平凡な日常
2月17日 水曜日
「……ドンダー、何用ですか?」
「最近のターゲットの様子は?」
「書面として? それとも?」
「口頭で構わない」
「ならば。……と言っても、ここ数週間は大きな動きを見せていません。25日前の1月23日、厳戒態勢のイーストブロックに狙撃手他2名が一般人の少女を探しに出向き、強盗団と接触するも何事もなく通過しました」
「狙撃手が強盗団とやらを見逃したのか?」
「はい。といっても、それで彼女が日和見主義に落ちぶれたと言うつもりはありません。何かを思い直して抜きかけた刀を鞘に納めた、と言う方が正しいでしょう。恐らく、例の即応隊隊員、アズマとの接触が影響を与えたのかと」
「影響とは? わかる範囲で構わない、これだけのデータが揃えば、『お前なら』出来るだろう」
「そうですね。今年に入ってから、彼女は何度か心を見せてる。あの時はわからなかったけれど、今なら……
……もしも私が彼女なら……そう、やはり重要なポイントは亡命者の逃亡を幇助するため、軍人との一時的な共闘関係を結んだこと。それはパラダイムシフトと呼べるほどの大きな心情の変化。
『私』は皆を守りたい。私を助けてくれた幼馴染も、私のように辛い思いをする人たちも、皆。そのための敵が、皆を苦しめる『政府軍』であることは間違いない。間違いないの。『軍人』だって敵だよ、敵に決まってる。……少なくとも、あの時までは敵だった。
でも、じゃあ……『あの人』にも引き金を引くの? 友達を守るため一時的にとはいえ軍を裏切った、私に銃を向けておいてこの腕を引っ張った、ぶっきらぼうな態度で私を助けた、あの人。あの人は敵だと言い切ることは、今の私には……
……問題は、『私』が……いえ、彼女がこの変化に気付いていない事。されど無意識の変化は表層の行動原理に影響を与える。
即ち、『自分が蛇蝎の如く嫌う軍人の中にも、良い人間はいる』という事実を突きつけられ、躊躇いが生まれた可能性がある。その躊躇は心の迷い。自分の進むべき道は何処か。その道を拓くにはどうすべきか。
今すぐに銃を構えなくなることはない。でもいつか、その日が来るかもしれない」
「……なるほど、『ザ・ミラージュ』。流石の観察力だ。引き続き目標の監視を続けろ」
「……了解。もし彼女が、戦闘を放棄する事態になった場合は?」
「言ったはずだ、今回の任務に関しては全権の執行許可を与えている。仮に我々に牙を剥くと判断するのなら処分しろ。そうでなければ支援を続けるんだ。
呼び立てて悪かった、仕事に戻れ、ミラージュ」
「ただ今」
「……待て。ターゲットに入れ込むのも情をかけるのも構わない。だが、お前が為すべきことは何かを忘れるな。お前はこの組織の掛け替えのない存在だ」
「生憎だけど、宝物扱いは嫌いなの。私も、彼女もね」
「最近、ヒカリの様子がおかしい」
会議室に入るなりそう口火を切ったサクは、ライターの蓋をかちゃかちゃと鳴らして座っていた。部屋の反対側でテーブルに腰かけて待っていたサナは、立ち上がって両腕を伸ばす。
「おかしいって?」
「どこか具体的に、と言われると困るけどな。強いて言うなら、数週間前の鍋の日に、突然俺の煙草を吸いたがり始めた。あとは、どこかすっきりした顔つきになって、久しぶりに明るくなってるってのもあるな。理由知らないか?」
「理由? 理由は……いや、私は知らないわよ。あれじゃない? ここ最近は作戦行動してないからとか」
まさかサクにそんなことを聞かれると思っていなかったサナは、不自然に考え込む動作をしてから首を横に振った。
「まあきっと、それもあるんだろうが……サナ、本当になにも知らないのか? 先月の21日、土曜に二人で一緒に泊っただろう、その時に何か」
「ううん、何も無かったわよ。……きっと私があげたヘアピンのお陰ね」
ならいいんだ、というサクの声を背に受けて、サナは会議室を出る。
――ヒカリの過去の話は、他人の口から勝手に語って良いものじゃないと思う。それに……ヒカリにキスしたなんて、言えないしね。
サナの実家での一幕を思い出し、誰もいない廊下で静かに頬を赤らめる。
サナがエントランスの二階に差し掛かると、毎週水曜に開かれる集会に参加するため、レジスタンスのメンバーが集まっているのが見えた。クローバー作戦や亡命者の護衛といった大きな作戦行動ももう先月の出来事。
2月の中旬も終わろうというこの頃には、メンバーも大分落ち着きを取り戻してきていた。そしてその中には、ミドウやサガラの顔もあった。
武器商人の所からの帰り道に出会ったナナミという子供は、ヒカリの家で鍋パーティをした次の日に両親が引き取りに来た。抱きしめながら怒る母親を見るヒカリの姿が、今も印象に残っている。
同日の昼には、サクラも彼女を迎えに来た父と共にこの洋館を去っていった。「また遊ぼうね!」なんて台詞を残して。話の合ったシュンや一部のメンバーは大歓迎だろう。
そんな慌ただしかった日々ももう3週間前だ。訓練をし、軍の装備や戦術について学び、時折アルバイトをしてはついつい洋館で寝入ってしまう。サナの日常はすっかり去年までのものになってしまっていた。
「サナ、お前何やらかしたんだ?」
一階に降りたところで、カウンターに座るコウが頬杖をついてにやにやと笑っている。それに舌を突き出すと、テーブルに放置された飲みかけのコップを手に取る。
