被半包囲撤退作戦
「しゃがんで!!!」
一瞬も待つことなく、ヒカリは拳銃を抜く。目線はアズマに――アズマ越しの男に向けられたまま、動かそうともしない。
サナやミドウが、突然叫んだヒカリの方を振り向こうとしている。だがアズマはそれよりも数瞬反応が早かった。足を地面から離し、重力に従い体が硬い床へ吸い込まれていく。その右手に拳銃を携えたまま。
二つの銃声が鳴り、ヒカリの正面と左前方で男が倒れる。ヒカリは驚いた顔でアズマを見下ろした。
「驚いてる暇なんてねえぞ!! サガラ、そっちの廊下通ってここから離れろ! あんたら、その家族守ってやってくれ、ミドウとお前はここで食い止めるぞ!」
足を回す勢いで手を使わずに起き上がりつつ指示を出し、アズマは拳銃をダブルタップして牽制する。ヒカリは正面――つまり、先ほどヒカリたち自身が通ってきた道に部隊が展開していることに気付いたが、アズマはその左右にまで広がっていることに気付いたようだ。
ヒカリを柱に押し出すようにして蹴ると、ミドウの首根っこを掴み自身も別の柱に身を隠した。
「しゃきっとしろ! 軍を相手にしてんなら多人数との戦闘もいけるだろ?」
「……わ、わかってる! ミドさんもう少し右まで展開してください、間隔開けて!」
指示を出す僅かな間にも、ヒカリのすぐそばで柱が弾ける。
簡単に数えて、今頭を出しているのは9人だろうか。正面の金属ゲートから4人、右手前の柱に2人、左手のパソコンが置かれた受付に3人。だがなだれ込んでくる人数はそんなものの比ではないだろう。ヒカリは手元の拳銃とチェストのスペアマガジンの感触を確かめ、不安気な溜息を吐き出す。
「替わって! 私が殿を引き受ける、あんたのハンドガンだけじゃ分が悪いでしょ!」
サナが床の上を摩擦を忘れたように滑り、ヒカリのもとに合流する。
「ごめん、お願い!」
狙撃銃と自動拳銃だけのヒカリより、カービン銃と拳銃二挺を持つサナの方が、殿としても多対小の戦闘員としても役立つだろう。少しの心苦しさを覚えながらヒカリはサナの肩をたたき、サガラやサク達の待つ通路へ走った。
「まったく、正面きっての戦闘はレジスタンスの仕事じゃないっての! 二人とも、ここに長居する気はないわ! 民間人を連れたあの子たちが後退したら、すぐに後を追う! それでいい?」
ヒカリを追う銃声に反撃し、サナは肩を並べる二人にそう叫んだ。
「了解!」
「どうやらこいつら、待ち伏せというよりは俺達をここに封じ込めようとしてるな」
「え? なんで?」
「待ち伏せてたなら、ターゲットが後退できる逃げ道を残すようなことはしないだろ」
アズマとサナは遮蔽物に隠れながら会話する。その間はミドウが頭を出して、単発の牽制弾を撃ち込んでいた。その内の一発が敵兵の腕を貫き、銃を取り落としてうめき声をあげる。
「1ダウン!」
それをカバーするように周囲の敵兵が活発に反撃し、ミドウの頭を強引に押さえつける。
しかし、3人それぞれが異なる遮蔽物に身を隠したことは、敵にとって非常に厄介だった。どれか1人に銃弾を集中させると、他の2人に狙い撃ちされる。兵士たちは仲間のように撃たれることを警戒しているのか、サナやアズマが顔を出すとすぐに引っ込んでしまう。
「くそっ、真ん中にふざけた奴がいる、ハンドガンを2挺持ってるぞ!」
「なめくさりやがって! どうせ見様見真似の付け焼刃だ!」
相対する兵士から怒号に似た声が耳に飛び込んでくる。サナのM93R二挺持ちは、同時に二つの方向を狙えるという点で、面制圧に非常に役立った。
「ゲームじゃないかんね、足止めできんならそれでいい!」
「そんなふざけた撃ち方でなんで狙えるんだ!?」
サナの左でマガジンを交換したミドウは、柱から片手と頭だけを出して3発ずつ放つサナに声を掛けた。
「努力以外に答えはない!」
努力してどうにかなるもんなのかよ……とアズマがサナの右でぼやく。
