番外編:切り開く意志
今回はサナとミズキ、そしてナイフが主役です。
「ふーんふーんふふーんふーんふんふふんふふーん♪」
「……随分ご機嫌ね、サナ」
「ああミズキ。こないだ好きなバンドのシングルが出たからね、覚えなきゃ」
「そう。CDを聴きながらナイフを抜いてるから何事かと思ったけれど」
「あいつじゃないけど、自分の武器は自分で手入れしないとね」
「そのナイフ……」
「そう、そのナイフ。最近これ使うこと多かったかんね、手入れしないで切れなくなるのは嫌だし」
天井のシャンデリラの明かりにナイフを照らして、先端を走る白い光の線の途切れ目を幾つか見つける。当たり前のことだけど、線が途切れてるってことは刃こぼれしてるってこと。別に直さずに性質の悪い傷を負わせることも出来るけど、それは人としてどうかと思うし。何より、このナイフは丁寧に使いたい。血液は必ず拭いてるけど、刃の表面にもちっちゃい傷とかついてるし。
適当なコピー用紙を片手で軽く持って、ナイフの刃を当てる。やっぱり切れ味が落ちてるな、普段ならスーッと紙が切れてくのに、今は所々引っかかるように止まる。
「サナ、工作室使う?」
「いいの? シュンはさっきどっか行ったけど」
「もちろん。この洋館はサクと、シュンと、そして私の家だから」
それもそうかと思い直して、ナイフを腰のシースに戻して、テーブルに広げてたウエスとかオイルをバッグに突っ込む。別にシュンとかヒカリみたいに武器整備すんのが好きなわけじゃないけど、だからって代わりにやってもらうのも違う気がしてね。
「お待たせ。何か使いたいものはある?」
「ありがと。そうね、砥石が欲しいかな。確かそっちの引き出しにしまったはず」
「何番?」
「あー、じゃあ1000と1500と2500辺りよろしく。あと、多分砥石の台も置いてあると思う」
砥石はミズキに任せて、私はバケツに水を入れる。ここに置いてある石は水砥石だから、使う前に水に漬けなきゃいけないんだよね。まあ正直言えばだるいよ、水冷たいし。
「……で、最近どうなの?」
「どう?」
「シュンとのことに決まってんじゃん、進展あった?」
砥石を三つバケツに突っ込んで、ミズキにシュンとの進展を聞く。恋バナは水がしみこむまでの数十分でも出来るかんね。
「どうって……どうともない」
「どうともねえ、ふーん……ほんとかー?」
「本当。この間孤児院に行ったくらい」
「孤児院? ああ、『笑顔と正直の園』ね。懐かしいわね、またおもちゃ持ってってたの?」
「ええ。新しい子と、昔から面倒見てた子がいて、いつも一緒に遊んでいた子がいなくなって、次の日に新しい家族の元へ行く子がいて。院に帰る度に寂しい思いはするけれど、私たちはそれを祝福するべきだから、二人で帰りに食事をした」
「ああ、えっ、あ、二人で食べたの?」
「ええ。シュンが『おなか減ったね』って言うから」
「どこどこ? どこ行ったの?」
「駅前のファミリーレストラン」
「……はー、ファミレス!? あんた達二人っきりでファミレス行ったの!? なんだぁ……」
怪訝そうな目を向けてくるミズキ。ほんと、2人とも自分の気持ちに鈍感なのかなんなのか。
「もういーかな?」
バケツの中の砥石に視線を落とす。石から泡が出てないし、もう良いっしょ。濡れた砥石を台の上に乗せて、腰のシースからナイフを取り出す。この頃は戦いで使うことが多いから、真面目にやんなきゃ。
「普段は自分で研いでるの?」
隣に座ったミズキは私のナイフと砥石とを交互に見て、興味深そうに聞いてくる。
「んー、まあ普段は仕上げ研ぎくらいだけどね。さっき見たけど、刃の線ががたついちゃってるから中砥とか荒砥使わなきゃいけないし、シュンの方が器用だから任せてるんだけど」
台の下にぞうきんを何枚か敷いて、研ぎ汁が机を汚さないよう……って言っても絶対汚れんだけど、まあ出来るだけ汚れないよう気を遣う。
「そういやミズキは研ぎ方知ってんの?」
「一応情報としては。だけどやったことはない」
「あぁー、やり方知ってるのとやったことあるのとは全然違うからなぁ。じゃあ私がやるから、ミズキはそれ見てて」
「もちろん」
っても、最後に砥石使って研いだのなんて大分前だしな。ミズキに説明がてら、ちゃんと振り返んないとな。
「まずは1000で、つまり多少荒めの砥石でナイフに傷をつける。今回はそんな深い傷はなかったから、熱心にやる必要はないかな。で、大事なのはナイフの角度ね。
知ってるとは思うけど、ナイフは砥石から15度傾けて、反時計回りに45度回転させて研ぐの。押すときに力入れて、引くときは力抜いてね」
シャッ、シャッ、シャッ。気持ちのいい音を響かせて、濁った水が雑巾に吸い込まれてく。シャッ、シャッ、シャッ。
