番外編:射撃コンペ ~心をかき乱されるのは苦手です~
時系列気にせずと言いましたが、一応は本作が始まるよりも前のお話です。
それと細かいところですが、クレーは別名ピジョンともいいます。クレー中央に、鳩の刻印がされていたりいなかったり。
「――Athletes To the Line。これより第一種目、三回転目を始めます。競技会に参加する方は射座に入り、準備をしてください――」
「ほら、ヒカリ。呼ばれたわよ」
「うん、行ってくる」
サナに背中を押され、私はMSRを担いでテントを出る。どうやら今日の競技会は、普段より参加者が多いみたい。射撃場の射座は一回で参加者全員を賄いきれず、私を含めた数人は三回転目……つまり、第三陣に回された。
周囲にはスミさんや昔から見たことのある狩猟会の人。私と同じくらいの男の子に、あの嫌な人もいる。そしてそんな私たちを取り巻いて、先に終わった人たちが私たちを品定めするように見つめていた。
「いやぁ、今日はとりわけ熱気が凄いな」
隣を歩くスミさんが、周りの人を見て呟いたのが聞こえる。
「普段はこんなにじゃないんですか?」
「ああ、そもそもいつもは、この半分くらいの人数で回しているからね。一体全体、何が彼らを駆り立ててるのか……」
あー、それってもしかして。私に向かって手を振るサナを見て、ついつい頬が引きつっちゃった。……本当にミズノシェフが凄い人だってのはわかったよ。
でも一度出場したからには、私だって負けるつもりはないよ。
「――繰り返しての説明になりますが、この第一種目では鹿を模した標的を狙っていただきます。光学照準器の倍率は自由、持ち弾は一人十発。全員が一発撃つごとに係員が標的の交換をいたしますので、一度撃った方は銃口を上げておいてください――」
あ、的の交換って人力でやるんだ。ライフル射撃みたいに交換機とか使えばいいのに。……てか懐かしいな、ライフル射撃。射撃に関係することは一通りあの人にやらされたけど、一番性に合ってたのはライフル射撃だったなー。10ミリの10点を狙って、三かけとかやったり。
昔のことを懐かしんでると、間の抜けたホーンが聞こえてくる。どうやら今のが競技開始の合図らしい。気が付けば係員は消えて、遠くには鹿が描かれた板っ切れが人数分並んでる。
スコープで的を覗いてみると、確かに点数が書いてあった。体表面、的の外側は1、2点で、心臓や首元には10点が赤い丸で記されてる。でも角やその付け根の点数が5点なのは、売るときのことを考えてるのかな。その変に凝った的はどこか面白くて、私はつい声を押し殺して笑っちゃう。
そんな空気を吹き飛ばすように、良く響く銃声がこだました。
どうやら撃ったのは隣の人らしい。射座の間には仕切りがあるから別の射手の確認は出来ないけど、少なくとも私の右隣が誰かくらいはわかる。だから私はたるみ切った気分を張り詰めて、深く深呼吸をした。
私を見つめるその目に輝きはなく、弱点を露呈された獲物は微動だにせず、こちらを振り向いた姿のまま固まっている。
流石にこれくらいなら狙いは外さないよ。こんなんでも、レジスタンスの狙撃手なんだから。
引き金にゆっくりと力を加え、引き絞る。もう長い間使ってる銃だもん、あとほんの少し力を加えるだけで、銃弾が飛び出すのはわかってた。だから当然のように人差し指を動かそうとして……
「ヒカリ、左目閉じてるぞ」
「えっ?」
その声に、私はつい力を入れすぎてしまった。
「ほら、さっきの最終結果、発表されてたわよ」
「ああ、ありがと」
サナの持ってきてくれた紙を見て私は気付かないうちに深いため息を吐き出してた。今は第二種目の順番待ちで、私はMSRを抱えてずっと椅子に座ってる。
「そんな落ち込まなくたっていいじゃない。145点で28位なんて、まだまだ誤差の範囲でしょ。まだ始まったばっかよ?」
「58人中28位だよ? 私もう狙撃手なんて名乗んない方が」
「最初の一発以外満点じゃない、元気出しなさいよ。大体、なんであんた初っ端から後ろ振り向いたりしたの?」
そっか、そりゃ後ろにいたサナには見られてるか。
「いやさ、声が聞こえたような気がしてさ」
「声? いや、あんたが一発撃つまでは皆黙ってたわよ」
まじかぁ……やっぱそうだよね……はぁ。
「サナごめん、優勝は結構きついかも」
「いいから黙って次に集中しなさい。あんたは余計な事考えなくていいから。ね?」
「……ん、わかった」
思いのほか優しい言葉が返ってきて、私はつい頬をポリポリ掻く。
「――ゼッケン番号43番の方、順番です。使用する銃を持って、係員の元まで来てください――」
「あんた何番だっけ?」
テントの中で、サナが射撃場の方を見ながら聞いてくる。
「53番。でもなんか呼ばれる順番はランダムっぽいから、あとどれくらいかはわかんないや」
ふーんって気の抜けた返事が返ってきて、私はついサナの背中を叩いちゃった。
