周辺経緯
「なんか、今日は随分寒いな」
いつものレジスタンスのビルで、コウがテーブルの向こうに座る人間に話しかける。
「んー? んー、そうね。……ああ、雨が降ってるからでしょ」
コウの言葉を聞いて、サナは手に持ったオセロ石を窓に向ける。二人は一日中ボードゲームで対戦していて、戦績はサナが3回勝ち越しているところだった。
「ヒカリって友達と遊びにいってるんだろ? 大丈夫なのか」
「天気予報だと雨が降るって言ってたし、朝から凄い曇天だったじゃない。ヒカリも折り畳み傘くらいは持ってってるでしょ」
サナが白い石を置き、コウの低い唸り声が木霊する。
「サナの勝ち。これで計24勝、20敗、2分け」
二人の対局を見ていたミズキがホワイトボードに数字を書き込んで、コウの肩に手を置いた。
「コウはもう少し考えた方が良い。すぐに沢山取れる所に置くから、後で大量逆転される」
「くそ、次はチェスだチェス!」
「いいの? 5勝勝ち越しでジュース5本。絶対忘れないでよ?」
再びコウの悔しそうな声が響いたのは、それから15分と経たないうちだった。
「これから数日間、我々はこの病院を監視させていただく」
総合病院に勤務するアイは、普段は救急医として救急車に乗って現場へ駆けつけていた。今日はたまたま病院で働く日で、レジスタンスのメンバーであるアイがそこに居合わせたのは偶然のことだった。
「ちょっと待ってくれ、あんた達が銃をちらつかせてここにいるってことか? 我々は救急医療の最前線だ、日夜ここへ沢山の傷病者が駆けつけるん。それなのに……」
異常事態に腰をあげた若い院長が、正面を切って隊長格の兵士に声をあげた。だが兵士は一歩も退かず、眼前に迫る院長と鋭い視線を交わし合う。
「先程、負傷したテロリスト二人組が一般市民に紛れてこちらへ逃走した。万が一にもテロリストを逃すわけにはいかない、諸君等にも協力を仰ぎたい。
患者への治療はしてもらって構わない、我々は後でそいつが犯罪者でないかどうか、簡単なチェックをするだけですから」
それだけを言うと、目の前の院長を無視して勝手に部下を各所へ配置させていく。
「ブルート1から5は正面で見張りだ。おい、お前らはこのエントランスで彼等を”警護”してやれ」
「おい、あまりうろつかないでくれ! 患者に要らないストレスを与えることになる、心身ともに弱った彼等にそれは良い影響をもたらさない!」
「自分が何も悪いことをしていないと言いきれるなら、無駄なストレスを感じる必要もないでしょう?」
それだけ言うと、兵士はその場を後にする。
「ちょっと待って下さい。そのテロリストを見分ける特徴の様なものはありませんか?」
「おい、アイ?」
院長の後ろで話を聞いていたアイが、手をあげて兵士へ話しかける。
「協力的な姿勢を見せてくれて助かるよ。そうだな……詳しい人相は判らんが、どちらも少女だ。片割れは15人近くを惨殺した殺人鬼で髪が長い。撃たれた方はまだテロリストかどうか断定出来ていないが、どちらにせよ詳しく話を聞く必要がある。
ああ、それと、もしもテロリストどもを見つけたら、必ず俺たちに知らせろ。この病院で銃弾を発射させたくないのならな」
「奴はかなりの出血をしてる、必ず病院に駆け込んでくるぞ!」と仲間に声をかけると、隊長格の兵士は病院を出て行った。
「アイくん、そのテロリストっていうのはまさか君の仲間じゃないだろうね?」
数分後、関係者以外の立ち入りを禁じられてる階段で、院長はアイを呼びだして訊ねた。
「確かに我々はレジスタンスの活動を陰ながら応援している、君が組織にいる間も出来る限りの手を使って給与を与えてる。だが、気を抜いたらすぐにばれるからな。ここしばらくの間は、大人しくここで医者としてその腕を振るえ」
