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彼女のラプソディ


「あー楽しかった。久しぶりに2割の力を解放しちゃったよ」


「一体あんたは何者よ。お陰で布団がぐしゃぐしゃになって、直さなきゃいけなかったんだから……」


 枕投げの結果母親に怒られた二人は、頭をさすりながら布団を直した。くしゃくしゃになった枕をたたいて、中の綿の偏りを戻す。



「いやー怒られた、怒られちゃったねー」


 そう独り言ちるように呟くが、その顔はどこか嬉しそうだ。




 サナがベッドから手を伸ばし、ピッとリモコンを押す音が響いて部屋が真っ暗になる。もうあとは寝るだけ、電気を消すのは当たり前だった。


「わっ、真っ暗……ごめん、やっぱり豆だけ付けてもらってもいいかな」


「えぇー? んまあいいけどさ」


 オレンジ色の仄かな明かりが灯った部屋、部屋中央の布団にはヒカリが潜っていた。サナは「私が布団で寝るから!」と主張していたが、最後はヒカリにベッドへと押し込まれてしまった。









「サナ、覚えてる? 昔はこの布団で二人一緒に寝てたこと。今じゃ私一人でもちっちゃいよ」


 足なんて飛び出してるし。そう言って右足を高々と上げて、落ちてきた布団を顔に被る。


「そりゃそうよ、もう何年前のことよ」



「……もう7年前かな。……その、この家に来た時から」



 サナが体を動かしてヒカリの方へ向く。だが、肝心のヒカリの顔はよく見えなかった。




「7年前に、私がお父さんとお母さんに頼んで、ヒカリを住まわせてもらったのよね」


 懐かしき思い出に浸り、僅かに頬を綻ばせる。その笑顔がヒカリに見えることはなかったが……却ってそのほうが良かっただろう。



「本当に、今考えても迷惑だったろうな……二人とも全身びしょびしょで、私なんか血塗れのナイフと返り血で真っ赤で。ただの人殺しだった私を匿まわせちゃって。迷惑なんて言葉じゃ足りないよ……」


 どこか投げやりなような、自嘲気味のような、突き放すような口調。



「迷惑だと思ってたら、家に上げてくれるわけないじゃない。通報して終わりよ。……まだ私達を信用できない?」


「信用してないとか、そういう話じゃないよ……私を受け入れてくれてるのはわかってるし、とっても嬉しい。頭があがんないくらいね。これが私の本心」



 それはヒカリの本当の気持だった。そこに偽りはない。嘘など言っていない。



 それでも。



「それだけが全て、でもないくせに」


「……」


 沈黙が、その場を肯ずる。











「……それじゃあさ、心も開いてくれる?」



 出し抜けにサナが体を起こし、顔の見えないヒカリを見詰める。





「……何言ってるのサナ、心を開くって。そんな気恥しいこと、よく……」


「あんたの心の中で燻ってることを、私に話してよ。あんたが気に病んでることを、私に教えてよ。

 自分で思ってるより、私達はあんたの寂しそうな顔を知ってる。あんたが思ってるより、私達はっ……私たちは、あんたに冷たくないよ」


 悲しそうに、寂しそうに。悲痛な叫びが、心を抉る。感情的にならぬよう抑えられたサナの言葉が、ヒカリの心を苦しめる。感情のままあらゆる言葉を投げかけられた方が、どれだけ楽だったか。


 怒鳴られるだけなら、謝り通せばいったんは収束を迎える。泣き崩れるように詰問されたのだったなら、抱きしめて背中でもさすってやれば落ち着く。だが冷静なまま問い掛けられてしまったら、それと向き合うしかない。






「私は、そんなこと思ってないよ。皆が私に優しく接してくれてることは分かってる」


 その優しさはきちんと伝わってるよ。だから大丈夫。ヒカリは本気でそう答えた。


「なにが『わかってる』よ、ふざけないで。誰もあんたなんかに優しく接してない。私たちは一度たりとも、あんたのためにわざと優しくしたことなんてない」


「……嘘つき。皆が私のことを気にかけてくれてる分、私はみんなのことを見てる。サナのそれが嘘だってことぐらいわかるよ」


 自分のことを説得するために咄嗟に出た嘘だと思った。だから、何も考えないで反論した。






「だったら、私たちがどれだけあんたを想ってるかもわかってるわよね? あんたが私たちに気を配ってくれるから、私たちはあんたを気にかけてるの。

 言葉遊びだって思ってもいいけど、でもそれがあんたの思ってる、私たちの『優しさ』の正体よ」


 サナのおもわぬ反論を受け、言葉に詰まる。



「っ……どうしたのさ、突然。あれ? 昼間、私がサクさんに連絡し終わっても皆のとこに戻んなかったから怒ってるの? そんな、理性的に諭すなんてらしくないよ。サナのくせに」


