番外編:射撃コンペ ~ここからは私のターン!~
MSRの整備は万全。予備のマガジンも用意したし、スコープの倍率は低く設定した。リュックの荷物は均等に均したし、体のストレッチも入念にやった。目薬は二回差して、手には指ぬきグローブをはめた。
今日の日付と天気、気温に湿度、今の私の体調、感情を手帳に書き記す。ひとつとして余すことのないように。
この習慣だって、シンジさんに言われて付けたもの。「普段通りの射撃が出来なくなった時、きっとこの手帳が助けになる」って。
「あなたを恨んでるなんて言っておいて、結局はこうやってあなたの思惑通りに動いてるや」
思わずため息をついたけど、でも悪い気はしない。それはやっぱり、サナの言った通り私がまだあの人を好きだからなんだと思う。
「そう思うと、なんか吹っ切れた。だからさ、いつか会えたら、その時は私の頭を、また撫でてくれたら嬉しいな」
青空を仰いで、思いが口から零れる。だってシンジさんの事だから、今も遠くから私の様子を窺ってるんでしょ? 泣きそうな顔をしてた私に声をかけてくれたあなただもん、わかってるよ。
「おや、ヒカリさん。また会いましたね」
……人が折角清々しい気持ちになれたっていうのに、この人は……
「……あなたは、カノウさんでしたよね」
振り返ってその顔を見る。今朝もそうだったけど、今はその嫌な感情の満ちた笑顔に拍車がかかってる。一体全体、この人はなんで私にこうも強い敵意を抱いてるんだろう。
「まさか私なんかの名前を憶えていてくださるとは。会で語り継がれる伝説の方に認知されたとあれば、自慢話も増えますよ」
「それで、なんの用でしょうか?」
ちょっとだけ緊張しながら、カノウさんの話に食い気味に尋ねる。少しくらい嫌な態度取ったって、罰は当たらないよね?
「申し訳ない、特に大事なお話は用意してないのですが、ただ応援したくて」
「応援?」
「ええ、先程スミさんの射撃が終わりまして、結果は528点で合計が980点。一方ヒカリさんは第二種目終了時点で423点。つまり」
「つまり次の競技で、二回ミスしたら私は一位を取れない、と」
なんともご丁寧なことだよ。競技に向けて支度してる選手に向かって、わざわざそんな情報を伝えてくるなんて。言われなくてもわかってますから。
「これはご親切にありがとうございます。そしたら、念入りに準備したいので申し訳ないですが……」
「おっと、邪魔をしてしまっていましたか。そうでしたら私は退散することにしましょう、もう種目は終わってますので」
どうやら既に撃ち終わってたらしい。テントの奥の方に行くために私の方に近づいてくる。
「優勝、心待ちにしております」
私の横を通った瞬間、カノウさんは小さく耳打ちをしてきた。心底嫌味な人だ。私あなたに恨みを買った覚えはないんですけど。
「――それでは本日の競技会、最後の選手は53番さんです。ゼッケン53の方は射座にお越しください――」
これまでの呼び出しの人とは違う声だ。聞き覚えあるから、多分ここの管理者さんかな。私は気分を変えるために深呼吸をすると、相棒を肩に担いでテントを出た。
「おお、フィナーレのお出ましかい」
「やめてくださいよスミさん。皆して私にプレッシャーかけるのずるいですよ」
二連ライフルの銃身を折った状態で肩にかけたスミさんが、サナと一緒に射座の後ろで談笑してるのが見えた。あれ、あの二人って面識ないよね? 話題合うのかな……
「おー、これから?」
右手で私に手を振って、サナは優しく微笑んだ。なにその顔、私なんかやった?
「これからだけど……なにさ」
「いーや、別に? もう吹っ切れたんだなって思って」
「もちろん。考え事しながらじゃ優勝なんて無理だもん」
スミさんに牽制にもならない牽制をして、苦笑される。それでも私は優勝を目指すよ、まだ勝ちの目はあるもん。サナのためにも、諦めるわけにはいかないよ。
「そういえばヒカリちゃん、うちのカノウを見なかったか?」
「えっ、さっきテントにいましたよ? もうやること終わったんで帰る支度するって言ってましたけど」
それを聞いたスミさんは、どこか怪訝そうな顔をしたように見えた。何か話でもあったのかな?
「――53番さん? ヒカリさん?――」
「……おかしいよね」
今放送でがっつり私の名前呼ばれた気がするんだけど。個人情報とかどうなってるのさ。
「今日参加した人たちはみな、君の狙撃を楽しみにしているからな」
愉快そうにスミさんがスピーカーを見上げるけど、私はそんなに楽しくないよ。
「そりゃあ、私は自分の二倍もある熊を一撃で倒せるらしいですからね。そのうちサーベルタイガーの牙でも持ち帰ってくるんじゃないですか」
ありえないって? そう、ありえないよね。私もまったく同じ気持ち。
「そんな噂がなくとも、皆楽しみにしているさ。今日はこれから本調子なんだろう?」
「そうらしいわよ。どうやら憑き物も晴れたみたいだし、きっと余裕なんでしょうね。私はおとなしく、腹を空かせながら待つことにするわ」
スミさんとサナが共謀して、私の事をいじめてくる。ってか競争相手のスミさんはともかく、サナまで煽ってくるのはどういうこと? 私、あなたのために出てあげてるんですけど!?
