――……それを邪魔すると言うんなら
「……うん、体温、脈拍共に異常なし。このまま輸血を続けるわよ」
私の首から手を離したユイさんは、手帳の数値を見比べてから私に微笑んだ。腕に刺さった薄青の管は、違和感を主張しつつも私の体へと血液を輸送している。
「……あれ、でも出血してる状態で輸血しても……」
そう思って、自分の左腕に巻かれた包帯を見てみる。そうだ、私はあの公園で、兵士に狙撃されたんだ。思い出した途端に痛みがぶり返して、目元の筋肉がピクリと動く。
「貴女が昏睡してる間に、表と裏、二か所を縫合しておいた。包帯の下は縫い痕が残ってる、左腕はまだまだ動かさないで」
「ユイさんが、治療したんですか?」
本当に何でも出来るな……
「藪だけどね。簡単に言うと、重要な場所や血管は無事だった。正中神経や尺骨神経も、恐らくだけど奇跡的に回避してる。ただ、やっぱり骨にヒビが入ってる可能性はあるし、軽度の神経障害が少しだけでるかもしれない。
十二分に洗浄してから、私は一針ずつ表皮をくっつけて無理矢理傷口を閉じた。傷の内部は貴女の自然治癒力に期待。おっけ?」
コクコク頷いて見せると、ユイさんは解放されたように溜息をついた。
「ゴールデンタイムが過ぎる前に縫合しなきゃならなかったから、少し強行しちゃってね。眠りはしないけど、ちょっとだけ休ませてもらっても良い?」
そう言って頭を掻いた手先には、拭いきれなかったのか私の血が付いていた。余程集中して縫合してくれたんだろう。そうじゃなかったら、ユイさんはここまで疲れ切ってない。
「ごめんなさい。本当にありがとうございました」
「助けられたのは私の方。せめてもの恩返しよ」
そう言うと、ユイさんは思い出したように立ち上がって、後ろの棚から注射針と小瓶を取り出した。開けた拍子に中が見えたんだけど、沢山の瓶があった。全部茶色かったり非常に小さかったりで、医療用のものなのがわかる。
「腕を出して。銃創は破傷風を引き起こす可能性もあるから、これも打つわよ」
渡された小瓶には、『沈降破傷風トキソイド』と書いてあった。慣れた手つきで針と瓶の蓋を外すと、小瓶に直接刺して、目盛りが0.5のところまで吸引する。
「はい、腕出して。そんな心配そうな顔しなくても平気よ、静注じゃなくて皮下注射だから。それとも太腿とか目立たないところの方が良いかしら。臀部でもいいのだけど?」
なんて意地悪く笑うユイさんに、私は黙って右腕を差し出した。
「ユイさんって本当凄いですね。何でも持ってるし、怪我人の治療まで出来るなんて」
「私は、自分一人で出来なくちゃいけないのよ」
その言葉の意味はわからなかったけど、その瞬間だけ、私と同じ匂いがした。
そうだ、と思って、私は輸血スタンドに掴まってベッドから立ち上がった。
「どうしたの? 動いても良いけど、ゆっくりね」
私のリュックは、テーブルの上に置いてあった。左手でスタンドを引きずってテーブルに辿り着くと、中に手を突っ込んで無線機を探す。
「ちょっと。絶対に左腕は動かさないで。絶対によ」
「はい、わかりました……あれ? あ、リュックからこっちに移してなかったのか」
現状をサナ達に知らせようと思ったけど、無線機が無いんじゃそれも出来ない。……でもまあ私ももう18なんだし、一日二日連絡が無いくらいならいらない心配はかけないか。
「……っていうか、プレゼントも無い! あれ、なんで? なんで無いの?」
私のバッグの中に、私が雑貨屋で買った筈のプレゼントが無いことに気が付いた。もしかしたら、さっきの……じゃないや、もう昨日か。昨日の騒ぎのときに落としちゃった? そんな、嘘でしょ……
「そう気を落とさないで、しょうがないわよ」
「全然しょうがなくないですよ……はぁ」
思わず、涙が出そうになった。
それから私はやることもないから、手に触れた拳銃を引っ張り出した。
「貴女も、自分で銃の手入れをするの?」
「はい。以前はスナイパーライフルだけだったんですけど、少し前に、私一人だけで戦わなきゃいけないときがありまして。それで、シュンに……えーと、仲間に教わったんです」
とは言っても、習ったばかりだからお世辞にも手際が良いとはいえなかった。手に黒い油がついて、なんだか気持ち悪い。
「そういえば、突然こんな怪我人を家に入れて大丈夫ですか?」
7年前、サナの家の戸を叩いた時の事を思い出して、ユイさんに尋ねてみた。
「あなたが何の心配をしているのかはわからないけど、何も気にする必要はないわよ」
「え、でも、父親や母親ってこういうのを気にするもんじゃないですか?」
サナの両親は例外中の例外で、皆が皆そんな聖人じゃない。そのことはよくわかってた。
「そうね、そうかもしれない。でもこの家にいるのは、私とあなただけよ」
――確かに、良い母親だったわ。
あのレストランでのユイさんの台詞が、ふと頭の中に出てきた。
「……ごめんなさい」
「いいのよ、別に気を悪くしてないわ」
それからユイさんは考え込んで、手に持ったマグカップを置く。
「折角あなたと二人きりなんだから、話してみようかしら」
ネックレスを握りしめて、じっと私の事を見詰めてくる。あのネックレスは、親からのプレゼントか何かかな。
「……ユイさんは私の話を最後まで聞いてくれたんです。私だって聞きます」
私は、手に持っていた銃を隅にやって、ベッドに腰掛けた。