「いったい、何すんのよ!?」
「人に質問しといてそんな返事だからですー」
まあ正直に言うと、めんどくさいやつだよね。自分でもわかる。でもなんだかサナと話すと安心できてさ、今はもうしばらくサナと駄弁ってたかったんだもん。
「えーっと、暫定一位が……スミ? ああ、あのイノシシの帽子の人か。あの人が……150点の302点で、452点でトップ。二位が446点で、以下440、438、うんぬんかんぬん……」
競技中の簡単な点数は、特別に設置されたテレビに写されてる。ほんとだ、確かにスミさんが一位だ。それに今のところ、一位から五位まで全員、第一種目満点だし。やっぱり初弾5点なんて大失態犯した私には、優勝どころかランクインすら……
「あ、43番終わった。……218点か。第一種目合わせて、合計342点」
やっぱ50人もいたら、その性格はまちまちらしい。長い時間かけて正確に狙う人もいれば、数撃ちゃ当たる戦法でばかすか撃つ人もいる。その度画面のランキングは変動して、順位が下がったり動かなかったり、また下がったり。
だけどスミさんの一位だけは、私の番が来るまで、一度たりとも抜かれることはなかった。
「あの一位、結構やるじゃない。あの人もあんたの知り合いなんでしょ?」
「うん。スミさんは、私があの人と一緒に狩りをするとき、何度か同行していろいろ教えてくれたんだ。言わば、狩りの先生かな」
「射撃の先生ではないわけね」
……まあ、そうだね。あの人より射撃、特に息を潜めての狙撃が上手かった人は見たことない。スミさんだってあの人には及ばなかった。……本当に悔しいことだけど。
「俺が憎いんだろう? 俺を恨んでいるんだろう?」
「っ、誰!?」
聞こえてきた声に反応し、思わず椅子から立ち上がる。だけどどれだけ辺りを見回しても、周りには驚いて私を見る人しかいない。声の主は、どこにも見つからない。
もっとも、私は心のどこかで、見つかるとは思ってなかったかもしれない。それでも探しちゃうのは、きっと私の悪い癖。
「ちょっと、あんたどうしたのよさっきから。また声ってやつでも聞こえたの?」
「うん。でもやっぱり、私の気のせいみたい」
サナのことを心配させたくないから、そう言ってなんとか笑って見せる。ただでさえ不安そうな顔させてるんだ、これ以上心配かけさせられないよ。
「……だったらいいけど、具合悪かったら言いなさいよ?」
「サナ知ってる? そーゆーの過保護って言うんだよ」
もれなく脳天にチョップを食らって、私はテーブルに顔を埋めた。…………うん、大丈夫。私はまだ平気。
「ヒカリ、あんた呼ばれてるわよ。53番でしょ?」
不意にサナの声が、私の頭の中に恐ろしいくらい鮮明に入り込んできた。驚いて顔を上げると、変に痛む額に気付く。
「はれっ、もしかして寝てた?」
「さあ。っても突っ伏してたの、10分くらいよ」
まさか、こんなところで眠るとは……自分のことながら信じられない。
「あっ、で、なんだっけ? 呼ばれてる?」
「だから、次あんたの番だってば!」
口端にたまってたよだれを拭いて、慌てて相棒のスリングを右肩に通す。とりあえずMSRさえ持てば平気なはずっ! あとは適当にぽっけに入れて……
「ごめんありがと、行ってくる!」
大慌てでテントを出て、射撃場の入り口に向かう。って言ってもテントは射撃場の横に設置してあるから、決して遠い距離ではないけどね。人を待たせるのって気分良くないからさ。
「ごめんなさいっ、53番です!」
係員のいる射座に入って銃を置き、ポケットから色々と取り出す。大会の書類に、予備の弾薬に、ハンドサイズのカイロ。この時期はカイロがないと、手がかじかんじゃってしょうがないんだから。
「……大丈夫ですか?」
「はい、すいませんお待たせして。お願いします」
あたふたしてた私を見て、係官が腕時計をちらりと見る。うー、そういう仕草って結構気になるんだよね。
「それでは、第二種目について再度説明いたします。今回狙う的は、この射座からランダムに配置された5つのベルです。当たるまではどれだけ狙っても、どれだけ撃ってもかまいません。
ですが競技開始の瞬間から、私がタイマーとカウンターで時刻と消費弾数を数えていきます。5つすべてのベルに命中しましたら、計測終了。
時間と弾数をかけ、それを10で割ったものを350から引いたものが、あなたの得点になります。300点以上を目指すなら、目安として遅くとも100秒以内での全弾必中が求められます」
まあ要するに、早く狙って尚且つ外すなってことだ。なんだ、それこそレジスタンスでの作戦と求められてることは変わんないや。
「それでは始めます。3、2……」
第二種目は口での説明が長いけど、実際には思ったより簡単そうだ。でも、念のためにスペアのマガジンを……
……え、あれ、予備のマガジンは? 弾しかないよ?
