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affabile





「ねえ、シュン」


「ん?」


 政府軍の新兵器についての話し合いも一段落終え、二人は工作室にいた。火薬の匂いが部屋に籠っているようで、ミズキは閉め切られていた扉と窓を開け放つ。強烈な西日と共に、肌寒い風がミズキの頬を撫でた。


「明日、孤児院に行こうと思う」


「ああ、明日は僕たちも完全に休みだからね。久しぶりにお母さん(・・・・)に会いに行ってみよっか」



 机の上の黒ずんだ工具をしまい、シュンはジャケットの上着を脱ぐ。機械に巻き込まれないよう、工作室に用があるときはいつもこのくたびれたジャケットを着用していた。


「その前に、おもちゃ屋にも行きたい」


「そうだね、トイカーでも買ってこっか」


 火薬を密閉容器に閉じ込め、機械の電源を落とす。



「ま、それも明日だね。今日はまだ半分残ってるけど、どうする?」


「特に。火器弾薬の帳簿でも合わせようかと思ってるくらい」


「……単純作業だから、確かに何も考えず出来るけどさ。二人でやって、ちゃちゃっと終わらせよっか」


「ありがと」



 シュンの素朴な優しさに感謝を告げ、ミズキは部屋の電気を消した。








「おい、今何時だ」


「……19:00、午後7時であります!」


「5時間探して何の痕跡も発見できないか……」



 フラー回廊、森の入り口で、30人の隊員と共に小隊長が頭を抱えていた。


「まあ、そうだよな。こんな広い森だ、一個小隊で何ができるって話だ。そもそも、我々の部隊が出張る必要があるとも思えないしな」


「申し訳ありません。野生生物以外の気配は見つかりませんでした」


「ほうかほうか、ならば下がって良し。報告書を上げれば、上層部も考えを改めるだろう……これより各隊は野営準備をせよ」





 隊員を散らせると、小隊長は先頭車両のボンネットに広げられた地図を見やった。フラー回廊を拡大コピーした地図には大きな赤丸が書き足されており、今ここに小さな青丸も書き加えられた。



「5時間でこのペースだ、我々だけじゃ、半月はかかるな……」


 彼の上司から伝えられた作戦は『パルチザン防衛の任を一時解き、失踪した部隊を発見せよ』というものだった。それを何も発見できずに戻った場合、白眼視されるのは目に見えている。


「そもそも、たった一個小隊にこの回廊はでかすぎるだろうに……」


 周りに部下がいないのを確認してから、静かに嘆息する。誰かにこんな愚痴を聞かれたら、たちまち政治将校やらなんやらが詰めかけてきて、人差指を突きつけてくるようになる。

 そのことを思って、彼は再び嘆息した。




「小隊長!」


「ん、なんだアズマ准尉、どうした」


 ひとしきり溜息をつき終えた小隊長は、野営準備を終えた隊から接近してきたアズマをまじまじと見た。


「意見具申させていただきたいと思います!」


「構わないぞ、楽に話せ」


 アズマは両手を腰の後ろに回してから、地図に近づいた。


「……やっぱあったか」


「何がだ?」


「地図のここにある点、これは一種の村か村落の様なものではないでしょうか?」


 あまり解像度の高くない航空写真で作られた地図には、アズマの指す通り、森の中に一点だけ木が人工的に切り開かれたような場所があった。


「村か……ここら辺にそのようなものがあるという報告は特に上がっていないが、確かに改めて確認すると不自然な開豁地(かいかつち)のように見えるな。……よし、明日はここを偵察しよう。だがこの森は広い、全員で行くのは得策じゃない。君達の班で任せられるか?」


