心痛
隠し、壊れて、求めて、殺す。自分を見失ってしまった少女の、耐えようのない後悔
「ヒカリがいない」
ヒカリの家の前でデバイスを手にしたサナは、近くの石を蹴り飛ばして再度デバイスを握った。
「聞いてるの!? ヒカリがいないって!」
「――聞いてるさ、落ち着けサナ。久しぶりに友達と遊んでるんだ、ヒカリだって徹夜で遊びまわってるだけかもしれないだろ? もう17なんだし――」
「本気で言ってんのサク!? ヒカリはそんなことするような子じゃないわよ、絶対なんかのトラブルに巻き込まれてる!」
サクに向かって怒鳴り返すサナを、家の周りを検分していたコウが落ち着かせる。毎日洋館に顔を見せるヒカリが何の連絡もなく姿を見せないため、不審に思ったサナがコウを連れ立って家までやってきたのだった。
「なあなあサナ、落ち着けって。別にリーダーも放ってるわけじゃない、一緒に探してくれてるだろ? シュンも、ミズキもだ。だから、もう少し冷静にならないと手掛かりを見逃すかもしれない。リーダーはそういうことが言いたいんだよ」
上下するサナの肩に手を置いて、コウが珍しく優しそうな声をかける。
「……わかってるわよ、なによこんなときに格好つけちゃって! 探しに行くわよ!」
「うわっ、ちょっと待てってサナ、離せって!」
動揺が消えたと思った途端、サナは自分の肩に置かれた手を払いのけつつ掴み、速足で歩きだした。
それから二人は、街中を探しまわった。ゲームセンター、レストラン、スーパーマーケット、駅前……ヒカリの写真を片手に、街ゆく人に声をかけて手掛かりを探していた。
「お忙しい中誠にありません……ちょっと俺の友達を探してるんですけど、この写真の女の子って昨日見かけませんでした?」
サナと手分けして駅前の店に訊き込みをしていたコウは、小ぢんまりとした雑貨屋の店主に声をかけていた。丸眼鏡に地毛のパーマが、優しそうな雰囲気を醸し出している。
「はい……? 女の子、女の子……あーはいはい、覚えてますよ。確か16時過ぎ、16時半頃に来ましたかね」
「おっ、ほんとですか!?」
「ええええ、この子ともう一人、髪の長い女の子が来たんですよ。『プレゼント用に』と頼まれたんで、ラッピングしたのを覚えてます。……もしかして、行方不明なんですか?」
「はい、連絡が一切つかなくなりまして……家にも帰ってないみたいだし」
それを聞いた店主の顔が陰ったのは、コウの中途半端な敬語のせいではないだろう。
「もしかしたら、その子は病院か、或いは……公園に行けば何か分かるかもしれない。昨日の17時半頃、近くの公園で政府軍が発砲したんです。なんでも、テロリストが居ただとかで。それに巻き込まれる形で、一般人が数人巻き込まれたそうでして。僕の友人もその場に出くわしたそうで、混乱が凄かったと言っていました」
思わず、コウの握りしめた写真が撓む。弓形に曲がった写真の中では、水鉄砲を構えた10歳頃のヒカリが笑っていた。今の彼女の笑顔と似ているのは、当時から既に憂いの影が差しているからだろう。
「―……分かったコウ、サナと二人で公園に先行してくれ、俺は他のメンバーに非常招集をかけてその周辺を徹底的に洗わせる。ミズキはその公園の近くにある病院をリストアップしておいてくれ、シュンは軍の動向を探るんだ―」
「わかった。リーダー、ぜってぇヒカリを見つけるぞ」
ヒカリについて得た情報を共有すると、コウはサナと共に公園へ向かった。
「そういえばあんたって、人に敬語使えたのね」
公園に向かう途中、サナはどうでもいいような話題を振った。
「……ああ、クソ親父に習わされたからな。得意じゃねえけど」
「コウが習い事? 嘘でしょ、全く想像できない」
それから、「あ、だからあんた、父親が嫌いなのね」と納得がいった。
「それじゃあお母さんは? あんたの口からあまり聞かないけど」
「お袋かぁ……お袋とは仲良くやってるよ、レジスタンスに理解もあるしな」
つまり、父親の方はレジスタンスについて難色を示してるんだろう。サナはそう解釈した。
「ふーん……あんたも色々苦労してるわね」
「んなこたねえよ。俺よりも大変な目に合ってる仲間が一人いるだろ」
そう言って、コウは足を止めた。
「この公園だ」
噴水や並木道で飾り立てられていたその公園は、今は血痕や数多のフラッシュ、多数の野次馬に晒されていた。ヒカリとユイが連れ立った時の情緒や風情は見る影もない。
