初めまして、かな
卑怯だ、卑怯だよ、まったく! ああ言えば私が断れないって知ってるくせに……サナだって、そりゃ助け舟を出してくれるとは思ってなかったけどさ、露骨に目逸らさなくたってさ……
唇を突き出して、会議室から伸びる廊下を抜ける。さっき気付かなかったけど、サナと一緒にメンバーが数人戻ってきてたみたい。
昔からのメンバーが私の姿を認めて声をかけようとしてくれてるけど、不機嫌なのを理解してかやめてくれた。確かに私は今、1人にしてほしい。
コートハンガーから、クマさんのアップリケが覗くコートをひったくって、大きなドアを押して外に出る。今も尚空を覆う雲が、千切れて舞い落ちる。
気分を変えようと深呼吸すると、肺が痛くなった。さっきまで必死に走ってたから気付かなかったけど、このブロックは想像以上に冬に包まれてたみたい。吹き付ける風が身を切る様に痛い。
私はコートの襟を立てて、最近使う機会の無かったマフラーを巻く。街には相変わらず雪が降っていて、道路の脇に不格好な雪だるまが立ってる。いつの間に作ったんだろ、さっきまで無かったのに。
雪だるまから外れて落ちていた片目をくっつけて、コートのポケットに手を入れて歩きだした。今だけは、ただ街の中を歩き回りたい。
雪は遠慮なしに私の頭の上に降りかかってきて、その度に私は頭を振って雪を落とす。それでもマフラーやフードに掴まった雪が溶けて、水となって背中に流れてく。傘とか持ってきた方がよかったかなぁ。
大口を開けて空を見ると、その寒気に身震いする。いつもの感覚につい辺りを見るけど、軍人はどこにもいない。純粋に寒かっただけなのに命の心配するなんて、馬鹿だなぁ……
それに、やわらかい雪の上を歩くのは想像以上に疲れる。もしかしたらさっきの逃走劇の名残かも知れないけど、どっちにせよ疲れた事に変わりはない。私は薄い雲を吐き出して、軽くなった体を重たく動かす。
「あ、ラッキー」
暫くして、道路脇に佇む小さなベンチを見つけた。だいたいいつも杖を持ったおじいさんが座っていたけど、今日は流石に見ない。そりゃこの寒さだもん、家でストーブとかコタツと洒落こまなきゃ。
そうだ、今日はもう帰ってコタツに入ろっかな。確か3年前位に仕入れたのが押し入れに眠ってたはず。
でもまあ折角だし、ちょっとだけ休んでこっかな?
ベンチの雪を除けてあまり濡れていない所に座り込むと、ひんやりとしていて背中がぞくりとした。いつもいつも感じたくないものを感じたせいで、体が震えることを覚えちゃったらしい。やな癖がついたもんだなぁ……
はぁ……何度目の溜息かな。なんか疲れちゃった、逃げる幸せを捕まえる気にもなれないや。
「あー! ヒカリお姉ちゃん、おばさんみたい!」
「はい!? わ、私はまだ18です! お母さんに言いつけるよ!」
どこかから子供がやってきて、私のことをからかう。雪のくっついた手袋で私を指差して、友達と楽しそうに笑ってる。
もちろん私だって、小さな雪だるまメイカーの冗談とか意地悪だってことはわかってるけど、何故だか受け流せない。そのままきゃっきゃ笑いながら子供達は走り去っていって、やがて街は静かになった。
「……はぁ、疲れてるなぁ……やだやだ、また笑われちゃう」
そろそろ家に帰ろうかな。呟いてからベンチを立つと、また新しい足跡を刻みつけようとした。……けど、急にクラクラしだす。上げた足をどこに下せばいいか、それすらわからなくなって、慌ててベンチに手をつこうとした。やばい、立ち眩み、が……
「危ないっ!」
