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acciaccato

ここで一度章を区切りますが、話はつながっています。





 1月21日、木曜日、昼の1時。丸一日以上かけてトラックでサウスブロックに帰ってきたヒカリは、サナやコウ、メンバーの一人と連携し、政府軍の機密兵器である『パルチザン』の開発者、サガラとその家族を護衛していた。


「まあここら辺には殆ど駐留軍はいないので、そこまで気を張ること必要は無いんですけどね」


 今日初めてサウスブロックに来たサガラ達に、自分たちの住むブロックの説明をする。



 「もうそこの角を曲がったところにある洋館が、私たちの拠点です。一足先に戻ったリーダーが、メンバーにあなたたちの紹介をしてくれてると思います」


「そいつはありがたい。是非客人扱いしてほしいね」


 寒いノースブロックからサウスブロックまで下ったサガラは、暑そうに服をパタパタしている。そんな背中に、妻がパシッと平手をたたき込んだ。



「命の恩人にそういう言葉遣いしないでって……! 本当に申し訳ありません、うちの夫が……」


「えっ、いえいえ、そんなかしこまる必要ないですよ! むしろ危険な目に遭わせてしまって、自分の力不足が申し訳ないです」


「いやいや、あなたたちがいなかったら、私たちは」


「いいから、そういうのは。せめて君たちのアジトについてからにしないか?」


 欠伸をして、サガラが背中をさすりながら口を挟む。娘のカナは、サナの腕の中で寝息を立てていた。







「ようやく帰ったか、一日ぶりだな。無事だったか?」


「もちろんじゃない。何事もなく戻ったわよ」


 洋館に戻った一行を、先に戻ったサクやミズキが待ち受けていた。が、他のメンバーの姿は少ない。当直の2、3人くらいだろうか。


「済まないが、歓迎パーティをする余裕がなくてな。他のメンバーは今日は休みだ」


「休みって……いいのかリーダー? この人たちの保護とかは?」


 銃を置いたコウが、意外そうに口を挟んだ。


「一連の逃走劇により、この周辺の駐屯地にも動きがあった。軍用車が十数台、イーストブロックへ応援に出向いた。少なくとも今日明日程度なら、外を出歩いても問題ないだろう。

 それに、毎日毎日作戦ばっかりじゃ、心も体も休まらないだろ? 日直以外のメンバーは毎週の水曜にある、ブリーフィングまで休みだ」


「一週間の長期休暇か。ホワイトすぎて泣けてくるな」


 近くの木製椅子に腰かけたサガラが、再び妻に叩かれる。

 


「よし、じゃあ全員揃ったな。早速だが、俺はサガラさん達が住むことになる家を紹介してくる。メンバーが空き家を貸してくれるらしいからな。お前たちにも休みを与える、短くて悪いが、明後日の23日、10時頃にまた集まってくれるか?」


 唐突に与えられた休みに、サナはふと最近の事を振り返る。この一週間働きづめだった彼女たちは、自分が思っているほど疲弊しているだろう。



「だけど、サクさん……」


 ヒカリが不服そうに、腰掛けていたテーブルから降りる。


「ヒカリ、これは命令だ。休め。特にお前は連戦で、俺たちの誰より疲れてる筈だ。問題を起こさない程度に羽を伸ばしてこい」


 尚も反対の声を上げようと口を開いたが、視界の端にサナの姿が目に入る。


 ――これ以上は、心配かけちゃうかな……



「……はーい、わかりました。サクさんは?」


「俺はやることがまだあるからな。まあ、手を抜けるとこは抜いてるから大丈夫だよ」


 優しく微笑んで、首を横に振る。



 ――同じだね。そうやって我慢する所とか、同じだよ。



 それを聞いて一息ついたヒカリが、M&P9の入ったホルスターをテーブルに置く。その行動に、サガラ達を除いたレジスタンスの人間全員が、一様に驚いた。


「……? どうしたんですか?」


「いや……銃置いていくのか?」


 引きあがった眉を下げ、サクが尋ねる。


「だって、置いてけって言うじゃないですか。ただ申し訳ないですけど、MSRだけは、やっぱり置いていくことは出来ません。誰だって夜寝るときには、毛布が必要でしょ?」


「毛布? …………ああ、そうだな、わかったよ」



 ヒカリの言葉から何かを感じ取ったのか、それとも、ただ額面通りの意味だったのか、サナにはわからない。わからないが、出ていくヒカリの背中を見て、自分がすべきことだけはわかる。



