追慕と知友
「おはよ」
いつも通り目覚ましが鳴る前に目を開けた私は、私以外誰もいないリビングでそう呟く。すっきりしない頭で寝転がったままテレビのリモコンを探すと、ポチポチ押してテレビをつける。
遅れて鳴り出した目覚ましを消して、大きな欠伸を隠しながらソファから体を起こす。もう6時か、あと30分くらいしたら日の出かな。
ぼやけた目はテレビを見てるけど、私の関心はニュースには向いてなかった。寝ぐせのついた髪の毛を指でくるくる回して、今日の事を考える。
今日はどうしよっかな。どっか博物館とか公園行くのかな? それとも、ご飯でも食べる? 或いはお買い物とか? でもユイさんだし、練りに練ったプランとかありそうだよね。
ソファの肘掛を押して立ち上がり、洗面所で顔を洗う。冷たい水に心臓が跳ねて目が覚める。
なんでソファで寝てるのかって、2階のベッドでは、今は私の代わりに沢山の道具が眠ってる。こないだ鍋食べた時みたいに、突然人が来ても見つからないし、何より部屋を持て余すよりよっぽど有効活用だ、と思う。本当は私が寝るのが一番良い、っていうよりそれが普通なんだけど、生憎私はベッド苦手なんだ。……ってよりは自分の部屋に一人でいるのが苦手なのかな。
テレビの音声を聞きながら、フライパンを持って目玉焼きをお皿に移す。白米にベーコンエッグ、それと少し薄めの御御御付。いくら料理が好きだって言っても、毎朝のご飯まで凝ったのは作れないよ。食べるの私一人だし。
「――……の天気は曇り、所により驟雨が降る恐れがあるので、お出かけの際はバッグに折りたたみの傘を忍ばせた方が良いでしょう。また、昨日の雨の影響で、全国的に気温が下がっています。風邪を引かないように、しっかりとした防寒具を着込んでくださいね。それでは、次のニュースです……――」
えぇっ、今日雨降るの? やだなぁ……んー、でもユイさんと約束してるから、行かないって選択肢はないし。雨降らないことを祈るしかないかな……
醤油をたらしながら手を合わせる。テレビでやってるバラエティ番組では、反政府組織が無線局を一時占拠したことや、政府軍がウェストブロックの民間ゲリラを4名殺害したこと。それに今日の記念日として、身分違いの恋をした平凡な男性が、家を出れない女性を約束の場所で三日三晩待って、ついに結ばれた……なんてエピソードを紹介してる。
この国は大陸の中心にあって、その歴史は古い。カレンダーを見れば、二週に一回は祝日があるくらいだ。確か今日は、『逢瀬の日』だったかな。たまたまユイさんと約束した日にしては、随分とロマンチックな日だね。
御馳走さまをして、使ったお皿を片づけてから私は寝室に向かった。今日はベッドの上で寝てるMSRには触らずに、タンスから洋服を手に取る。でも私、オシャレとか分かんないしな。……サナに貰ったあのヘアピンは付けるけど。当然。
黒のズボンと灰色のシャツ、後で上に黒いトレンチを羽織るとして、首元は赤いマフラーでいいかな。このファッションだとリュックは合わないって注意されたっけ。あのなんかちっちゃいバッグとか良いよって言われたけど、あれ荷物入んないから好きじゃないんだよねー。それならまだサコッシュ使うかな。
それにスカートなんて私には似合わないし……サナは何でも似合うのずるいよなぁ。
無造作に服を放り投げて、ベッドに腰かける。右手に触れた冷たい感触に目を向け、そばで転がるMSRを見詰めた。
今日はこの子たちには用はない。ユイさんとの……友達との約束に銃を持ってくなんて、『普通』じゃない。
……あれ、でも約束したのは良いんだけど、いったい、何時に行けばいいんだろ……? ……ぁあーやっば、時間決めるの忘れてた。やっちゃったなぁ……
えっと……今は7時20分か。流石に早すぎるけど、でも、もし待たせちゃってたら申し訳ないし……でも折角誘ってもらったんだから、私が先に待ってるべきかな。でも、んー、あーでもなー……うん、先にいっとこ。
結局家を出ることに決めて、私はサコッシュを片手に玄関を押しあけた。
テレビの言うとおり、今日は特段寒いや。身を刺すような風が顔に当たって、防寒用のもこもこした手袋の繊維を突き抜ける。
少し湿気たベンチに腰掛けて、私は空を仰ぎ見た。今にも泣き出しそうな空では、雲がすごい速さで流れていく。今は8時ちょっと前、きっとユイさんが来るのはずっと後。
改めて通りに目を向けると、今日はいつもよりも人が多かった。通るのは、楽しそうに話す家族だったり、スーツの上にコートを着た、自転車にまたがる男性。それにバイクで何か大きな荷物を運ぶ人や、ゴミ収集車。その光景はある意味でとても珍しいものだった。
