戦車
グロテスクな表現等はありませんが、人が死ぬ点にだけ留意していただければ幸いです
「――敵襲の可能性有り。敵襲の可能性有り。戦闘員は第三級戦闘配置へ就いてください。これより単独での行動を禁止し、非武装員は作業を中止し、指示を待ってください。繰り返します……――」
危機感を煽るサイレンと共に、そんなアナウンスが工場に鳴り響く。
「――……一発撃っちゃったから、多分、急いで脱出した方がいいかも。本当にごめんなさい――」
心底申し訳なさそうなヒカリの声がかろうじて聞こえる。
「……まあいいわ、こっちの作業は全部終わった。後は脱出するだけだから、準備しといて。わかったわね、白馬の王子様とやら!」
「――あいあい、わかったよ!――」
無線を切った直後に、目の前の曲がり道から複数の足音が近づいてくるのがわかった。……それと同時に、拳銃のスライドを軽く引く音も。
「おい、今声が聞こえなかったか?」
「さあな。だが、確認しよう」
――やばい、通信してたのが聞こえた?
サナは深呼吸し、手足の隅々まで酸素を行きわたらせる。無意識に高鳴る胸を意識して抑え、散らばる考えを拾い集める。
――どうする、戦う、逃げる? 相手は警戒態勢で、二人以上いることは確実。もう爆薬は設置し終えてる、長居する必要はない。それにこんな廊下で戦ったら、すぐ挟まれちゃう。だったら……
結局、戦うという選択肢を放棄したサナは速攻で逃げ出した。
「走ってる!? おい、待て!」
サナが角をまがった直後、廊下の突き当たりの壁に銃弾が火花を散らせる。躊躇なく引金を引かれて、身の竦むような思いだった。しかし、ここで立ち止まってしまえば死ぬのは分かっているので、隠れたいという衝動に駆られながらも必死に足を前に進める。
「製造ライン手前の廊下で不審人物を発見、逃亡された。至急工場を閉鎖してくれ。……オーバ―」
相手からの返事は流石に聞き取れなかったが、目の前のシャッターが少しずつ下がってきているのを見れば考えるまでもない。竦むことのなかった足を心の底から誉めつつも、ナイフを逆手に持ったまま全速力で駆け抜ける。
「見つけた!」
出入り口まで真っ直ぐ走り抜けていると、サナの前に横の通路から兵士が走りこんでくる。ナイフを構えなおそうとするが、その兵士の奥のシャッターがもうサナの腰辺りまで下がってきていた。呑気に戦っている猶予はない。
目前のシャッターさえ越えられればすぐに出口だが、もし出られなければ背後には大量の兵士が待っている。即ち死だ。手に持ったナイフを腰のケースに仕舞って、まったくスピードを緩めずに兵士に向かって走るしかない。
「バカが、血迷ったか!」
目の前の女が何の武器も構えず、銃を持った自分に向かってくる。こんな状況じゃ誰だって勝ったと思う。兵士はにやりと口の端を持ち上げて、額の中心をサイトに捉えて拳銃の引金を引いた。
廊下に響く銃声。壁を穿つ銃痕。残った数本の薄茶の髪の毛。残されたのはそれだけだった。
サナの顔面に狙いをつけられた銃弾は、そのままであれば狙い通り彼女を死に至らしめていただろうが、当の彼女は直前にスライディングしていた。
まさか兵士の動きを見てから滑ったわけでもない。閉まり続けるシャッターを潜るためにした行為だったが、結果として命拾いする形となった。
「なっ!?」
自分が当たったと確信した銃弾は少女には当たらず、廊下の壁に火花を散らして着弾した。驚いた兵士は慌てて振り向くが、目の前には固く閉ざされたシャッターが広がるだけだった。
――頭を撃ち抜こうとせず、確実に胴体を撃った方が良かったか……
後悔するも、後の祭り。
「くそがっ……! CP、侵入者を取り逃がした! 奴はまだ年端もいかない女だ、まだ16くらいか。あのガキがシャッターをすり抜けた!! ……ああ、裏口だ、オーバー!」
シャッターの向こうから兵士の罵詈雑言が聞こえてくる。
「誰がガキよ、私は17だっつーの! バーカ!」
