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邂逅



 ヒカリの目の前にいる男は、ヒカリから心を、友達を、幸せを奪った“軍人”だった。守るべき人々を襲い、私腹を肥やし、欲に溺れ、力に頼り、この国を腐らせる。


 蛇蝎(だかつ)の如くという言葉はあるが、蛇や(さそり)では言葉に足りない。人間の奥底の汚れた心を全て綯交(ないま)ぜにし、その(おり)を一つの塊にすれば、或いはヒカリの持つ敵愾心(てきがいしん)に似た色を成すかもしれない。




 アズマの目の前にいる少女は、アズマから仲間を、希望を、大切な人を掠め取った“敵”に他ならなかった。罪ある者を倒すためと称し、罪のない者すらも歯牙にかける。聞こえの良いまやかしを口にし、その実、耳障りなノイズしか発さぬ輩。


 烈火、とは少し違うだろう。彼の心は激しく燃え上がる炎というよりも寧ろ、陰火(いんか)心火(しんか)といった粛々とした火がふさわしいかもしれない。完膚なきまでに叩き潰された心が紡ぐ、怒りで燃える確かな火。











「あなた、軍人でしょ」


 コンボイから物資を入手するとき。逃走に失敗し追跡してくるハンヴィーの中。そして新聞。


 何度もアズマの顔を見たヒカリには、アズマがバンダナで顔を隠していても誰かわかった。狙撃に失敗した顔を、スコープの中のあの視界を、忘れはしない。




「そういうお前こそ、こないだ俺達を襲ったよな? お前の顔は忘れてないぞ」


 アズマも、上層部や軍全体に失望しているとはいえ、腐っても軍人。自分に銃を向けた相手が、頭から離れたことはなかった。



 少女と男が突然銃を向け合う状況に、ミドウとサガラは困惑して顔を見合わせる。その真横を銃弾が過った。


「おい二人とも、今はそんなことしてる場合じゃないだろ!? 君、早く車に乗れ!」


 いち早く乗り込んだミドウは窓を割ると、周囲全てを囲んで接近する兵士に対し、ささやかな銃弾を返した。だがヒカリはそれを無視して、全身でアズマに敵意を示す。アズマが軍人なら、ヒカリは車に乗れない。今だって震える足を意志で抑えつけ、目の前の男に対峙してる。



 幸いなのは、ヒカリの心の中でアズマが伯父の姿と被らなかったことだけだった。もし仮に十字架のネックレスでもしていれば、ヒカリは即座にアズマの頭を吹き飛ばしていたかもしれない。




「それにお前、イーストブロックにもいなかったか?」


 確かに数日前、クローバー作戦で二人は敵として遭遇した。だがまさか自分のことがアズマにバレてるとは思わず、ヒカリは口を開く機会を逸してしまった。


「……図星ってことは、やっぱレジスタンスか。橋を落としてまで俺の仲間を殺して、土産に俺の頭までも吹き飛ばそうとしたのはお前だな?」


 口調こそ静かだが、その裏に深い怒りが隠れていることは考えるまでもない。



「……あ、あなた達は私達の事何とも思わず殺すくせに、自分達が狙われたらそうやって逆上? 私だってあなた達に友達も、仲間も奪われてる! あなた達が街で何をしているか、知らないとは言わせない……!」


 負の感情に敏いヒカリが、アズマの言葉の裏に見え隠れする怒りに気が付かないはずがない。縮みあがる心を、早鐘を告げる心臓を左手で押さえ、それでも重たい口を開く。


「お前の仲間は、お前達が俺達を待ち伏せして銃を向けてきたから死んだだけだ。自分達が卑劣なテロリストで、屑だってわかっててそんな偉そうなこと言ってんのか!?」


「卑劣なのはどっち!? 気に入らない事があったらすぐにいちゃもん吹っ掛けて集団でリンチしたり、女の人を襲って捨てたり、街の人を気まぐれに連行したり、屑なのはどっちよ! 

