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守るということ 殺すということ





 銃声が響く。ここは時計塔のバルコニー、遮るものなどない高所。ほんの少し耳を澄ませば、狙った者の命を絡めとる鞭のような甲高い銃声が、何も知らずに歩く人々にも聞こえたことだろう。



「……君は、何者だ……?」



 ドラグノフ狙撃銃から手を離し、眼鏡の男は隣で寝転がり一心にスナイパーライフルに取り付く少女を見る。双眼鏡で見る限り、大体2~3発に1発は男の仲間を追いかける車のタイヤに命中し、そのたびに1台以上の車が離脱する。



 ――ふざけるな、10mの射的じゃないんだぞ……なんで高速移動する車のタイヤを正確に狙撃出来るんだ……?! 



 蜃気楼を見るような目でヒカリを観察していた男は、目の前の少女が時折左目を瞑る事に気が付いた。ウインクというには少しぎこちない動きだが、それが却って少女を可愛らしく、そして不気味な存在に仕立て上げている。




 張り詰めた弓を引く人差し指が、少女が息を吐くと同時にきりきり引き金を引き締める。だが指は矢を離すことはない。それどころか限界を超えるその直前まで、優しく(くび)るように一定の力を加え続けていく。


 左目が、開かれた。最大まで膨らんだ風船に穴が開いたように、昨日まで片時も離すことのなかったゲームが、次の日には面白みの欠片も感じなくなったように。


 少女の指が、爆音を上げて握りこまれる。遠くでは白に包まれた車がスピンし、後続車両の正面でその行く手を塞ぐように横転するのが見える。



 首にかけられた華奢な指が離れ、用の済んだ金属の殻を排出する。きっと少女にとっては最早一切の価値を持たないのだろう、甲高い物音を響かせるそれを一瞥することは、ついに無かった。




「あっ」


 ヒカリが3度目のマガジンチェンジをしようとして、集中力を切らしてそう言葉を漏らす。男が慌てて双眼鏡を手にすると、その視界の先では、カーブを曲がったハンヴィーの後部座席から、見知らぬ男が落下しそうになっていた。


 姿勢から察するに後続車に反撃をしているらしいが、彼の存在を仲間から聞かされたことはない。


「あいつ、誰だ?」


「あの人、もしかして……」


 その言葉を聞いて、男の少女に対する疑念は更に深まった。





「あの人、もしかして……」


 ヒカリにはあの男がどこか見覚えのある気がしたものの、スコープを低い倍率にしていたことやあの男がバンダナで顔を隠していたことによって、顔は殆ど分からなかった。



 ――もし以前見たことある人なら、あの人は追われる側じゃなくて追う側の筈。それに、輪郭や雰囲気だけなら似ている人はいくらでもいる。



 ――今現在彼の乗る車は追われていて、隣の男の人はそれを救おうとしている。だったら……



「……改めて聞かせて下さい。あなた達は、政府軍じゃないんですね?」


「ああ、違う。軍に追われる身の人間が身を寄せ合ってる状態だな。友人のサガラって研究者と亡命するんだ、こんな国、捨ててやる」



 ――……だったら、私のとる道は変わらない。








「あいつら、そろそろ着くか……僕達は下で合流してからイーストブロックを目指すけど、君はどうする?」



 ――どうするって……選択肢あるの?



 尋ねる理由がわからず、膝立ちになった男をまじまじと見つめる。


「助けてくれた恩人を売ったり、口封じに殺したりなんてのはしないと誓うから、今なら軍にばれる前に逃げられるよ。どうする?」



 もしかしたら、この人はとても優しい人なのかもしれない。甘い選択肢にヒカリはそんなことを思いながら、何と言えばいいか考えようとしていた。



 だが口を開く前に、ヒカリは何か嫌な気配を感じた。冷たい血がせりあがってくるような、全身を針で刺されるような。目を閉じて集中し、気配の出所を探す。


「……どうした?」


 ヒカリは言葉でそれに答えず、ただ人差指を唇に立てる。やがて突然M&P9を手に取ったヒカリは寝転がったまま身をひねり、階段を駆け飛び込んできた兵士二人に銃弾を叩きこんだ。



「よく気が付いたな……」


「なんとなく気配がしましたんで。気配って言っても、足音とかそういうのですよ。そういうのに敏感じゃないと、この業界は厳しいですから」


 業界? と額にハテナマークを浮かべた男はドラグノフを肩に担ぎ、予備の弾薬などをリュックサックに詰める。



「……逃げなくていいんだね?」


 それまで担いでいたG3を下ろして、大袈裟にコッキングレバーを引き、銃弾の装填音を響かせる。


「もうとっくに、覚悟は出来てるんです」



 一人は意識を保っていたが、もう一人は喉に命中していたようで、既に息を引き取っていた。薄く開かれた口と裏腹に、その目は二度と開かれることはない。


 ヒカリは拳銃を構えたまま兵士を武装解除し、無線機を頂いた。敵方の通信を傍受できれば、こちらもより移動しやすくなるだろう。そのほかにもマガジンやグレネードなどの消耗品を適当にリュックへ放る。



「……っ、はぁっ、はぁっ……平和を、乱す、反乱分子めっ……! 必ず、殺してやる!」


 息も絶え絶えな若い兵士が強く睨む。ヒカリはその顔に拳銃を向け……


「くそっ、絶対、絶対……くそっ、殺す、殺す……!」


 やがてゆっくりと銃を下ろした。


 その代わりに携帯用医療キットから白いガーゼを取り出して傷口に当てるが、すぐにガーゼを奪い取り投げ飛ばされる。これ以上の刺激はやめてくれと、傷口が非難の声を上げたのだろう。兵士のヘルメットの下を、大粒の汗が流れた。