「任せてください」


 そう言って下がろうとするアズマを、小隊長は止めた。




「アズマ、お前なんで村があるって知ってたんだ?」


 その質問に、アズマはポケットからアクセサリを取り出した。


「先程の山狩りの際に、これが落ちていたんです」


「これは……バレッタか」


 そこで小隊長は、アズマが不思議そうな顔をしたことに気付いた。


「どうしたアズマ?」


「いえ……よく名前を存じ上げているな、と。恥ずかしながら、ただの髪飾り程度にしか思っていなかったもので……」


 ファッションに疎いアズマは、バレッタを女性が髪につけるやつとしか認識していなかった。


「娘がいるんだよ、よくバレッタだの、シュシュだのと言ってたからな」


「ああ……成程」


 小隊長は「そんなことどうでもいい」といわんばかりの目をアズマに向けた。




「お前、なんでこれをさっき出さなかったんだ?」


 そこには僅かながらの非難の色を内包した疑念が浮かんでいて、その目に睨まれたアズマは物怖じしそうになる。


今し方地図を確認するまで、この周辺に居住地があるかどうか、確証を得られなかったので。ここに遊びに来たやんちゃ少女のものだと断定されないよう、敢えてタイミングを図らせていただきました」


「やんちゃ少女って……こんな森を駆けまわる女の子はいないだろう」


「いえ、知り合いに……あー、友人の娘に、東西南北自由に駆け回っては辺りを掻き乱していく娘がいまして。風の噂によりますと、空軍基地に入り浸ってる少女もいるらしいですし」


 驚きに眉を吊り上げた小隊長から、自分を疑う事をやめたようだとアズマは理解した。


「なるほどな……呼び止めてすまないな、戻って良いぞ」


「はっ」



 ――流石にお前のじゃねえよな……


 少女の姿にバレッタをつけた姿を想像し、似合わないからありえないと断定したせいでタイミングが遅れました、なんて言えないアズマは、頭をぶんぶんと振り回した。





















 オレンジの炎をちらつかせ、石油ストーブが音を出しながら熱を排する。だが今日は普段より静かだ。熱を出す人間が4人もいるからだろうか。


「さ、食べ終わった皿は台所へ持っていって頂戴」


 テーブルからてきぱきと空いた皿を片づけるのは、母親とヒカリ。



「やっぱり母さんの作るシチューは美味かったな」


 そうやってテーブルで格好を崩しているのは、父親とサナ。



「サナ、食べたの持ってきて」


「はいはーい、持ってきますよー、もすこししたらー」


 ――ダメだ、脱力しきってる……


 サナの説得を諦めたヒカリは、二人の前に置いてある皿を回収した。サラダや蒸した魚の皿はそうでもないが、茄子のトマトソース炒めなんかは汚れがしつこいだろう。


 それらを水を溜めた容器の中に沈めてから、腕まくりをして洗い物に向き合う。ただ、まだ冷たい水に手を付けるのは早いだろう。そう自分に言い訳をして、ヒカリは汚れたフライパンを手に取った。




