影と狙撃手
「事故が発生したため、これより昼休みを30分早めます」
ヒカリが時計塔で狙撃をする1時間前。建設現場全体に設置されたスピーカーから機械的な音声が流れ、それと同時に軍医が慌ただしく駆けていく。計算していた段取り通りに事を運べなくなった建設業者のぼやきを聞く限りでは、どうやらクレーン操縦者の不注意で吊り下げられていた鉄骨が落下し、更にその衝撃で、資材を運んでいた者が足に落としてしまったらしい。
アズマは駐車場へ向かう人混みに紛れ、普段通りやる気の無さそうな警備員として友人の姿を探した。
「おい、アズマ!」
人混みの後方から聞き慣れた声が飛び込んできて、顔色を変えずにサガラを探す。
「ああ、いたいた。大丈夫か?」
「俺はもう大丈夫だ。そういうお前は準備万端か? 頼むからきちんと銃を持っといてくれよ」
いらない心配だ、というように肩をすくめて見せて、二人は人の流れからゆっくりと離れて駐車場へ向かった。
オージア軍の迷彩服を脱いで私服になり、その上にタクティカルベストを着なおす。迷彩服は小さく畳んで、隠しておいた背嚢に仕舞い、更に顔を隠すためのバンダナを顔に巻く。
「俺だーれだ?」
サガラで試してみたところ、「何やってんだこいつ」という目で見られた。
「さあ、そこの駐車場の隅にある。ブルーシートの下が、なんとか用意したHMMWVだ」
「ハンヴィーってお前、普通に軍で現役の奴じゃねえか」
「生産数が多ければ、それだけ正確に把握する事が出来なくなるってわけだよ」
サガラがそう言ってブルーシートを豪快に捲りあげる。流石にルーフには機銃はセットされておらず、ぽっかりと穴が開いているだけだった。人影が目に入ったアズマが近づいて中を窺うと、後部座席の間――ハンヴィーはシートとシートの間に幅広なスペースが広がっている――に寝転がっている小さな女の子と、その脇には女性がいた。
アズマは慇懃な態度で、リアシートの窓ガラスをこんこんと叩く。
「すみません奥さん、お嬢さんと一緒に前のシートに移動していただいても良いですか?」
夫婦でここへ働きに来てる人も少なくはないため、娘や奥さんが見つかっても検問に見咎められることはないだろう。だがアズマは正真正銘の軍人であり、サガラ等の亡命成功如何に問わず、これからも働き続ける。だから万が一にも疑われることのないよう、後部座席でできるだけ姿を隠したかった。
「M1907、6人乗り……? おいサガラ、お前、俺を引き入れたのも計画のうちか?」
後方のドアを開けて内部に乗り込んだアズマは、シートが全部で6つあることに気付き、運転席に座る白シャツの男を胡乱気に見る。同じハンヴィーにもいくつか車種が分かれていて、サガラが調達したというこれは中でも大型と言われる部類だった。
「そんなわけないだろ。調達したのがたまたまこれだっただけだ、他意はないさ。お前を引き入れる計画があったなら、実行の二日前なんかに声をかけるわけないだろ」
バカ言えバカを。そう軽口を飛ばすが、どこか震えているようにも聞こえる。それもそうだろう、ここから先は一歩間違えれば死が待っている。
「……なあ、サガラ……」
「いや、やめないぞアズマ。俺たちはやめない」
バックミラーから覗くサガラの目は、誰よりも鋭く、そして固かった。
「……分かったよ、それじゃあここから先は、一蓮托生といきますか」
「そうだな、たった一日の運命共同体だ」
アズマが最後部に隠れたのを確認し、サガラは右手をシフトにかけた。
「っああ、くそっ! 俺の予想では、こんな激しいカーチェイスを繰り広げるとは思ってなかったんだけどな!!」
「それはこっちの台詞だ! カナいいかい、お母さんにしっかり掴まってるんだよ! 絶対に後ろを見るな、頭低くしてなさい!」
駐車場を出るところまではよかった。検問にいた兵士はサガラ等家族がノースブロックに食事をしにいくと勘違いし、大通りにある一風変わったレストランを紹介すらされた。車体最後部に隠れたアズマは車内を覗き込むかバックドアを開けられない限り、見つかる心配すらしなくていい。通過許可が下りた暁には、笑顔で送り出してくれたほどだ。
それが何故、今は10台を超す追跡車両を引き連れて雪道を疾走しているのか。
「おいサガラ、お前『これから亡命します』とか吹聴して周ったりしてねえよな!?」
「当たり前だろ!! 俺はお偉いさんにマークされてんだろうよ! 平和のシンボル……になる予定だったパルチザンを作ったのは俺なんだから、当然だろ? いつだって余計なことを知ってる奴は永遠に猿轡をかませられるんだ! それに、これもあるしな!」
とサガラが、直線的な道に差し掛かったところで左手に持った物を掲げた。
「……おいおいおい、俺知ってるぞ。こういう場面で出てくるフラッシュドライブに碌なのは無いんだよ!」
「その通り、このUSBドライブにはパルチザンの情報が入ってる! 奴等情報管理は杜撰だな、ちょっといじればすぐに出てきやがった! だがこんなちっぽけなもんでも、無けりゃ俺達はこの国を脱出できても、何の支援もないまま野垂れ死にだ!」
「……そういうことは先に言え、バカ!」
木々に挟まれた道が終わりを迎え、遠くに町が姿を現す。どんよりと曇った空はまるでこれから起こる不幸の表れのようで、2人は渋面を無意識のうちに作った。
