鉄の華
「あっ、ヒカリ、お帰り!」
ゆっくりと戸を叩く音に引き寄せられたサナは、ドアスコープの向こうに親友の顔を認め、ヒカリを迎えた。
「ヒカリ、どこに行ってた……」
しかしドアを開けた先には、何故か溝鼠のようにボロボロになっている少女の姿。
「あんたどうしたの!? まさか、まさか襲われた!? とにかく入って入って!」
サナの頭に浮かぶのは、いくつもの最悪な想像。ヒカリの髪の毛はぼさぼさで全身に雪がついて、指は赤くなっている。それにズボンも所々濡れていた。その姿が、7年前の悪夢をちらつかせる。
濡れて重くなったヒカリのコートを剥いだ所でサナは、ヒップホルスターに納められたM&P9がスライドオープンしていることに気がついた。何があったにせよ、少なからず拳銃を全弾撃ち尽くす緊急事態に見舞われたことはわかる。
「なにがあったの?」
だからその言葉は、サナがヒカリの幼馴染であることを加味せずとも当然だった。
「……猫に追われてきた」
――は?
ポカンとしてるサナに悪戯っぽく舌を出して「チューチュー!」とネズミの真似をすると、ヒカリはサクを呼びに向かった。
ヒカリの背中を追いかけ、サナは共に会議室に向かう。木製の大きな円卓の上にMSRの――楽器用の物を改造した――ケースを置き、2人は扉から一番離れた椅子の背もたれに掴まる。
「一体全体、どんな報告が飛び出してくるのかしらね」
廊下で何度も「後でね」とはぐらかされたサナは嘯いて、ケースをわざとらしく見詰めている。
「まあまあ、それは皆集まってからね」
その言葉を待っていたように扉は開かれ、シュンと、一緒に作業をしてる仲間が集まった。それから一拍おいて、サクが静かに会議室の扉を閉める。全員の視線が、ケースとヒカリの間を行ったり来たりしていた。
「どうぞ、開けてみてください」
呼んだ全員が集まった事を確認し、ヒカリは掌を上に向けてケースを指す。そして全員の視線を受けたサクがケースを引きよせ、左右二つのパチン錠を弾く。
そこには、今まで見た事もない鉄の棒が――円錐形のランスに酷似した形状の棒があった。
「……俺としては、ここにおいてある槍のような物の説明がほしいが……」
そう前置きをし、サクは開いたケースから手を離した。その後ろでシュンを始めとした技術畑の面々は、覗きこむようにして観察を続けている。
「……だけどその前に、ヒカリ、俺達がいなくなってる間に何をしていた?」
サクの言葉はどこか詰問するようで、サナにはどこか、怒りを堪えているようにも思えた。
「私は、寝入ってしまった3時間後に目を覚まして、街を歩いてました。そこで、八百屋のおじさんに焼き芋を貰いました。そうだっ、サナもう食べた?」
「勿論食べたわ、まだ温かかったから、暖炉の傍で」
そこまで言ってから、わざとらしく咳払いをしてみせる。
「あっ、えっと、とにかく焼き芋を食べてからサウスブロックの郊外に出て、街の外を走ってる車を眺めてました。すると森の中へ消えていく怪しい軍の車列があったので、こっそり接近してきました」
――1人でなんて危険すぎる、なんでそこで応援を待たなかったの?