「……これやってると疲れんだよね。ずっとシャッシャシャッシャいってるから眠たくなるし」
大きな欠伸をひとつして、またナイフを明りに照らす。さっき見つけた大きな欠けがなくなった代わりに、全体的に荒くなってるように見える。1000番はもういいかな。
「こうやって大きな破損をなくしたら、次は1500で、全体的に荒くした刃を均していきます。ちなみに、基本的には1500とか2000番で十分。私は少し前にナイフで格闘したから大きく刃こぼれしただけで、普通は切れ味が悪くなるくらいだから。あとは同じことを繰り返すだけ」
1000と比べて1500は、石の表面のざらざらが少ない。要するに、数字が大きくなるほど石はつるつるするし、ナイフの仕上げになるってこと。当たり前な話、仕上げに力をかければかけるほど切れ味は上がるわけ。
「3000とか5000使って鏡みたいにすることも出来るけど、それはちょっとね、デメリットが多いから却下で」
きらきら反射して隠密行動に向いてないし。単純にめんどくさいからってのが一番なのはナイショだからね。
「……そうやってメモしてるけどさ、そんな真面目にやるもんじゃないわよ?」
黙々とメモをとるミズキは馬鹿が付くほど真面目だから、今も私が研いでるナイフをいろんな角度から穴が開くほど見つめてる。こないだも私が貸したゲームの攻略方法を紙に書いてたし、きっと紙に書くってこと自体が好きなんだろうね。メモ魔ってやつ? あとでちゃんと確認するミズキみたいな性格ならいいんだろうけどね。私? 私があとから見返すわけないじゃん。
「これは、万が一やり方を忘れてしまった時のための保険みたいなもの。そんなに気にしないで」
もしも忘れた時、か……
「もしもやり方を忘れたとしても、何度も何度もやってたことなら体が覚えてるでしょ、多分。子供のころの癖を大人になっても無意識にやり続けてるみたいに、普段のくだんない話の最中に咄嗟に出る言葉みたいに? 例えば私が皆を忘れても、どうせそのうち思い出せる」
そうでしょ? それがナイフの研ぎ方でも、箸の持ち方でも、ヒカリやコウのことだったとしても同じこと。
「……そうね。そうなることを願うばかり」
「で、それは何のゲームの台詞?」
「私の台詞の全部が全部ゲームの受け売りなわけじゃないかんね!?」
随分とまあ失礼なことを言った割に、ミズキは普段私たちに全然見せてくれない笑顔を浮かべる。眼鏡外して、メッシュとかインナーカラー入れれば大分印象変わるのに。ヒカリもそうだけど、どうして自分のお洒落に気を使わないのか、全然わかんない。男にモテるモテないの話じゃなくて、単純に楽しいじゃん。
まあでも、なんていうの? 着飾らない綺麗さっての? があるからいいんだけどさ。いっぺんがらりと雰囲気変えてみるのもいいかもな。今度こいつら連れてショッピングでも……
「……サナ?」
「ん? あ、ごめん考え事してた。次は1500と2500で同じことを繰り返すだけ。ね、簡単でしょ?」
だからこそめんどくさいんだけどね。
「ただいまー、ナイフ研いでるの?」
「ああシュン、遅い! 砥石借りてるよ!」
「ああサナ、出かける前に言ってくれればよかったのに。変わろっか?」
「いや、もう2500番だけだから平気。それより、どこ行ってたの?」
「ただの買い物だよ、おやつ買いこんでた」
「ミントガムは?」
「あるよ」
「よし」
「よしって……そうだ、ミズキ。こないだ言ってたやつも買って来たからね」
「この間? ああ、わかった。ありがと」
シュンはガムとなんかの箱をテーブルに置くと、他に買ったものをしまいに部屋を出てった。ガム置いてってくれるのは助かるけど、まだナイフ研いでる途中だし、両手は研いだ汁で汚れてるし。今は無理だな。
「その箱なんなの?こないだ言ってたやつって言ってたけど」
「近くのスーパーに売ってるチョコレートの銘菓」
ミズキが箱を開けると、確かに個包装されたチョコが見える。
「銘菓? よくサービスカウンターに置いてあるやつね、あれってお土産用とかじゃないんだ。シュンよく覚えてたわね」
「言った本人は何気ない一言だったとしても、一緒にいた人は覚えてることが多い。本人の認識の違い」
「そんなもん、か」
何度目かの欠伸をして、止まってた手を動かす。
「……昔から、どうしても聞きたかったことがある」
ペンを持つ手を止めたミズキが、私を見つめるのが見える。
「そのナイフ、ヒカリの叔父のものだったって聞いた。それをどうしてサナが持ってるの?」
『「……殺す。殺す、餓鬼ども全員殺してやる!!!』
男の叫ぶ声が、脳裏に響く。
「そりゃ、私が欲しいって言ったからに決まってるじゃない」
むしろ他に理由なくない?