 私の友達だって、あなた達軍人のせいで何人も自殺してる! 私は、あんた達軍人がどれ程汚いか、身をもって知ってる!!」



 途中から、涙を流して叫んでいた。拾った無線機から何か流れるが、激昂したヒカリには何も気にならない。そんなことよりも、目の前の男ただ一人の方が、彼女にとっては逼迫(ひっぱく)した問題だった。



「それでお前は、『同じ軍人だから』で私怨で俺達を襲ってるのか!? お前に何が人の事言えるんだよおい! 俺達全員がそんなことをしてると思ってんのか?! 正義だなんだを(かた)っときながら、やってることはただの私刑か!!」


 対するアズマも銃を握る手に力がこもる。アズマも、少なくない数の友人知人を奪われ、ヒカリに2度命を狙われてる。



 それに、確かにこいつの言うことも一理ある、と認める面もあった。そういう自分を認めたら負けだと、自分自身を頑なに拒む。


「私達レジスタンスの正義は、軍を排除してこの国を皆の手に取り戻すこと! 私達は私達の手の届く限りで皆を、国を護ってるだけ!」


 その叫びを聞いたアズマが僅かに怯んだ事に、激したヒカリが気付くことはなかった。



「……軍を攻撃して、政府を転覆させて、混乱させることが国を護ることだなんて、笑わせんな!! お前達は国を護ってるんじゃねえ、この国を腐らせてるだけだ!」


「違うっ!! この国は10年前、あんた達軍隊がクーデターを起こした時から既に腐ってた! これ以上腐らせないためには、その根っこが、あんた達軍隊がいなくなるしかないじゃない!!」


 アズマの中で、ヒカリのその言葉が、居酒屋で話したときのサガラの言葉と重なった。



 ――この国はもう、腐ってる。



「それで、ガキが銃を握って救世主気取りか? お望みなら火あぶりにでもしてやろうか? 箱に入った乙女じゃねえんだ、そんな夢物語口にしても、世の中には出来ることとできない事があるんだよ。夢ばっか見てねえで少しは現実を見ろ!」


「ガキだろうと乙女だろうと夢想家だろうと、なんでもいい! 守りたい人を守れるなら、その結果火あぶりになっても、首を刎ねられても、私は満足なの!!」


「自分の入った箱の中身しか知らねえ子供が、世界の全てを知った気になって、挙句にゃいっちょ前に自己犠牲? てめえ本気でいい加減にしろよ。たかがガキ一人の命で何ができるって!?」


「少なくとも今ここであんたを殺すことは出来る!! どうせあんたも、やりたい放題したかったから軍に入った口なんでしょ? そういう奴、反吐が出る!」


「俺もお前みたいな世間知らずのガキは大嫌いだよ! 自分が頑張れば全てが良くなると妄信して、周りが被る被害も考えず、ただてめえのためしか考えない奴。……やっぱりそういう奴は死ぬべきかもな?」


「だったらやってみろ!!」


 ヒカリは拳銃を右手だけで持ち、アズマに向けて何度も何度も突き付ける。まるで、そうすることで怒りを余すことなく伝えられるかのように。口調が変わってしまっても、自分で気づけないほどに。


 その姿を見るアズマの目に、自分が軍隊に入りたての新兵だった頃の姿が、似ても似つかないヒカリに重なって見えてしまった。



 ――違う。俺とこいつは違う。絶対に似てない。



 ほんの一瞬浮かんだその考えを払うべく頭を振ることで、ほんの少し落ち着きを取り戻したアズマの耳に、無線機ががなりたてる音が聞こえた。


「――ターゲットは捕捉してますが、男の反撃で中々接近できません――」


 確かにずっと銃声が鳴り響いてはいるが、ミドウがぎりぎりのところで抑え込んでくれてたのだろう。だがそれもいい加減限界を迎えてもおかしくない。


「――平気だ。今お前たちの向かい側から出る、挟撃といこうか。……待て、何かトラブルが発生してるな。女狙撃手が車内に拳銃を向けてる――」


「こっち見なさいよ! わ、私なんか歯牙にかけるまでもないってこと?」


 未だ熱の引かないヒカリが、兵士の姿を探すアズマに歯噛みしている。だが冷静になったアズマは、自分たちの置かれた状況を今更ながらに思い出していた。本当ならばこんな道端で口論する余裕はない。



「――こちらCS、待たせたな。全隊へ通告する! 逃走者はパルチザン開発チームのサガラと断定。奴は現在開発中の兵器の情報を土産に亡命しようとしているとみられる。データを他所へ転送した痕跡はない、コピーは奴が持ってるはずだ。他国へ情報が漏洩する前に消せ――」


