する。
しかし、すぐに追いつかれた男は、右腕を庇っていたせいでがら空きの脇腹を蹴り飛ばされた。
「おい、やめろ! そいつは片腕撃たれてるんだ、これ以上苦しめるな!」
「あぁ? ああ、わかったよ……っと!!」
制止する同僚に振り返った兵士は、お土産だと言わんばかりに男の腹を踏みつける。遠くの野次馬から騒ぎが起き始めたが、それもすぐに静まった。
「あいつ、絵に描いたような屑だな」
「でも、軍人にも多少なりともまともな人間はいるのね」
サナの目にとまった兵士は、同僚を戒めてから男の許に駆け寄って、手当をしているようだった。
その時ふと、男の口が震える。それは何かを呟いていたらしく、兵士は顔を傾けて耳を近付ける。男の声は小さく、サナ達には何も聞こえなかった。
結局何を言ったのかわからないまま、「助けたい」という発言の意図もわからないまま、気絶した男は担架で運ばれて行った。
「……まあ、珍しく人の死なない事件で良かったわね。兵士皆が皆あの人みたいだったら、良かったのに」
サナが壁にもたれかかり、道路上に痛々しく残った血だまりを見つめる。保護された主婦の声が、遠くから聞こえてきた気がした。
「ここが、テロリストを狙撃した公園か」
「ああ、そうらしい。ほれ、そこと花壇の陰に血痕が残ってるだろ、アズマ」
「……もう一か月近く経ってんのに残ってるとは、随分な出血量だな。どうしてここまで負傷させてるのに取り逃すんだ。ほんとに捕まえる気はあったのか?」
アズマ、ニシ、ヒロの三人は、ヒカリとユイが軍に襲われた公園まで来ていた。
「ったく、自分たちのメンツがつぶれるから来るんじゃねえって言っときながら、見つからなかったら掌返しか。来いだの来るなだの、素晴らしい横連携だな」
「やめとけアズマ、今更だろ。それに手が足りないから応援を頼むのは悪くない。対象がテロリストなら特にな。のさばらせてテロ行為をさせてたら、そのうち民間人にも被害が及ぶかもしれないからな」
珍しく、普段やる気のないヒロが前向きな意見だ。
「……ま、そうだな。そういえば、テロリストの人相はいつになったら公開されるんだ?」
「いや、尻尾巻くって帰ってきて早々、4人とも勝手に基地を飛び出して、情報も提供しないままここに直行したそうだ。たまたま階級低い奴しかいなくて、呼びとめることすら出来なかったんだと」
とニシは2人に伝えると、近くを通りすがった兵士を呼びとめた。
「はっ、なんでありましょうか!」
「俺たちはただの准尉だし、そんな畏まる程じゃないから楽にしてくれ……曹長」
階級章に目を走らせ、彼の階級を確認した。見た目はまだ30代にもなっていないようだが、下士官の最上階級になるからには、ある程度能力があるのだろう。
「はっ! しかし、アズマ准尉、ニシ准尉、ヒロ准尉は政治将校殿に反対し、死地から部下を命懸けで連れて帰ったと我々の間で噂が広まっているんです。何卒、ご容赦の程を……」
顔を見合わせた3人は、ウィードアウト作戦時の事実が曲解されて伝わってることをこの時初めて知った。「這う這うの体で逃げただけなんだけどな」とは言わずにおいたが。
話を聞くと、今呼びとめた曹長は事件発生後に現場で調査をしていた部隊で、それによると、未だ公園以外でテロリストの姿は確認されていないようだった。付近の病院は全て部隊が詰めているらしいが、そこにもそれらしい者は現れていないらしいことから、既に失血死しているんじゃないか、という噂も流れていた。
「ただ……」
「ただ?」
曹長というからには、彼もそこそこの年月を――というにはやはり若いが――軍で過ごし、二等兵からたたき上げてきているはずだ。上官との付き合い方も、情報伝達についても慣れているだろう。そんな男が言い淀むのなら、それは確かでないし、関連性も疑われるということだ。それでも伝えておきたい、そんな情報なのだろう。
「レジスタンスの容疑者を発見した次の日に、近くの路地で事件があったようでして。地元のゴロツキと思われる人間が7人、刺し傷や切り傷を受けて死んでました。恐らく容疑者の仕業かとは思うんですが、いまいち把握できていません。個人的には、7.62mmの狙撃を受けた相方を守りつつ格闘戦を演じるだけの余裕があるのか、って感じです。
それと、これはまだ本部の方には伝えるな、と命令が下されているんですが……一等兵2名に兵長1名、少尉1名の計4名が同じ日に行方不明となっているんです。全員、無線局へ応援に駆けつけた生き残りです
更に、うちの隊の同僚が1人、消息を絶ちました。近くの店の主人によると、聞き込みをしてる最中に突如、片割れがもう一人を刺したそうです。事実、その場に残された血痕からは俺の知り合いのDNAが検出されました」
それらは、先程着いたばかりの3人にとって初耳だった。今情報の共有を行ってる小隊長の耳にも、同じことが伝わっている所かもしれない。
「隊員の殺傷事件については、4名行方不明の方とも絡めて捜査を進めてます。ただ、事件の証拠が全くないので、行方不明者は殺されてはいないと考えてます。少なくともこの周辺では。
それより、最近失踪事件が多いじゃないですか。『神隠しだー』なんて騒ぐ奴もいるんです。流石にその噂は流布するには突拍子無さすぎますけど」