誰かの緊張した声と共に、不意に冷たい感触がやってくる。視界が完全に黒く塗りつぶされた私には、何がどうなってるのかがわからず、とにかく立ち眩みが治まるまで黙って固まっていることしか出来なかった。
それから1分くらいして、テレビのノイズが引くように視界を取り戻していく。最近はめっきり眩まなかったのに、やっぱり疲れてるんだなぁ……他人事のように考えてると、視界いっぱいが黒から白に変わってた。
「大丈夫?」
気がつくと、私の足元に同い年くらいの女の子が寝そべってる。……いや、違うや。私が倒れてるんだ。
目の前の女の子は……女の子っていう年じゃないかな。私なんかより大人っぽいし。その人は私に手を伸ばしてくれてる。それを掴むと、ありがとうございますと言って体についた雪を払った。
「ごめんなさい、急に押し倒したりして。でも、落雪に気が付いていなかったようだから、つい……」
私の背中から雪を落としてくれて女性が、そう言って指をさす。ついさっきまで私が座ってたベンチの上には、形の崩れた雪が散らばっていた。視線を上にあげると、屋根の上の雪が不自然な形で積もってる。
「もしかして、あそこから雪が……?」
「ええ、そうよ。あなたがクラクラしてたみたいだから、危ないと思って」
そう言って、腰まであるくらいの長い髪の毛を揺らして私に微笑む。
うわぁ……綺麗な髪。
「え、そう? ありがとう」
しまった。また口が勝手に……あんまり恥ずかしくて、顔だけ急激に熱を持つ。
「どうしたの? 急に真っ赤になっちゃって」
私の顔を下から覗き込むようにして、面白いものを見るように女性が顔を近付ける。その仕草はどちらかと言うと、女性っていうより女の子の方が似合った。中々ミステリアスな人らしい。
「そうだ、折角だし、今から一緒にカフェでも行かない?」
……へ?
「思い立ったがなんとやらってね! よし、行こっ!」
そう言って女性――やっぱ女の子かな――は、私の腕を掴んで走り出す。その力は案外強くて、私を離す気が無いことが分かった。
結局私は、目の前で右へ左へと揺れる髪を追うのに精一杯だった。
「ごめんね? 強引に引っ張ってきちゃって」
「ううん、大丈夫ですよ。私もやることなかったので」
私達は近くのカフェに入って、雪を落としてから、2人席に向かい合わせで座った。皆外で遊んでるのか、私達の他に客はいない。だけど寂れてるわけでもなくて、優雅って言葉が似合いそうな喫茶店だった。なるほど確かに、目の前の女の子にぴったりだね。
「そういえば私達、まだ自己紹介もしてなかったわね。改めてはじめまして、私はユイよ、あなたは?」
ユイさんは胸元の、三角形の三つの角に小さな三角形がくっついてるって言えばいいのかな? そんな不思議でお洒落なマークのペンダントを触りながら、優しい声で自己紹介をする。浮かべた微笑みは、可愛いっていうか綺麗っていうか……なんか、そんな感じの不思議な笑顔。
「あっ、わ、私はヒカリって言います」
「ヒカリちゃん、か……可愛い名前ね」
まさか名前を褒められるなんて想定してなくて、私は慌てて顔を横に振る。
「ユイさんも、大人っぽいというか、優雅というか、とにかく素敵ですよ」
少しだけ驚いた顔をして、さっきの笑みを浮かべる。そこに余裕みたいなのを感じて、やっぱり大人だなって思った。
ユイさんは、腰まで届く真っ黒な髪を筆頭に黒を基調とした服装だった。腕には黒の指貫ロンググローブをはめていて、靴は長い紐付きブーツ。レースアップブーツだっけ?