「昨日午後五時半頃、こちら、私の後ろに見える公園で、テロリストと軍の間で一般人を巻き込む銃撃戦が繰り広げられました。この戦闘によって合わせて3人が重軽傷を負い、1名が息を引き取った、とのことです」
2人から少し離れた所で、カメラとリポーターが何かのテレビの中継をしてる所だった。
「珍しいな。こんな事件報道したら、軍に目を付けられそうなもんだが」
そばにいた男性がリポーターの方を見やる。
「情報によりますと、負傷したのは30代の夫婦と、50歳の女性。亡くなったのは近所に住む10歳の男子児童で、目撃者によると、銃撃音に驚いた拍子に手に持っていた風船を離してしまい、その男の子は風船に気を取られて周りが見えていなかった、とのことです」
「……ヒカリじゃ、ない」
隣のサナが呟いて、コウの腕にしがみ付いた。コウは驚いたが、とてもサナを振り払うことは出来なかった。
「本当、最低な奴……」
その声は誰に聞こえることもなかったが、腕を掴まれたコウだけはサナの心の機微を察知し、優しく頭を撫でた。
「やめなさいよ……髪の毛が、乱れるじゃない」
「悪い悪い」
コウはすぐに手を離し、ひらひらと振った。
「……テロリストは群衆に紛れてこの、こちらの路地裏を通ったと言われています。また現在、軍が病院を警護しテロリストを待ち構えていますが、今のところテロリストらしき人物は現れていない、とのことでした。またなにか情報が入り次第、そちらへ伝えたいと思います。……はい、はい」
「テロリストは、路地裏か……」
「コウ、聞いた? 軍が病院を警護してるって。つまり、ヒカリは怪我してるんじゃ……」
「……ああなるほど、確かに。……リーダー、聞こえるか? ヒカリは怪我してるかもしんない。それと、公園から逃げ出したテロリストは路地裏に逃げたらしい」
「――了解、二人はそのまま探してくれ――」
頷きあった二人は、同時に路地裏へ駆けだした。
「ヒカリちゃん、ただいま」
「あっ、ユイさんおかえりなさい!」
ベッドに腰かけて本を読んでいたら、ユイさんが片手に買い物袋を提げて帰ってきた。大体3時間くらいかな? どこ行ってたんだろ。
「どこ行ってきたんですか?」
「大したことないわ。お昼ごはんの材料と、歯ブラシ、タオルとシェーバー、それに保湿クリームってところ。ヒカリちゃんは何読んでたの?」
「『赤いサンタと黒サンタ』って絵本です。これ、うちにもあったなーって思って」
赤いサンタは誰でも知ってる通り、良い子におもちゃのプレゼントを配ってくれる良い人。だけど黒いサンタは、悪い子に対して灰をかけたり、石炭とかの“プレゼント”を配ってくる、とっても怖い人。タティア公国の昔からの言い伝えらしいこの話は、小さい頃に言い聞かせられてからずっと覚えてた。
「それってあれでしょ、お仕置きサンタ。良い話よね、子供の躾にはピッタリ」
「……そういうこと言わないでくださいよ、私今でも信じてるんですから」
「はい、これでいいかしら?」
「はい、さっぱりしました。でも、やっぱり自分で洗いたいなぁ……」
ユイさんは買ってきた食材を冷蔵庫に入れると、私が気持ち悪いだろうからって、先に濡れたタオルで汚れた体や顔を拭いてくれた。一端の女子としてはお風呂も入ってない、痣だらけの体を見られるのには抵抗があったんだけど、サナの場合とは違って、今回は傷が酷くならないために体は清潔に保たなきゃいけない。だから、本当はめちゃくちゃ嫌なんだけど、私はユイさんの前で服を脱いで、下着姿になるしかなかった。
「……このうっすらと黒いのが、暴行跡ね?」
「……はい。子供のころの私には、アイシングをするって発想も、それを許してくれる環境もなかったですから。でももう、あと一年くらいで消えてくれそうです」
私の体質か、アイシングしなかったからかは知らないけど、子供のころの痣は異様なほど長い間私の体を蝕み続ける。痛くはない。痛くはないけど、鏡を見てそこを擦るたび、心が宙に浮いたようにふわふわするんだ。
「そんなに隈を拵えて。寝てればよかったのに」
ユイさんの白い指が私の目元をなぞる。
「私、寝れなくて……その、マイ枕じゃないと、寝れないんですよ」
