引き金を引く、ということ
ヒカリの耳に銃声が聞こえる数分前。サクラの父親が向かった先には、同じように様子を窺いに来た何人かの運転手が既に集まっていた。
その群れに加わって前方を覗き見ると、確かにサクラの言った通り、二車線を塞ぐような形で何台もの車が道路に対し横向きになっていた。運転手は頭を回しているだけだったが、タイヤは全てがバーストしていて、自力で車を移動させることは出来そうにない。
どうしたものかと辺りを見回したところで、野次馬の一人が突然痛みに声を張り上げた。なんだなんだと様子を見ると、男が足の裏を押さえている。靴には穴が開いていて、赤黒い血がにじんでいる。
「足元見ろ! 針が刺さる!」
その言葉の通り、事故車と野次馬達との間に、横一列に並んだ鋭い針が光を反射していた。
「これって軍の使ってる、スパイクベルトじゃねえか?」
じゃあこれは軍の仕業か。そう誰もが考えたすぐ後に、正面から数台の乗用車が道路を逆走してくるのに、父親は気が付いた。
一方で父親の出ていった車内では、サクラが落ち着きなくそわそわと辺りを見回していた。
「ねえひーちゃん、何があったのかな……」
その言葉に返事をせず、ヒカリはじっと窓の外を――対向車線を見ている。
「……この道って、普段は沢山車通る?」
「え? うん、多いと思うよ?」
ありがとう、とようやく返事をしたヒカリは、サクラが知り得ない顔をしていた。何かサナやミズキと話していたが、サクラにはよくわからない。
「どうしたのひーちゃん? なにかあった?」
「……さっきまで後ろから沢山車が来てたのに、今は一台も走ってこない。それに対向車線も、一台も走って無い。どうしてかはわからないけど、サクラちゃんも一応周りに気を付けて」
ヒカリに脅されて不安になったサクラは、帰ってこない父親の元へ行こうとドアに手を掛けた。しかし、ヒカリがそれを止めさせる。
「こういう時はあんまり動き回らない方が良いよ。状況がわからない。私が様子見てくるから、サクラちゃんはサナたちと一緒に……」
そんなヒカリの言葉を遮るように、よくのびる銃声が4人の耳に飛び込んできた。
「銃声! ライフル? 猟銃だ、会のメンバーが良く使ってるM700っぽい」
銃声を聞き、即座にその銃が何かを推察する。
「会? ひーちゃん狩猟会員なの?」
その質問はヒカリの耳には届いておらず、サナやミズキと小さな声で話し合っている。その様子はサクラにとって近寄りがたい、恐ろしげな雰囲気を醸し出していた。
「……ええ、私がサクラを見てる……わかった、そしたら……」
銃声が聞こえ、前に集まっていた人たちが次々と自分の車に飛び込むこの状況で、3人は一体何を熱心に話し合ってるのか。ヒカリに車を出るなと言われたサクラは、3人の声をよく聞こうと背を伸ばした。
そうすると、さっきまでは助手席の背もたれで見えなかった3人の足元や腰が見えるようになる。だからサクラは、僅かに銀色に光る銃がサナの腰の裏から顔を覗かせているのに気が付いた。
「……それって……」
だがサクラが口を開くと同時に運転席のドアが勢いよく開かれ、血相を変えた父親が飛び込んできた。
「お父さん、どうしたの!?」
「サクラ、それに君達も、絶対に車から出るな! 静かにしてるんだ。大丈夫だから」
非常に慌てた様子で、ドアに掛けられていたサクラの手を外させる。他の車内でも似たような状況になっていて、サクラはようやく、自分たちの置かれた状況の異常性に気が付いた。
「え、なに、なにさ、なにがあったの!?」
「何があったんですか!?」
サクラとヒカリが声を荒げる。そんな二人に返事をするより先に、父親は運転席側のパワーウインドウを下ろした。
「強盗団だよ。彼らが道を封鎖して、私達の持ち物を奪うつもりらしい。車からは出るな、少なくともあちらから危害を加えるつもりは無いらしい。信用は出来ないけどね、猟銃やクロスボウを持っていたし」