恐怖に震える足が、サナを手すりに掴まらせる。彼女たちは普段から命のやり取りをしてるわけではない。特に、既に構えられた銃口に向かって突っ込むなどという分の悪い賭けは殆ど体験したことはなかった。
――それでも、私は今も生きてる。
銃口を向けられた恐怖がまだ完全には引いていなかったものの、私はお前に勝ったんだ、という思いを込めてシャッターを蹴り飛ばし、急いで入ってきた扉を開ける。
扉を開けた先では、政府軍御用達であるライフル――SCAR-H――を幾つかまとめて担いだコウの顔が、コウ用のSCAR越しに見えた。
「うわっ、サナ!? お前、出てくるときは何か言ってくれよ、危うく撃つところだったぞ!」
「なに言ってんのよコウ、元はと言えばあんたのせいみたいなもんでしょ!」
そう言いつつも、コウやヒカリが悪いとは思っていない。
「しょうがねえだろ! とにかく、サイレンが鳴った後に工場の外から封鎖しようとする奴がいたから俺とヒカリで反撃してる。多分この工場を囲みたいんだと思う。ヒカリが支援してくれてるうちに早く逃げるぞ!」
そう言って、先程まで歩哨が見張っていたフェンスの切れ目に向かって駆けだした。
仄かに高い丘の上、静寂に包まれていた工場は眠りを覚まし、体内へ侵入を図った異物を取り逃さぬように活動を始めた。丘を下ろうとするサナ達の背後が俄かに騒がしくなり、サイレンや怒鳴り声が2人を追い立てる。だがその2人は背を向け遠ざかろうとする。あとは工場から数百m程度離れれば、この非日常ともおさらばだ。
そう、作戦終了まで、あとほんの数百mだけだった。
「――駄目!! 二人とも、早く隠れて!!――」
焦りの滲む制止の声が聞こえるが、2人は構わずひた走る。
「――2人とも、聞こえない!? 今すぐ身を隠してってば!――」
ヒカリには珍しく、反論を許さないといった口調だ。その理由を尋ねるべく、サナは足を止めぬまま無線機に手を掛けた。
だが、続くヒカリの言葉は、2人の足を完全に止めさせた。
「――戦車が、戦車が出てきてる!!――」
振り返り、白い照明に照らされる工場を見る。建物の奥、搬入口からゆっくりと、戦車の砲身が姿を覗かせた。
その鋼鉄の象は、たかが侵入者二人を捕まえるために出すような代物ではない。潤沢すぎる資金・資材を見せつけようとしているのか、或いは機密保持のために何としてでも殺すという意思か、単に余裕があっただけか。
身を竦めたくなるようなエンジンの唸りは、猛り狂う獣そのものだった。咄嗟に飛び出してきたものらしく、開かれたままのハッチから敵兵が頻りに叫んで、辺りの警備兵と情報を共有しようとしている。
「――工場から離れちゃダメ! 戦車には暗視装置が付いてるから、夜でもすぐ見つかる!――」
工場とは反対方向、つまり二人が来た道を戻ろうとした瞬間、ヒカリが再び叫ぶ。すぐ見つかる、と聞こえた時には二人は180度ターンをきめていた。
「――……うん、大丈夫、まだ二人は敵に見つかってない――」
「だけど、どうすんのよヒカリ、これじゃ脱出できないわよ。ねえ、コウ!」
「俺に聞かないでくれよ、わかるわけ無いだろ!」
そうこうしている間にも戦車の履帯が回る音が大きくなってくる。ガソリンか灯油が満タンになっているらしいドラム缶の陰に隠れている二人は、鉄の象が通り過ぎるのを待っていた。しかしその期待に反して、120mmの鼻を持つ象は停車し、闇に隠れた蟻二匹を、首を巡らして探し始めた。機械の作動する音が、じりじりと二人を追い詰めるように聞こえる。
「どうしよう……コウ、あんた戦車の正面装甲一発でぶち抜ける? あの戦車は多分M1A1、いや、M1A2エイブラムスね」
ドラム缶の陰から手鏡を出し、ほんの数十m先に戦車の姿を認める。車種の判別には、ミズキやシュンの知識が役に立った。
「A2か……確か改修されて強化されたんだよな。ERAが確認できないから何とかキットは組み込まれてないんだろうけど……回り込めたら一発とはいかなくてもダメージ与えられると思うけど、こいつじゃ正面一発KOはかなり厳しいぞ」