サナはそう思って口を開こうとしたが、ヒカリの腰に無線がついてなかったことを思い出した。それなら接近しなくても、とも思ったが、言っても仕方ないかと口を噤む。
「そしたらトラックの中に木箱があって、その中にこれが……」
と言葉を切ると、「じゃ、ジャジャーン」と言いながら両手でケースを指し示す。それが宝物を見せる子供みたいで、少し可愛いらしかった。
「……成程。シュン達はこれが何なのか、出来る限りでいいから調べてくれ」
ケースを優しく脇に除け、サクは椅子に座る。興味深そうに観察していた仲間達は新しいおもちゃを買い与えられたように群がり、その特徴をメモしていった。
「全長、凡そ90センチか。ぱっと見MSRの短縮長と同じくらいかな」
「全鉄ですね、アルミでもステンレスでもない。それに純鉄でもないようです」
「鉄である理由があるのか、それとも……」
「凡そ3分の2まではただの鉄の棒だけど、そこから先は構造的に開くみたいだね。傘の骨が、花の蕾みたいに集まってる様にも見えるし」
部屋の片隅で固まり、頭を悩ませている。シュンもその中心で、槍を具に調べていた。
「それでヒカリ……なんでそんなボロボロなんだ?」
槍を任せ、サクはヒカリに向き合った。少しだけバツの悪そうな顔で、頭を掻く。
「そりゃまあ、政府軍の車列を偵察して、その帰りでこんなにボロボロになってるってことは、そういうことじゃないですか?」
その言葉を聞いたサナは腰に手を当てて、私は怒ってるんだぞ! というアピールを取る。
「ごめんごめん……。私の足跡を追跡してきたハンヴィー4台と交戦。運転手を1名射殺して、街の郊外に逃げ込みました。
……ん、でもあの人、どっかで見た様な……」
説明するために体験を思い返していたヒカリが、途中で目の合った男の顔を浮かべる。
――ううん、それだけじゃない。目を引く何かが、目を合わせる何かがあったような……
急に黙りこんだヒカリに、サナは窺うような目を向ける。
「あの人って……なんのこと?」
「いや、助手席に乗ってた人、前にも見た様な気がしたんだけど、気のせいかな……まあ、路地裏から使われてない廃ビルのドアをこじ開けて、屋上伝いに逃げてきて今に至ります。勿論追跡はされてません」
そこまで言いきってから、ヒカリは思い出したように手を叩く。というより、尚も疑るようなサナの目を逃れるように。
「そういえば、サナ達はどこ行ってたの?」
――よりにもよってそれなの……。
「私達は……亡くなった人の、遺品整理をしてきた」
ヒカリに伝えるのは最小限の言葉にとどめておく。それにサナ自身、やっていて気持ちのいいものではなかった。4人が死んでしまっていて、中には当然親しかった人もいた。
「そっか……ごめんね、皆に任せちゃって」
「いいの、大勢でやる事でもないし」
微かに痛む胸を押さえ、優しく笑顔を作る。
「うわっ、なに!?」
何か金属製の音に続いて、シュンの素っ頓狂な声。何かと思い振り向くと、シュンが槍を持っていた。
ただ、槍の形状がさっきとは異なっていた。さっき傘の骨のようにみえた部分が、花を咲かせたように開いている。その様子に、昔コウが傘の骨の部分をひっくり返して遊んでいたのを思い出した。
「これは……?」
シュンがひっくり返すと、傘の骨の根元部分に何かがあるのが見える。手を突っ込んでも指しか入らず、手で取り出すのは難しそうだ。
「これは……成形炸薬かな」
「すり鉢状になっているので、恐らくは。それに、信管を取り付けるスペースもあるようですが、詳しくは検分してみないと何とも……」
そう答えたのは、シュンの反対で手に顎を添えながら考えている、“いかにも研究者でござい”という印象をヒカリとサナの二人に与える人だった。
「サクさん、工作室で詳しく調べてきてもいいですか?」
「ああ、勿論。慎重にな」
2本の槍を持ってシュンの後ろに、まるで大学病院の院長が回診をする時のようについて行く4、5人。それに混ざって、ヒカリの姿もあった。
「さて……ヒカリ」
「ひゃっ、はい!」
背筋をビクッと震わせて、背を向けたままのサクにゆっくりと振り返る。
「お前は、少し休め。最近は大変だっただろう? 戦車に吹き飛ばされて全身を強く打ち、その次の日には明け方から初めての大規模戦闘、そして今日。折角だから、街の散歩を続けてきたらどうだ?」
ヒカリは口を尖らせながら、それでも「……はーい」と返事をした。ヒカリは自分だけ休んだり、そういうことが出来ない性格だから、今もシュンの手伝いをしようとしてたのかもしれない。