 サナのくせに。その言葉が薄闇において、異様なほど反響する。その攻撃的な言葉は、ヒカリの心に余裕が消えたことを意味するのだろうか。


「そういうあんたこそ、随分感情的に言い返すじゃない。そうやってもっと私に感情をぶつけなさいよ。もっと『あんた』をぶつけてきなさいよ!」




 言葉こそきついが、口調はむしろ、泣き出しそうな子供のそれだった。闇が邪魔をして、ヒカリにはサナの顔が見えない。泣いているのか、怒っているのか、呆れているのか、哀しんでいるのか。それが、それこそが、ヒカリには……


「…………私には、怖いの」






「……怖い?」






「私には、知り合いの考えてることは大体わかるの。普段サナたちが私を見る目に、ほんの僅かに同情の念があることも、私があの狙撃銃を使ってることをサクさんが良く思ってないことも、サナが私のためにどれだけ気苦労を重ねてるかも。そして、みんなが私に本心から優しくしてくれてることも。それが、私には……私には、耐えられないくらい、怖いの。気が狂いそうなくらい怖いの。……ううん、怖くて、気が狂っちゃったの」


「何言ってんのよ、そんな、こと」


「ないって、サナに言える? 私の気が確かだって自信を持って言えるの? サナにリーダーの考えが理解できる? シュンの優しさが、コウの悲しみが、ミズキの強さが……私の心が、理解できる?」


「……」


「わかってる、こんなこと言われても返事に困るよね。私達は別の人間であって、その誰もが、誰の心も理解できない」


「でも、あんたは大体わかるって言ってたじゃない」


「うん、わかる。私、人の様子を窺うことだけなら、誰にも負けない自信あるから。だから、みんなが私を受け入れてくれてるのは、苦しいくらいわかってる」


「だったら……」


「でもね。でも、受け入れられてるのはヒカリなんだよ。ヒカリであって、『私』ではないの」


「え……?」


「ヒカリは皆が大好きで、でもそれが皆に伝えられない照れ屋さんで、臆病で、ただ笑っていられる時間が好きで、毒なんか吐かない優しい子。でも、私はどう? 私は、たった一日話しただけの人ですら仲間だと思い込むちょろい奴で、友達にも平気で嘘をつく奴で、こんな汚い言葉を使う人間で、嫌われないためだけに、自分のためだけに自分を偽る人間。時折自分が抑えられずに友達の前で落ち込んだりして、心配かけるような面倒な人間なの」


「ヒカリ……」


「いつだって、今だって、友達に嫌われないか一生懸命。顔色を窺って、当たり障りのない意見で私を濁して、何人もの私を殺してきた。

 私は皆に救われた、助けられてしまったヒカリでなくてはいけなくて、私になってはいけなくて、でも頼りっぱなしで嫌われてもいけなくて、迷惑をかける自分が嫌いで、細かいことで自分を嫌いになる自分が嫌い。今もこうやって自分を止めることができなくて、そんな自分を誹る自分が生まれて、いつか、こうやってありのままを喋りたいと思う自分を殺すようになって。

 私にすらわからない自分のことが、サナにわかる? 自分ですら止められない心が、狂ってないって言える? ……みんなが、受け入れてくれるって、わかる? 本当の私を晒して、そしてそれが拒絶されて、みんなを失ったら……そんなことを考えるだけで、頭の中が怖いって感情でいっぱいになるの」











 ヒカリが目元を擦るのが、サナになんとなく見える。それらすべてはきっと、ヒカリの心の奥底に、恐らくはサナに助けられた7年前から溜まり続けた澱。きっと、誰の目にも止まることのない奥深くで、誰にも気を休めることなく、毎日を臆病に過ごしていたのだろう。



 アイなんかが聞いていれば、大いに顔を陰らせて長期的な安静を言いつけただろう。その判断が正しいことは誰の目から見てもわかる。それでもサナには、ヒカリの心がどうしてもそんな重たいものには見えなかった。










「そんなの、ただの馬鹿じゃない」







 だから、目の前に折り重なった思いを全て吹き飛ばすように、浮かんだ言葉を言い放った。






「誰にだって裏の顔ってもんがあって、周りの人がそれを受け入れてくれるか自信がなくて、だからみんな隠して生きてる。私にだって、あんたの知らない一面はある。でもそれがおかしいことだなんて思わない。

 あんたは誰よりも感受性が高い。他人の心の機微がわかるくらいに。それは否定しないわ。でもさ、仮に人の心がなんとなくわかったとしても、あんたがそれを全部受け止める必要はあるの? 他の人のためにあんたがずっと我慢して、やりたくもないことやって、結果あんたが一番嫌な思いして。そんなの、馬鹿以外の何物でもないじゃない。そうでしょ?」


 徐々に吐息が荒く、口調も乱暴になる。だが、サナの中でここはどうしても退けない部分だったのだろう。


 ――この7年、言いたくても言えないことがあったのはお互い様よ。


「あんたの我慢が『そうしたいから』なら結構、『そうしなきゃ傷つけるから』なんてのがあんた自身を一番傷つけてるってことくらい、冷静になって考えたらわかるわよね! それもわかんないくらいの馬鹿じゃないでしょ!? あんたは一人の人間よ、他人を助けたいなんて思うのなら、何よりもまず自分自身を大事にしてからにしなさいよ!