「……私、行ってくる」


 開け放たれたままのドアをくぐって、さも当然のように、サナはヒカリを追いかけた。









「ヒカリ! どこ行くの?」


 追いかけてきたサナの声に振り向いたヒカリは、少しだけ考え込んでから「散歩かな」とだけ答えた。


「なんか流れで出ちゃったけど、場所は特に決めてないや」


 頭を掻きながら、舌を出して笑いかける。憑き物が落ちたような明るい笑顔に、サナは思わず微笑んだ。


「私もご一緒させて頂いてもよろしいでしょうか?」


「勿論! 良きに計らえ!」


「……なんか違くない?」



 玄関近くにあるコートハンガーから、自分の黒いトレンチコートとサナの茶色いPコートを手に取る。


「サナ、はい。これ何て言うんだっけ。キャラメル色?」


「キャラメルって……キャメルよキャメル、駱駝(らくだ)色。ヒカリってそっちにはほんと疎いわね……」


「だって知らなくても困らないもーん」


 ベースボールキャップを被りながらご機嫌そうに言って、ヒカリは道路へ飛び出した。





 街の所々に雪が集められて小山を形成しているものの、全体的に見れば降り積もった雪は、その殆どが今日になる前に溶けてきているようだ。


 白雪が無いからといってお気に入りのスニーカーを履いていたヒカリは、まだ太陽がビル前の通りを頭上から覗いているうちに、元気に(はしゃ)いでいる。駆ける姿は春の訪れを(もたら)す風のよう。


「ヒカリ、昨日まであんなに働いてた割には、随分元気ね? そんなに走り回ってると転ぶわよ!」


「やだなあサナ、子供扱いしないでって言ってるじゃん!」


 そう言いながら凍った道路に気がつかず、派手に転んで腰を強かに打ち付ける。



「もー、だから言ったじゃん! 大丈夫?」


「んー、ううー……あー、いったー……」


 腰を押さえながら、口から漏れ出てくるような声が痛みを訴える。


「ほらほら、大丈夫? だから走るなって言ったじゃない、ほら、立ち上がる?」


「ううん、だいじょぶ……ごめんね? こんなんじゃ、またユイさんに助けられちゃう……」


 服が濡れる前に近くのベンチに手をついたヒカリは、自分は大丈夫だとサナにアピールする。だがサナは、そのアピールより聞きなれぬ名前の方が印象に残った。



「ユイって?」


「ビジランテ作戦の前に会った人! 落雪から助けてくれたの」


「落雪から? 随分動きが速いのね。……じゃなくて、気を付けなさいよ! あんた仮にも、うちのエースなんだからね!?」


「はーい」


 間延びした返事を残して、ヒカリが凍った道路の上をスケート選手のように滑っていく。時々姿勢を崩しては、両手を振り回してバランスを取っている。


「ちょっと、だから置いてかないでってば!」


 その後ろをサナが転ばないように追いかけて、二人は街中を駆けまわった。









「なあサガラ、新聞見たか?」


 ヒカリとサナが出ていった後のビルで、サクと共に先に洋館に着いていたミドウが、持っていた新聞を叩きながら、コーヒーを飲むサガラに近づいた。


「あぁ、新聞?」


「これだよこれ。『政府軍が各地の空港と壁周辺の警戒を強める』って奴」


 新聞の一面を飾る記事は、政府軍による対亡命・脱走用の締め付け強化を示していた。何人たりとも決して逃さないという意思が、モノクロの写真越しでもわかる。



「まじか……それじゃ、暫くここで匿ってもらうしかないか。ったく、やり手だなぁおい」


 そう言ってコーヒーを呷るサガラを見て、ミドウが怪訝そうな表情を見せる。


「やり手も何も、冷静に考えたら軍のこれは当然の対応じゃないかい? まあ、昨日は冷静じゃなかったけど」


「そっちじゃない、ここのリーダーの話だ。俺の思い込みじゃなかったら、あいつ多分こうなることをわかってたぞ。その上で俺達を一日ここに泊めたんだ。レジスタンスに協力させるために」