そうこうしている隙にも、後方から1台が急接近してくる。運転席の真後ろの席に腰かけたアズマは、僅かに頭を出して後方の様子を窺った。
「確か、お前の仲間はあの塔で待機してるんだよな? 今さっき森を抜けてこっちからは時計塔が見えんのに、お前の腕利きの仲間からは俺達が見えてないんじゃねえか!? 援護はどうした?」
「ちゃんと頑張ってるよ! さっきから俺の目の前で雪が弾けてる!」
「ふっざけんなお前、車間違えてんのか下手くそなのか知らねえが、もっと後ろ狙わせろ! 無線とかねえのか!? ……ねえのかよ!」
激しい言葉を飛ばしつつも、自分の銃を持つ手は頑なに動かない。自分が明確に射撃をすれば、確実にこの車を蜂の巣にする大義名分を与えることになる。「敵が攻撃能力を有していたため、やむなく射殺」と。
それよりは、スナイパーによる精密射撃で「たまたまパンクした」体を取ろうと考えていた。が、肝心の狙撃が上手くいかず、一抹の焦りを覚える。
――いや、違うか。同じ軍人を撃ちたくないだけだ。自分の手をこれ以上汚したくないだけか。
「――こちらカイト1から4、逃走車両を追跡中! 現在逃走を続けているのは、兵器研究に携わっていた研究者と思われる、対応オクレ!――」
「――こちらCS、現在対応及び逃亡者を確認している、現状を維持せよ! バリケードやスパイクベルトを駆使し、可能ならば車両を小突いて、スピンさせてやれ。身元が確認できるまで殺害は控えよ、ただし敵に何らかの武装が見られた場合はその限りではない――」
アズマの腰に掛けられた無線機から、後ろで列をなしているうちのどれかの車と指揮所との通信が流れる。
「バリケードにスパイクベルトだってよ、絶対踏むなよ!」
だが、差し迫った危険はすぐ後ろに肉薄していた車だった。PITマニューバ――車を体当たりさせ、目標を強制的にスピンさせる動き――を狙っているらしく、車体を当てようとどんどん近付いてくるのが見える。
――もう考えてる時間はないか……? 仲間を撃ちたくないなんて綺麗事言う暇はないってか……
――しょうがないよな? 守らなきゃいけない物のためには、仕方ないよな? 許してくれるよな?
身を切るような思いをした決心とともに、グリップを強く握りしめて窓から身を乗り出す。そこでアズマが目にしたのは、タイヤをバーストさせて、後続車両を巻きこみながらスピンするハンヴィーだった。
「おい、朗報だ。仲間の弾がついに当たったぞ」
先程までの狙撃とは明らかに違う、だけど何が違うのかわからないアズマは、考えるのはやめだと自分に言い聞かせてからSCARのセーフティをセミに合わせた。
「お嬢さん、これからしばらくの間うるさくなるから、耳を塞いでいてください」
わざと慇懃に忠告してから、後部座席の窓から僅かに身を乗り出し、後続車両の前輪を狙う。先ほどの狙撃で2台が離脱したはずだが、追跡車両の数は既に20を満たそうとしていた。
「突然やる気になってどうした!」
「お前の仲間が本気を見せてくれてるからな、考えるのはやめた! これから撃つから、ハンドル切る時は教えろ!」
ただ、雪の上を疾走する車上で同じように疾走する車の足を狙うのは、至難の技だった。いくら正確に狙いを付けても、実際には車のバンパーやヘッドライトを割るばかりで、なかなか思う所へ飛ばない。
アズマが四苦八苦している最中にも狙撃手は車をリタイアさせていき、アズマがマガジンを替える頃には狙撃手は3台目の車両を狙い撃ちしていた。
「――CS応答せよ! 敵方にスナイパーが付いてる、ノースブロックのスカイクロックだ! 狙撃によって計4台の車両が走行不能に陥ってる! それに車両に護衛の姿も確認された、こちらも反撃を――」
「――こちらCS、まだだ、まだ発砲を許可する事は出来ない――」
「――何故!?――」
「――逃亡者が何者か断定できていない。万が一データが転送されていたら、そいつの口を割る必要があるからだ。もうしばらく待て、逃がすなよ――」
そう無線が流れてきて、ダットサイト越しに見える運転手が罵詈雑言を言ってる所が見える。アズマはセミからフルへ切り替えると、タイヤ周辺へ大雑把に狙いを付け、指切りで弾をばら撒く。すると放たれた数発のうちに命中した物があったらしく、パンクして車が右へ左へと大きく揺れていた。
「右に曲がる!」
サガラの合図でドアの窓枠を掴み、放り出されないよう堪える。
ただ、車の曲がった向きがアズマの想定していた向きと真逆だったため、アズマは危うく勢いよく窓から射出されてしまいそうになった。
「サガラ、お前、右じゃねえじゃねえか!」
「馬鹿野郎、俺にとっての右だよ! お前は後ろ向いてんだから頭ん中で向きを反転しとけ!」
思わぬ冷や汗がアズマの額を流れ、グローブで拭う。
「もうすぐ街に着く!」
ふと、視界が暗くなる。狙撃手との即興の連携で車列と距離をとったアズマは、再び時計塔を振り返る。その姿は、逃げ惑う小さな車など気にも留めぬというように、ハンヴィーをその巨大な影に包含していた。
「……影に、狙撃手」
「なんか言ったか?」
「なんも!」
「だったら、後ろの席を開けとけよ!」
時計塔は、もうすぐそこだ。
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