「1、スタート!」
またしても間の抜けたホーンが鳴って、私はリロードする手段を失ったまま、射撃を始めなきゃいけなくなってしまった。
大丈夫、落ち着こ? こんなの訓練でいつもやってることだよ。今日はいつもより時間が気になるだけで、いつもより的が小さいだけ。
ほら、いつも通りスコープを覗いて、的を見て。……ん? もしかして、あの台に貼られた呼び鈴が的? 完全に側面しか見えないけど、あれが的ってことで良いの!?
今更ながらに、私はこの競技会に参加する人たちのレベルが非常に高いことがわかった。まさか一般人があんな的を狙えるとは……
最初の的は目測で大体150mだ。300mでゼロインされたスコープはいじらずに、クロスヘアを呼び鈴より気持ち下に下げて、息を吐きつつ引き金を引いた。呼び鈴の音は銃声に掻き消されてまったく聞こえなかったけど、その横で『〇』って書かれた札が勝手に立ち上がったのを見ると、多分おっけーなんだと思う。多分。
次は……あった、丁度300mだ。何も考える必要のない、一番楽な狙撃。ただ十字線のクロスヘアを的に合わせて、引き金を引くだけなんだから。
「60」
このままの勢いで3つ、4つ目のベルも鳴らし、経過時間は係官によると1分くらいらしい。私の横には、無造作に転がった薬莢が4つ転がってる。このまま最後も外さなければ、もしかして一気に一位に行けるんじゃ……?
いやいや、変なことは考えないで、集中集中。
「70」
うーん……やっぱ今日はなんか変だな。さっきからずっと集中できてない、余計なことばっか考えちゃってる。そもそも最初の時点で「いつも通り」なんて考えてる時点でいつも通りじゃないし!
「75」
うーーん……私が集中できてないのもそうなんだけど……最後の呼び鈴、どこ?影も形もないんだけど、設置し忘れてたりしない? しないか。
「80」
やばいやばい、まじで呼び鈴どこにあんの!? まさか1km以上先に離れてるなんてないよね、そこはノーマークだよ!
「85」
……ない、ないよ。最後の一個がどうしても見つかんない。
狙撃銃を動かして一生懸命的を探す私の左目に、抜けたまつ毛か何かが触れて凄い痒い。焦る自分を落ち着けるためにも左手を銃から離して、左目を思う存分掻こうと思った。
そこで気が付いた。私はずっと左目を閉じてたことに。そして、最後のパンくずは私の目の前にあったことに。
「……あっ」
いつもの癖で閉じてしまった左目を開くと、途端に呼び鈴が出現した。私はずっと100mから700mくらいの距離を必死に探しては無い無い言ってたけど、そもそも見つかるはずがなかったんだ。
最後の的は、50mって書かれた台の真横に置かれてたんだから。
自分の間抜けっぷりに呆れて、引き金に指を添えて思わず口を開く。
「ほんとバカ。もっと集中しなきゃね」
「ヒカリは集中力が高いからな」
「っ!!」
三度聞こえたその声。轟く銃声にも紛れずはっきりと聞こえたその声に、私は聞き覚えがあった。嫌な予感が的中した時の、あの気持ち悪い感じ。
それはかつて私にレジスタンスという居場所を与えてくれた人で、私に銃を与えてくれた人で、そして、私から心を奪った人。
思い出してしまう。向けられた銃口に吸い込まれるような感覚を。手足の冷えるあの雨を。
「……どうして、今更あんたの声が……ねえ、シンジさん。あんたなんでしょ?」
名前を呼ぶだけで、一際強い鼓動が私を苦しめる。なんで、どうして突然声が聞こえるのさ。もう、わけわかんないよ……
ただ茫然と目の前を見つめる。銃口から立ち込める僅かな煙が、青空に浮かぶ雲へ吸い込まれていくようだった。