「こらこら、ヒカリは先にお風呂入っちゃいなさい」


 だが、覚悟を決めいざ手を付けようという時に突然、母親がヒカリに風呂に入ることを促した。


「え? でも、まだ洗い物が残ってますし……こほん、残ってるし、これを先に片づけた方が……」


「いいのいいの、こんなん私がやっちゃうから。湯船に浸かって、たまにはゆっくり休みなさい」


「でも、洗い物はいつも私の……」


 そこまで言ってから、相手に折れる気のないことを確認したヒカリは、素直に従うことにした。





「お邪魔しまーす……」


 誰もいない浴室に邪魔させていただいたヒカリは、シャワーを出して体を温めた。始めに冷たい水を遠くに出して、お湯を肩からかける。


 ――洗い物はいつも私の仕事だったんだけどなぁ……


 一人暮らしでは当然の事だが、それに加え、両親や伯父と暮らしている時でも、炊事洗濯等の家事一切は全てヒカリが自分一人でやっていた。


 特に伯父は家にいても家事はやらず、その殆どをヒカリに任せていた。出来が悪いとヒカリに手を上げたため、否が応(いやがおう)にも家事の腕は上達した。


 但し、例え出来が良くても手を上げないとは限らなかったが。




 ふと換気扇から風が入り込んで、ヒカリの肩を撫でた。ぴくりと肩を震わせてからシャワーを肩に掛けると、濡れそぼつ髪をシャンプーの泡で覆った。


 頭皮を包み込むように丹念に洗ってから水で流し、ついでに湯気で濁った鏡にもシャワーを掛ける。


 ――うわっ、くま出来てる。ストレスか、眼精疲労か、はたまた……


 鏡像をまじまじと見つめるヒカリの目元にはくまが広がっていて、思わず眉を寄せた。


「折角の美貌が台無しになっちゃうよ……」


 笑う人のいない冗談を何の気なしに口にし、手で桶を作って自分の顔に水をかける。



 ひとしきり洗髪が終わると、今度は立ち上がって体を洗い始めた。それも体全体が赤くなることさえ厭わず、ごしごしと擦って。


 泡を流すと、あまりに強く擦りすぎたため全身がひりひりした。それに耐えて泡を流し終え、暖かい浴室において尚も湯気を立ちこませる浴槽に、足先から静かに入水(にゅうすい)した。それから暫くして、ヒカリの珍しくだらけきった溜息が浴室内に木霊した。綺麗な天井を見上げ、ともすれば眠ってしまいそうなほど、蕩け切っている。








「ヒカリ? 私も入って良い?」


 顎を水面に浮かべるほどぽけ~としてたヒカリだったが、サナのこの言葉には異様なほど慌てた。


「えっ、入るって今!? ごめんちょっと待って、やめて!」


「……結局駄目ってこと?」


「そうそう、駄目駄目!」


「……そっか。ごめんごめん、急に来て。……でも考えてみたら、私とは一度も入ってくれないじゃない! それにヒカリ、慌て過ぎでしょ!」


 扉に微かに映るサナの影はそう言って、やがて見えなくなった。それがどうにも寂しそうに見えたヒカリは、無意識に自分の左腕を右手で掴んでいた。




















 オレンジ色の明かりが、玄関の傍に立つミズキ達の頭上で煌々と輝きを放っていた。炎と似た色合いは、洋館で過ごすもの全てに安心を与えている。もちろん、暖炉の炎のおかげもあるが。



「お姉ちゃんは帰らないのー?」


 母親と手を繋いだ女の子、カナが振り返って、サガラ一家とミドウの4人を見送るミズキに訊ねた。隣には当然シュンの姿もある。


「私はここに住んでるの。ここが家よ」


「えー、おふとんある? おねえちゃんのお母さんもいっしょにねてくれてる?」



 心配そうにミズキの顔を覗き込み、自分の母親を振り返る。無邪気に自分の身を案じるカナに、ミズキは顔を曇らせることなく答えた。


「一緒には寝てないわ。だけど、お母さんの人形があるから寂しくないの」


「じゃあじゃあ、こんどおねえちゃんのお人形見せて!」


 人形というフレーズにはしゃぐカナを見て微笑んだミズキは、「ちゃんとお母さんとお父さんの言うこと聞いて、良い子にしてたら、人形も会ってくれるわ。さあ、暗いから走ったりしないように帰って」と手を振った。



「やったー! おねえちゃん、おにいちゃんも、バイバイまた明日!」


 ミズキの後ろで、カウンターに座って静かにジュースを飲んでいたサクも手を振る。手をちぎれそうなほど振っていたカナは、母親に手を引かれて両開きのドアを潜り抜けていった。




