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マイルハイ



 一面を雲に覆われた空が、何よりも高い時計塔をまだ上から見下ろしている。或いは小さき者たちの足掻きをただ見守るように。或いは、あざ笑うように。



 曇りは嫌いだった。青い空と太陽とを覆い隠す雲が運んでくるものは、いつだって彼女に皺を刻み込ませる。若しくは宙を仰ぎ見たのち、恐ろしく寂しい溜息を吐き出す。



 曇りは嫌いだった。それが雨の予兆である限りは。






「動くな!」


 腹をくくり、ドアを蹴破るとともに大声を張り上げる。流れるように左から右へ、拳銃を狭いバルコニーに巡らせる。


 ドアを蹴る音で手に持っていた弾倉を取り落とした男は、こちらに背を向けたまま両手を上げて手をひらひらさせて見せた。一回二回とマガジンが床を跳ね、ヒカリの足元へやってくる。


「僕は何もやってない、何も持ってない! 僕はただの清掃員だ、この銃も僕のじゃない! 頼む、撃たないでくれ!」


 足元には銃弾が転がっていて、そばの柵には小銃も立てかけられている。弾込めをしていた途中だったのだろうか。他の階にも仲間がいないか塔の内部を覗こうとした、その視界の隅。


 不意に右手を下した男が、その大腿のハンドガンに触れようとしていた。



 しかしヒカリは、振り向いた男の背後にくっつくようにステップを踏み、そのまま脇腹をM&P9で強く小突いてから一歩下がる。


「銃を置きなさい」


 そもそも初めに一瞥した瞬間から、男がサイドアームを所持していることはわかっていた。それなのに何故不意をつけると思ってしまったのだろうか。



 有無を言わさぬ言葉を聞いて、男はゆっくりと屈んで拳銃を地面に置く。ちらりと見ると、男は眼鏡をしているようだった。喉仏が微かに上下する。


「悪い悪い、冗談だよ冗談。ほら、銃を向けるのをやめて話し合おうじゃ……」


 ひきつった笑顔を見せながらゆっくりとヒカリの方を向いた男が、心底意外そうに驚いた顔をした。


「お前、政府軍じゃないのか? というか、女の子じゃないか」


「……私の声、そこまで低くないと思いますけどね。あなたこそ、何者?」


 しかしその問いに、男は口を開かない。




 目の前の男から急激に敵意が消えたことを感じたヒカリは、それでもまだ銃を向けたままでいた。小さな溜息が吐き出され、灰色の空へと消えていく。


「軍人じゃないなら僕は君と戦う気はない。子供の遊びはお終いだ、その銃を下ろしてくれないか?」


 そう言って左手を差し出し、それから引っ込めて右手を差し出した。


 右手で銃を握っていたヒカリは、左手だけで銃を持ってその手を握った。


「……残念だよ。こんなところで、いい歳した子供がおもちゃで遊んでた事は誰にも言わないから、君も僕の事は言わないでくれ。さ、子供は帰りな」




 肩を竦めてから、足元に転がったマガジンに尖った銃弾を込め始めた。ヒカリが目だけを動かして確認すると、柵の小銃はG3という旧式のアサルトライフル。さっき男が落としたのは、本来持つ特徴的な木製ストックをポリマーフレームに替えたドラグノフライフルだった。どちらの銃も、軍の部隊が使っているところを見たことはない。


「あなた、何者?」


 軍人でなく、軍の装備をくすねたわけでもないというのに、こんな辺鄙(へんぴ)なところで無防備に武装している男は、一体全体何者なのだろうか。警戒は緩めないが、とりあえず拳銃をホルスターに戻す。


「僕の方こそ訊きたいね。さっさと降りてくれ、そもそもここは立ち入り禁止のはずだろう?」


 男はこちらに背を向けたままマガジンに弾を込めている。スプリングが固く苦心しているその姿は、とてもヒカリを意識しているようには見えない。なんだか気が抜けたようで、ヒカリは何も言わず空を見上げた。