「こう言っちゃあれだけど、やることは周辺視野で適当に狙いつけるだけよ? あんまり細かく狙おうとしちゃ逆に無理、私には残念なことに両目を別々に動かすことは出来ないから! 大事なのはどれだけ速く大雑把に狙えるかだから、一々サイト見てる暇なんてない。ていうか頭を抑えつけられればそれでいい!」
反撃を柱に受け、一息つく暇に簡単に説明する。
「僕には出来ないな。僕は狙撃銃を使う癖で、どうしてもきちんとサイトの中央に捉えてしまうよ」
――距離にもよるだろうけど、狙撃手がターゲットを中央に捉えてたら駄目なんじゃないの……? 私は狙撃手じゃないから分からないけど。
「そうなの、やっぱり? あの子にも『真っ直ぐ伸ばした自分の腕を1本の線に見立てて、その上にターゲットを置くように』って説明してもわかってくれなかったわ。別に2挺を全く同時に撃つわけじゃないんだから、そんな不可能なことじゃないと思うんだけど……」
それが天賦の才か、はたまた若さゆえの吸収速度の速さの賜物なのかはミドウには分からなかった。
マガジンに残った2発の弾も撃ちつくし、両手の銃がスライドを後退させたままで止まる。
サナは右手の親指と左手の人差指でマガジンリリースボタンを押して、マガジンを足元に置いたリュックサックへ落とす。銃を半回転させてチェストリグからマガジンを二つ取り出すと、右手で左の、左手で右の銃に挿しこむ。その後も同じように互いの銃のスライドを引いて、ハンマーが起きる。これで発射準備は整った。
「てっきりリロードも、想像のつかないようなとんでもない方法でやるのかと思ってたけど、普通なんだね」
「これでも仲間に銃をいじってもらって、かなり高速になってるんですけど」
――あの狙撃手の子と似てるな。
そう言って口を尖らせるサナを見た、ミドウの率直な感想がそれだった。
「あんたら、喋ってないで応戦してくれないか!?」
アズマがSCARを連発にセットしたまま、指切りで2~3発ごとに引金から指を離す。その苛立たし気な口調は、中々弾が兵士に当たらないからだろうか。
「腰抜けが!」
どうやら兵士には、無理にここで自分たちを射殺する気はないのかもしれない。後退する仲間の時間を稼ぎたい3人には好都合だった。
「この空港は、テロを警戒して非常に複雑な造りをしてるんだ。エレベータが上まで行かなかったりな。だから皆、俺の指示についてきてくれ」
機長は走りながらそう言って、「その階段を下れ!」「そこを左だ!」と指示を飛ばした。列の後ろではヒカリが、拳銃の弾丸を一発ずつパン屑のように置いて行っている。
「機長っ! 一体何が起きたんです、さっきの音は!?」
機長の指示する道を進んでいると、曲がり角を左に曲がった所でコウと男がぶつかりかける。コウが右へ跳んで避けつつ、突如現れた男にSCARの銃口を向ける。その細い銃口の下には、EGLMというグレネードランチャーの4cmの銃口が大口を開けていて、コウがほんの少し中指を伸ばせばグレネードが目標目掛けて放物線を描く。
「ひっ、ま、待て!」
「待ってくれ! そいつは副機長だ、事情は知ってる!」
引金に指を掛けるか決めあぐねていたコウに、機長が声を荒らげる。民間人を誤って撃たずに済んだことに安堵しながら、コウはライフルとアドオングレネードランチャーに弾が入っていることを再確認した。
「さっき警備員を……っていう放送あったろ? その放送は陸軍のものだったんだ!」
「知ってますよ、放送でも言ってたじゃないですか! まさか、軍が発砲してるんですか?」
その場にいた全員が頷く。
「はぁ……そうなら早く行きましょう! 整備員が燃料を入れ終わってることを願いますよ」
「よし、そろそろ頃合いだ。先にミドウが上がれ!」
「わかった!」
アズマは時計を確認してから、一番制圧力の低いミドウを先に脱出させる。彼の足元を追うように、無数の銃弾が床に穴を穿つ。