「……まあいいや。もう呼ばれてるし行くね、サナなんかに構ってあげてる余裕ありませーん」
笑顔で踵を返して、右肩のMSRを背負いなおす。気楽に頑張んなさいよ、なんて聞こえた気がしたけど、私の頭の中は、とっくに次の競技でいっぱいだった。
「ああよかったヒカリさん、来てくださいましたか」
射撃場に入った私を出迎えたのは、やっぱりここの管理人さんだ。シンジさんと良くここで訓練したから、この人とはもう顔馴染みって言ってもいいくらい。トレードマークの黄色いチョッキを今日も着て、眼鏡の位置を直してる。
「私はちゃんと来ますから、スピーカーで名前を呼ぶのはやめてくださいよ」
「ははは、気を付けますよ。これから競技の説明に入ります、準備しながらでいいから、ルールの再確認をしてください」
近くの椅子に腰かけた管理人さんは、チョッキのポケットから小さく折りたたまれたB5くらいの紙を取り出した。
「最後の競技は、飛翔する計25枚のクレーを打ち抜いてもらいます。1枚打ち抜くごとに24点、合計で最大で600点です。クレーは通常より数倍大きく、数十倍飛びます。射手はクレーにつき一発の弾丸しか許されてはいませんし、散弾銃の使用も許可されていません」
私がMSRを出したあたりで、説明が途切れる。気になって振り返ると、管理人さんは私の銃を見つめていた。
「……この競技にボルトアクション銃は向いていませんよ?」
「はい、大丈夫です。説明を続けてもらってもいいですか?」
予備マガジンの入った軍用ベストを着ながら、説明の続きをお願いする。
「ああ、申し訳ありません。えー……左右同時に飛び出したクレーは、どちらから狙っていただいても結構です。そして、クレーは全くのランダムで飛び出します。因みに、はじめ『その場でプローン姿勢を取り』と伝えましたが、伏せていては競技できない方もいらっしゃったため、姿勢や机の使用は問わないこととなりました」
「あ、伏せなくてもいいんですか? なんだ、それなら大分助かります」
私はMSRから速攻でバイポッドを外して、代わりにリュックサックの上に置く。前の人が使ったであろうテーブルを横にずらすと、私は射座の真ん中で片膝立ちになった。
左膝を立てて、右膝は地面に付ける。MSRを両手で持つと、代わりにリュックサックを右足のつま先と膝の間、地面と接していない脛の下に敷いた。
ふっ、ふっ、ふぅと息を短く吐き出し、胸の中の空気を入れ替える。私がこの銃を持つときは毎回そうするようにしてる、日課みたいなもの。勿論これだって、シンジさん、あなたに言われたものだよ。
「日課?」
「ルーティンって言った方がわかりやすいかもな。要は、射撃の前に毎回やることを決めておくんだ。そうすることで心を平穏に近づけることが出来る」
「それじゃあ、シンジさんも、銃をうつ時は心を無にしてるんですか?」
「……ああ、そうさ。一切の感情を消し、ただ引くべき時に引き金を引く。それだけだ」
まだ小さな私に、シンジさんはそう言った。落ち着きこそが最高の射撃を作るって。それは本当に真実だし、多くの本にも書いてあるし、私自身正しいってわかってる。
だけどね……
「だけど、限りない闘志が勝利を引き付けることだってあるんですよ」
勝ちたい。優勝したい。その一心で私は、何人もの選手の様子を後ろから見てた。その結果得られた情報は、絶対に私を優勝へと近づけてくれる。
例えば、最初のクレーは競技開始と同時に射出されること。左手を管理人さんに向けてあげる。これで競技開始の合図だ。
例えば、競技開始最初の射出だけは、全員共通して左右同時にクレーが飛んだこと。ほら、今だって左右両方から小さく機械音が聞こえる。
例えば、同時に出てきたクレーは、毎回位置こそ違えど、必ず空中で交差すること。だから、ほら……
左目で左のクレーを、低倍率のスコープで右のクレーを視認し、その軌跡を確認すれば、たとえ二枚のクレーだろうと、銃弾は一発で十分だよ。
クレーが空中で交差するその瞬間、私の銃弾はそのどちらともを砕いた。後ろからは大きなどよめきが聞こえるけど、私にはまるで気にならない。
ほらね、シンジさん。感情を消せば、その照準が揺らぐことはないけど、でも強い意志があれば、不可能を可能にすることが出来るんだよ。
……なんて、私らしくないクサいこと言うのは、昂ってるからかな。それとも、話したい相手があなただから?
どっちが理由だったとしても、私には関係ないか。だって、シンジさんがどんな反応をしてくれるのかくらい、わかってるから。
きっと、その温かい手で私の頭を撫でてくれるんでしょう?
「ヒカリが好きなようにしたらいいさ」
『私』を肯定してくれるその言葉、今日まで忘れたことはないよ。
で、ええと何だっけ。二発外したら優勝を逃すって? ご心配なく。
「一発だって外してやらないんだから」
性格が違うように感じたら申し訳ありません。人って興奮すると性格変わるからね。