「――了解――」



 その無線を契機に、ヒカリの背後から多数の兵士の小さな姿が現れた。流石にヒカリもその気配に気づいただろう、それでも後ろに反撃しようとする素振りを見せはしない。



 ――いや……出来ないのか、俺が目の前にいるから。(兵士)が憎いだけじゃない。こいつは、兵士が、怖いんだ。



 だが目の前の少女の心情がわかろうと、現状が変わることはない。ヒカリが銃を変わらず向けているのも、兵士がヒカリの背中に、今まさにライフルの銃口を向けようとしているのも。




 その小さな背中が、いとも簡単に車内に転がり込む。自分の左手が、少女の細い腕を掴んでいた。



 自分の右手に構えられたファイブセブンが、ライフルを構えた兵士を貫いていた。そこにアズマの意思は介在していなかった。



 気が付けば、自分に敵意を見せる少女を救い、立場を同じとする筈の兵士を撃っていた。自分の無意識が動かした体を困惑の目で見つめ、口を開く。


「……サガラ、早く出せ!!」


 理解の追いつかないヒカリは目を白黒させたまま、サガラがペダルを踏み込んで急発進させる。その数秒後、マンション屋上から地面に突き刺すように飛翔したミサイルが、直前まで停車していた空間を吹き飛ばした。









「くそっ、兵士は撃たないようにしてたってのに……」



 車が走り出して暫く経ち、アズマが膝を叩く。聞こえてきたその言葉にハッとしたヒカリは、今更ながら思い出したように暴れた。シートの背面は高くないため、手や足が、前で運転するサガラに当たる。


「離せっ、離して!! 触らないで!!」


 アズマの腕の中で暴れ、座席の間の、座面ほどに底上げされた床に座ると、ヒカリは拳銃をアズマの腹へ押し当てた。アズマも即座に、左手のファイブセブンをヒカリのこめかみにあてる。


「なんで私の事を助けたの!?」


「うるせえな、目の前で死なれたら飯がまずくなんだよ。そんなに正義に殉じたきゃ勝手に飛び降りろ!」


「っ、そんなこと誰も言ってないでしょ! 誰がいつ死にたいなんて口にしたって? 『どうして助けたの?』って聞いただけなんだから、いちいち突っかかってこないでくんない!?

 大体、とってもとってもご立派な英雄さんが、どうしてこんなところで追われてるわけ?」


「友達を見送りに来ただけだ、何の関係もないお前に、どんな文句があるってんだよ?!

 そう言うお前こそ、こんな所で油売ってる場合なのか? 正義のために日々こそこそと走り回ってるんだろ?」


 早速罵り合いが始まり、2人の隣に座るミドウは頭を押さえる。言葉だけなら或いは微笑ましかったかもしれないが、二人の手には拳銃が握られている。


「さっきも言ったでしょ、あんたみたいな英雄を気取った奴らから手の届く限り皆を護るのが私の正義! 軍から亡命して追われてる人を私が見つけて、放置するわけないでしょ!」


「ああそうかい、それなら、国をぐちゃぐちゃにして皆に不幸を振りまこうとする奴を排除するのが俺の正義だよ! 堕落した兵士が嫌いなら、今ここで職務を全うしてやろうか!?」


「殺せるもんなら殺せっつってるでしょ!!」


 震える手で腹に銃を押しつけるヒカリと、それをずらそうと握りしめるアズマ。2人は肉薄し、いつ引き金が引かれるかわからない状況となっていた。






「……お姉ちゃん?」


 場違いな程重さを持たない声が、小さくとも確かに2人の耳に届いた。助手席で母親と共に縮こまっていたサガラの娘が、背を伸ばして助手席からヒカリのことを見ていた。突然の事で2人とも驚き、さっと銃を隠す。


「……ん? どうしたの?」


「お姉ちゃん、泣いてるの? 大丈夫?」


 その言葉で初めて涙を流している事に気が付き、咄嗟に袖で顔を拭う。それから無理矢理に強張った笑顔を作り、カナに微笑んでみせた。



「うん、大丈夫だよ、ありがとう! ごめんね、お姉ちゃん大きな声出して。怖かったよね?」


「ううん、ぜんぜんだよ! カナ、怖くなんてないもん!」


 子供を持たないアズマにだって、その強がりは見え透いていた。カナの手は母親のことを強く掴んでいる。それでも我慢して笑う少女に、ヒカリは銃を置き腕を伸ばした。



「お姉ちゃん、どうしたの?」


 シート越しにカナを抱きしめて、ヒカリはカナのおでこに優しくキスをした。


「これね、私が友達に教わった魔法なんだ。この魔法を掛けられると、その人は心が強くなるんだよ!」


「ほんとー? ありがと!」


 カナはそう無邪気に笑って、母親の膝の上に戻っていった。お陰で落ち着きを取り戻したヒカリは一度、泣きじゃくる子供の様な深呼吸をしてからアズマを睨みつけ、シュン特製のデバイスを取り出した。