失踪事件が多いのか? ニシの目は明らかにそう尋ねていた。
「最近軍の受付が矢庭に忙しげだよ。捜索願が沢山出されてて、全部には手が回らないらしい」
本当に解決に手を回してるかは知らんが。ヒロはニシに腕を小突かれるが、素知らぬ顔で呟く。
「最近じゃ事故とか事件も増えてるし、受付だけじゃない、この国全体が俄に慌ただしくなってきてるよ。
悪い曹長、テロリストについて、なんでもいいから情報を貰えるか? 一人が左二の腕を狙撃されたのは知ってる」
アズマは両手を腰に当てると、たった今の愚痴で損なってしまった“上官らしさ”を取り戻すように尋ねた。
「これも伝えにくいことですが……レジスタンスの奴らの身体的特徴を確認できるほどまで肉薄できた者はいません。その……生きている人の中には」
「狙撃手はどうだ、スコープで見えたはずだろう」
「そいつは行方不明になった兵長です」
3人が同時にため息をつく。
「情報がてんで残ってないな。それになんだ、テロリストに恨みを持つ4人が全員行方不明……スパイでもいるのか?」
つい、言葉を漏らす。アズマは声の漏れ出た口を押さえてから、曹長が余計なことを上司に言わないよう目配せした。
「安心してください、私の口は准尉殿達に不利益になることは言いません! それに、内部工作員の存在はうちの大隊でも相当噂になってます。ほら、この間もどっかで科学者が脱走したようですし」
彼がサガラの事についてを言ってるのは明らかだった。しかし、末端の兵士にはパルチザンについての詳しい情報は流れていないのか“どこ”で“何の”科学者が、はわからないようだ。
「なるほどな。わかった、もう行っていいぞ。これ以上話してると、君が上司に目を付けられる」
ありがとうと感謝を告げて、銃口を下に提げて走る兵士を見送る。
「内部工作者ねぇ、キナ臭い……」
ヒロの言葉に、アズマは肩を竦めるばかりだった。
「全員集まったか? 各隊員の警戒担当地区を伝える、地図に寄れ」
30分後、アズマの所属する第二機動部隊は公園近くに停めたハンヴィーの周りに集合していた。車のボンネットには公園周囲5kmに渡る地図が広げられている。
「我々はこれより捜索任務に加わる。これは先月、3月8日にこの公園で遭遇したテロリストである少女2人を対象とする」
『私達レジスタンスの正義は、軍を排除してこの国を皆の手に取り戻すこと! 私達は私達の手の届く限りで皆を、国を護ってるだけ!』
――テロリスト。少女。レジスタンス。
「長髪の片割れは先月、他の隊を30名近く殺害している。一方で当人の証拠は一切残っておらず、負傷した様子も見られないことから、非常に厄介な相手だとわかる。決して一人で当たるな、発見次第増援を呼べ。
もう一人、こいつを庇って狙撃を受けた少女もいる。こいつの正体は不明だ、レジスタンスと関係があるかどうか、戦闘能力があるか、全くの不明だ」
『……ねえ。あなたは良い人? それとも、悪い人?』
――良い人ってなんだ? 職務に則ってお前を捕まえる人か?
それなら悪い人は? たった一回顔を合わせただけで迷うような弱い奴のことか?
「だが、少なくとも無関係ではないだろう。800mの狙撃手に感付き、明確に長髪の少女を助けた。ただし、左腕の服が破れ、出血する様子が確認されている。だが病院に姿は見せていない、医療関係者が仲間内にいる可能性もある、この線は別の部隊に当たらせよう」
『もしも……もしも次に会う時は、敵?』
――ああ、そうだ。お前だってわかってるだろ? 俺は軍人、お前は反政府組織の人間。あの共闘が異常だっただけなんだよ。そもそも次に会うことなんてないだろ。
……そうだろ?
『私は、ヒカリ。あなたと一緒に戦った死神の名前と、顔を、忘れないで』
――……心配すんな。忘れたことなんて、ねえよ。
「……第一、第三機動部隊はおよそ公園から以南を捜索してる。その他の部隊も、それぞれ以西、以東だ。我々は警備の手薄な……おい、アズマ?」
地図から目を上げた小隊長は、心がどこかへ飛んでいっているアズマの名前を呼んだ。それで現実に引き戻されると、頭を振って思い描いた顔を消し去る。
「っ、はい! 申し訳ありません!」
「どうした、休みで体が鈍ったか? 確かに今さら、周辺警戒は無駄に思えるかもしれない。しかし、目の前の任務にきっちりと取り組まないようのは良くないな。気はしっかり持て、他の奴に見つかったら大変だぞ」
――……別に、そういうわけじゃないんだけどな。
どうしたのか疑問を浮かべるニシ達の間で、アズマは自分の頬を叩いた。
「アズマが気を持ち直した所で、我々の担当は北だ。地図にあるこの駅を中心に、学校からこっちの消防局までが持ち場だ。理解したか?」
小隊長が部下達を見回し、他に気も漫ろな隊員が居ないか目を光らせる。
「分かったら各自3名で警戒にあたれ、常に無線機の電源を入れておけよ!」
散開し、街の警戒態勢が更に引き上げられる。もしも対象者が近辺にいたなら、もうとっくに網に引っかかっていておかしくないだろう。だからもうあいつに会うことはない。
そう思っていても。“どう”思っていても、任務を途中で抜けるわけにはいかない。アズマはSCARのセーフティを解除して、水筒を飲み干した。