病院の関係者は皆、レジスタンスを応援している。その中でもアイの同僚や目の前の院長は、アイがレジスタンスのメンバーだという事を知り、その上で数々の協力をしてくれていた。
「ありがとうございます。ですが、彼らの言う“テロリスト”がレジスタンスの人間だという確証が無いんです。レジスタンスに女の子はいますけど、今日は友達と遊んでる筈ですから。それに、あの人たちがいるせいで確認も取れないですし」
「そうか……それなら搬送の受け入れは別のスタッフにやってもらおう、もし少女やレジスタンスのメンバーかもしれない患者が来たら君を呼ぶ。それでいいか?」
ありがとうございます。とアイは、低く頭を下げた。未だに病院のスタッフとしてやっていけているのも、アイの素性が露見していないのも、院長をはじめとした理解者たちの協力あってこそだ。
「気にするな、俺達もレジスタンスを頼りにしてるんだ。お互い様だよ」
気さくに笑った院長は、アイの肩を叩いて階段を上がっていった。
「おうアズマ、やっと訓練終わったか。やっぱ休暇で体がなまってるんじゃないか?」
「ふぅっ、ふぅっ……全くもって、その通りだ」
長い休暇を与えられていたアズマは、パルチザン周辺の基地にいる原隊に戻ってからは訓練と哨戒の毎日だった。今も基地周辺のランニングを終え、汗だくになって戻ったところを哨戒中のニシに呼び止められたところだ。
「そういや、サウスブロックとセントラルシティの間にある無線局が襲われたってのは知ってるか? その実行犯か協力者を、今サウスブロックで追い詰めてるらしいんだ」
「ああ、その件については知ってる。昨日の話だろ?」
「そう、それだ。なんでも、そこの応援部隊が4名を残して壊滅したらしくてな。その生き残りが頭に血上ったまま他の部隊を引き連れて、仇討ちだそうだ。その部隊数知ってっか?」
右手の指を一つ二つと折っていく。
「……いくらなんでも、少し多くないか?」
右手の小指を立てた所で停止したニシの指を見て、わけがわからないというようにニシを見た。
「合ってるよ。二個歩兵大隊と、俺達第2を除いた3~5機動部隊。しめて600足す60で660人だな。サウスブロックに捜索に行ったが、もし発見したらそのままブロックを封鎖する勢いなんだろうな」
口を開けたままのアズマを見て、ニシは頷いた。
「まあそうなる気持ちもわかる。だけど、昨日無線局を襲ったのがレジスタンスだとしたら? たとえ今追ってるのが幼気な少女でも、その中身はテロリストだ」
――レジスタンス。少女。
「……おい、小隊長はどこにいる?」
「訓練報告か? 隊長なら自分の部屋にいらっしゃるよ」
助かる、と友人に言うと、アズマは肩で風を切って歩き始めた。
「失礼します。小隊長、現在サウスブロックでレジスタンスのメンバーを追っているんですよね?」
許可を得て入室すると、小隊長は眼鏡をかけて大量の紙に向かい合ってる所だった。
「おお、アズマか。まだメンバーだと決まったわけじゃない、今追っているのはあくまでレジスタンスの襲撃を幇助した疑いのある少女だ」
どうしてそんなことを聞くんだ? と尋ね返される。
「っ……いえ、前回の任務を思い出しまして」
嘘ではなかった。この休暇中、アズマの中で何度もあの女の子がヒカリと重なっていた。
「そうだろうな。まあ気にするな、この間のは無辜の市民、今回はテロリストだ。これが、上からの命令だよ」
最後の方は、溜息混じりというよりもむしろ、言葉交じりの溜息を吐いたようだった。
「まあ、新しい情報が入ったら知らせることになる。それを待て」
「了解しました」
失礼します、と一拍置いてからアズマは隊長に10度の敬礼を返すと、パタン、とドアを閉じた。
「油断しましたね」
「そうね。返す言葉もないわ」