「次はあんただ!」
「了解!」
サナが後退するタイミングに合わせて、アズマはSCARの引き金を引き続ける。後ろを見やればサナは壁際に滑り込むように身を隠して、M93RをしまってG36Cに手を伸ばしていた。
「もういいか!?」
「OK! ……走って!」
指でGOサインを出し、アズマが遮蔽物を蹴りだして駆けると同時に、ミドウとサナによる援護が始まる。援護の目的はアズマの撤退であり、敵を倒すことではない。近くに着弾しただけで勝手に頭を引っ込める敵は放置し、先に戦意の旺盛な人間を狙う。
「よし、あいつ等を追うぞ!」
姿勢を低くして二人の元に戻ったアズマは、忘れてたというように手榴弾のピンを抜き、後方へ投げ飛ばした。
コウとサクが集団の先頭に立ち、先行している。軍による待ち伏せを警戒しつつ前進しているが、今のところ兵士の姿は現れていない。
「この階段を下れば搭乗口だ、急ごう!」
機長が目の前の階段を指差し、下ろうとする。目に痛いほど明るかった廊下と比べると、ひどく暗いように感じた。手すりからミズキが頭を突き出すと、上下ともにさほど長くはない階段が続いている。搭乗口までは1、2階分下りればすぐだろう。
列の後方で拳銃を下向きに持ちながら、ヒカリは軍の行動について思案を巡らせていた。
――この動きを見てると、政府軍はあのロビーで殺そうとしたんじゃなくて、どこかに誘い出そうと、或いは追い詰めようとしてる。理由は? 身分の割れてるサガラさんはともかく、素性の知れない私たちを捕えたい? いや、そんな温い判断を今更軍が下すとは思えない。
――それとも包囲する時間が足りなかった? そんなはずない、空港にアナウンスして、カメラの電源まで抜く周到さがあるのにそれはおかしい。このまま最奥までいけば、私たちは貨物機につく。それは政府軍もわかってるはず。それを防ぎたいから、空港に来る途中に軍人と遭遇しなかったのも、手勢を全て空港に集結させてるんだろうし。
――……若しくは、泳がされてる? 何故? 航空機に乗られた方が都合がいい理由……街の警戒もやめてここに……
――……街?
「どうしたの?」
頭を引っ込めたミズキが、立ち止まって考え込むヒカリに気がつき、肩に手を掛ける。
「……ここら辺で軍事基地ってない? 多分空軍の」
「基地? どうだったか……ちょっと待ってくれれば調べる」
ミズキはリュックからラップトップパソコンを取り出す。長いこと愛用しているそのパソコンは、細かい傷こそ無数にあるものの、未だ艶やかな深い赤を保っていた。きっと丹念に手入れをしてるのだろう。
「それじゃお願い。すいません機長さん、この階段の上はどこにつながってるんですか?」
「上かい? 上は屋上だよ」
「管制塔とかは入れないですか?」
それを聞いて、機長は首を振った。
「無理だね。部外者の立ち入りは厳禁だし、入るにはパスコードが必要になる。俺はそれを知らないんだ」
申し訳ないと謝る機長だったが、ヒカリはあっけらかんとして「謝んないでください」と言った。
「それなら屋上で大丈夫です。皆さんはここで、後続の仲間と合流を急いでください。私は屋上で周辺警戒をしてきます。それと、絶対に貨物機には乗らないでください。サムが待ち構えてる可能性があるかもしれないです」
そう言い残すと、ケースの中に入ったMSRを取り出し、スリングを肩に通して階段を2段飛ばしで駆けあがった。
「なあ、サムってなんだ?」
階段を降りながら機長が呟く。
「サム、サム……サムシング?」
その話を聞いていたミズキが、左手で持ったパソコンに右手だけで打ち込みながら異を唱える。
「サムはSAM。SOMEじゃないし、そんな抽象的な事じゃない。地対空ミサイルの略。もしこれがあるなら、貨物機を離陸させて私たちが喜んだ瞬間に撃ち落とされる」
それでサガラ達家族は、この空港に着く前に話を聞いた男を思い出した。
