回廊道中、二人の胸中
――私が戦う理由は、私が一番わかってるつもり。だってそれは、私が一番忘れてはいけないものだから。
――だけど、私がこの銃を握り続ける理由は? 皆を守るためなんて言って、軍人を殺す理由は?
逃避行を続ける5人の右頬を、沈みゆく夕日が強く照らしている。亡命のため逃走を続けるサガラ達は追跡車両をなんとか凌ぎ、空港のあるイーストブロックへ一路向かっていた。
ヒカリはMSRのボルトやバレルを取り外し、火薬の滓を拭き取る。空になったマガジンや、撃ちつくす前に交換したマガジンにリュックの中の弾薬を込めるといった作業は、ノースブロックを出て初めの2時間でとっくに終わった。カナは静かに寝息を立て、その頭を母親が、まるで割れ物を扱うように撫でている。
ヒカリの右隣では、ミドウが窓の外の景色を眺めている。警戒しているというより、物思いを馳せているように見えた。左隣のアズマは長い間目を閉じていて、真ん中に挟まれて胡坐を掛くヒカリも、少し休憩しようか考える。腕時計は16時を指していて、外灯の下をちらほらと通る車の中に追跡部隊の姿を探すのにも疲れてきた頃だった。
「……なあ、君はどうして俺達を助けてくれるんだ?」
MSRの簡単な清掃を終え、セーフティをかけてすぐ横に置く。ミラーでその様子を見ていたのだろう、サガラはヒカリに努めて明るく尋ねた。……その目線は僅かに、何か言いたげに傍らの狙撃銃へと向いたが。
「助ける理由ですか? だって私達レジスタンスはそのために……」
「君たちの活動理念は知ってるよ、何度か放送を聞いたことがある。俺が訊きたいのは君個人の話だ。
なんで君はそこまで他人の為に命を掛けることができるのか、どうして17、8歳くらいの女の子が銃を握って、戦っているのかってことだよ」
ちいさな娘を持つサガラは、尚の事気になるのだろうか。「カナちゃんが成長して、私みたいにならないといいですね」と心の中で自嘲する。
「どうして、ですか……仮に目の前で困ってる人がいて、それを無視したとしたら。そしたらきっと私は皆に軽蔑されると思うし、何よりも、私が私でなくなるような気がしてならないんです。
人を撃つのは嫌ですよ、それがたとえ極悪非道の大悪人であっても、いい気分になったことは一度としてありませんでした。だけどそれで誰かを守れたり救えるなら。私が命を奪った人の数以上に守れる命があるなら、私の我慢や傷は、あってないようなもんです」
それを聞いたサガラは、思わず隣の妻と顔を見合わせた。車が道路から外れ、慌ててハンドルを戻す。
「それは、自己犠牲とかそういう類ってことか?」
「はい、多分。以前仲間に伝えたら、怒られましたから。だけど死にたいわけじゃないですよ? 最後まで生き延びるために努力はしますし、なんだってやります」
その言葉は嘘ではなかった。サナとコウを守るために戦車に吹き飛ばされた時も、決して死のうとしてたわけじゃない。ただ、自分よりも二人を助けたかった、それだけだ。
「それじゃ、君が軍人を毛嫌いしてるのも、そういう理由からか?」
その質問はヒカリと出会ってからの数時間、片時も頭から離れない疑問だった。アズマと接触した時の過剰なまでの拒否反応を見たら、それも至極当然だが。
「……それも、勿論そうです。だけどこの人が言ってた通り、私がやってることは私刑なのかもしれません。私が引金を引くときに……引くときに、少なからず軍隊を憎む気持ちはありますから」
ちらりと、左で眠るアズマに目線を遣った。リラックスした静かな呼吸で胸が上下している。
「憎むって?」
再度前を向き、ミラー越しの瞳と目が合う。
――もしかしたら、その言葉を鸚鵡返しにするのはまずかったかもしれない。
サガラにそんな後悔を抱かせたのは、間違いなくヒカリの複雑な表情を見てしまったからだろう。
「……私の伯父が軍人だったんですけど、そいつが……犯罪を起こしたり、その、暴力をふるったりと、軍人にあまり良い感情を抱けなくて。すいません」
単なる暴力でないことくらい、ついさっき知り合ったばかりのサガラにだってわかった。苦しみとも、憎しみともとれない感情が滲んで見える。
――俺も顔色を読むのが苦手だけど、それでもこれを色にしたら、簡単な灰色や黒じゃないってのはわかる。なんつうか……ずっと見てたら、吸い込まれそうな黒か?