 匿ってくれた相手に対してこういうことを言うのは多少気が引けるのか、一段声を小さくし、ヒソヒソ話をするようにサガラが自分の考えを話す。




「随分人聞きの悪いことを言いますね」


 だが、2階と1階の踊り場から、サクが顔を出していた。


「こうなったのは偶然ですし、出来ることなら助けたいですよ? ただ、まあ……こうなった以上、暫くの間だけでも援助していただきたいですが」


 降りてきたサクがカウンターから炭酸の瓶を取り出しつつ、気分を害したように表情を変える。


「なんだ、聞こえてたか……まあどっちにせよ、匿ってもらえなかったら俺達は路頭に迷ってたからな、感謝はしてるさ。それに、この手の悪評は慣れっこじゃないのか?」


「顔のある言葉は別ですよ」


 三人はカウンター越しに手を伸ばすと、瓶とカップを打ち鳴らして喉を鳴らした。












「おいアズマ、お前一昨日の騒動の時何処にいたんだ?」


 ノースブロックのとある駐屯地。


「……追跡部隊に加わってた。銃弾の減りも空港での銃撃戦の結果だって昨日言っただろ?」


 会議室へ続く長い廊下を歩いていたアズマは、途中でニシと合流した。というよりも、待っていたように見えるが。


「本当かなぁ……」


「本当だよ。何故そんなに突っかかってくるんだ?」


 とっくに服は着替えている、それにあの逃避行から時間が経っている。それでも不安になり、アズマは自分に、火薬の臭いを探した。



「深い理由なんかねえよ、男の勘って奴さ」


「黙れ」


 心配して損をしたと、溜息をつく。やがて一つの扉の前で立ち止まったアズマは、自分に言い聞かせるように口を開いた。


「ほら、ピシッとしろ。いくぞ……」




 広く明るい会議室の中では話し声が飛び交っていて、計56席ある椅子の内28席は既に埋まっていた。その28人は同じ即応隊の仲間で、まだ短い付き合いだがアズマは親しみを感じていた。その中に古くからの知り合いを見つけた二人は扉を静かに閉めると、知り合いの元へ歩幅を大きくして近づいた。


「おい、遅いぞお前ら」


 資料に目を通していたヒロが、入室してきた2人に気付いて手をあげる。


「悪い悪いヒロ。でも間に合ってるだろ?」


「ぎりぎりだよ。テーブルの上に資料があるだろ? それに目を通しておけ」


 ホチキスで留められた書類の束を指で拾い上げ、表題を眺める。『素行不良部隊の捜索・拘禁』と書いてあった。


「……なんの資料だこれ?」



「全員資料は確認したか? これよりブリーフィングを始める!」


 唯一の出入り口である扉から小隊長が入室した途端、それまで会話をしていた隊員が口に真一文字を結んで体を緊張させた。がっしりとした体格に、人好きの持つような一見して柔和な瞳。その男が肩の部隊章――炎を背景に2挺のリボルバーが交差したワッペンを撫でる。



「各自の手元にある資料の通り、ノースブロックより東に伸びるフラー回廊周辺の駐留部隊が昨日から連絡を絶った。現地の指揮所によると、それまでも何度か周辺で隊員が姿をくらませており、不穏な動きを見せていたらしい。

 更に同部隊が連絡を絶った時刻、一昨日ここから逃走した研究者がフラー回廊を通過していたと思われる」



 ――そうだ、確かにこの回廊は通った。俺が運転したからな。だが駐留部隊なんか知らないぞ。 



「我々の任務は当該地域であるフラー回廊周辺を調査し、失踪した駐留部隊の痕跡、可能ならば部隊を発見する事である。タイミングから考えて亡命者と繋がっている可能性もあり、その行方を捜すことは我が国の機密の漏洩を防ぐことに繋がる。