ふと、私と同じくらいの子はどうしてるんだろうと思った。普段生活してても、あんまり私くらいの年の人を見かけることが無い。もしかしたら、皆ブロックの外で暮らしてるのかな。「こんなあぶないとこにいられない、私はこの町を出る!」なんて言って。
くだらないなぁと笑いながら、再び口を開けて大空を見る。私の吐いた白い雲は、凄い勢いで流れる濃灰色の雲に呑み込まれていった。
「こうしてると……なんだか、平和みたいだなぁ……」
おばあちゃんになったつもりはまだ毛頭ないけど、こうやってぼーっとしてると、なんとなく過去に思いを馳せたくなる。痛い体に、寝付けない夜。冷たい雨に、縮む心臓。
それだけじゃない。私にだって楽しい思い出は――幼馴染以外の友達との楽しい思い出だって、ほんの少しはあるんだから。残念だけど私の思い出だから、その記憶の終端はやっぱり辛いものだけど。
「そっか。ユイさんも、友達、か」
凝りもせず、また友達を作っちゃったよ。手に入れて、喜んで、反発して、手から零れ落ちて、挙句の果てには傷付けて。
そしたら、今度はユイさんも? ユイさんも私の手の届かないとこへ行っちゃうの? 風に吹かれて、零れ落ちて、そして……
「……マミちゃん。あなたはどう思うのかな。 それに……」
それにあなたは、私のことを、許してくれるかな。
「わっ! お待たせっ、ヒカリちゃん」
突然、後ろから二本の手が伸びてきて、私の頬を押す。驚いた私は上擦った声を上げて飛びのいた。
「なんで、突然後ろから出てくるんですか!? ……んもう、びっくりした」
そのまま「全然待ってないですよ」と言おうとして、腕時計を見てもう一度声を上げる。
「えっ、嘘だ、もう11時!? もう3時間も経ってる……」
「うそ、あなた3時間も待ってたの?」
まさか自分でもそんなに待ってるとは思ってなかった。昔を懐かしんでたのはほんの数十分のつもりだったのに。
でもまあ、落ち着いた『大人』な感じのユイさんの、驚いた表情が見れたからいいかな。
「時間を指定するの忘れちゃって、折角誘ってくれたんだから待たせるのは悪いかなーと思って、8時くらいから座ってました」
「8時……ごめんなさい、私のせいね。ヒカリちゃんは魚料理って食べれる?」
「はい、魚は大好きですよ」
「良かった! 良い店知ってるのよ、折角だから行きましょう?」
そう言ってユイさんは、長い黒髪を靡かせて歩きだした。その横で、歩幅を合わせて付いていく。
「ヒカリちゃんは、どうしてレジスタンスに入ってるの? 答えられないなら大丈夫だけど」
ゆっくりと歩くユイさんは道中、こんなことを尋ねてきた。誰だって気になるだろうし、ユイさんに聞かれることも予想してたから、言葉に詰まることはない。
「ううん、大丈夫ですよ。そうですね……私がレジスタンスに入ったっていうか、私達がレジスタンスって組織を作ったんです」
「あら、あなた達が創設者?」
「あーでも、どっちかって言うと初期メンバーって感じですかね? 昔から反政府組織だったわけじゃないんです。昔は、ただの仲良しチームだったんですよ」
「それじゃ……どうしてレジスタンスは、今みたいな反政府組織になったの? この間の、初恋のお兄さんの銃を持って」
そうだよね、やっぱりそこまで疑問に思うよね。
「……その理由を話すのは良いんですけど、もしかしたら、っていうか多分、引かれたり嫌われたりしちゃうから……」
「大丈夫、無理にとは言わないわ。それにまずは、腹ごしらえをしましょう?」
ユイさんは下り階段の前で一度立ち止まって、私の方を振り返ってから優しく微笑んだ。
「すいません、鯛のソテーを一つ」
「あ、私は鱈のホイル焼きを一つ下さい」
階段を下りた先はレストランだった。お店の中はちょっと薄暗くて、名前の知らないクラシックが掛かってる。周りの席は殆どが埋まってて、初めて会ったときに連れて行かれたカフェとは雰囲気が大分違ってた。なんと言うか、こないだのカフェは私たち二人だけが迷い込んだ不思議な空間って感じだったけど、今日のレストランは違くて、賑わう裏世界って感じ? いやまあ、裏世界って感じるのは多分地下だからなんだけど。
「ここの魚料理は本当に美味しいわよ。魚が好きなら、きっとあなたも気にいるわ。輸入するせいで高いのが玉に瑕だけどね」
「わざわざ輸入してるんですか? ウエストとサウスブロックの間に、かなり大きい湖ありますよね。あれって海に繋がってるし、あそこで獲れないんですか?」