「こちら……ラビット。誰か聞こえる?」


「――……こちらアンダーマイン、どうしたの急に?――」


 ラビットはヒカリのコードネームで、アンダーマインはサナのコードネーム。レジスタンスが武装組織として活動する前、シンジがいた頃に決めた物だった。スパイみたいでカッコいいだろ? と、シンジが名付けてくれたのを覚えている。



「現在、亡命希望の研究者と行動を共にしてる」


「――はい? あんた、なにがどうしてそうなったのよ――」


「詳しい事は後でね。状況は、軍の大追跡部隊に追われつつハンヴィーでノースブロックを疾走してる。同乗者は研究者とその妻、娘。他には、護衛が……二人いる。GPSは……これで送れたかな?」


 デバイスについたボタンを押し込み、位置情報を伝える。



「――ばっちり来たわ。これからあんたはどうするの?――」


「とりあえず、しばらくは研究者を守ろうと思う。えーっと、計画は……」


 ヒカリは困ったように隣をちらりと見て、ミドウに助けを求める。しかし当の本人は詳しい計画を聞かされていないようで、肩をすくめていた。サガラは運転に集中してとても会話できる雰囲気ではないし、その家族も首を横に振る。


 残った一人は盛大な溜息を吐き、ヒカリからデバイスを受け取った。



「えー、護衛の者です。この通信がオージア軍に抜ける事はないですよね?」


「――ええ、安心してください――」


「それはよかった。これからの計画ですが、イーストブロックにある、『オージア国際貨物ステーション』という貨物空輸専用の空港は知ってますよね? 我々はこれからその空港まで行き、現在このオージアに次ぐ大国である、ブロセントに亡命します」


「――なるほど、わかりました。そこにいる少女から話は聞いてると思いますが、レジスタンスきっての狙撃手が、空港まで勝手に護衛につきます。よろしいですね?――」


「……まあ、銃口は多い方が助かると思います」



 ヒカリは用が済んだとばかりにアズマからデバイスを引ったくり、少し不機嫌な声で後を継いだ。


「こちらラビット、私はこれから護衛するから、帰りはノースブロックに寄んなくていい」


「――なんで怒ってんの? ……まあいいや、本当言うと今すぐでもそっちに駆けつけたいんだけど、このトラックじゃ流石に間に合わない。

 だから、私たちは一度拠点に戻って、少数で空港に急行する。安心して、あんたを一人にはしない――」



 ――……いつまで、私の事を守ろうとするつもり?



「――えっ?――」


 サナが最後の一言に他意を込めたとは思わない。それでもヒカリは、その一言が気に障った。それが、直前まで本気の言い争いをしてたからなのか、はたまた我慢の限界なのかは、わからないが。


「ううん、なんでもない! そうそう、こっちに来る時は、顔や身分が分からないようにしといてね。……そろそろ軍の追跡部隊が来そうだから、切るね」


「――了解。無茶だけはしないでね――」


「……ありがと」








「あと数十分でこのブロックを抜ける! だけどその前にどうしても大通りを通ることになる。どうせ奴らは待ち構えてる、この正念場、お前らに任せるぞ!」


 通信を終えたことを確認したサガラが、Y字路に差し掛かるところで口を開く。ミドウがリロードをするため頭を引っ込め、狙撃銃を構えようとするヒカリに気付く。


「それ、ここで使う気かい?」


「はい、これと拳銃しか持ってないので。大丈夫ですよ、車内で撃つわけじゃないので」


 ヒカリは後部座席の真ん中でストックを折ったMSRをリュックサックから引き抜くと、天井に空いた銃座用の穴から上半身を露出させた。



「別に君がそこじゃなくてもいいんじゃないか? そこが一番危ないだろう」


 ミドウが、迷わず穴から頭を出したヒカリに声を掛ける。車の上から頭を出すよりも、横からの方が当然被弾する可能性は下がる。


「窓から身を乗り出して撃つやり方だと、私には銃が重すぎて……ミドさんと英雄さんは、両脇の窓から任せます!」


 そう言うが速いか、リュックサックを足元に引き寄せてからMSRのストックを元に戻してバイポッドを立て、立射の姿勢を取った。


 狙撃銃は9割以上、座るか寝転がって撃つ。ヒカリも今まで立射の練習に熱を入れたことはなかったのだろう。目標に対し横を向いたその状態は、競技用ライフル射撃の構えを連想させた。