 また、逃走者と貨物ステーションで戦っている際に戦闘ヘリを撃墜した者がいる。携帯式地対空ミサイルの発射されたビルに急行した一部隊が全滅し、車両を一台盗まれている。追跡装置類が完全に作動しない為追跡は不可能だが、これらのことについても一応留意しておけ。

 我々即応隊第2機動部隊は3時間後の11:00にここを出立し、回廊の入り口で再集合する! それまでに各自小銃の手入れ等を手抜かりなくおこなっておけ!」


「了解!」




「何か質問はあるか?」


 駐留部隊が亡命者と繋がっている可能性はないと断言できる。自分も同行していたのだから。しかし確かに、同時刻に連絡を絶ったというのは気になる。ただの偶然かもしれないが、それにしては出来すぎている。


 それに、戦闘ヘリが他の人間に撃墜されたという話も耳に残った。アズマは当然ヒカリ達が墜としたものだと思っていたため、寝耳に水だった。




「どうした、ニシ准尉?」


 その言葉で二つ隣のニシを見ると、資料を片手に挙手をしていた。


「その戦闘ヘリを撃墜したのが、失踪した駐留部隊である可能性は? 地対空ミサイルは訓練なしに扱えるほど手軽なものではないはずですが」

 

「その可能性は低いとみられる。現場には薬莢は一つも残っておらず、痕跡はその場に放置されたミサイル発射装置のみだった。そのミサイルは現地の駐留軍には配備されていない。そして該当するミサイルの紛失報告も上がっていない。駐留部隊による行動と考えるには些か証拠に欠ける。今回の作戦で可能であれば、部隊の関与も洗いたい」




 背中に手を回していた小隊長が手を解き、腰に手を置いて脱力した。


「他に質問が無ければ解散せよ!各自装備、弾薬、医薬品、食料をまとめ、三時間後に第二ゲートにて集結!」


「了解!」


 小隊長がこの場を離れ、それに続くように他の仲間も席を立つ。その中でアズマは一人、ヘリを落とした人間の正体について、思案を巡らせていた。










「あれ、ここのカフェ閉店しちゃったのかな……」


 両手を広げてバランスを取りつつ道路を滑っていたヒカリは、つんのめりながら停止して看板の無いカフェを見詰めた。その後ろに小走りのサナが続く。洋館からはそこまで離れていなかったが、所々凍った地面を歩くのは、始めから滑ろうとするより疲れる。