その表現が奇しくも、ヒカリがユイを言い表すのに使ったものだと、サガラには知る由もなかった。
――類は友を呼ぶ、っていうしな。こんな土壇場に呼び込まれたんだ、友達くらい見つけても、罰は当たんないだろ。
そう、自分の逃走劇に巻き込んでしまった人間に心で語り掛ける。
「……いや、いいんだ。俺の方こそ訊いちゃって悪かった。君にとっては、思い出したくないようなことだったんだろ。
ただ、そこにいる奴は至って真面目だよ。君の言うようなことは、断じてやっていない」
ヒカリが過去に酷いことをされたのは、あの表情を見てすぐに分かった。それ故に軍人を倦厭してることも。しかしアズマの友人として、彼の潔白だけは示しておきたかった。仮にも古くからの親友で、命の恩人である人間だ。
「貴方達を助けるためにここにいるっていうだけで、それはわかります。とんでもなく口が悪いのは確かですけど、きっとなんやかんやでやってくれる人なんですよね。……でも、どうしても『軍人』って聞くと、体が固まっちゃうんです。軍人の中にも良い人はいるはずって望んでるくせして、心がそれを認められないんでしょうね……すいません。
私の友達も、そのせいで私のことを気に掛けてばっかで、子供みたいに扱うんです。でも私は守らなきゃいけないから、守られる訳にはいかないんですよ」
そう言ったヒカリの笑顔を、サガラは複雑な表情で見ていた。
「……どう思う? アズマさんよ」
数時間後、運転を替わるために車を降りたサガラが、後部座席から出てくるアズマに声をかけた。まだ夜の20時だが、ミドウと交代で仮眠をとっているものの、命がけの逃避行は精神を削る。
「どう思うって? あんな子供の不幸自慢に同情したか聞いてんのか?」
「やっぱ起きてたんだな。ついでに言うと、あの子は話したがってなかったぞ。俺が地雷を踏んだんだ」
してやったり顔をして指を突きつけてくるサガラに、アズマは嘆息した。
「わかってるよ、人を盗み聞きしたみたいに言うのはやめろ。あいつが勝手に寝てると勘違いしたんだ。こんな状況で寝れるかよ」
そう言って、車の隅で銃を抱き抱え、じっと座ってるヒカリに視線を飛ばす。
「寝れるときに寝れば良いのに。中身はただの子供だろうが、無理しやがって。誰もお前に警戒なんか頼んでねえよ」
車内の少女がムッとした表情でこちらを見る。そこでアズマは、助手席側の後部ドアの窓が、ミドウによって割られていたことを思い出した。バツの悪いアズマは舌を突き出し、背を向けドアにもたれ掛かる。
「きっと寝るわけにいかないんだよ、『こんな状況で寝れるかよ』ってな。
……その子の伯父って誰かわかるか?」
サガラは煙草を取り出してヒカリに見せると、ゆっくりと車から離れる。それから一段低くした声で尋ね、アズマの差し出すライターの炎を受けた。
「……耳と心が痛い話だが、思い当たる人間が多すぎてわからない。人間の腐った部分で出来てます、みたいな連中はごまんといるからな」
ふん、と小さく鼻を鳴らし、煙草を吹かす。
「そうだろうな、知ってるよ。お前はそういうことやってないよな?」
俺、お前が聖人だって言っちゃったからな。と腕を組む。
「どうだかな。咄嗟の判断とはいえ、俺はさっき仲間を撃ったからな、同類だよ」
「だから真面目だっていうんだよ。仲間っつっても、顔も名前も、所属も知らない奴だろ?」
「関係あるか。軍に入って甘んじてる時点で、俺も見知らぬ仲間も、同じ腐った果物だよ」
はいはい、と受け流し、サガラは少し真剣な口調に代わる。
「なあアズマ。あの子の想い、俺にはわかったぞ。それに『皆を護りたい』なんて、昔のお前にそっくりじゃないか」
「うるせ。ただでさえそのことでイライラしてるんだ」
足下の石ころを思いきり蹴って、闇の向こうへ吹き飛ばす。軽い調子だが、そこに冗談の類は感じられない。
「あの子はお前にゃ、青臭すぎるか?」
煙草の灰を落とし、薄闇の中の車を見やる。そこに少女の姿は見えなかった。
「……あいつの言ってることは正しいさ、俺も同じことを思ってるよ。『こないだの女は良かった』なんて言ってげらげら笑ってる上官を見ると腸が煮えくり返ったし、軍がこの国を腐らせてるのも、あいつやお前と話すよりもずっと前からわかってた。
ま、今の部隊じゃそれはないけどな」
ライターの火をつけ、数秒経って消す。朧気な炎が、アズマの顔を優しく照らしていた。
「若い奴らは暴行を働き、中年どもはシミュレーションゲームでもやるかのように、人を手駒として扱う。精いっぱい言葉を選んでも、ゴミだ」
「だったらどうして一緒に亡命しない? そうでなくても、軍を辞めたり、あの子に協力したり、色々あるだろう?」
サガラは、アズマに一緒に逃げて欲しいのだろう。そうでなくても、自分が見切った軍からアズマも離れて欲しいようだった。
「俺が訊きたいくらいだよ、折角逃げられるチャンスなのに。……だけどきっと、途中で投げ出すのが嫌なんだ。俺は真面目だからな」
それだけ言って、ライターをポケットにしまう。強い寒風が、二人の体を襲った。
「……それに、あいつの言うことは俺の耳には痛くてな。自分の命さえ賭ければ人を助けられると思ってる子供も、まっすぐな眼で射抜いてくる女も、俺はもう嫌いなんだ」
風から守るように耳を手で覆い、車の方へ踵を返す。
「……これからフラー回廊に入る。今は20時半だろ、休まず行けば明日の4時くらいにイーストブロックに着くことになる。先に運転してくれ、後で交代するから」
その言葉を背で受け、アズマは車へ戻る。1人になったサガラの視線の先には、谷底に位置する長い回廊地帯が現れていた。両脇の雪の積もった山が、寒々しくも雄々しくそそり立っている。
「石ころって、のかそうとするほど足元で燻るもんだぜ。その癖、欲しい時にだけ勝手に転がっていきやがる。お前はつくづく、損な性格だよ」