「ったく、随分頼もしい死神さんだな」


 残弾管理をしていたアズマは溜息をつくと、ヘルメットを付けてSCARのグリップを握った。ヒカリは死神という言葉に疑問を抱くも敢えて無視する。


 ヒカリ達の乗った車がY字路に入り、背後に道路を埋め尽くさんばかりの車両が姿を現す。深呼吸をし1台のハンヴィーをその視界の中心へ捉えた。



「先制弾、撃ちます!」





 ヒカリは迷っていた。親切にしてくれた親父さんとアズマの言葉が、ヒカリを迷わせた。


「……だけど、軍人一人一人が悪の権化かなんかとは思わない方がいい。あいつらだって……」


「……『同じ軍人だから』で私怨で俺達を襲ってるのか!? 正義だなんだを騙っときながら、やってることはただの私刑か……」


 その言葉がヒカリの中で尾を引いていた。



 ――だめ、迷っちゃ駄目。そんなんじゃ当てられない、私はまた人を助けられない。



 唇を噛み、あくまで冷静を努める。自分も相手も高速で移動していては、狙撃などほぼ命中しない。普段のヒカリなら即座にM&P9を抜いていただろうが、それが頭に浮かばないほどには、ヒカリは冷静ではなかったが。




 アズマにも、ヒカリの慟哭は少なからずアズマの中に残っていた。


 アズマも、ヒカリのように皆を護りたいという志を持っていて、その為にあれこれ頑張った頃があった。


「……『この手の届く限り、皆を護りたい』なんて青い事言ってたじゃないか……」


「……私達は私達の手の届く限りで皆を、国を護ってるだけ……この国は10年前、既に腐ってた……」


 ヒカリの事を心の底で否定しきれず、そんな自分に余計腹が立つ。


「くそっサガラ、お前のせいだぞ……余計な事思い出させやがって……」


 悪態をついて、コッキングレバーを引く音を轟かせる。




 ミドウは左の肩にストックを当てて、とにかく車の方へ銃弾をばら撒くことを優先させた。二人ほど銃に精通していないミドウは、牽制弾を放ちつつその中で良い所に当たれば御の字程度に考えていた。


 先程のヒカリとアズマの行動について考える。二人の言動からわかることは、少女がレジスタンスという反政府組織の構成員だという事と、男が軍人だという事。少女の方は軍人に対して相当な負の感情を抱いてる様だった。それが恨みか憤りか、はたまたトラウマの様なものなのかは分からなかったが、どちらにせよ彼女が情緒不安定気味なのはわかった。



 ――まあこの年で銃握ってるんだ、過去に何かがあって然るべき、普通じゃないのが普通、か。



 それにしても、とミドウは時計塔でのヒカリの狙撃を思い出した。1km先の平行移動する車のタイヤを弾着修正込みで狙撃。本職の軍人ですら出来そうにない事をいとも簡単にやってのけたのには思わず舌を巻いたが、狙撃をする際に彼女がウインクをした事の方がミドウには驚きだった。いや、ウインクをしてるわけではないのかもしれないが、ミドウにはそれがウインクにしか見えなかった。


 そう考えると、途端に彼女がとても恐ろしい存在のように見えた。


 それが現実とならないよう、せめて今この瞬間だけでも彼女への負担を減らそう。そう考えてミドウは引金を引き続けた。













「……ミズキ、最後の聞いてた?」


 帰りのトラックの中、中央に積まれた爆薬を取り囲むように座った仲間達の中で、無線機を握ったままのサナは隣に座っていたミズキに声を掛ける。


「聞いてた」


 言葉こそ少なかったが、内心はサナと同様心配しているようで、親指の爪を噛んでいた。ミズキが悩んだり心配してるときには、いつもこの癖が出る。



 ――そういえば、ヒカリもあの銃を使う時、片目を閉じる癖があったな……もしかして私も、自分も気づいてない癖があるのかも。


 ミズキを見ながらそんなことを考えていたら、不意にミズキが親指を口から離した。



「もしかしたら、というかもしかしなくとも、単独任務中にヒカリの心を大きく揺さぶる何らかの出来事があったと見るのが妥当。それも良くない方向に」


「例えば?」


「例えば……ヒカリのトラウマが蘇ったか、それか……過去ではなく、今現在の自分を否定されるような……?」


 それを聞いて、胸が潰れそうになる。幼馴染それぞれの過去は、全員がある程度知っていた。特にサナは自身が関わっていることもあって、ヒカリの事はよくわかってるつもりだった。