胡乱げな眼を向けてくるユイさんに、私は思わず視線を逸らした。それに、クマがあるからって眠たいわけじゃないよ。眠たかったら冷静な判断下せないし。
「そういえばユイさんは、読書家なんですね。てっきりこのラックだけかと思ったら、部屋の隅にも沢山本棚があって、びっくりしちゃいました」
こっちのラックはなんか専門書って感じのが多くて、あっちの本棚のは物語だったり、冒険小説が目立った。ユイさんはあんまり児童書とか読みそうになかったから、意外だった。この黒サンタの絵本もそっちの棚にあったし。
「私が児童書を読むのがそんなに意外?」
椅子を反対向きにして座ったユイさんは、背もたれに腕と頭を載せて、顔を傾けてみせた。
「子供向けだって面白いし、専門書だって読みやすいわよ。どんな種類の本だって、興味と関心があれば面白いんだから」
……なんか、拗ねてるみたい。
「もう輸血用の針を抜くわよ、力入れないで」
ユイさんが出てってから二時間くらいで空になったバッグを外して、心理的に軽くなった左手を回す。でもユイさんにちょっと嫌な目で見られて、何より痛くて、すぐにやめた。
「はい、包帯は巻き終わったわ。指は全部きちんと動く?」
服を脱いだまま、左腕から肩にかけて巻かれた包帯を見る。
「ありがとうございます。……正直に言うとほんの少し、小指と薬指がしびれてる感じがしますけど、でも動きはします」
「そう、やっぱり尺骨神経に影響が出てるわね……さっき外出てきたときに見たけど、やっぱり病院は町医者に至るまで多かれ少なかれ警戒されてる。それにパトロールも普段の数倍はいるわね。このほとぼりは中々冷めないでしょうから、決して左に無理はさせないように。その包帯も、嫌かもしれないけど我慢してね」
「はい……でもなんか、『ザ、怪我人』みたいで、ちょっとなぁ」
服を着れば隠れるからいいんだけど、気分的にやだな。
「怪我が悪化するよりはいいでしょ? 軍のせいで三角巾も巻けないんだから、少しは我慢しなさい」
「そうですけど……」
正直、骨折したわけでもないし、大きな血管が傷ついたわけでもないって言ってたし。大分痛いけど、大袈裟なんじゃないかな。……ただまあ、これを言ったら怒るんだろうけど。
だけど私は、それ以上に訊かなきゃいけないことがあった。
「ユイさん。私、本を読んでるときに思い出したことがあるんですよ」
なに? と座ったまま、椅子の下の棒に足を乗せてユイさんは私の方を見た。
「昨日ユイさん、『きっと奴等の狙いは私』って言ってましたよね。あれって一体、どうしてなんですか?」
眉ひとつ動かさず、ただじっと私のことを見詰めてくる。あの朦朧とした意識の中でも忘れてないのは、奇跡みたいなものだもん。これを見過ごして笑いあうことは出来ない。
「……なんてことはないわ。貴女が私を突き倒して、それと同時に貴女が狙撃された。それだけで、狙われたのが私だってことはわかるでしょ?」
私達の始まりと同じよ、と付け加えて。
「貴女も、狙われたのが私だってわかってて、私を助けたんじゃないの?」
「私は……殺意を感じて、それが私に向いてるわけじゃないってわかったからです」
私は、敵意とかの感情をなんとなく感じ取ることができる。自分に向けられたものなら、特に。
「殺意を感じ取ることができるのね?」
ピクっと眉が動いて、ネックレスに手を伸ばしたのを、私は見逃さなかった。いつも人の様子を窺う私だもん、見逃すはずがないよ。
「……それで貴女、いつから起きてたの?」
「やっぱり気付いてたんですね。あの男の人が、その椅子に座った時から。ユイさんとの話の、始まりから、です」
ユイさんがそこのテーブルで男の人と話すのを、私は聞いてた。
「『図書館の生き残り』とか、『“上”』だとか、『任務』だとか……」
短く息を吸って、私は聞かなきゃならないことを、聞いた。
「ユイさんは、何者なんですか?」
「まったく……貴女と一緒にいると、本当に気が緩むみたいね。あれに言われても、仕方ないか」
深く溜息をついてユイさんは、背もたれを抱え込むようにして腕を組んだ。
「それとも、貴女が存外しっかりしてるのかしら。ふわふわしてそうだけど」
「……ユイさんは、味方なんですか?」
なんだか馬鹿にされてる気がする……けど、まだ敵意は感じない。
「図書館っていうのは、一昨日私達が無線局で作戦を遂行してた、あの街のじゃないんですか?