「私の両親は、とても厳格だったわ。母親は外科医で父親は刑事。ヒカリちゃんは刑事って知ってる?」
「刑事……警察官とは違うんですか?」
警察官は、確か9年前に解体された警察って組織の人間だ。私の記憶の中で、刑事と呼ばれた人を見たことは無いけど。
「刑事っていうのは警察官の中から選ばれる、犯罪の捜査をする人たちね。私の父親は刑事だったのよ。当時で言う叩き上げね。
父親は昔から、正義感の強すぎる人だった。小さいズルや卑怯を許さず、常に弱者に寄り添うような。そのせいで苦労してるのは知ってたけど、父親はその生き方を誇っていたし、私もとても尊敬していた。
それに、私に徒手格闘や逮捕術を手取り足とり教えてくれたのも父よ。仕事が忙しくて家にいる時間は本当に少なかったくせに、『困難に立ち向かうために。お前が自分を護るために。お前の正義を護るために。』って」
自分の過去を話すユイさんの顔は、とても懐かしげで誇らしげだった。きっとユイさんの心の中で、いくつもの家族とのアルバムを開いてるんだろうな。
「母親は、今もセントラルシティにあるオージア国立病院に勤めてた。ヒカリちゃんは見たことある? 研究施設がくっついたような大きいその病院で、母親は名医と呼ばれてた。……こうして考えてみると、とんでもないエリートな家ね」
自嘲気味な笑いは、私とユイさんしかいない部屋に虚しく響いた。
「でも、お父さんもお母さんも忙しそうですね。ユイさんは、寂しくなかったんですか?」
「全然。確かに私は、一日の半分以上を一人で過ごしてた。でも、二人が帰ってくると、どんなに疲れていても必ず私の話を聞いてくれて、休みの日には一緒にピクニックをしてくれたの」
ユイさんは気付いてるのかな。心の中のアルバムで、ピクニックの写真があるページを見つけたユイさんは、とても幸せそうな顔をしてた。
ユイさんの家庭は、私にも簡単に想像できた。父親はとても体が大きくて、顔は厳つくて深い皺がある。でもそれは、きっと奥さんやユイさんのため、自分の信じる正義のために出来た、誇らしい皺なんだ。
母親も、患者からしたら神の様な女性でも、家で旦那さんの帰りを待って、娘と一緒に料理を作る心優しいお母さん。
そんな二人の間で、ユイさんはきっと両親の手を繋いで歩いてるんだ。たまに肩車してもらったり、ぶら下がったりしながら。
「すごく、幸せそうな家族ですね。とっても羨ましいです」
「そうね、確かに幸せだったわ。……でも、それは9年前に終わったの」
「軍隊がクーデターを起こしてから、父は仲間と一緒に、連日警察を通して抗議してたわ。でも、自分達へのデモを危惧した軍隊が至る所に兵士を配置したことによって、皮肉なことに犯罪数が低下したのよ。そのことで、警察という組織の必要性が疑われ始めた。
それから、軍に何度も抗議していた父やその仲間は軍に目を付けられたの。日に日に険しくなっていった顔を見たら、同僚が次々と命を落としていったことは予想できた。軍にとって目障りな蝿は、次々連行され、或いは処刑されていったってこと」
馬鹿よね、と呟くその声は、昨日私に言ったときと同じ声音をしていた。
私も生きていた9年前。両親に――二人の大人に見捨てられるほんの少し前にそんなことが起こっていたとは、今まで思いもよらなかった。
「そして、警察という組織が解体された9年前のその日、家に戻ってきた父親の手には拳銃が握られてた。
きっと、私達2人を置いていくこともできない。目を付けられた自分や家族が軍から逃げ続けることも出来ない。『家族だけは』と懇願したところで、無事である保証も無いし、そもそもあいつらに頭は下げたくない。厳格な父の事だから、以前から考えていて、それで苦渋の決断を下した結果だったんだと思う。ほんとうに馬鹿な親よ。
父親はまず、母親を撃ったわ。眉間に一発、苦しまないように。それから、私に銃口を向けた。当然、私は逃げようとしたわ。でも、こんなときにばっかり父親の言葉が頭に浮かぶの。『困難に立ち向かえ』って。
私は何を考えたのか、父親に向かって突進した。驚いて体勢を崩した父は、拳銃を私の足元に放ってしまったの。
私は父親に銃を向けたわ。私の心の中で、銃を向けられた相手は両手を上げて降参しないといけなかったから。でも当然、父親は私に向かって手を伸ばしてくる。『やめろ、邪魔をするな』……そう叫んだ時、私は引金を引いていた」
マグカップがテーブルに置かれた音が、話の終わりを告げた。疲れの色を見せたユイさんは、両手を伸ばしてから欠伸をして、自分の手に付いた血に気が付いた。
「……ユイさんがそのリボルバーを使ってるのは、形見だから、ですか?」
無造作に置かれた一対のリボルバーは、きっとどっちかがお父さんのなんだろう。
「驚いた。警察の制式拳銃がこのリボルバーだって知ってたの?」
「武器商人の所の人が、前に教えてくれたんです。一つだけ売り切れてるあのリボルバーは、以前警察の銃だったんだよって」
「へえ……武器商人とも繋がっているのね」
それからユイさんは、洗面所で手を洗ってからバスタオルと着替えを取り出した。
「私は買い物してから、少しシャワーを浴びてくるわ。貴女は風呂に入れないからあとでタオルを持ってくる。それまで、寝るなりなんなり好きに過ごしてて」
そう言い残すと、ドアをパタンと閉めた。でもさ、体調は万全じゃないし、ユイさんもいないし、何より状況は最悪だけど。
でも、寝ちゃうのはもったいないよね。……ね?