 それが床に落ちるより早く掴んだヒカリは、兵士の首元を捻り上げるようにして強く掴んだ。苦しそうに顔をしかめるが、すぐにヒカリを睨みつける。



「侮辱するな……! はっ、はぁっ……お前なんかに、情けなんて……」


「殺したいなら殺してみなさい。だけどあなたは今私の掌の上、私にとって敵ですらない。生殺与奪は私が握ってるの、それを忘れるな……!」


 物を捨てるように手を離すと、兵士の手に血の付着したガーゼをねじ込む。



 軍人に嫌な思い出があるのも、心の底から恨んでるのも否定しようのない事だ。だから一瞬、彼を楽にしようと思ったのが、殺意からか慈悲からなのか、ヒカリにはわからなかった。



 ――この人はもう戦えない。そんな人を、私は……



 そんな自分を殺したくなるほど、ヒカリは嫌った。






 コートを脱ぎ、リュックサックからチェストリグ――スペアマガジンや各種装備を胸部につけるための装具――を装着し、自分の道具を用意する。


「これで、MSRの5発マガジンが6本と、M&P9の17発マガジンが5本……よし、おっけい」


 MSRのスリングを肩に通してから、チャンバーに弾が入っているのを確認する。MSRには5発、M&P9には18発(・・・)、それぞれに全弾装填されている。


「もう大丈夫です。援護しますんで、先行お願いします」


 ヒカリの完全装備に目を奪われていた男は頷くと、二人は上ってきたときの倍近くの速度で階段を下った。






「タンゴ1、2応答せよ、狙撃手はいたか?」


 あと少しで塔を脱出出来るという所で、足元と腰の無線機から声が聞こえる。頭だけを出して下の様子を見てみると、3人の兵士がドアの傍に待機していて、その内の一人が無線機に叫んでいた。


「君は、その……軍人を殺すことは……」


 さっきの兵士との会話を聞いていたのか、G3に伸びようとした男の手が不意に止まる。


「私のことは気にしないでください。多分あなたよりこの手は汚れてますから」



「……君は無線機の奴を。僕は両脇の奴を片づける」


 そう言うと、G3を階段の手すりで支えた男は左手で三本の指を立て、一本ずつ畳んでいった。ヒカリは両手で保持した拳銃のアイアンサイトを兵士の胸元へ重ね待機し、男が全ての指を畳んで拳を作るのを確認してから二度引金を引いた。それとほぼ同時に右隣の兵士も胸を貫かれ、取り残された一人も男が始末した。壁に散った血が重力にひかれて垂れていく。


「……ぅ、あぁ……」


 拳銃では威力が足りないのか、ヒカリの撃った班長らしき兵士だけはまだ息があった。だが視界は焦点が合わず、口はうまく動いていない。


「……」


 上階で手当てした若い兵士と違い、彼はもう間に合わないだろう。そんなことは救命の心得がないヒカリにもわかった。


「…………」


「ぁ、ぁう……ぅ……」


 目の前の人影に――ヒカリに向けて右手を伸ばす。その指先は細かく震え、今にも力を失って床に落ちるだろう。そんな瀕死の彼が、ヒカリを何よりも拘束した。


 ホルスターに戻した拳銃に触れる右手が動かない。足が地に縫われたように進まない。口の中は水分を失いカラカラだった。



「……大丈夫かい?」


 塔の出口から男が声をかける。死にかけの兵士には気が付いていないようだ。その呼びかけを無視すると、ヒカリはしゃがみ込んだ。


「……どうしたい? 楽になりたい? それとも、可能性を信じたい?」


「……ぅぁ……ぉぉぁ……ぃ……ぇ……」


 聞き取れない。だがその右手は途端に力がこもり、自分の拳銃をしっかりと握りこんだ。ホルスターから引き抜き、ゆっくりと持ち上げるその行方を、ヒカリは片時も目を離さない。


 やがてその銃口は自分の――兵士のこめかみに押し付けられた。視線も指先も震えているが、それでも右手の力だけは失われていない。


 そして、銃声が一度鳴った。






 塔から出ると、街は騒擾(そうじょう)の渦中だった。男の子が車の影からこちらを覗き、女の子が母親に手を引かれ走っていく。



 時計塔から何度も響く銃声に怯え、民間人が怯えた眼でこちらを見ている。この状況にヒカリは俯きがちになったが、すぐにそんな場合じゃないと思いなおした。


「……よし、とりあえずここで車を待とう」


 G3をガードレールにたてかけ、自分の手を見つめる男。数日前にも見たその仕草を目にし、ヒカリは無意識に、拳銃を握る手に力を込めた。


「君も、その……大丈夫か?」


 気が付けば、男は自分の事を見ていた。その顔は心配一色だが、ヒカリは顔を横に振る。血を拭った跡が、頬に残っていた。



「……すいません、なんて呼べばいいですか?」


「うん? ああ、俺はミドウだ。ミドって呼ばれてるよ。君は?」


「私の名前は……まだ早いですね。これからの帰趨(きすう)次第です、ミドさん」


 そう言ってM&P9を車のボンネットの上で構えると、道路を挟んだ反対側の建物の影、こちらを狙っていた兵士に引金を引いた。


「1人排除。右側のカーブミラーにも二人確認しました」


 ミドウはそんなヒカリを見て、口笛を吹いて眼鏡のずれを直した。








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