「もうお昼かぁ……みんなそろそろ回収し終えたかな」


「昼だって?」


 その言葉を、男は聞き逃さなかった。



 胡坐をかく男は大口を開けて空を見上げ、塔の上部に取り付けられた巨大な文字盤に釘付けになる。


 ――何さ、もう少しくらい私のことを気にしてくれたっていいんじゃないの? 一度は銃を向けられてるっていうのに……


 まるで自分なんて最初からいなかったかのように扱う眼鏡の男に、眉間を寄せて歩み寄ろうとした、その時だった。



「君っ、今すぐ扉を閉めろ!」



 開かれたままのドアから、町中に響き渡らんとする鐘の音が、全てを飲み込む奔流となって二人に襲い掛かったのは。









 腹の底から響くような野太い鐘の音が、無遠慮に鼓膜に突き刺さる。塔の内部に連なっていた巨大な歯車群は、時計の針と連動して鐘を撞くための装置だったのだろうか。


 ヒカリが耳を抑えたまま足でドアを閉めると、いくらか耐えられる程度には静かになった。耳鳴りが収まらない二人は両耳を抑えたまま、バルコニーの端と端で睨みあう。


「この鐘が止んだら、君はすぐに降りろ!」


 身振りと口元から察するに、きっとこんなことを言ってるはずだ。男は何度も必死に手を振ると、耳から手を離しても平気なことに気づき、ドラグノフ狙撃銃に取り付いて各部をチェックしだした。




「そういえば、この塔の周りに軍人はいなかったかい?」


 ヒカリも男に倣って耳から手を離すと、未だ止まぬ音に顔を顰めつつ、律義に答える。


「……いなかったけど、1時ごろになると休憩で沢山この街へ来るらしいですよ」


 それを聞いた男の手が止まり、怪訝そうな男の目が向けられる。それと一緒に鐘も止み、二人の間を突然の静寂が支配した。



「君、何を知ってる……?」


「……私、何も知らない」


「嘘つけ、下手すぎるぞ。そんな驚いた顔するな、ばればれだ」


 男が眼鏡をはずしてから、はぁ……と深い溜息を吐きこめかみを押さえている。



「なあ、もうこれ以上君とは遊べないんだ。僕には人助けっていう仕事があるからね。さ、ほら帰って!」


 強制的に回れ右させようとヒカリの両肩に手を置く。だがヒカリの耳は、男の言葉を捉えてはいなかった。



「静かに。……あなたの待ってた人達が来ましたよ、多分」



 そう言って指差す先には、雪を撒き散らしながら疾走する小さなハンヴィーと、それを追う長蛇の車列がいた。







「くそっ、まだ昼になったばかりだぞ、話が違う!」


 男は短い髪を掻き上げると、悪態をついてドラグノフを拾い上げ、大きく息を吐いてから引金を引いた。ドラグノフの金属的な発射音が鳴り響き、発射炎と共に僅かに煙が立ち込める。サプレッサーもフラッシュハイダーも付けていないようだった。


「ターゲットはどれですか?」


「突出してるハンヴィーの後ろ、車両集団先頭!」


 冷静に考えれば答えなくていいものを、男は正直に返事をした。ただ、ヒカリが双眼鏡で集団の先頭を走ってるハンヴィーを見るも、どこにも傷が付いてる様には見えなかった。セミオートライフルならではの連射で次々と銃弾を送り出すが、それらは一体どこへ向かったのか。



 ――この眼鏡の人は、あの追われてる車両を護衛してるの? 一人だけで? 



「中には誰が乗ってるの? 結局あなたは何者で、何が目的?」


「それ全部答えるほど僕は優しくない!」


 そう言いながらも引金を引くが、ヒカリが見る限りでは一発も当たっているようには見えない。


「くそっ、下手くそだな!」



 そもそもターゲットと時計塔は遠く離れており、豆粒のような車は現在、街に対して平行に走っていた。さすがにターゲットを直接クロスヘア中心に捉えているとは思わないが、一発も当たらずに逃走する車両に集団が近づいてるのを見ると、ついつい口を出したくなる。



 ――ドラグノフは7.62mmNATOじゃなくて、54Rだから……初速50mくらい遅いんだっけ? 距離900くらいだから……



「車が大体1.1秒後に来そうな所に照準の中心を置いて!」


「わかってるさ!」


 だが、一向に弾が当たる気配はない。





 そうこうしている間にも、追跡車両は着々と先頭のハンヴィーに近づいている。最早追いつかれるのも時間の問題だ。



 ――私は、ヒカリ。レジスタンスのスナイパー。私の任務はパルチザンを偵察することで、ここで問題を起こすことじゃない。放っておけばあの車は囲まれて、きっと殺される。脱走者、亡命者には(すべか)らく死を。