「あの人形と今も一緒に寝てるの?」


「私達3人(・・)は、孤児院の頃からの仲でしょ」


 新品の瓶ジュースをミズキの方に持ち上げたシュンは、ミズキが受け取るのを待ってから再び自分のジュースを喉に流し込んだ。


「ありがと」


「どういたしまして」




 そこへ、再び玄関のドアが開く気配がした。(うなじ)を触れる風にミズキが振り返ると、玄関には靴の泥を落とす、ダンボール箱を抱えたコウがいた。


「コウ、お帰り。また八百屋のおじさんの所に行ってたの?」


「おおシュン、ミズキも。そうそう、おじさんの所で手伝いしてた。今日は沢山貰ったぞ!」


 そう言って箱を置くと、その重量を示すようにコウは疲れた両腕を振り回す。シュンが段ボールを覗いてみると、中には水の流れる隙間もないほど、大量の野菜が詰まっていた。


「どれどれ……ネギにキャベツに大根に」


「カブにニンジン、カリフラワーまである。……いつも思うけど、こんなに貰って大丈夫?」


 「平気平気、『この20年変わらない量を収穫してんのに、客足は10年前から遠のきやがった』なんて言ってたし、余裕あるんだろ。ただ、肉もくれっつったら頭はたかれたけどな」


 そう言ってコウは、カウンターの椅子にどっかりと座る。



「そういや、サナとヒカリは結局どこに行ったんだ?」


 野菜の土を落としていると、コウが思い出したように二人の所在を尋ねた。


「あの二人はサナの家にいるらしい。明後日までしっかりと休むよう伝えておいた」


「なんだ、それじゃあヒカリの特製鍋は明後日の夜だな」


 ヒカリの作る料理は美味しいからね、とシュンが同意する。



「そういえば、コウは家に帰らなくて良いの?」


 ――もう夜の8時を回ってるけど……。


「ああ? まだそんな時間か。俺はまだいいよ、今日は親父が帰ってきてやがるんだ」


 コウの父親嫌いは皆が知っていた。理由を詳しく訊いた事はなかったが、毛嫌いしているのは火を見るより明らかな程だった。



「そんなに親父さんが嫌いなのか?」


 サクが野菜を冷蔵庫に入れながら、嘆息しつつ尋ねる。


「……まあ、あの人は関わりたくない程度には嫌いっすね。あんな奴」


 そうやって忌々しげに吐き捨てる。




「そんなものなの? 私にはあまりわからない」


「僕も、あんまり想像できないや」


 ミズキとシュンが顔を合わせて「ねー」と同調する。



「待て待て、自虐ネタに走るな。孤児院出身の二人が言うと笑えねえから」


 冗談だとわかっていても対応に困っているのは、彼の人柄の良さ故か。



「寧ろ、そこで笑ってもらえない方がこちらとしては困っちゃうよ。それに、僕達は別に孤児だってことを気にしてないよ。ねえミズキ?」




 シュンとミズキは同時期に孤児院にやってきた子供だった。2人は16歳になった2年前からこの洋館に住んでいて、ヒカリが1人暮らしを始めたのもその影響からだった。この国では、保護者となる成人がいれば、孤児は16歳から院を出ることが出来る。21歳のサクは十分に保護者となり得た。




「シュンの言うとおり。本人が気にしていないのだから、そういう気遣いはいらない。私たちはそこまで他人行儀じゃないでしょ」


 2人とも、生みの親の事を怨むことは無かった。「親の愛を知らない」と嘆くこともなく、ただその事実を受け入れた。施設には成長した子供が入ってくることもあり、「親を知ることなく捨てられた自分達は幸せ」と考えることすらあった。




「……ああ、俺もそう思う。まったくもって、その通りだ」



 サクの言葉を最後に、4人は暫くの間黙る。その場に揺蕩(たゆた)うは土の匂いばかりで、浮かべるべく言葉は見当たらなかった。

















 ヒカリのボブカットの髪は、サナが風呂からあがる頃には乾かしきっていた。熱風の吹き付ける音に混ざって、サナが浴室の扉を開けた音が聞こえる。


「あら、あなた髪がボサボサじゃない。もっと綺麗に乾かしなさいな、ほら、貸してみなさい」


 ドライヤーから離れたヒカリを見て顔を顰めると、母親がちょいちょいと右手だけを動かし、ヒカリを鏡の前へ呼び寄せる。言われるがまま鏡の前で立ち止まると、ヒカリは「別にそんなことしなくても……」と唇を尖らせた。