私達はその方向から、セントラルシティからの軍の増援が来ると踏んでました。でも来たのは、違う方向からの増援からだけ。ユイさんが私達の事、助けてくれたんじゃないですか?」
てっきりなんかしらの反応を見せてくれると思ったけど、ユイさんは終始動揺しなかった。
「やっぱり、私が油断してるだけじゃなくて、貴女の勘も良いのね」
それから一拍置いて、ユイさんは頷いて見せた。
「確かに、私は図書館にいて、軍の相手をしたわ。30人をこの手で殺し、空港でヘリを落とし、強盗達に貴女が羽交い絞めされたとき、彼の脳天を撃ち抜いたのも。全てが、私。
それだけじゃない。私が貴女を落雪から救ったあの日。貴女が初めて出会ったと思ってるあの日より前、ずっとずっと前から私は貴女を知っていた。そもそも、あの出会いだって偶然じゃないのよ。…………ごめんなさいね」
とても、とっても小さな声。普段のユイさんからは信じられないほどのか細い声。これは演技か、ほんとなのか、私には区別がつかない。騙していたことを謝りたいのか、それとも私の信頼を得ようとしてるのか。何も言えないまま、居住まいを直すことすらできないまま、生唾を呑み込む。
「騙された、と思ってるでしょうね。それは間違ってないし、それで信頼を失ってしまっても仕方のない話だと思っているわ。血に塗れたこの手では、握手が出来ないということもね。
だけど、一つだけ知っていてほしいの。仮にあなたが私の手を握らないとしても、スパイと疑って銃を向けようと、私は……私は、貴女の味方でいるわ」
しばらく視線を下げていたユイさんが、もう一度目を向けてくる。その笑顔は、どこか……
「……だけど、例え私が何者でも、貴女は……ヒカリちゃんは、私の友達でいてくれる?」
その言葉に、その笑顔に。私は目を離すことが出来なかった。
「……私……」
伝えたい感情を検索して、言うべき言葉を作り出す。
「私の手こそ、血まみれです。それこそ、何年も前から。それに、安心しました」
「安心?」
「今までのユイさんは、とっても強くて、頼りになって、方向性こそ違うけど、サナのように私を引っ張ってくれました。それはとっても心強くて、頼もしかったけど、でもそれはユイさんの一面でしかない。完全無欠なユイさんにも、私みたいに細かいことに悩むことがあるんだって知れて、安心しました。
それに、ですね……」
ベッドから立ち上がって、ユイさんの右手を取る。呆気にとられたユイさんは、私の指から腕と上がって、最後に私と目が合った。
「私の手だって、もう何年も前から汚れてるんです。拭っても拭っても拭いきれない血が、この両手にはこびり付いてる。こんな手じゃ、綺麗な手を握ることは出来ない。
でも、だけど、だからこそ、私は今こうして、ユイさんと手を繋ぐことが出来るんです」
しっかりと右手を握って、微笑みかける。それにユイさんは昨日、私の手を取ってくれた。だったら私が、ユイさんの手を取らないわけ、ないよね。
「むしろ、私の手を握りたいのなら、その手を汚してからにしてって感じですよ」
「…………ふっ、ふふ、ふふふっ」
手を握ったまま、ユイさんは肩を震わせる。
「ほんと、ふふ、ほんとうに馬鹿ね。ええ、ヒカリちゃん。あなたは馬鹿よ」
……なんでか突然バカバカ連呼されるけど、でもまあいっか。ユイさんの言葉は、さっき記憶の中のお父さんに言ったような、とても暖かいものだったから。
それは、いつか必ず繋がって……