服装もそうだけど、その中でもユイさんの瞳は一際真っ黒だった。なんだか、ずっと覗きこんでいると吸い込まれそうな、そんな黒。
「ところで、何か注文する?」
と、ユイさんがメニューを開くから、私はメニューを見た。……取り繕わずに言うと、ユイさんから目を離した。あのまま見つめてると、なんだか、その、いけない気がしたんだ。
2人とも見やすいように横向きに開かれたメニューはどれも美味しそうだったけど、私には飲みたいものがあった。
「それじゃあ……ホットココアで」
すぐに食いつくと子供みたいに思われちゃうだろうから、ちょっとだけ考え込むような素振りを見せて、メニューの一角を指差す。
「いいね、ホットココア。私も大好きよ」
だけどそんなちっちゃな見栄なんか見透かすように、ユイさんは私に瞳を向ける。それから右手をあげてウェイターを呼んだ。
「それで、ヒカリちゃん。何かあったの?」
ウェイターが去ってから、ユイさんは両手をテーブルについて尋ねてくる。
「そんな、鳩が豆鉄砲を食ったような顔しないで。あなた、多分隠し事とか出来ないタイプでしょ。私にだってわかるもん」
鳩が豆鉄砲って……私、そんな変な顔してたかな? 恥ずかしいな。
「話したくないなら、無理にとは言わないわ。でも、口に出した方がすっきりするんじゃない?」
ついさっき会ったばかりの私に、ユイさんはとても親身になってくれてる。それがとても嬉しくて、私はたったそれだけのことで涙が出そうになる。
こんな程度の事で熱くなる目頭を隠すように、背もたれに掛けたコートの具合を確かめる。
「……ありがとうございます。でもよく考えてみたら、物を僅かな間没収されてるだけですから……」
「それでも、あなたにしたらそれはとても大切なものなんじゃないの?」
ユイさんはじっと私を見て、舌先三寸の言葉を見透かす。それにたじろぐ私は、傍から見たら挙動不審だったかもしれない。
「で、でも、ユイさんに話したら迷惑でしょうし……」
色んな言い訳を考えてると、ユイさんの真っ黒な瞳が、私を射る。……しばらく考え込んで、私にはユイさんに話さないという選択肢が無いことに気がついた。
没収されてるのは、私の友達の話だったんですけど……と前置きしてから、ゆっくりと口を開く。
「……昔、友達の女の子が、幼馴染やそのお兄さんと一緒に、よく遊んでいたんです。チームを結成したり、いろんなところを探検したり。だけどある時突然、お兄さんは女の子達を捨てて、皆の元からいなくなろうとしたんです。女の子はお兄さんが大好きで、必死に止めました。そしたら……」
言葉が喉にひっかかる。話してしまいたいのだけど、何故か声が出ない。
そこへ丁度、ウェイターが湯気の立ったカップを二つ運んできた。その中身はどちらもココア。私はウェイターに軽く会釈をして、カップに口をつけた。
「っはぁ……」
思わず溜息が出る。全身に熱が巡って、体が温められていくように感じる。
「……そしたら、お兄さんはわ……」
「わ……?」
ユイさんはソーサーとコップを胸元で停止させて、顔にハテナマークを浮かべてる。いけないいけない。咳払いをして、続ける。
「お兄さんはその女の子に、銃を向けた……らしいです。そして……引金を引きました」
ユイさんの眉がピクリと動く。
「その女の子は、大丈夫だったの?」
私は、ゆっくり頷く。
「はい。銃弾は女の子の頬と耳元を掠めたけど、直撃はしてません。だけど、その女の子は昔……昔……」
「ヒカリちゃん」
いつの間にか、ユイさんはカップをテーブルに置いていた。中では、私のそれと同じ液体が揺れてる。
「辛いなら、無理しなくて大丈夫」
そう言って微笑んでくれる。その優しさが沁みて、私はカップを傾けた。
「ありがとうございます……でも、もう少し頑張ってみますね」
体の芯から暖かくなる感覚に包まれて、私は一つ、深呼吸する。
「……その女の子は昔、同じように、大切だった人に置いて行かれたことがあるんです。その時は突き飛ばされて、敵意を剥き出しにされて……だから、その時のトラウマとどこか似ている状況で、女の子はいなくなろうとするお兄さんに手を伸ばせなかったんです。
そして、お兄さんは銃を置いてどこかへ行ってしまいました……このときの状況は誰にも教えてないんです……その、私以外には」