 ――だって、身嗜(みだしな)みを気にしたところで、周りの人は気にしないし……それに、髪の毛も体もしっかりと洗ってるから別に……

 と胸で一人ごちるのは、自分の正当化か。




 母親は洗面所から櫛を持ってきて、ヒカリの髪を()いた。途中で何度も髪が絡まり、そのたびにヒカリの目には涙が溜まっていった。だが髪を梳る張本人は、良くあることと無下に切り捨てる。


「ごめんごめん、今のはちょっと痛かったかしら。もうちょっと我慢してねー」


「うん、“とっても”ちょっと痛かったな……」



 せめてもの抵抗として嫌味を言ったが、母親は柳に風、暖簾に腕押し、綺麗な髪に櫛。それでもヒカリは、この状況に居心地の良さを感じていた。




 ――この家でなら……この人たちにとって、私は“宝物”じゃないんだ。



 腫物扱いじゃない。虎の子としてでもない。一人の人間として、バカな子供として、認められつつ愛してくれるこの家が、ヒカリは心の底から好きだった。






 ――でも……でも、私は二人の子供じゃない。この家に住むことは、私にはできない。



 サナあたりが聞けば、訳が分からないといった表情で「なんで?」と尋ねることだろう。本人が気にしていることなど、大抵は他人からしたら小さなことだ。そこにどれだけ理屈で壁を築こうとも、他人という新たな観点の前では、藁の家にも等しい。



 問題は、それが自分でわかっていてなお、他者を拒み殻に閉じこもる人間だ。自己矛盾を嫌い、周りを傷つける自分を嫌い、事あるごとに自分を嫌おうとする自分を嫌う。そして友達のように、強くて格好良くて、真っすぐな人間になれない自分を呪う。


 そんな人間、どこにもいやしないのに。






「あれ? ヒカリ、髪梳かしてもらってるの?」


 寝巻に着替えて風呂場から出てきたサナは、ヒカリが大人しく座ってる様を珍しそうに眺めた。その仕草は艶めかしいというよりは子供っぽかった。牛乳を飲む姿なんか似合いそうだ。そんな感想を抱きながら、その目線がヒカリへ一直線に向かっていることに気付く。


「ちょ、ちょっとサナ、あんまりじろじろ見ないで……」


「あ、うん、ごめんね」


 ヒカリとしては恥ずかしいからじっと見るのをやめて欲しかっただけだが、その直前に一緒に風呂に入ることを拒否されたことがサナの中で尾を引いていたらしく、ほんの少ししおらしそうにドライヤーを手に取った。

 その姿が自分のせいだとわかっていても、だからといって一緒にお風呂は入れないんだもん……サナの背中に向けた目を伏せ、心の中で謝る。


「さ、ヒカリ、出来たわよ。あなたも少しくらいお洒落に気を配ったところで、罰は当たらないんじゃない?」


「わかった……気が向いたらね」


 サナへの申し訳なさで気も漫ろなヒカリは、ついそんな生返事を返してしまう。そのあるまじき行為にヒカリは母親の様子を窺うが、どうやら意にも介していないようだ。どうしてうちの子はこうも頑固なのかしら……そう呟いてから椅子に座って、短く溜息をついていた。












 サナの部屋はベッドが隅に置かれ、傍に机や時計、クッションなどが配置されていた。特に配色や風水といった風なものに気を配っている様子はなく、それがどことなくサナらしい。ベッド脇の壁に小さく穴が開いているところなど、特に。