そう状況を説明してるうちに、前方に車の間に二人組の人間がいた。どちらも顔を隠し、パイプやバットなどの得物を所持して、傍の車に頭を突っ込んでいる。
暫くして顔を引き抜いた強盗は、手に現金やスナック菓子、買い物袋などを持っていた。それらを一旦前方に持って帰っていき、すぐに別の車を漁る。奥には確かにクロスボウや猟銃を構えている者もいるようだった。しかし、父親の言った通り、今のところ誰も傷つけられているわけではなさそうだ。
「全員、逸らないで。状況をしっかり確認して……」
ミズキが全員に戒めの言葉を発し、直後、開かれた窓からタイヤのスキール音が飛び込んできた。
聞こえた方を振り向くと、リアガラス越しに最後尾の車がバックしているのが見えた。だが運転手は軽いパニック状態のようで、走行が安定していない。中央分離帯に突っ込みそうになったり、右往左往しながらも道路を逆行して離れていったが、街灯を通り過ぎようとしたタイミングで途端にコントロールを失い分離帯のブロックに突っ込んだ。
「だめ、後ろも包囲されてる! スパイクベルトが、ほら、街灯の真下!」
ヒカリが指を指した先には、車列前方にもあったスパイクベルトが設置されていた。更にその奥、4台の車両がゆっくりと並列で接近してくる。
それから4台の車両は、事故を起こした車の傍で停車し、強盗が数人がかりで運転手の女性を引っ張り出した。思わずシートを掴むが、強盗団は水筒の水を飲ませ、介抱をしているように見える。
「かなり秩序だった組織。その場にある全てを刈りつくすことをしない、先を考えられる人間がいる。厄介ね」
「……関係無いよ、みーちゃん。介抱したって何したって……変わんないよ」
そう言うサクラの顔に、嬉々として戦闘機について話す少女の笑顔は見えなかった。
目線を前に向けると、袋を持った若年の強盗の腕を、車の中から細い手が懸命に引っ張っていた。それを強引に振り払った強盗は怒鳴ろうとしていたが、別の覆面がそれを制し、中に入っていたお菓子を返す。
「……どうする?」
ヒカリが隣の2人に意見を伺う。1人でも強盗団を制圧することは出来るかもしれないが、3人で事に当たったほうがより民間人の被害を抑えることが出来る。
だが。
3人が得物のスライドを引いた瞬間、車の助手席が勢いよく開け放たれた。
「おいっ!? サクラ、何してるんだ!?」
父親の緊張を含んだ声が辺りに響き渡り、強盗団の意識が車を飛び出したサクラに注がれる。がちがちに固まったその両手には、拳銃が握りしめられていた。
「貴方達が持ってる武器を捨てて、今すぐ皆から奪ったものを返して!!」
その視線と銃口は、ゆっくりと車から手を引き抜いた一人の強盗を向いている。今すぐにでも引き金を引いてしまいそうな彼女を刺激しないよう、バットを構えず静かに後ずさった。
「銃を下ろせ。我々は人を殺したくない。その銃を、下ろせ」
その声は目の前の強盗からではなく、一番前に乗りつけられた強盗団の車のボンネットの上、一人の男のものだった。その男は猟銃を足元に立てて、覆面もせずサクラを冷たく見つめる。
男は、ブロック内で軍人に怯えながらもスーツを着て営業や契約に奔放するような、そんなどこにでもいそうな顔をしていた。だが双眸だけは違う。彼の両目は、どこか悲しみを想起させた。
サクラの銃口がぶれながらもリーダー格の男を捉え、声が震えないよう、ゆっくり、吐き出すように言葉を繋ぐ。
「銃を持ってるのは、あなただけじゃない! 武器を捨てて、奪ったものを皆に返してよ!」
「……我々は、君と交渉するためにここにいるわけじゃないんだ。そちらが戦うというのなら、こちらも応じる用意はある」
その言葉を合図に、男の両脇にいた強盗がクロスボウを、背後で女性を介抱していた一団からも3人がクロスボウと猟銃を構えた。辺りから悲鳴が上がり、車が揺れる。
「待ってくれ!!」
そう叫んだ父親は、ゆっくりとドアを開けてから両手を上げて車から出た。いくつかの銃口がサクラから父親に移る。
「お父さん! どうして出てきたの!」