「どうして?」
「どうしても」
屁理屈みたいな返事にも、ミズキは表情を変えない。嘘も間違いも言ってない、私はこのナイフがどうしても欲しかった。私が、ヒカリが、初めて人を殺したナイフが。
「あなたは辛くないの?」
「え、辛い? いや、全然。だって私、後悔してないもん」
「そう……ならいいのだけど」
あいつじゃないんだから、いちいち後悔しながら生きてなんてらんないわよ。こちとらその時正しいと思ってやってんだから。
「てか、それめっちゃ美味しそうじゃん」
3つも4つもほいほい食べてるチョコの匂いが香ってきて、お腹がすいたような気がしてくる。私も結構チョコ好きなんだよねー。でも今手汚れてるし。
「ミズキ、あーん」
小さく口を開けて、ミズキのチョコを待つ。
「……そういうの、サナは恥ずかしくないの?」
「まるで私に羞恥心がないみたいな言い方はやめてよね。TPOは弁えてんだから」
「……そう、私だと恥ずかしがらないのね」
「えっ? 何、なんて言ったの?」
「いいえ。こないだあなたがヒカリとシュンを抱きしめ殺そうとしたあれも、相応しい行動ってことなのねって」
「あっ、あれはあいつらが覗きしてるから、罰を与えようとしただけよ! ……てかなに、ミズキも見てたの!?」
「覗き見じゃない。上に上がったらたまたまそんな騒動が起きてたから、しっかりと偵察しただけ。その結果、あなたの罰は確かにヒカリにとっては最高の罰だったわね。事実、あれからヒカリは一日中受け答えがしっかりしてなかった」
「そんなの知らないわよ、私はあいつを怒っただけなんだから!」
「そうね」
チョコを小さい口で転がしながら、胡散臭そうにこっちを見てくる。あーんして待ってるのに口に入れてくれないし。
「何その『はいはいわかりました』みたいなの! なんだか今日は随分からかってくるじゃない、どしたのさ」
「からかってるわけじゃない、私はあなたとコミュニケーションとってるだけ。私たちは幼馴染、いくら寡黙な私でも大事な人たちとの会話する労力すら惜しんでるわけじゃない、ただ、普段はうまく自分を表現するのが苦手で、上手に口が回らなくて、だけど本当はいつもシュンやあなた達が優しくしてくれて、それに本当に感謝してるの」
「あーはいはい、そうねー。饒舌ね、まさか酒でも飲んだ?」
軽くいなして、チョコが入ってた箱の周りを見てみる。……あったあった、アルコール分3.5%。そりゃ酔うわ、私がたまにふざけてサナに食べさせてるのでも1.5%くらいなんだから。「顔赤くなってるー」なんかじゃシャレになんないくらい酔ってそう。
ため息を一つついて、研ぎ終わったナイフをウエスで拭き上げる。さっさと刃物しまっとかないと、下手したらミズキ怪我するかも。
「ねー、だから教えてちょうだい? どうしてあなたがそのナイフ使ってるの?」
「だーかーらー、言ってんじゃない、私が使いたかったからよ」
「それはヒカリのため?」
やけに目の据わったミズキは、軽くメンテナンスオイルを塗ろうとしたナイフを、私の手ごと掴む。その掌がびっくりするほど熱いのは、酔ってるからなんだろうか。
「そのナイフは、ヒカリが伯父を刺したもの。いわばヒカリのトラウマの一つ。それなのにあの子はナイフを離さずあなたの家に行って、そしてあなたはヒカリに頭を下げて、そのナイフを譲ってもらった。
本当なら、その場で捨ててしまっていてもおかしくない。あなたのお願いを断るのも当然。だけど実際はそうじゃなかった。それがまるでわかんない。だから教えてほしい、どうしてナイフを欲しがったのか」
随分とまあ口が回ること。普段からそんなことでも考えてるんでしょうね。
「ったく、わかったわかった、言うわよもう……」
まさかミズキまでこんな昔のことを気にするタイプだなんて思ってなかったわ。