「ヒカリ、待て」
「えっ、まだ他にも?」
その嫌そうな声は滅多に聞く事がなかった。どうしてそんな早く部屋を出たがるんだろうと、サナはMSRを背負いなおす仕草を黙って見守っている。
「これを渡すのを忘れてた。ほら、こっちはヒカリの、こっちはサナのだ。他にも、俺達が持ってるから」
「俺達って、私達幼馴染?」
「そう。態々シュン達が作ってくれた、世界に6つしかない特注品だよ」
そう言って、サナとヒカリにスマートフォンの様な機械を手渡す。10年前のクーデター前はよく見かけたものだが、今じゃ無用の長物。一応、インターネットが軍に掌握された今でも、電話はしようと思えばかけられる。各家庭や会社、店には今でも固定電話が置いてあるし、携帯電話を持ってる人間も一定数はいる。
クーデター後は殆どの人間が携帯電話、ないしスマートフォンをもっていた。だが数年後に軍は大規模な摘発を開始した。毎日会社で顔を合わせる同僚が、次の日には国家騒乱罪を企図したとして連行される。数週間もすれば誰だって、電話が軍に監視されてる事に嫌でも気付かされた。
幸いなことに、無線基地局を介する電話と違い、直接無線を飛ばすトランシーバーなら、聞き耳を立てられることはない。クーデターから5年もすれば、無線機の取扱業者は嬉しい悲鳴を上げることになった。
「先に言っとくが、電話機じゃないぞ。各個人か全員かチャンネル変更機能のついた、携帯電話型のトランシーバーだ。一見して民間人の俺達が持つなら、こっちの方がいいだろう。携帯が使えなくなって10年だが、そんなに疑われることは無いだろうからな。10kmほどなら直接通信、それ以上なら、研究局の所有する各地のパラボラアンテナとミズキが押さえてる人工衛星を利用することで、軍の監視している無線局に触れずに全国で通信を行える。マップやGPSだって使える。当然、耐水、耐衝撃、耐粉塵性もいい……らしい」
最後の方が勢いを失いつつあったのは、携わったわけではないからだろうか。
「ちっちゃい割に、随分高性能なのね。それでも、私の手には少し大きいけど……」
そう言って二本の人差し指で対角線を作り、くるくるとデバイスを回している。
「さっき眼鏡をかけてる男性がいただろ? その人は研究局の副局長だ。その人が協力してくれてる」
――……研究局副局長?
「さっきも研究局って言ってたけど、その人は大丈夫なの?」
「メンバーからの紹介だ。『俺の古くからの友人で、兎に角すげえ奴!』って言われたよ。非常に協力的な態度だし、心配はない」
それと最後に……とリーダーが言葉を繋げる。
「ヒカリ、銃は置いて行け。ただ散歩をするのに銃はいらないだろう?」
ヒカリは俯いて、おとなしくホルスターから拳銃を抜き、予備弾倉と一緒にテーブルの上に置く。
「……MSRもだ」
「っ、それはっ」
ヒカリが顔をあげ、キッとサクを見据える。いくらリーダーでも、とその目が訴えていた。
「駄目だ。常日頃から銃を携帯する必要はないし、その銃を持っていたら、お前はまた独断で危険に飛び込んで行くだろう? だから駄目だ」
それでも、ヒカリはケースのスリングから手を離さない。
「銃が無ければ、私は困ってる人に手を差し伸べないとでも? 私は怯えて、何もできないとでも?」
銃があろうとなかろうと、私は危険に飛び込む。だから銃は渡したくない。ヒカリは確かにそう言っていた。
「……過去の思い出の為に、今や未来を危険に冒すことは出来ない。リーダーの俺の言うことが聞けないなら……ヒカリの幼馴染のサクとして、シンジの弟として言う。MSRを、置いていってくれ」
それでも、サクとしてもここは引くわけにはいかないと決めているのだろう。ヒカリの主張にも一歩も引かず、訴え掛ける目を見つめ返した。
ヒカリがスリングをぎゅっと握ってから、サナの方を見る。
――ごめんなさい。私には何もできない……
サナが視線を逸らすと、ヒカリは悲しそうな顔をしてから、ゆっくりとMSRを下ろした。銃を手に持ったときも、テーブルに置くときも、スリングを握り締め続けている。
「……ありがとう。また戻ってきたら、その時は返すから」
「……いえ、我儘を言ってるのは分かってますから。すいませんでした」
そう言ってヒカリは、笑顔を見せる。2人はその笑顔を直視できなかった。
無線や電波にはあまり明るくないので、そっち方面の方からしたら突っ込みどころ満載かも知れません。
ご意見等、お待ちしております