「はぁ、はぁ……ここがどうかしたの?」


「さっき話したユイさんと、こないだここのカフェに行ったんだ。けど、もう閉店しちゃったみたい……」


 そうなんだ、と言いかけたサナが首を傾げる。



「ここってもともとカフェだったの? 何年か前にテナント募集の看板はあったけど、一度もシャッターが上がってる所は見たこと無いわよ?」


「えーなにそれ、私が行ったのは幻のカフェってこと?」


 今も下がったままのシャッターを手の甲で軽く叩き、ちいさく息を吐き出した。


「そんな、子供の前にしか開かれないみたいな……」



 ――ここのホットココア、おいしいと思ったのにな……



「なんか出鼻を挫かれた感じー。次は何処行こっかなぁ」


 器用にくるくるとその場を回りながら、両手を広げるヒカリ。


「……それじゃ、久しぶりに顔を見せるわよ!」


「え? 顔を見せるって? えっ、ちょっと引っ張っちゃ駄目!」


 ずっとポケットに突っこまれたままだったサナの手は暖かく、ユイとはまた違った意味でヒカリの腕を離さなかった。





 為すがまま、為されるがまま凍った道路の上をなんとか走っていたヒカリは、民家の敷地の前で「とうちゃーく!」と高らかに宣言したサナに鼻から突っ込んでしまった。


 それを受け止めようと足を開いたサナもまた、道路に足を取られて二人で倒れた。



「ごめん、大丈夫サナ!?」


「だい、じょう……ぐはっ」


 無遠慮な勢いでサナの上にのしかかったヒカリは、すぐに転がり、サナの隣に移動した。だがサナは立ち上がろうとしない。それどころか右手を上げて、息も細くなっている。


「えっ、ちょ、サナどうしたの?」


「わた、しは……きっと、ここで終わり、よ……」



 茶番だろうか。唐突に死にかけたサナに思わず笑いそうになったが、首を振って表情を作る。


「サナしっかりして! サナっ、サナぁ……」


 目を閉じたサナの胸元にヒカリが顔を埋め、体を強く抱きしめた。


「お願いがあるの……どうか、私の願いを……」


「だめ、その先は聞きたくない! そんなの、サナが自分で叶えなさい!」


 薄く開かれたサナの目を、ヒカリの目が強く貫く。




「……お前達、何やってるんだ?」




 ふと顔を上げると、ヒカリ達を見つめる2対の瞳があった。


「あっ……」


 ばつの悪くなったヒカリは、曖昧に微笑んでから頭をかくと、サナの頬をペシッと叩いた。









「まさかお父さんとお母さんにあれを見られるとは……」


 石油ストーブの上に置かれた薬缶を見ながら、我一生の不覚と言わんばかりに、椅子の上にサナが体操座りしている。その背もたれにヒカリが、抱き着くようにもたれている。


「まあまあ、そんな落ち込まないで。そこまで肩を落とすようなことじゃ……」


「落とすようなことよ! ああもう恥ずかしい、だいたい私達が来たことに気が付いてたなら、すぐに出てきてくれればいいじゃない!」


 父親と母親を交互に指差しながら、顔を真っ赤にして逆切れするサナ。だが急に顔を上げたため、後ろのヒカリに後頭部を打ち、またすぐに顔を足の間に落とす。


「おいおいサナ、八つ当たりしないでくれ。だってまさか、いくら人の往来がないからって、娘達が道路のど真ん中で死んでるとは思わないだろ?」


 ヒカリとサナを娘達(・・)と呼んだ父親は、テーブルの上に置いてあったコーヒーをずずずと啜った。




「あなた達が帰ってくるのは珍しいわね。一体何をしでかしたの?」


 夫とテーブルをはさんだ反対側に座っていた母親も、紅茶に口を付けてからサナに訊ねた。


「何よお母さん、たった二人の娘が帰ってきたのに歓迎もしてくれないの?」


「すいません、突然私まで押しかけて……」



 ふんっと鼻を鳴らすサナの上で、対照的にヒカリは頭を下げる。その姿に息を吐き出し、隣の母親は優しく頭を撫でた。



「いいのよヒカリ、ここはあなたの家なんだから。家に帰ってくるのに謝る娘が、一体どこにいるの?」


「そうだぞヒカリ、それとも何か、ヒカリは俺達じゃ不満か?」


「ええっと、いや、そんなことはないですけど、でも、私は、あの……」


 もじもじしながら頻りに頭を下げるヒカリを見て、両親は同時に笑いだした。


「冗談よ冗談、二人ともよく無事に帰ってきてくれたわ。今パイを焼いてあげるから、少し待ってなさい」


 そうウインクする母親を見て、ヒカリはどこか懐かしくなった。



「えっ、パイ!? パイってことは、やっぱり……」


「そう、サナの好きなアップルパイよ」


 それを聞いたサナは、ばね仕掛けのように立ちあがってヒカリの肩を掴んで揺らした。ぶつかる直前に避けたヒカリも僅かににやけながら、身を任せてあーあーと揺られていた。





「やっぱりアップルパイっていったらこの味よね、うん。この味のせいで、私は他のパイを美味しいと思えないのよ」


 パイが焼き上がるまで少し時間はあったが、そんなのは家族との積もる話の前では僅かなものだった。口をもぐもぐさせながら、サナが賞辞とも文句とも付かない言葉を母親に掛ける。


「こらっ、行儀が悪い! 口の中にものが入ってるときは喋らないの!」


 溜息をつきながら、サナの口に付いたパイ生地の欠片をとる母親。そんな二人を目を細めながら見ていたヒカリは、父親が同じような顔をヒカリにも向けていることに気が付いた。