 それに、あんたの『私』だの『ヒカリ』だのって話は、結局私の目の前にいる人間の一面でしかないじゃない!? 私達、何年の付き合いだと思ってんのよ。人をコケにするのも大概にしてっ!!」


「……そうだけど、でもサナも皆も、こんな性格した奴のことなんて」



 ヒカリの頬を、強烈な痛みが襲う。しばらくたって、荒い呼吸が聞こえることに気付く。頬は赤く熱を帯び、サナの右手はジンジンと痛む。頭を叩かれたり、背中を軽く小突かれたことはある。襟を掴まれたり、腹を蹴られたこともある。だが、頬を本気の平手で打たれたことは、ヒカリの人生でただの一度たりとも経験したことはなかった。


「私は『ヒカリ』とも『私』とやらとも話してないっ! 今目の前にいる、あんたと話してんのよっ!! ほかの誰でもない、あんたの言葉で話せっ!!」




 本気の平手。本気の怒号。そのあまりの剣幕に、他でもないサナ自身が驚いていた。それでも、言った言葉は撤回できない。何より、本心からの言葉を偽ることなど、サナにはできなかった。





「……今言ったことは、うん、全部、私の気持ちだよ。嫌われたくないっていうのも、皆と離れたくないっていうのも。ぜんぶ、ぜんぶ、私の心なんだよ……?」


 そう言葉を並べるヒカリを見ていると、サナは心が苦しくなった。


 ――今もまた、「私に嫌われた」とか思って心をベこべこに潰そうとしてるんでしょ? わかってるわよ、友達だもん。


「だから、皆に嫌われないためには、嫌われない私になるしかないじゃん……」


 サナはその声に聞き覚えがあった。涙が零れるのを耐えるため震える声。7年前の子供たちの声。その感傷が彼女を落ち着かせる。




「本当にそう思ってるの? 従順な子以外は嫌われるって? 優しさとか、心遣いだとか、そういう甘ったるい感情以外をぶつけたら、友達じゃなくなるって? ……馬鹿にするんじゃないわよ、じゃあ私があんたにそれ以外の感情をぶつけたことはない? 私のあんたに対する態度は、そんなアリの集りそうなもんだった?」


「……ううん」


 鼻を啜り、首を横に振る。少々可哀そうな気もしてきたが、ヒカリのことだ、全力でぶつからなければ、きっと明日にはけろっといつものヒカリに戻ってしまう。内にも外にも棘のついた、その甲羅の中に戻ってしまう。


「だったら、あんたが私に怒鳴ろうと、泣き付こうと、嫌おうと、好こうと、その程度で今更友達の縁が切れるわけないでしょ。あんたは友達が大事だとか言いながら、誰よりも友達を馬鹿にしてんのよ」


 そう言いつつ、一体いつからヒカリはこんな風になってしまったか、ふと思考を巡らせてみた。






「あんた、一体何があったの? どうしてそうなっちゃったのよ。ちっちゃかった頃は、もっと自分の思いだとかを私たちにぶつけてきてくれたじゃない。

 ……ううん、何があったのっていうより、誰のせい? 誰があんたに、あんたの心を偽らせて、細かく砕いちゃったの?  ヒカリの両親? あの伯父? それとも、シンジ?」



 サナが人物を羅列していき、最後の名を上げた瞬間にヒカリの腕の動きは止まった。それは、レジスタンスを……ヒカリを裏切った名。




「私達は、ヒカリとシンジが最後にどうしたのかを知らない。ヒカリがなんで泣いてたのかも、どうしてシンジがいなくなったのかも。それがあなたに影響してるなら、私はそれを聞きたい。

 大丈夫、誰もあんたの話を不幸自慢だって笑ったりしない。だって実際に不幸なんだから」

 サナなりの思い遣りを込めた言葉を受けて尚、ヒカリの口は中々開かなかった。言葉が浮かんではいるものの、口から先に飛ばす勇気がないような。


 ――どうしても無理なら……


 しかし、サナがそう言うより僅かに早く、ヒカリの口からは3年前の情景が言葉になって紡がれた。








彼女たちの本筋は闘争の物語かもしれませんが、だからといってその心の描写を蔑ろにすることは、自分にはどうしても出来ないのです。

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