別れ
元のサブタイは「Suo o Glinka notturno」です。彼あるいはグリンカの夜想曲
3年前の出来事がなければ、私は……うん、こうやって軍と戦うことはなかったと思う。って言っても、サナの期待できるような、劇的でドラマティックな出来事なんてないよ。
だけどそれでも聞きたいなら……いいよ。
サナは覚えてる? シンジさんがいなくなった3年前のあの日は、私がシンジさんと二人で銃の練習をしてたの。狩りの練習だなんて言われてね。
私は伯父を……引いては軍人をスコープの先の瓶に見立てて、引金を絞った。私の澱のようなものが、瓶を割る度に発散されてく。私の心が、狩りをする度に満たされてく。
銃の練習に人一倍のめり込んでたのはそれもあるけど……恥ずかしい話、シンジさんと二人っきりで居られるのが嬉しかったの。
その日は午前中清々しいほどの快晴で、私はシンジさんのMSRを使った練習にもしっかり慣れてきた頃だった。
「こらこら、左目は瞑っちゃ駄目だ。ヒカリは集中力が高いから、狙撃に集中しすぎて周りが見えなくなるからな」
14歳の私にはまだ大きかったMSRを一生懸命操って、左目が閉じないように瓶に照準を合わせた。
「おっ、これで5射連続命中だな。マガジンリリースはトリガーガードの内側……そう、そこを押してマガジンを引き抜くんだ。もうしっかり自分のものにできてるな、凄いぞヒカリ」
シンジさんに褒められて嬉しかった私は、空に猛烈な勢いで広がっていく暗雲に気が付かなかった。それで、片付けをしてる最中に突然雨粒が手に落ちてきたの。
「シンジさん、雨、雨が……」
「ああ……はやく帰ろう」
雨は嫌なことを思い出すから、嫌いだったの。っていうか、今も嫌いだけどね。
それからはサナも知ってるでしょ? 秘密基地に戻って、私もサナ達と一緒にテレビを見て……
「全員聞け。俺はこれから敵になる」
シンジさんが、なんでもないようにさらりと言い放った。私達はまた新しい遊びか何かだと思って、ハンドガンとボタンみたいのを持ってるシンジさんを見た。だから、まさか本当にハンドガンを天井に向けて2発撃つとは思ってなかった。
「シンジさん、どうしたの!?」
シンジさんは答えてくれないで、代わりにボタンを押して、洋館から出ていったの。
「ちょっと兄さん、どこ行くんだよ! 敵になるってなんだよ!」
「シンジさん、そのボタンは何? ねえシンジさん……」
「――番組の最中ですが、特別ニュースを報道します。たった今、反政府を掲げた市民デモの中心で、爆発が発生しました。こちらが現在の現場の状況です。死傷者は未だ不明で……――」
アニメがニュースに切り替わって、爆発によって散り散りに逃げる人達が上空から映し出される。そこで私達は、シンジさんが爆弾を起爆させたことがわかったんだよね。
「それから私達は、雨を嫌がるヒカリを残して、5人でシンジを探しに行ったわ」
落ち着きを取り戻した二人は――特にサナは――多少の気恥ずかしさを隠しつつ、目の前にその時を思い浮かべるようにしてぽつりぽつりと口を開く。
「だけど私が戻ったら、ヒカリがいなくなってたの」
「そう。私は雨が嫌だったけど、それ以上にシンジさんに、皆に置いていかれるのが嫌だった。だから探しに行ったの」
そこまで言って、不意に言葉が途切れる。聞いているサナは、黙って続きを待った。
「……ここから先は、詳しいことは誰にも話してない。勿論、サクさんにも。だから、これを話すのはサナが初めてなの。聞いてくれる?」
サナは口を開く代わりに、ゆっくりと、大きく首を縦に振った。
「あいつ、何も悪くない人を爆弾で……! 皆、捜しに行こう! ヒカリは待ってろよ!」
コウが怒りを露わに、洋館の扉を荒々しく開けて飛び出してった。それに皆が付いていっちゃって、広いエントランスに私はたった1人残された。
「待ってよ……シンジさん、サナも、コウ、ミズキ、シュン、サクさん……私を置いて、行かないでよ……」
私は意を決して、勢いの増した雨の中に飛び出したの。
だけど私には、皆が何処に行ったのか全然分かんない。近くを走りまわって探しても、爆発音や遠くで見える黒煙に誘われた野次馬のせいで全然見つかんない。
そこで立ち止まった私は、シンジさんがMSRの片付けをするときに、替えの銃身をしまい忘れてたことを思い出したの。本当は支度をするときにはわかってたんだけど、雨が降ってきたせいで忘れてた。
その時はもう、靴下も、洋服も、顔もぐちゃぐちゃで、手先が冷えるなんてもんじゃなかった。手足は震えるし、涙は出てくるし、思い出したくないことはフラッシュバックするし……でも、それ以上に一人ぼっちが怖かった。だから、私達がいつも練習してる、街の郊外まで必死に走った。