「サナ、ヒカリ。二人とも本当に、よく怪我をせずに戻ってきてくれた。俺はそれだけで嬉しいよ」


 そう言って更に細めた目の奥に、一瞬光る物が見えたのは気のせいか。


「そうそう、最初からそうやって歓迎してくれればいいのよ。ねえヒカリ?」


「えっ、うん、そうだね……そうかな……」


「……ヒカリ、まだ私達に慣れないかい?」


 口籠るヒカリを見て、少しだけ父親は寂しそうな顔をする。そんな顔をされてしまったら、ヒカリは否定するしかなかった。


「……慣れないというか、私なんかがこんな優しく受け入れてもらって本当にいいのかなって感じで……すいません」


 それを聞いたサナ達3人は顔を見合わせると、やれやれといったように肩を竦めた。それから三人の気持ちを代言するように母親が、優しく口を開いた。



「ヒカリ、それは違うわよ? 私達はヒカリに対して特別優しくしているつもりはないし、それは……もう7年前になるかしら、貴女が初めて私達の元に来た時にも言ったじゃない。

 それに、家族に謝る時は『すいません』『すみません』じゃないでしょ?」


 少しだけ意地悪そうに笑う母親の口元を見つつ、ヒカリは何度も自分の手を触って悩んでいた。そして、とても恥ずかしそうに顔を紅潮させながら、少しだけ震える唇を開いて声を出す。



「……ごめん、なさい……おと……お父さん、お母さん。その……ただいま」


 一生懸命に声を出したヒカリは、目をぎゅっと瞑って、手も強く握っている。その様がサナには、無性にいじらしくなった。



「ヒカリ!」


「……ん?」


 頬の紅潮が引かないままの顔をサナの方に巡らすより早く、サナはヒカリを抱きしめてから額にキスをした。


「昔はよくやってあげたじゃない、忘れちゃった?」


「………ううん」


 暫く呆然としてたヒカリの体からゆっくりと緊張が引いていくのが、サナにも伝わった。顔も実際には見えないが、笑っているような気がする。



「……おかえり」


「……ただいま」




「死んでたと思ったら、今度は生き返ったのかい?」


 その場を茶化したのは、抱き合う二人の娘を見つめる父親だった。


「……そのことは忘れて」


 ヒカリから離れたサナが不機嫌そうな顔を向けて呟いた。


「そんなわけにはいかないだろ、大事な娘だ、忘れるわけないさ」


「どうでもいいから忘れてってば!」


 ちいさな家族喧嘩のようなものを見ているヒカリは、さっきよりもより楽しそうに笑っていた。





「あ、そうだ、ちょっと無線で連絡しておくね」


 ぽんと手を叩いたヒカリは、サナにそう告げてからリビングを後にした。


「こちらヒカリ、サクさん聞こえる?」


 閉じたドアに背中を預けて、無線機を耳に宛がう右手を左手で支える。


「――……ああ、聞こえるぞ――」


「私達、今サナの家にいるので心配しなくていいですよ」


「――里帰りか? それじゃ、明後日までゆっくりしていけよ。その間だけは、他の事忘れて楽しむんだぞ――」


 どこか安心したようなサクの声が聞こえて、私はそんなに心配を掛けてたのかと自覚する。



「はーい! ありがとサクさん!」


 努めて明るく返事をし、無線機をベルトに差す。連絡が思いのほか早く終わっても、ヒカリはドアにもたれかかったままだった。ドアから聞こえてくるサナ達家族の声に耳を傾けるだけで、温かい気持ちになれる。


 ――皆はああいってくれるし、きっと本心からなんだろうけど……それでも、家族水入らず、邪魔しないように……


 そんなヒカリの考えは、サナには見透かされていたのだろう。勢いよく開かれたドアによって体勢を崩されたヒカリは、腰に手をやるサナの顔を見上げた。


「……サナさん、何か怒ってらっしゃる?」


「無線が終わったらさっさと戻ってきなさい、余計な遠慮は要らないわよ、バカ!」



 ヒカリの手を引っ張るようにして立たせる。そこでヒカリは、サナの手の温かさを今頃になって思い出した。




アッチャッカート 強く、率直な

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