「あの子は8年前、あの人がレジスタンスを結成するよりずっと前に、両親に棄てられてる。ミズキも覚えてるよね? あの、私達と遊ぶ時の無理に作った笑顔」


「忘れられる筈がない。あんな顔、10歳の女の子がして良い顔じゃない」


 無理矢理に上げられた口角と、今にも泣き出しそうな目。あの笑顔を忘れられないでいた。ヒカリが何の愁いなしに笑えるのには、相応の時間がかかった。



「それだけじゃない。ヒカリが伯父さんに引き取られてからは服も顔もボロボロになってって、しまいには外に出てくることすらなくなった。ヒカリが家で伯父さんに何をされてたのか私は聞かなかったけど、あの子はとても苦しんでた。それでも私は馬鹿だから、心配はしても実際には何もしなかった、出来なかった」


 そうやって、数年たっても消えることのない思いを、ぽつりと口にする。


「……でも貴女は、ヒカリの事を救ってる。あの男からヒカリを救いだしてる。それにサナだけじゃない、私でもシュンでも、他の誰でもサナと同じ行動をとってる。貴女は決して間違えてはいない」


 普段から直截(ちょくさい)な表現を好むミズキだ、それもただのフォローでなく、本心からの言葉だということは容易にわかる。同様にミズキにもわかってるだろう。サナはヒカリと同じで、落ち込んだら面倒くさい性格だと。


「だとしても、あの子の目の前で刺すことはなかった……あの子に止めを刺させる必要も、あの子にトラウマを植え付ける必要もなかった」


「それでも、あの人がレジスタンスを結成してからのヒカリは、笑うようになってた。例えトラウマが残っていたとしても、ヒカリはあの時確実に、サナに救われてた」


 ミズキが、少しずつ激していくサナの肩に手を置く。



「それだけじゃないよ。ヒカリの友達で自殺した子がいたじゃない。その時だって……」


「……夜遅くまで遊んでいた女子3人が集団で兵士に襲われて、その次の日に集団飛び降り自殺」


 4年ほど前、ヒカリ達が中学校に入って1年程経った頃、ヒカリの友人3人が飛び降りをしたことがあった。前日にヒカリを含めた4人で遅くまで遊んでいて、たまたまヒカリが別れて家に帰ったタイミングで集団に襲われたらしい。翌日の学校で、3人は学校の屋上から飛び降り。



「そう。友達の付き添いで救急車に乗っていったヒカリの顔を、今でも鮮明に覚えてる。でも私はね、その時安心したの。ヒカリじゃなくてよかったって。安心しちゃったのよ……」


 それだけヒカリが大切なのであって、他人に興味が無いわけではない。そうわかっていても今の発言に、ミズキは一種の共感と危うさを覚えた。


「サナ、落ち着いて……これまでのことも、そして今も、私たちにはどうしようもないこと。今はそれよりも、一刻でも早くヒカリの許に駆けつけることが大切。それがヒカリのためでしょ?」


「……うん、自分でもわかってる、取り乱してごめん。だから決めてるの。アイさんにも言われたけど、私はヒカリを一生護る」


 結局サナは、今まで通りヒカリを守ることに決めたらしい。一周回って帰ってきたサナに、ミズキは笑みを浮かべた。



「……ふぅ、ミズキはいつだって冷静に話を聞いてくれるから、助かってる。お陰で落ち着けたよ。

 あ、別にミズキが冷めてるって言ってるわけじゃないよ?」


「大丈夫、わかってる」


「本当? よかった、誤解されたらどうしようかと思ったわ」


 そう言って安堵のため息をつくサナを見て、ミズキの笑いが僅かに零れる。


「どうしたの?」


「ヒカリに似てる。そうやって見当はずれのことで一人で慌てる所とか」


 そう言われると、サナの頬はほんの少しだけ赤らんだ。



 ――そう、二人は似てる。だから私は少し不安なの。サナがヒカリにとって大切な存在であるように、ヒカリがサナに大切だというのは感じる。だけど私には、ヒカリに必要なのが『自分を護ってくれる保護者』なのか『自分を愛してくれる友人』なのか、わからないけれど。




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