「この子が持ってるのはただの玩具だ、我々にはあなた達と闘うつもりはないんだ! だからその武器を下ろしてくれ!」
サクラの問いかけには答えず、深く頭を下げてそう懇願した。
「我々は何も、貴方から娘を奪いたいわけではない。武器を下ろせというのなら、まずあなたの娘さんを落ち着かせてくれ」
しかし、強盗団側もただの一人として武器を下ろす人間はいない。
「サクラ、それを下ろすんだ! お父さんの言うことを聞け!」
「うるさい!」
極度の緊張状態で小さな錯乱状態に陥ったサクラは、引金に人差指を掛けたまま両手にギュッと力を込めた。
「サクラちゃん」
サクラの握りしめたM360Jを、車内を助手席に移動したヒカリが腕を伸ばしてシリンダーを掴んでいた。シリンダーと連動して動く引き金は、逆に言えばシリンダーが動かなければ引くことが出来ない。空の拳銃はサクラが引金を”絞り”切った瞬間に、つまり”遊び”の範囲内で完全に停止した。
「……ひーちゃん? 離してよ……」
ただ首を横に振って、両手を使って拳銃を捻り、サクラの固まった手から引き剥がす。
「サクラちゃんは、こんなことしなくていい。銃弾が入ってても、入って無くても、関係無い。人に向けて引き金を引くってことは、とっても辛いから」
それからサクラを車内に引き込むと、入れ違いになるように表へ出た。前後から敵意が向けられる。
「サクラ! サクラ、頼むから危ないことは止めてくれ、止めてくれよ……」
運転席に戻った父親が、緊張と安堵で顔を歪ませてサクラに泣きそうな声を掛けた。
「お父さん……」
それから、開け放たれたままのドアとヒカリを見る。腰には拳銃や長方形の銃がぶら下がっているが、サクラに向いた顔はいつもの、少し困ったような笑顔。その差にサクラは困惑していた。
「サクラ、それにサクラのお父さんも、絶対に車から出ないで。頭を低くしてて」
「さっちゃん……?」
同じ形の拳銃を二つ持つサナは、じっと後ろの強盗団の様子を見ている。ミズキも両手で拳銃を握って、深呼吸をしていた。
「私達が守るから。だから安心しなさい」
そして後部ドアを微かに開けたことを合図に、ヒカリはキッと前方を睨んだ。
「今度は何だ? 車から出るなと言っているだろう。警告を無視するようなら、敵と認定するぞ」
うんざりした声。強盗団の優位による余裕かとも思ったが、ただ疲れ切っているだけなのかもしれない。
「さっきからあなた達は、強盗に似つかわしくない行動をしてる。態々財布を取らずに現金だけ抜いたり、怪我をした女性を介抱したり。あなた達は何がしたいの?」
四方八方から向けられる敵意に怖じることなく、ヒカリは全身に力を入れた。
「我々は日々を生き抜くための糧を求めているだけだ。殺人行為が目的ではない」
それからリーダー格の男は、仲間にクロスボウや猟銃を下ろすよう命令した。その言葉に従い、覆面達は各々の長物を下ろす。「秩序だった組織」というミズキの見立ては間違いではなさそうだった。
「車に戻れ。我々は、必要なら躊躇い無く人を殺せる」
その声音はとても冷たく、単なる脅し文句でないことは容易に分かった。それでもヒカリはドアの枠を掴み、言葉を続ける。
「糧が必要なら働けばいい。あなた達、元から悪者だったわけじゃないでしょ? 見てたら分かる、きちんと一人一人が統制されて動いてる。それなのに、どうしてこんなこと……」
「君のような子供にはわからないだろう。世の中は理屈で動いてるわけじゃない。我々はこの国に捨てられたんだ、ならばこの手を汚さず、どうやって生きればいい?」
逆に質問をされたヒカリは、俯いて首を横に振る。
「それが、全く関係ない人達を襲う言い訳? こんな国でも、皆一生懸命生き抜いてる。あなた達だけが特別じゃない!」
「我々は特別じゃないさ! 今ここにいる人達と同じで、娘や息子、夫や妻が今も家で我々の帰りを待ってる。守るべきものを守るためなら、喜んでこの手を汚そう!」
マイクも無しによく通るリーダーの声は、やはり諦めを含んでいた。