シンジさんは、そこにいたの。銃を置く台に腰掛けて、遠くの煙を見詰めてた。
「シンジさん!!」
私に気付いたシンジさんはとっても驚いて、酷く哀しそうな顔をしてた。
「……なんでここにいると思ったんだ?」
「シンジさんが、銃の部品を忘れてることを、思い出して……」
膝に手をついて息を整えながら、シンジさんに近づいていった。
「……最後にここに来るからって、楽をしない方が良かったか」
「――おいシンジ、まだか? あまり待たせてくれるな、雨が冷たい――」
台の上に置いてあった無線機から、知らない男の人の声が聞こえてくる。その声が、私にはすごく怖かったんだ。
「悪い、もう行く。いつでも発てる準備をしておけ」
シンジさんが本気でいなくなろうとしてる。また私の前から消えようとしてる。そう感じた私は、シンジさんが無線を終える前に何度も何度も叫んだ。シンジさん、シンジさんって。
「――お前、ガキが近くにいるのか? まさか、お前……――」
「違う、何の関係もない子供だ。安心しろ」
「――だったら早く来い。それとも来れない理由があんのか?――」
無線を下ろしてから舌打ちをするシンジさんは、それまで私が見つめてきたシンジさんとは全然違った。それが怖くて、そしてシンジさんがいなくなるのも怖くて。
もう何もかもが怖くて、私は無我夢中で拳銃をシンジさんに向けた。
「……なんでそんなものを持ってきてるんだ」
「シンジさんが、軍隊の人に、脅されてたら、守ってあげようと思って……お願い! いなくなんないで!! シンジさんがいなくなったら……」
保管されてた銃を持ちだして、それをシンジさんに向けたの。シンジさんに習ったように照準を付けようとするけど、がたがた震えて全然狙いが定まらない。それに……
「俺は敵になるって言ったよな。敵に武器を……刃を向けるってことがどういうことか、ヒカリ、お前はよく知ってるだろ?」
シンジさんは、背中に背負ってたMSRを私に向けた。
「思い出せヒカリ、お前の伯父さんを。お前が隠し持った武器は、同時にお前を傷つける武器にもなる。銃を向けたら、自分も銃を向けられるんだ」
そう言ってから溜息をついて、「俺が態々今日を選んだのも、雨が降るからだ。それなのに、どうしてよりによってお前が……」
そうやってMSRを構えて、私の頭に狙いをつけてた。
14歳の私は、距離が近いと狙撃銃は不利だ、とか考える余裕はなかった。ただ、大きくて重い殺意を、私も知ってるあの破壊力を私に向けてるっていう事実が怖かった。
「なあヒカリ。ヒカリがいつも俺のことを見てたのは知ってたよ。俺のことを慕ってくれてたことも。だからこそ、こうしなきゃならないんだ。俺を恨め。お前たちを裏切り、軍に身を売り、何の罪もない人々を殺し……今お前に銃を向けてる俺を恨め」
私にも、その言葉が無機質だと感じることが出来た。冷たくて、なんの味もしなくて、なんの感情も感じ取ることが出来ない。
「……だから俺は、お前にだけは付いてきて欲しくなかったんだ」
レンズに光が反射して、シンジさんは左手で無線機を強く握りながら引金を引いた。
銃弾は私の右頬を掠って、遥か後方に逸れた。
「――……お前、別に撃たなくても……――」
「俺は本気だ。これはその意思表示だ、心しておけ。これから行く」
無線機をしまってから、シンジさんは私の目を真っ直ぐに見詰めてきた。
「……次会う時は、安全装置をしっかり外せ」
シンジさんは背を向けた。私はその背中に銃を向けて……銃を捨てて手を伸ばそうとした。だけど足がぬかるんだ泥に取られて、前のめりに倒れた。
そこから立ち上がる力もなくて、手を伸ばす力もなくて、何度も何度も、私は地面を叩いた。悲しいとか、悔しいとか、怖いだとか……シンジさんに銃を向けられた寂しさとか、自分の無力とか、憎いとか、寒いとか、手が痛いだとか……もっともっと沢山感じたことはあったけど、そんな感情が一気に私を責め立ててきて、私は泥に塗れて泣いた。
「もうそれからは知ってるでしょ? 私はサナ達に洋館まで運ばれて、何故かシンジさんはMSRを置いていった」
「それから、私達は軍に対する攻撃を始めた……」
サナはゆっくりと大きく息を吸い込んで、それを溜息に換算して吐き出す。
「……わかった、教えてくれてありがと」
優しく微笑み、そう言うのが精一杯だった。その笑みが、再度湧き上がってきた疑念や怒りで出来ていたことは、この薄闇の中で、ヒカリに伝わってしまったろうか。サナはそれだけが心配だった。