そう言って肩にスリングを通したロケットランチャー――パンツァーファウスト3を叩く。
「そう言ったって、戦車との距離が微妙だから、多分機関銃の射程範囲内よ? もっと近くまで来たら機関銃にも狙われないと思うけど」
二人と戦車の距離がもう少し近ければ、主砲も機銃も狙えない戦車のすぐ傍まで接近出来たのだが、今飛び出したら間違いなく二人の全身に風穴があくだろう。遺体の人相が判別出来れば御の字といったところか。
「どうだ、侵入者は確認できたか!?」
「いや、まだだ。徒歩で逃げてりゃ戦車で見えるんだが、確認できてねえ。きっとまだ近くで息を潜めてるはずだ、お前らも近辺を捜索してくれ!」
ハッチの戦車兵と工場の警備兵が、エンジン音に掻き消されないよう怒鳴りあっている。走って逃げずに身を隠したのは正解だったようだが、このままでは遅かれ早かれ見つかるだろう。
「――サナ、まだC-4は余ってる?――」
再び、ヒカリが無線機からサナに呼びかける。
「もうからっきし。起爆装置しかないわ」
「――それじゃ、コウは何か爆発する武器持ってる?――」
「ああ、パンツァーファウストとシュンの手榴弾をいくつか持ってる」
それを聞いて、昼にシュンが「コウには僕お手製の手榴弾をいくつか渡しておいたから」と言っていたのを思い出す。とは言っても、手榴弾程度では戦車の外装に傷一つ付けるのも難しいだろう。
そう、外装は。
「――じゃあ、手榴弾を収束させて、戦車のハッチに投げ込んで――」
言うのは簡単だが、はいそうですかと実行できるほど状況は甘くなかった。どうやら2人がいる方向は大まかにだが把握されているらしく、いくら待っても戦車は明後日の方向を向いてくれない。
「いや、そんなこと言っても、もう目の前に戦車がいるから動いた瞬間見つかる。せめてあっちのほうに砲塔が向いてくれりゃあな」
「――大丈夫、私が囮になる。今ならまだ随伴してる兵士はいないから大丈夫――」
「は? いや、おいちょっと待て!」
ヒカリに抗議の声をあげるが、当人は無視して自分勝手な事を宣った後、無線機の電源を落としてしまった。
「囮ってなんだよ、おい! ……くそっ、あいつ無線機の電源切りやがった!」
明るい工場からでは、ヒカリは当然、ヒカリの隠れている林すら暗くてよくは見えない。ここから目を凝らしても見えないのは承知しているが、何をしようとしているのか、目を離す事が出来ない。
するとその時、一瞬だけ闇の中でなにかが光る。すぐ後に銃声が鳴り響き、ハッチから飛び出した兵士が頭を撃ち抜かれた。苦しみを感じる時間さえなかっただろう。
「ヒカリ? なんでサプレッサーを外して撃って……」
サナがそこまで言って気が付く。
「まさか、注意を引き付けるために?」
二人がその考えに至った頃には、戦車が主砲同軸のM240機関銃を林に向けていた。銃声と、金属同士が打ち合う甲高い音が、幾度となく鳴り響く。しかし戦車はそんなものなど意にも介さず、息絶えた兵士を乗せながら気だるげそうにゆっくり砲塔を林の方角へ向けた。その直後、戦車は自慢の120mmスムースボアの主砲をヒカリ目掛けて放つ。
衝撃が2人を襲い、地面が揺れているような錯覚が訪れる。暗闇の中で木が吹き飛んだのが微かに見えた。
「ヒカリ!! …………コウ! 今のうちにやらないと!」
砲塔があっちを向いている今なら気付かれること無く接近し、ハッチに収束手榴弾を放り投げられるだろう。頭ではわかっている。
わかっているが、サナはヒカリのいたはずの林から、視線を外すことが出来なくなっていた。
左肩に痛いほど力を込められたコウは、サナの手を外してから自分の膝を叩いて、戦車の前へ躍り出た。USP拳銃で砲塔の上にいるM2重機関銃手を無力化し、全速力で戦車に駆け寄り、転輪に足を掛けて体を引き上げる。
ハッチから飛び出た死体をどかす。戦車内部では、慌てて太腿に括りつけたハンドガンを抜こうとする男がいた。