「……それなら、自分達が他の人の守るべきものを壊そうとしてることもわかってるでしょ?」
「わかってるさ。言っただろう、我々は必要があればなんでもする。一生懸命生き抜こうと必死なんだ、赤の他人まで気に掛けていられるほどの余裕はない。それは、皆そうだろ?」
「皆が皆こんなことをやってるわけじゃない! 少なくともあなた達の行動に大義があるとは言わせない!」
「大義だの正義だのは求めていない! ただ明日を生きるための金、欲しいのはそれだけだ!」
「そんな汚れた金で養われても家族は、守るべき人は喜ばない! そんな手じゃっ、そんなっ……!」
「そういうお前も腰に銃をぶら下げて、綺麗な人間ではないだろう! その年だ、流石にこの国の厳しさくらいはわかっているはずだ、それともなんだ、お前がこの国を変えてくれるか?」
猟銃の銃身を握る手に力が篭ったリーダーは、静かに深呼吸をして自身を落ち着かせる。
「……さあ、これが最後だ、車に戻ってくれ。この手がいくら泥で汚れようと、傷だらけになろうと構わない。だがそこに少しでも血が混ざってしまったら……そんな手じゃ、私は娘を抱きしめることが出来なくなってしまう」
交渉は打ち切られた。ヒカリはゆっくりと腰に提げたP90へ手を伸ばし、強硬手段に取ろうか考え始めた。様子を見ていた強盗達が一斉に飛び道具を構え、ヒカリへ照準を合わせる。最早それを止める声も聞こえなかった。
僅かに顔を左右に振り、状況を確認したヒカリの目に、怯えた表情を浮かべた顔が飛び込んでくる。車の中で息を潜めた人達が、ヒカリを恐ろしそうに見つめていた。
ただじっと動向を窺っていた人達は、次のヒカリの言葉を待っていた。冷静に辺りを見回すと、皆は怯えてヒカリを見つめ、家族はそれぞれの肩を抱き合っている。
――……私が、間違ってるの?
ふと、P90に伸びていた手が脱力し、振り子運動を形成する。途端に彼女の周囲を形成していた得体の知れぬオーラが消え、強盗団やサクラは俯く彼女をまじまじと見た。
やがて強盗団の何人かが武器を下ろし始めた頃に、ヒカリは深呼吸をし、もう一度車の上に立ち猟銃を片手に持つリーダーを見据える。
「……約束をして。……ここにいる民間人に、決して危害を加えないで。お願い……」
それだけを言うと、助手席のドアを閉めて車の後部座席へ乗り込んだ。
「ヒカリ、大丈夫?」
座席に座るや否や、サナがヒカリの様子を窺い見てきた。どこか傷ついたような表情を浮かべていたヒカリは、サナに微笑んで謝った。
「ありがと。でもごめんね、私撃てなかった……」
「あの場で撃ってたら、ヒカリにも、一般人にも危害が加わっていたのは確実。ヒカリの判断は間違っていない」
「それでも、私あの人の言葉に反論できなかった……きっとサクさんなら、上手く交渉出来たんだけどね。
私たちとあの人たちは違う。そうわかっていても、なんか、ほんの少しだけ、その気持ちは理解できるの。この国でひどい目にあって、だけど守りたいものがあって、そのために手を汚してて。それは、何もかも違うけど、でも私たちとどこか似てる気がするんだ」
ヒカリの吐露を受けて、ミズキが車内からリーダーの男を見遣る。サクラも父親も、声をかけることは出来なかった。
そこへ徴収係の強盗が車を叩き、運転席へ手を伸ばした。全ての車に平等に来るらしい。
「私達は何も買い物してないんだ、だから現金しかない」
そう言って父親が財布を、待ち構えている手に乗せた。財布を掴んだ手はスッと引き抜かれたが、気配はまだ車から離れない。
――私のせいで、サクラちゃん達が目を付けられた……?
そんなヒカリの心配は杞憂に終わり、外から何かが放り込まれる。
「……これは、君にだ」
両手でキャッチした父親は、数枚の札が残った財布と共に飛んできたペットボトルのお茶をヒカリに手渡した。
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