「あのナイフは、私にとって『勇気』そのものなのよ。ヒカリの勇気の象徴であって、私を助けてくれたものなの」
「……ヒカリに聞いたら、まったく正反対の意見でしょうけどね」
「うるさいわねー、酔っぱらいは茶々入れないで黙って聞いてなさいよ。とにかく、このナイフは私たちにとって特別なの。私が初めてヒカリのために行動を起こしたきっかけで、初めてヒカリが私を助けてくれた記念で、私の『勇気』の拠り所。って言ったら私が依存してるみたいに聞こえるかもしれないけどね」
「勇気の拠り所?」
「そう。私の勇気の根っこ。私が『何があってもヒカリを守って見せる』っていう決意の元。これがあるから、私はこの決意をいつでも心に刻むことが出来るって感じ」
「……アーティファクト」
「は?」
「そもそもの意味は、信号処理の段階でヒューマンエラーにより現れる歪やゆがみ。或いは単に人工物。
貴女の好きなゲームだと、人の強い意志が込められた道具って呼ばれてるやつ。だからあなたとヒカリにとって、その蜂のナイフは、何物にも代えがたいアーティファクトなのね」
「あぁ、そゆこと。そうね、そうなるかな。確かにこのナイフは、他の何よりも大切ね」
「だけど、そのナイフはあくまでも武器。人を殺すための武器。それだけは」
「わかってるわよ。私たちの思い出がナイフ、なんていう歪さも、その危うさも。
でもだって、私たちはレジスタンスよ? 反政府組織なんていう変な組織なんだから、私たちの思い出が変だって、普通じゃない?」
「……まあ……んん……」
……なるほどね。ミズキも本当は、私たちの関係が歪だってわかってるんだ。わかってて、それでも見ないふりをしようとしてるんだ。私たちは普通だって、思い込もうとしてるわけだ。
「そもそも、私たちは普通?」
「……普通って、どんな目線で? 感性? 生い立ち? 心? まあそれを限定することに意味はないでしょうけど」
「そのすべての意味よ。私たちは普通じゃないでしょ? ヒカリが両親に捨てられ伯父を殺したっていうのも、ミズキとシュンが幼馴染に後見人になってもらったってのも、私が友達を家に匿ったってのも、全ては普通じゃない。私たちはそんな、普通じゃないことの積み重ねで出来上がってるんでしょ?
だったら普通の尺度じゃ図れないんじゃない? 私たちの感じる心も、その生い立ちも、全部が普通と違うなら、例え人を殺すための道具が私の心を支えてるとしても、何もおかしくないと思うんだよね」
私たちは人を何十人も殺してる。それで普通なんて名乗るつもりない。ヒカリじゃないからそれをいちいち気に病むほど繊細な心なんか持ち合わせてない。私が気に出来るのなんて、精々私と幼馴染くらいなんだから。
「だからサナは、その『自分の中の普通じゃない尺度』に従って、ヒカリを傷付けないために生きてるの? そのためにナイフを手にしたの?」
「え? なによわかってないわね、私がナイフを欲しがったのは私のため。確かにあいつがずっと持ってたら気になることがあるかもしれないけど、それ以上に、私は私のためにあのナイフを欲しがったの。
だってこれがあれば、私はいつでも、私の勇気を手放さないでいられる。私は自分の意志を確かめることが出来る。私がヒカリにとって『サナ』であり続けるためには、ヒカリの目の前の壁を壊さなきゃいけない。ヒカリを守り続けなきゃいけない。そしてヒカリにとってかっこいい存在でなきゃいけないのよ。それが、私が私でいられる理由」
「ヒカリみたいな強迫観念はサナには似合わないんじゃないかしら」
「違うわよ、てかなんてこと言うのよ」
やめてよね、私あいつみたいにうじうじ出来るほど、昔のことに気配りする余裕なんてないんだから。過去を気にし続けられるほど、細かい人間に見える?