男は深い溜息をついて、傍らの椅子に座る。すぐにでも立てるように、足はテーブルの下に入れず、正面の少女に対し体を斜めにしていた。
「恐らく、一昨日の図書館からの生き残りがあなたを探しだしたんでしょう。それと、先程”上”の人達から、軍のもつあなたに関するデータを消去したと連絡がきました。『あいつがヘマをするなんて』と、相当訝しんでましたよ」
「それは買いかぶりすぎよ。『人間は過誤の動物である』、知らない?」
「そんなことはどうでもいいんです。彼女に肩入れしてるのかなんなのかは知りませんが、気を抜かないでください。貴女ならあの待ち伏せにも気付けた筈です。 そもそも彼女の過去なんて、何十回と資料で見返してますよね。わざわざ聞く必要もないことを聞いて、本当に大丈夫……」
「ええ、大丈夫」
「本当にですか? あなたはこの任務になってから不合理な行動ばかりしています。組織の目的を忘れたんですか? まさかとは思いますが、あなた」
「うるさいわね」
目の前の上司の纏う雰囲気が、一瞬変わったような気がした。
「……琴線に触れましたか?」
「それは誤用よ。それに、相手にそんなことを聞くようじゃ、やっぱりあなたに友達は出来ないわね」
そう言って、上司はマグカップを傾けた。
「そうそう、持ってきてくれた?」
「……ええ。彼女はB型で合ってるんですよね?」
「私のあげたサンプルを渡したんでしょう? だったらそうよ」
バッグから輸血パックを出す男の目線の先には、スプリングの硬いベッドの上で目を閉じたままのヒカリがこちらに顔を向けていた。左腕の下で幾つもの本が山を作っていて、弱々しい程に白い肌に、何重にも包帯が巻かれている。
「本をあんな風に使っていいんですか?」
「他に丁度良いのが無かったのよ。それに、この国を変える程の人間に使われるなら本望よ」
「そのことについてですが……組織の風向きが変わりそうです。今度、”上”だけで会議を開くそうですよ」
男は、輸血パックを貰いに組織へ戻った際に聞いた話を、上司に告げた。
「その原因は、あなたがまた盗み聞きしたからでしょう?」
「それを分かっててあの質問をしたんでしょう? 仮にも国を変えようという組織の人間が、国より友達を選ぶと言ったんです。報告しない筈が無い。それに盗み聞きしたいわけじゃないです、文句があるのなら研究者連中に言って下さいよ」
男は肩を竦めて立ち上がった。
「私達の任務はまだ彼女たちを見守ることよ。途中での任務の放棄は許されない」
「わかってますよ。私は任務に私情は挟みません」
「まるで、誰かが私情を挟んでるみたいね?」
その言葉に、男は答えない。
ゆっくりと目を開いた先にあったのは、沢山の本が並んだスチール製のラックだった。殆どは小難しそうな専門書で、私にはわかりそうにもないや。
頭を動かすと、上の方から黒い髪の毛が垂れ下がってきた。チクチクとした痛みに顔をあげると、私の上でユイさんが何か作業をしてる。
「……おはようございます、ユイさん」
ユイさんが私に気付いて、両腕の間からこちらを見下ろしてくる。
「おはよう、眠り姫さん。キスする前に起きちゃったわね。あなたはB型?」
「え? えっと……そうです。すいません、上手く頭が働かなくて……なにしてるんですか?」
ユイさんは答える代わりに、手に持った小さい袋をライトに透かして見せてくれた。
「血液バッグ、ですか?」
「その通り、今から輸血する所よ。本当なら然るべきところでやってもらうべきだけど、生憎病院は軍が見張ってるの。大丈夫、これでも腕は確かよ」
それからユイさんは、両端に針の付いたチューブを引きだしから取り出すと、片方をバッグに刺した。
「もう少しだけ眠ってれば良かったのにね。ちょっとチクッとするわよ」
黒い血がチューブの中を通って、針先でチロチロと舌を出す。私はその黒い蛇に、黙って右手を差し出した。