「悪いな、くそったれども。ささやかなお土産だ」
ひとまとめにされた手榴弾の内の一つの安全ピンを抜き、ハッチ内に落とす。兵士がサイドアームを完全に引き抜いたころにはハッチの蓋は閉じられて、置き土産が死のカウントダウンを無言のうちに数え上げていた。
「コウ、ジャンプ!」
コウが戦車から飛んだ瞬間、中の砲弾にまで引火した爆発が戦車の砲塔を完全に破壊した。爆風に吹き飛ばされたコウはなんとか受け身を取ったが、見るからに頭をクラクラさせている。
「っああ、耳が痛てえ!」
爆発の影響で少し耳が遠くなってしまっているようだった。だがコウの回復を待ってはいられない。こうしている間にも反対側から兵士の怒声が近づいてきていた。
「コウ! 待って!!」
コウはまだふらふらしているが、真っ直ぐ工場から離れようとしていた。慌ててその体を捕まえると、サナは再びドラム缶の陰に隠れる。
「もう兵士がすぐそこまで来てる。援護がいない今、隠れるものが何もないんじゃすぐにあいつ等に見つかるわよ!」
そう耳元で叫ぶと、腰のポーチからC-4の無線起爆装置を取り出した。その腕をコウが掴む。
「バカ野郎、ここで起爆したら俺達も吹っ飛ぶぞ!」
「じゃあどうするのよ!」
「……戦うしかないだろ」
そう言ってSCAR―Hの弾倉をチェックする。
「あんたこそ馬鹿じゃないの!? あっちは本職で、しかもうじゃうじゃ居んのよ!? こんなすぐにでも囲まれる場所で、しかもまだまだ戦車はある、次が来たら勝ち目はないわよ!?」
「じゃあどうしろって言うんだよ!」
「だから言ってるじゃない! このまま起爆すれば私達は巻き込まれるけど、この工場は確実につぶせる!」
そう言ってサナはコウを見つめる。
「しょうがないでしょ!? これも皆のためよ。ヒカリは私達の為に命を張ろうとした。だったら……イーストブロックの数千、数万の人たちのために、ヒカリのために、私にはここを壊す義務がある」
起爆装置の蓋を跳ねあげ、スイッチに指を掛ける。
「ふっざけんな! お前知ってんだろ、俺はそういう自己犠牲が一番嫌いなんだよ!」
サナの肩を強くつかみ、その目を見つめる。
「知ってるわよ」
サナのその覚悟を受けて尚、コウはその腕を離さない。
その時、炎を上げる戦車の向こう側で何かが煌めく。その約1秒後、二人に接近していた兵士の胸が貫かれる。さらにその2秒後には、微かに銃声が聞こえた。
「狙撃!? あっちにはここを狙えるようなところはどこにも……」
いや、あった。ミズキが昨日のうちに用意してくれた地図には、1km近く離れたところに山があった筈。だが、もしもの時に1kmも離れていたら狙撃に確実性が無いということで、ヒカリが却下した狙撃地点だった。
「何言ってんのヒカリ、あんた昨日700m先からヘッドショットしてたじゃない」
昨日の洋館内でサナはそう反論してみたが、「1km先から百発百中なんて腕前、私には無いから! 無理無理無理!」と強く否定されてしまった。ヒカリにはそれだけの腕前があると思っていたが、そこまで強く否定されては無理に押しとおすわけにもいかない。あまり危険を冒してほしくはなかったが、結局はサナも工場から約300mの狙撃地点で納得したのだった。
昨日の事を思い出している間にも、光が瞬くたびに、約1秒たって兵士が絶命していく。
「おい、今撃ってんの誰だよ?」
「私が知ってるわけ無いでしょ! とにかく、あいつらがあっちに気を取られてるなら今のうちに脱出しましょ!」
二人とも、こんなことを続けていたら死ぬかもしれないという意識はあったが、出来ることなら死にたくないし何をしてでも生き残りたいという心がある。だから兵士たちが謎の狙撃手に対して反撃している間に、二人は胸を撫で下ろし、一目散に工場から離れた。
「よし、やっちまえサナ!」
サナは起爆装置の蓋を上げ、今度こそスイッチを押しこんだ。
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