 ――この人は、あの車の人たちを守るために戦おうとしてる。銃の扱いに慣れてないのは十分わかる。それでも止めないなら……




 ――私は、レジスタンスのヒカリ。それが私の知らない人だろうと、私に牙を向けた人だろうと、この手が届くのなら。





 目を開き、ヒカリはリュックサックを下ろしてMSRの入ったケースと、MSR用のマガジンを取り出した。


「あなたがやってることは本当に人助けなんですね?」


 その問いに答える余裕は、男にはなかった。そしてその一生懸命な姿を見て、ヒカリは息を吸い込む。



 ――大丈夫、この人は私の敵じゃない。



「……私に任せて」


「はい? 君はいったい何言って……」


 左目をぎゅっと閉じてスコープを覗きこんでいた男は、隣の子供が素っ頓狂な事を言いだしたと感じ歪んだ左目の視界を取り戻す。だがその目がヒカリの姿を認識するよりも早く、タンカラーのハンドガードから伸びる銃口に気付いてしまう。フレームと同じタンカラーのサプレッサーを外し、フラッシュハイダーを取り付けている。


 ストックを展開しMSRにマガジンを装填、チャンバーに弾を送り出すのを見て、この子供が真剣に言ってると男には感じられた。そのボルト操作の軽快さが、少女にとって日常の一コマでしかないことを雄弁に語っている。


「君、なんだその銃……まさか、本物か?」



 その質問の答えは、聞かずとも分かった。銃に載せられたスコープや、そのレンズに太陽光反射防止のコーティングがされてること。リュックサックからいくつものスペアマガジンを出していること。そしてマガジンから、くすんだ金色の銃弾が顔を覗かせていること。



 その全てが、人を殺すための道具だと、そう主張していた。



「ハンヴィーの車高……1.8mだっけ。2ミル1kmで2mだから……うん、距離約900m。対象移動速度不明、移動方向、90度。この塔の高さ……まったくわかんない。風、幸運なことに無風。……高度不明の打ち下ろしか、当たりますように」


 呆然としていた男の耳に、少女のものと思われるか細い呟きが迷い込む。


 スコープの倍率を少し低めに設定し、車の前方、そして上方に十字線が重なるポイントを置く。ヒカリの.338ラプアマグナム弾は男の持つ7.62mmより初速が100m/s程速いので、ヒカリが引き金を引くべきタイミングは男のそれよりわずかに遅れる。



 車が接近し、ヒカリは引き金を躊躇わず引く。決して銃身は動かさず、発砲後もしばらくは排莢しない。数秒後の着弾点とのズレを見極めなければならなかった。


 ヒカリ自身当たると思っていない初弾は期待にそぐわず雪面に着弾し、雪を散らした。ただ、この場合重要なのは命中したかどうかではなく、“どこを狙って、どこに着弾したか”だった。


 ――タイヤより大幅に上方、少し右方に着弾。そんなにこの時計塔高かったんだ……流石に気圧は変わってないよね? 私そこまではちょっと暗算する自信ないよ。


 ――あっ、いやサウスブロックから大分北に来たから緯度増えたし、そもそもからして違うのか。でもそんな強い影響はないでしょ。ないよね?




 着弾点を確認してから排莢、次弾装填をし、狙いを修正する。それからも数発を外したが、車との距離は確実に詰まっていた。敵が仮にこちらの存在を警戒していなくとも、突然車のドアに火花が散れば、狙われていることはわかる筈。


 いつもの癖で閉じた左目を開いて、静かに鼻から息を吐き出すと、ヒカリは4個目の空薬莢を排出した。



 ――思った以上にハンヴィー速いな。一発当てるのに1マガジン使うなんて、とても狙撃手を名乗れたもんじゃないや。私に任せてとか言ったくせに、ださいな……



 ――でもまあ、これで……当たる。



 それから、ハンヴィーが雪煙を盛大に巻き上げて後方の車両を巻き込みつつスピンしたのと、空の薬莢が役目を終えて濁った空を舞ったのは、殆ど同時だった。









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