「強迫観念なんてめんどいのじゃなくて、単に私はそう決めたってだけよ。前に進むための決意。……ん、でもそういう意味だと、あいつとたいして変わんないかもしんないわね……まあとにかく、私はヒカリのことを守ってみせる。私はあの子に助けられたのだから。そういう決意をいつでも思い出すためと、後はまあ、あのナイフがあると、強くなったみたいな気がするの。だからかな。
……あーもう、恥ずかしい。この話は終わり、わかった!?」
「……なるほど……わかった。サナはサナで色々考えているのね。うん、やっぱりあなたは強い。羨ましいくらいに」
口調が大分いつも通りに戻ってきたから、酔いも落ち着き始めたかな。の割には普段言いそうにないこと言ってるし、冷静にはなってないっぽいけど。
「そう言ってもらえ続けるよう、頑張んなきゃね」
「いえ、本当に強いと思ってる。私の目標はあなただもの」
「手頃なもんね。ゴールっていうよりチェックポイント的な感じにしときなさいよ、私目指しても何にもならないんだから」
「そんなことない。だってもう7年以上、私はあなたを追いかけてるのだから。ヒカリの事を助けたあなたの事、一度たりとも尊敬を忘れたことはない」
「はあ? や、やめなさいよ、そんな見え透いた嘘」
ほんと、そんなわかりやすい嘘に引っかかるわけないじゃないの! ……嘘、だよね?
「いいえ、本当。ヒカリを助けることに躊躇わない勇敢さも、決して曲げることのない意志の強さも、私には足りないものだから。とても尊敬してるわ。幼い頃は心の底に弱さを隠して、強さを演じているのがわかってた。だけど今のあなたは正真正銘強い、まるでテレビのヒーローみたいに」
……やあね、そんなお世辞わかってんだからね。まさかそんなのに乗せられるとでも思ってんのかしら。そんな訳ないじゃない、私を誰だと思ってんのかしら、ほんと。
……ほんとに。
『私にとってサナは……』
「私はあいつのヒーローよ? テレビのヒーローなんか目でもないわよ!!」
人差し指でナイフをくるくる回して、空中に放り投げる。ゆっくりと回転するナイフをよく見て、よく見て……持ち手を掴んで、シースにしまう。どう? かっこいいでしょ。
「流石、かっこいいわね。その表情さえなかったらもっとかっこよかったのだけど。今日はありがとう、おかげで刃物の研ぎ方は万全」
私の頬を押してから、立ち上がって部屋を出てく。
……私、そんなどや顔してたかな。……シュンのせいね、シュンがミズキにチョコなんか買って来たから、ミズキがこのナイフについて知りたがるようになったのよ。お陰で私の秘密を話さなくちゃいけなくなったんだから。こんなこと、ヒカリにさえ話したことなかったのに。こんな恥ずかしいこと。
っていうかそもそも、私はこういう“キャラ”じゃないのよ。恥ずかしいことを暴露する人間はヒカリとか、あとはえー、まあとにかく私じゃないのよ! それを私にやらせるとは……
ナイフのシースの留め革のスナップボタンを付けたり外したり。もうこの音に耳が慣れたし、この感触は指が覚えてる。黒革の表面にはいくつも傷がついてるし、そのほとんどを把握してる。先端の欠けはエントランスの二階から落としたときに出来たもので、上の方についてるうっすらとした染みはこないだ化粧水垂らしちゃったやつ。
それにこの真ん中の線は軍人のナイフを受けた時の傷跡。ほんと、間一髪だったわ。ほんの十数cm上下してたら私の肌は二つに分かれてた。
でも、そう。その全ては私のためなんだから。
「……私は、違うんだから……別にこのナイフも、戦う理由も、私のためだし……私は、あいつが元気でいてくれるのが嬉しいから、私が嬉しいから戦ってるんであって……」
「あれサナ1人? ミズキはどうしたの?」
能天気に明るいシュンが部屋に無造作に入ってくる。……いい心がけね、ミズキを酔わせた罪で出頭しに来たのかしら?
「……サナ? どうしたの?」
「どうしたと思う?」
「えっと……笑ってるし、何か良いことでもあった」
「だったらあんたも笑わしてあげるわよ!!」
シュンに何かあったらミズキが怒るもんね。だったら全身をくすぐって、シュンを笑い殺してやるんだから。