「そういえば、もう逆立ちできるようになったの?」


「一体いつの話? もうとっくよ、とっく」


 自分の目線ほどに開いた穴を見ながら、懐かしさを胸に詰まらせたヒカリが笑いかける。


「あの二人もそうだけど、この部屋はもっと変わらないね。私が一緒に住んでた頃のまんまだ」


「まあ、私もたまにしかここに顔出さないからね。埃臭くなくて良かったわ」


 情緒の欠片もないことを言ってから布団を部屋の真ん中に置き、ちらりとヒカリの方を見た。


「私のジャージ、あんたじゃ小さいんじゃない?」


「ううん、大丈夫だよ」


 先程からサナのジャージを借りているヒカリは、手首や足首にほんの少しだけ届かない服を見て微笑んだ。



「やっぱりちっちゃいんじゃない。我慢しないで、お母さんの借りてくれば? そんくらいじゃ誰も気にしないわよ」


「違う違う、流石にそこまで遠慮はしてないよ」


 小さく笑い声をあげ、それから頬を掻く。


「私は、サナのジャージでいいよ」


 そこで少しだけ考えてから、ヒカリは「ううん、サナのが良いな」と付け加えてみた。が、その効果はすぐには現れない。



「何言ってんのヒカリ、馬鹿じゃないの」


 サナはそう素っ気なく言いながら、ヒカリに背を向けててきぱきと布団を綺麗にそろえていく。





 ――もしかして効果無かったかな? 


 ヒカリがそう思ったのも束の間、すぐに笑いを堪えるので精一杯となった。




「あれ? サナさん、シーツと掛け布団間違えてるよ?」


「サナさん、枕カバーかけ忘れてるよ」


「サナ、枕の中に詰まってるパイプって面白いよね」


「サナ、枕の種類には蕎麦殻が入ってることもあるんだよ」


「サナ、もしかして動揺してる?」


「ねえねえサナ……」


 執拗にサナの後ろについて、何度も話しかける。




「……サナサナサナサナ、うるっさい!! 聞こえてるわよ、知ってるわよ、うっかりしてたのよ! 大体、ヒカリが突然……」



 直前まで自分で設えていた布団をぼふっと叩き、サナが振り返る。その顔に優しく枕が投げつけられて、静かに布団へ落ちた。



「えへへへ……」


 サナの目には、悪戯っ子が悪巧みを成功させた時のような笑顔を湛えるヒカリが映っていた。


「枕投げ、的な?」


 そう言うヒカリを見つめる目が、段々と据わっていく。


「……ふーん、枕投げ。そっか……」


 微動だにしないサナが、突如足元の枕を掴んでヒカリへ投げ飛ばした。




「ぐはぁっ」


 避ける間もなく顔面にクリーンヒットしたヒカリは、されどその枕を掴んで自らの武器とした。


「私手加減したのになぁ……」


「不意打ちしといてよく言うわ、覚悟しなさいよ……」


 座り込んでいた二人はゆっくりと立ち上がり、円を描くようにゆっくりと歩き出した。


「……っ、てやぁ!」


「当たるかぁ!」



 先制したのはヒカリ。ヒカリの枕はサナの足元へ、ライナー性の打球のように直進した。しかしサナはそれを飛んでかわすと、そのまま上空から叩きつけるように枕を放つ。それをしゃがみ込んで回避し、跳ねることなく落ちた枕を掴む。


 そして再び睨み合いが続く……ことはなかった。



 ヒカリがサナと正対しつつ歩いていると、不意に何かにぶつかった。



「あっ、お母さん」


「あっ」


 唐突な第三者の介入によって隙が生じた二人は、身構えるより先に脳天への垂直チョップとデコピンを喰らっていた。




「あんた達、そんな年にもなって夜中に騒ぐんじゃないよ!!」





 こうして、サナ・ヒカリ間第一次PF(枕投げ)戦争は、引き分けという終結を迎えたのだった。










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