「お生憎。別に説教受けてたわけじゃないわよ」
「なんだ、つまんねえの」
キッと睨みつけてコウを黙らせたサナは、賑やかなエントランスを振り返ると見知った顔を探した。
「……あれ、ヒカリどこ行ったの?」
「お前はストーカーか保護者か。あいつはシュンと話をしに工作室行ったよ、こないだ買ったP90を腰に吊り下げたいから、もっと軽くしたいんだと」
「把握してるあんたもあんたでしょ」
MSRとM&P9、そしてP90。銃火器を3挺も持つのなら、確かに重量は軽い方が良いだろう。
「それ以外にはなんか言ってた?」
「それ以外? いや、特には」
「ああ、そう。ならいいわ」
疑問を顔に張り付けたコウを無視し、コンビニにでも行こうかとドアへ向かう。集会が始まるのは昼過ぎで、まだ30分以上猶予がある。
――今日は……プリンかな。いや、シュークリームもいいな。
そんなことを考えながら扉を開けるサナの顔を、至近距離からカメラのフラッシュが包み込んだ。
目を手で覆いつつ、指の間からフラッシュの出所を睨みつける。扉の目の前で小型のデジタルカメラを手に立つ見知らぬ男は、わざとらしい茶色のベレー帽にベージュのシャツを着込んでいた。第一印象は「うさんくさい記者」といったところか。
「ちょっと、どちらさま?」
怒りを込めつつ言葉を投げる。それを受けてカメラをそっとポーチにしまった男は、代わりに一枚の名刺を差し出した。
「自己紹介も無しに申し訳ない。僕は、こういうものです」
「……オーズ放送局報道センター レン……? テレビ局の人間が一体何をしにこんなところに来たんですか。それにここは我々の家です、扉さえ潜らなかったら何してもいいとでも思ってるわけ?」
名刺をちらりと見てからポケットに突っ込み、腕を組んで不愉快な顔をする。それを意にも介さずに、レンという記者は驚いたように声をあげた。
「ああ、いえいえ、オーズはテレビ局ではありませんよ。僕達は新聞の発行とラジオの放送をしてます。
不躾であることは大変理解しておりますが、あなた達、最近世間を賑わせているレジスタンスですよね?」
人の心を覗きこむような笑顔と共に、一切取り繕うことなく言葉をぶつけてくる。その礼儀の無さに腹が立ったサナは、却って慇懃に応対する事に決めた。
「申し訳ありません。勝手に人の家に不法侵入してくるようなお方に、教えてあげられることはなにもございません。例えあんたが新聞社の人間でも、ラジオ局の人間でも、同じです。どうぞ、お引き取りを」
「そう邪険に扱わないでください、我々はあなた方を非難しているわけではないのです。寧ろ、あなた方を支援したい気持ちでいっぱいなんですよ」
「……はぁ」
「なんでも、少女を戦いに参加させてるそうじゃないですか。ああいえ、あなたも十分に少女なのですがねそれがとてもとても心配で、私なんかはいてもたってもいられずにこうしてお尋ねさせていただいた次第です」
口からホイホイとデマを吐き出す記者は、そのくせ目だけはどんな情報も見逃さないという風に活発に動いていた。状況に気付いたメンバーのうち何人かがこちらを見ているが、その視線すらレンを気後れさせるには物足りない。
しかし、銃や爆薬は玄関からは目につかないところに置いてある。今回のような不意の訪問者を警戒してのことだ。
「ですがまあ、確かに今回は僕が礼節を欠きすぎました、誠に申し訳ない。また後日、出直させていただきます」
何も収穫がなさそうだと目敏く気付いたレンは、ご丁寧に帽子を取って頭を下げ、そのままビルを後にしようとする。
「ちょっと待って。カメラで撮った写真と手帳に書いたこと、消していきなさい」
「……ああこれは、失念しておりました」
サナの確認する前で双方を消したレンは「それではまた」と言い、通りへ消えた。
「サナ、どうしたの?」
いつのまにかシュンが傍まで来ていた。見知らぬ男との問答を聞いていたのか、ドアの外の様子を窺いながら近づいてくる。
「シュン。オーズ放送局のレンとかいう記者が来たんだけど、門前払いしてやったわ。私たちがレジスタンスだってこと、どっかから嗅ぎ付けてきたらしい」
思い出したようにポケットから名刺を出すと、シュンに渡してから外へ出る。
「どこ行くの?」
「ちょっとコンビニ。何かいる?」
「うーん、何かホットスナックかな。フランクフルトとかお願いしていい?」
「いいわね。私もその気分になったとこだし、二本買ってくるわ」
足元の石ころを蹴り飛ばすと、サナはポケットに手を突っ込む。空を見上げると、隣の道から赤い風船が上がっていった。
――あらら、可哀そうに……
道の両脇に並ぶ家よりも高く上がってしまったら、いくらサナでも届かない。どこかの子供に同乗して足を進めようとした、その時。彼女の全身を、言いようのない悪寒が包んだ。
「っ!? ……何?」
後ろを振り向き、周囲を警戒する。これがヒカリの言う「敵意を感じる」という事かと思ったからだ。だが彼女を狙う者はおろか、子供一人歩いてはいない。
「……気のせいか」
肩を竦め、コンビニへ向かう。気が付けば、赤い風船は、どこにも見えなくなっていた。
今後もゆっくりと再開していきます。ご意見ご感想、お待ちしています。