「――……だから俺は、おまえには……――」
思い出したくない、忘れたくない記憶が蘇る。
「それじゃ、あなたの……じゃなくて、あなたの友達の大切なものは、その銃なの? お兄さんは猟師とか、許可をもらってる人?」
え? と口にしてから、法律を思い出して慌てて肯定する。
「そうよね、資格持ってないと銃なんて持てないのだから。それで、その女の子は忘れ形見とも、トラウマとも言えるその銃を没収されちゃったの?」
うーん……とユイさんが唸って、左手の時計をちらりと確認したのを見逃さなかった。つい長く話し過ぎたかも……
ユイさんが考えてくれてる間に、大急ぎでココアを飲み干す。残していったら印象悪いだろうから。
「ごめんなさい、こっちの事情ばっかり話して……このまま一緒にいたら、ユイさんの優しさに甘えて沢山相談しちゃいそうです。短い間でしたが……」
私の言葉を遮って、んーと唸ってから首を横に振ってくれる。
「違うわヒカリちゃん、ありがとう。話しにくいことだったと思うけど、頑張って話してくれて。このことは誰にも言わないわ」
だから、安心して。ユイさんはまた、何度目かの優しく柔らかな微笑みを私にくれた。
「その女の子に伝えられることは、あんまりないと思う。だけど敢えて言うとしたら……過去よりも、今や未来を見つめるべきよ。過去ありきの現在未来とは言うけど、過去は所詮過去でしかない。……まあもっとも、それはその子本人が一番わかってると思うけど。
きっとその子は頑張ってるんでしょう? 私みたいな思いをする人を無くしたい。もう二度と大事なものを手放したくない。……」
ユイさんがそこまで口にすると、大きな振動が私達を襲った。
「……困っている人を助けたい。って」
そう言って、窓の外に視線を移す。それに釣られて私も窓の外を見ると、街の中で黒煙が上がっていた。
窓の外で、沢山の人が爆発から逃れるように反対の方向へ走っていく。それを追いかけるように、銃声まで聞こえてきた。おかしい、私達は何より一般人に危害を加えるような作戦は極力避ける。それにここ暫くはなんの作戦もなかった筈。
だとしたら、全く違う組織か、政府軍か、それとも……
「テロリスト、かしら」
後ろで、ユイさんが呑気にココアを啜りながら眺めている。
「ユイさん、逃げないんですか?」
とはいえ、ここから爆発地点は比較的遠い。恐らくここら辺は安全だと思う。
私はコートに袖を通して、出口へ駆け寄る。
「どうしたのヒカリちゃん、ここは安全よ?」
ユイさんの声が追いかけてくる。
「逃げ遅れた人がいるかもしれません、助けなきゃ!」
そう言って、ドアの傍にあるレジに、お財布から紙幣をまとめて出した。
「きっと……」
吐き出すような声が、私の背中を叩く。それがユイさんの声だと気付くのに数瞬かかったのは、今までの優しい声とはまるっきり違ってたから。多分、私の聞き間違いとかじゃない。
「きっと、ヒカリちゃんの友達も、今頃同じように駈け出しているのかもしれないね」
それになんの返事も出来ず、気を付けてね、と背中を押されて、私はガラスのドアに手をかけた。
「……行っちゃった、か」
温くなったカップに口をつけ、静かに中身を飲み干す。
どうぞ、とオーナーが彼女に小さなパソコンを渡す。胸元のペンダントに触れてからパソコンを開くが、意味のわからない数字が羅列される画面しか出てこない。
そこへ少女は、キーボードの上に指を踊らせる。すると画面が切り替わり、真っ黒な背景に少しのショートカットがあるだけの殺風景なデスクトップが、仄かに映り込む彼女の顔と共に表示された。
いくつかのショートカットを経由し、少女はポケットから取り出した小さなデバイスを繋げて、耳にあてがう。
「…………ええ、私よ。……いえ、何も問題はないわ。連中は対処してある。……それでは」
そう言ってデバイスをしまうと、パソコンを閉じて大きく伸びをする。
――なんで、彼女は……。
少女は首を振ると、反対のテーブルに残されたコップの中、底に残った冷めたココアを見つめた。
――やめときましょ。きっと、どれだけ考えても分からない。
少女は静かに席を立ち、ドアチャイムをリンと鳴らしてその場を後にした。
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