「確かにあの湖は鹹水……って言っても分からないわね。塩っ気のある水だけど、淡水との汽水域になってて大分濃度が低いのよ。要は汽水湖。だから海水魚は輸入するしかないわ。でも……」
と言い淀んで、ふふと笑う。
「汽水や淡水もいいけど、私は海水魚が好きなの。だって美味しいもん」
それに返事をしたみたいに、私のお腹の虫が鳴った。
「……そんな事言われたらお腹も減っちゃいますよ」
「そういえばヒカリちゃん、よく料理とかはするの?」
「はい、あんまり凝った料理は出来ませんけど。一人暮らしですけど、家で食べるご飯って好きなんです」
「一人暮らしなの? それじゃ、家事全般出来そうね。家に一台あなたがいれば、楽そう」
「なんですかそれ、私、物扱いじゃないですか」
大きく溜息をついて、拗ねてみる。
「それに、私の料理よりここの魚料理の方がきっと美味しいですよーだ」
「料理は技術だけじゃないわよ? 相手への深い愛情は、そのまま味に深みを出すんだから」
大真面目な顔で一種の根性論みたいなことをいうから、私はつい、拗ねた振りも忘れて笑っちゃった。
「突然どうしたんですか?」
「これはね、私が小さい時に母親に教えてもらったの。その言葉の通り、お母さんの作る料理は確かに美味しかったわ」
「そうなんですか、良いお母さんなんですね」
……ちょっとだけ、羨ましいな。ちょっとだけね。
「確かに、良い母親だったわ」
ユイさんはそう短く言うと、二つの皿を持ったウエイターを快く迎え入れた。
「ヒカリちゃん、どう? 気にいってくれた?」
「はい! ほんと、美味しかったです! 鱈がもう、ほんとに柔らかくて、一緒に入ってた肉や野菜もほくほくで。それに一口貰った鯛も、ほんっとに美味しくて! 私絶対また今度ここ来ますよ!」
上手く料理の美味しさを伝えられない辺り、テレビでやってる食レポは私には出来ないらしい。気持ちばかりが先行して、思わずむせてしまった。
「ちょ、ちょっとヒカリちゃん落ち着いて? はい、お水」
破顔しながら差し出してくれた水を飲んで、少し落ち着きを取り戻す。今日はユイさんの色んな顔が見れるや。
「すいません、ありがとうございます」
「良いのよ、ヒカリちゃんがこの店を気にいってくれたみたいで、なにより」
テーブルに両肘をついて、ユイさんはそう言ってくれた。
……ここまでしてくれるなら。
「……ユイさん、また、話を聞いてもらえますか?」
ユイさんは黙って私の目を見詰めてきたけど、すぐに「ええ、是非」と言って姿勢を正した。
私はユイさんの顔色を窺いながら、訥々と私の過去を語った。その間ユイさんは、じっと私から目を逸らさず、黙したまま話を聞いてくれていた。私の両親や伯父のこと、友達が自殺したこと、そしてそれらをサナに告げたこと。流石にサナとの事はあまり詳しくは言わなかったけど。友達と、その、チューしましたなんて、恥ずかしくて言えないよ。
とにかく! それら全部を話し終えたとき、コップに入ってた水は一周して同じ嵩まで下がってた。途中でユイさんが注いでくれた水で、唇を濡らす。
「……大変な人生を歩んできたわね」
そして私が話し終えた後、ぽつりと呟いた言葉がそれだった。
「嫌なことを思い出させて、ごめんなさい。でも私は、あなたの口から直接聞けて嬉しいわ。それはきっと、さっき話に出てきたサナちゃんも同じ」
「そう、ですかね。普通は『この子ちょっと重たいな……』とかって思いませんかね?」
「きっと、そう言う人もいると思うわよ。だけどそれはその人の感想であって、私やサナちゃんはそんなことを思ってないわ」
それを聞いて、少し安心した。サナに話せて気が楽になった自分もいたけど、一方で、サナに嫌な思いをさせたんじゃないかと気を揉む自分もいた。
「そうだ、ユイさん。少し付き合ってくれませんか? サナに何かプレゼントしたいんです」
これのお礼に、と言って頭のヘアピンを指す。きっとユイさんは快諾してくれることを知っていて。
「あなたは、どうしてスナイパーなの?」
会計を済ませてお店を出て、階段を上った所で私は、ふと思い出したように尋ねられた。
「……お兄さんの残した銃がスナイパーライフル、狙撃銃だったからですよ」
「本当にたったそれだけの理由?」
そう追及だけして、ユイさんはすたすたと歩き出す。私はユイさんに置いていかれないように、駆け足でその背を追うしかなかった。
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