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亡命企図









「なあ、アズマ…………俺は、亡命したい」




 日暮れから数時間後、始末書の山との格闘に勝ったアズマはノースブロックにある居酒屋で、サガラといくつもの世間話をしていた。数年前は良かった、俺の部下が出来る奴で嬉しい、あの上司は何もわかってない。


 2、3年前に結婚したんだと嬉しそうに報告したサガラがそれを呟いたのは、空になったグラスにお互い五度目のお酌をした時だった。その小さな声は、まるで誰にも聞こえないでほしいという願いが込められているようですらあった。


 辺りの喧騒にかき消えてしまいそうな声だったが、居酒屋の小さなテーブル越し、聞き逃すほど泥酔はしていない。それまでとてもよくまわった口が途端に動かなくなったサガラを見て、これが酒の場でのつまらない冗談ではない事に気付く。




「……お前、それ本気か?」



 それでも、そう尋ねずにはいられなかった。この壁に囲まれたオージアを無許可で出国するのは至難の業であり、更に言えば亡命しようとしたものは民間人、軍人関係なく総じて射殺若しくは死刑だった。壁が出来てから暫くは、国境近くで銃声が聞こえない日はなかった。子連れに、夫婦に、学生の集団。一切を問わず、死体の山は築かれた。


「ああ、そうだ。俺は家族を連れてこの国を出る。その為の準備も、計画も、人手もある。番狂わせは、お前が現れたことだけだよ」


 まだ軍による報道規制が完全ではなかった時代、その事実はテレビで何度も報道された。サガラが知らない筈もない。


「だけどな、実はこれが運命だったのかもしれん。今日の内にお前に出会えたことがな」


 そう言って、鈍く光を放つ指輪を右手でさする。




「……お前は覚えてるか、俺がこの道に進んだ理由を」


 何の脈絡なく切り替わった話題に困惑しつつ、アズマは懐かしそうに目を細める。


「当然だろ。『人の役に立つモノを創りたい』なんて、青い事言ってたよな」


 青春時代を共に過ごした友人の、その純粋すぎる未来への夢を、アズマは忘れた事が無かった。それに当然、かつての自分の夢も。


 ――さっきのも、下らない話題の一つだろ? そう言ってくれよ。



「ふっ、確かにな……それなのに陸軍なんかの工学科に入ったのだって、とんでもない兵器を作り出せば、当時騒いでた世界大戦に巻き込まれることもなく、平和になるんじゃないかって思ってたからだ。勿論今ではそんな甘っちょろい事言うつもりはない。

 だけど、俺が設計した兵器が……俺の子供の頃の、平和のシンボルになるよう願った兵器が実際に使用されるところを見るのは、俺には少し耐えられない。

 それにこの国にもだ。10年前のクーデターから、国の防人たる誇りあるオージア軍はただの無法者になり下がった。そんな奴らに俺の兵器を使われるくらいなら、他所の連中に破壊させてやるさ」



「……そうか、あれはお前が設計したのか……」


 今アズマの前にいる純粋な研究者は、一息に言ってからグラスを大きく傾けた。




「なんでそんな話を、軍人の俺に言うんだ」


 気の乗らない話だったが、それでも一度聞いてしまった以上、知らぬふりは出来ない。それが触れてはならぬ箱を開けることだとわかっていながら、アズマは覚悟を決めた。


「……お前も一緒に来い、アズマ。お前も昔は、平和を守る軍人になりたかっただろう? 『この手の届く限り、皆を護りたい』なんて青い事言ってたじゃないか。

 だけどな、この国はもう腐ってる。腐った果物は、僅かに残った“そうでないもの”のためにも捨てなきゃならない。違うか?」


 アズマの夢は確かに「皆を護る」ことだった。


 ――いつからこんなことになってたか……



 その自問は今でもやめられない。だが同時に、現実を受け入れなければならないとも思っていた。そこへ飛び込んできたサガラの言葉は、アズマの胸に少しだけ沁みた。



 コップから手を離し、アズマは両手を膝に乗せ前のめりとなる。


「お前の言いたいことはわかるさ、だけどな? だけど、『こんなこと望んでいなかった』とか、『俺はこんな事やりたくない』とかっていうのを受け入れるのが人生じゃないか? 小さな頃の夢なんてのは、実現するためにあるわけじゃないんだ。そんな下らないもの、早めに捨てとけ」


 それを受けたサガラもまた、背もたれから背中を離し、背筋を伸ばし真剣な面持ちを作る。



「俺はその『夢』を実現するための研究者だぞ。その研究者が夢を諦めて、あとには何が残るんだ?! 夢を諦めて流されるまま流されろというのなら、俺は夢に殉じてもいいさ!」



 二人の主張は平行線を辿る。



「……サガラ、お前は昔からそういう奴だったな。お前みたいな奴が、ある意味生粋の科学者なのかもな」


「お前もな、アズマ。思えば昔から夢見てるくせにどこかで諦めてる様な、自分を殺す“職業軍人”だったよ」


 皮肉のように吐き捨て、据わった目で相手を見る。



 酒の力でどんどんと熱が上がっていくのを抑えるため、二人は店員に水を貰って一息に飲みこんだ。




「大体、何が下らないだ。お前だって、傍から見りゃ無気力そうだけど、誰よりその夢に必死に食らいついてたじゃねえか。

 なあ、“英雄さん”よ。お前と連絡を取らなくなってからどうしてたかは知らねえが、俺にはまだ、夢を捨てたようには見えねえがな」


 居酒屋のマッチを使い煙草に火をつけるサガラ。刺激の強い煙のせいか、アズマは苦々しく顔を渋める。


「それで呼ぶのはやめてくれ」


アズマは二度三度、水に映る自分の顔を飲み込んだ。






「……よし、覚悟は決まった。いいだろう、お前の旅立ちは見送る。だけど、一緒に亡命することは出来ない。それで良いか?」


「……いいんだな?」


 聞き返す言葉も無視し、ウイスキーで満たしたグラスを持ち上げ、その向こうに旧友の姿を認める。






「それで、計画っていうのは?」


「建設現場の駐車場に、オフロード用の車両を用意してある。朝の内に車の中に俺の家族を隠してから、午前は通常通り仕事をする。脱出は昼休みの警備が比較的緩くなる時間だ。車でノースブロックを経由してからイーストブロックに渡り、そこの空港から発着する貨物輸送用の飛行機に乗って脱出する。

 万が一に備えて、ノースブロックには狙撃援護してくれる腕の良い仲間が待機してるし、飛行機の操縦士には既に話を通してある。それに、いざとなったら昨日のウィードアウト作戦の英雄が助けてくれるだろ?」


 そう言って、サガラは天井の隅に設えられたテレビを指差す。数日前に受けたインタビュー映像が、勝手な解釈と共に垂れ流されている。



「……本気なんだな」


「当然だろ」


「決行は?」



「明後日、1月18日月曜日」



 そう言って、持ち上げていたグラスを一息に呷った。




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