「つまり、あの人の娘の行動範囲、つまりこの街の中でも近くに空軍基地があるって踏んだのか」
「……お父さん、私達ぼうめいできないの?」
サガラに抱かれていたカナは、心配そうに父親の顔を見上げた。
「ん? 大丈夫だよ、何の心配もない。俺の友達も、あの女の子も、皆カナを守るために頑張ってくれてるんだよ。あとで『ありがとう』って言わなきゃな。だろ?」
「うん!」
そう言って、カナは再び父親の胸に顔を埋める。
地面を蹴って、ヒカリは階段を駆け上がる。熱くなるのを見越して防寒服を脱ぐと、風が服と体の間を抜けて汗を冷やした。ここはノースブロックからは大分南下しているため、防寒服は無用の長物だった。とっくに役目を終え、今や着用者を苦しめつつある服を左腕にかける。
階段を上りつめ、最後に待ち構える両開きの重たい金属製ドアのうち、右側を押しあける。東からの眩しい陽光と共に冷たい風がヒカリに刺さって、ヒカリは慌てて防寒服を羽織った。そして溜息を一つつくと、眉間に深く皺を作ってからデバイスと双眼鏡を取り出す。
「こちらラビット、全員に重大連絡」
デバイスのボタンを一度離し、あまり口にしたくない事実を、それでもヒカリは口にした。
「……この空港よりおよそ3km弱の距離に、空軍基地を発見。敷地内に地対空ミサイル3基を確認しました。今レーダー装置の稼働も双眼鏡で確認しました、貨物機での亡命は不可能です。繰り返します、ミサイルがスタンバイしてる今、航空機でこの国を脱出することは出来ません」
SAMだけなら、ヒカリには目視で、つまり屋上に上がった瞬間に見つかった。そして今、双眼鏡で稼働していることも確認した。もし仮に貨物機がチャフやフレアといった対レーダー兵器を積んでいたとしても、離陸直後に捕捉された状態で回避するのは不可能だ。
おそらく軍は、サガラ等をまとめて爆殺するつもりだったのだろう。脱走者の最期としてはあまりに衝撃的で、あまりに恐ろしい。裏切者には、死を。
「――私の方もヒットした。そのミサイルはMIM-104、ペトリオットミサイル。一基につき4発入ってる、つまりその基地だけで12発。内一発でもあたれば貨物機は落ちる。確かに、空路での脱出は無理そう。そこからレーダー装置の無力化は謀れる?――」
ミズキが軍の兵器を洗ったのだろう、ミサイルの詳細なデータが飛んでくる。おそらくレーダーさえなければ無力化できるのだろうが、生憎、3kmは狙撃銃の距離ではない。
「率直に言って、無理かな。ごめん」
「――了解、逃亡作戦を一度練り直す必要がありそう。後続の部隊は合流してほしい――」
「――はいはい、了解よ――」
後続のサナも一段落したのだろう、走ってるのか息が上がっているが、元気そうだ。
「――……ラビット、お前はそこで引き続き周辺の警戒を頼めるか?――」
長い沈黙の後、サクの声が聞こえる。初めからそのつもりだったヒカリは二つ返事で応えた。
「もちろんです! 私は私の出来ることを、私の出来る限りの力を尽くすことしかできませんから」
「――こちらアンダーマイン、今同行してる二人にも伝えたわ。私達は……ちに合流するから。ラビ……たは屋上にいるのね?――」
「え? うん、いるよ。あ、待って……うん、軍のハンヴィーがどんどん来てる。なにがなんでも逃がすつもりはないみたい」
「――正面……めは助かるけど……どほどに引上げな……――」
サナの声がひどく聞き取りにくい。ノイズとは違うその雑音に対抗するために、ヒカリは大声を出した。
「わかってる! 大丈夫! そっちも気をつ……け、て……」
「――……? ヒカリ、どうしたの? 風が強い……かなんだかわかんないけど、……てよく聞こえ……!――」
ヒカリが振り返って、ゆっくりと無線機を下ろす。
目の前には、フラー回廊で出会ったホーネット1――アパッチロングボウが空気を切り裂き、その鼻先をヒカリに向けていた。