オペレーション:クローバー ~Slope Dope~
狙撃に関する説明を一から全て説明したいものの、それをしたら最早物語ではなくなってしまうので、割愛。
少なくとも、子供が面白半分でやれるような役割でも、軍人が一日二日でこなせる役割でもないので、彼女(達)には相当の覚悟と気合と才能があったのです。
レジスタンスにとって初の大規模戦闘、その緒戦は概ね彼女たちの思い通りに進んでいた。イーストブロックは暗転し、橋上では戦車と歩兵戦闘車を筆頭とした数部隊が、ヒカリによる狙撃を受け立ち往生。
向かい側の橋のたもとではサナがスモークを駆使し、縦横無尽に駆け回ることで一人で時間を稼いでいる。その更にセントラルシティ側では、未だ工作部隊が軍の足止め工作を続けていた。
だが、これだけではまだ足りない。サクからの撤退完了を知らせる無線が入らない限り、この作戦の勝利は訪れない。
サナとの無線を切ったミズキは、傍らで伏射の姿勢を取るヒカリに声を掛けた。
「ヒカリ、どう?」
つま先を開き、左手で銃身手前を支えている。バイポッドは上下の移動を考慮し、立てられていなかった。
「んー、先頭の戦車がシュンの地雷に引っかかって停止してるよ。破壊は出来てないけど、キャタピラが切れたみたいだからもう動けないと思う」
擱座した戦車から這う這うの体で出てくるであろう搭乗兵たちを狙撃すべく、橋から延びる目抜き通りの延長線上に位置するビルの上のヘリポートで、ヒカリがMSRのスコープを覗き込んでいる。街灯に照らされる戦車が、どこか物悲しそうに見えた。
中から出てくるのが例え純朴な若者に見えたとしても、ここで手を抜いてはいけない。ヒカリはサウスブロックを出発する前、何度も自分にそうきつく言い聞かせていた。
この前のパレードでの要人暗殺とは違う。敵を一人でも無力化し、一分でも遅らせることが皆を守ることにつながる。
「私達も後には退けないの。あなたたちが雑草を引っこ抜くっていうなら、私たちは雑草で結構。だけどあんたたちに引き抜かれるような軟な私達じゃない。雑草の中にも希望や幸運が根付いてるってこと、目に物見せてやるんだから」
「気合は入れすぎないように。距離約500、風40度から約0.5m、俯角約69度」
どこまでも冷静なミズキは後方支援要員であり、ヒカリ専属の観測手でもある。彼女はラップトップパソコンから手を離し、双眼鏡型の距離測定機を橋に向け、不可視光線を照射した。
「距離が約500に、風が北東から0.5、COS21度っと……
あれだね、このビルは180mくらいなんだね」
ヒカリは、もともと700mにゼロイン――放物線を描く弾道とスコープの中心部分が重なる位置を調節――されていたスコープのダイヤルを回し、500mにセットした上で、クロスヘアをハッチの数mm下に落とした。
その理由は、今回の狙撃が撃ち下ろしだからだった。
ヒカリと戦車を結ぶSlope Dopeが500mだとしても、重力が銃弾に作用する距離は500mよりも短くなる。そのため、等高点への狙撃よりも僅かに着弾点が高くなるのだ。
「今って何時だっけ?」
「朝の五時半。まさかここまで工作部隊が頑張ってくれるとは思わなかった」
「とはいえ、一月の6時は寒すぎるよ。我儘だけど、もう2時間くらい遅かったらなぁ……」
しきりに右手を動かし、少しでも温まるように体に挟んだりする。一応指貫グローブはしていたが、一月中旬のこの時期に指を露出させるのは辛いようだ。
「それに、こっちに向けられた敵意が強いよ。ここら辺一帯に、“狙撃手”って存在に対する敵意が向けられてる」
負の感受性の高いヒカリは、そんな呟きを口にした。
「……動いた」
両目を開いたまま右目でスコープを覗いていたヒカリの体に一瞬緊張が走る。スコープの向こうでは、擱座した戦車のハッチから手が出てきているところだった。そのごつごつした手に力がこもり、胸元に銀色の鷲が輝く軍服に身を固めた兵士が頭を出す。
「ヒカリのタイミングで撃ってもらっていい」
隣で同じように伏せているミズキが、パソコンの上で忙しなく指を動かしながら見向きもせずに告げる。無関心のようにも見えるがヒカリはそれを信頼と取り、円形の視界に意識を傾ける。
兵士は体を完全に戦車から引っ張り出し、後続の兵士に手を貸そうとしてしゃがみ込んだ。ヒカリはその頭頂部に狙いを定め、呼吸を整える。やがて動揺が消えさり、引金に掛けた右人差指に少しずつ力を加えた。
だが、引金を引き切る直前で、急に兵士の体に緊張が走ったのが見て取れた。まさか殺気が漏れてたのかとも思ったが、どうやら兵士の耳に装着された無線に入電しただけのようだった。
爆風に吹き飛ばされたコウのように耳が聞こえにくいのか、無線機を押さえて怒鳴っている様子が具に見て取れる。
気を取り直し、ヒカリは再び兵士の頭に照準を合わせた。息を吐き出してから指に力を加え……
その銃口が銃弾を排出した瞬間、兵士は擱座した戦車の中へ再びその体を隠した。
銃口が跳ね上がり、そして元通りの位置へ収束していく。それでもヒカリが兵士の亡骸を確認する事はできなかった。
「外した!?」
決して自らの腕を過信していたわけではないが、それでも外すと思っていなかったヒカリは思わず顔をスコープから離した。しかし良く考えれば、射撃後のスコープに兵士の影がどこにもないのはおかしかった。
「まさか、よけられた?」
ボルトハンドルを操って銃身内に残った薬莢を排出しながら考えたが、自分ですぐに否定した。
――そんな馬鹿なことあるわけない。 .338ラプアマグナム弾は初速900m。500m地点には約0.6秒で到達するんだからそんなことできるわけない。
だが、再びスコープを覗くと、その考えが間違っていないかもしれないと思った。ついさっきまで明確に捉えられていた戦車やIFVの姿が、煙に包まれて視認できなくなっていったのだ。良く見ると、複数の戦車の砲塔側面から何かが飛び出したのが見える。
「煙が……」
「あれは……戦車に備え付けられたスモーク・ディスチャージャー。煙幕弾を射出してる。恐らくスナイパー対策」
隣を見ると、ミズキは左手でパソコンのキーボードを弾きながら双眼鏡を覗いていた。随分器用だが、片手でもブラインドタッチは出来るものなのだろうか。薄く開かれた左目でミズキに目線を飛ばし、ヒカリはそんな事を考える。
「あのスモーク、赤外線対策もしてある。対暗視装置用ね。だけどあれじゃ、軍用のNVGも使用不可になる筈。自分達の視界を捨ててまで、スナイパーを嫌ったらしい」
ヒカリは思わず唇を噛み締める。レジスタンスが使っている暗視装置は、オージア軍のものと同じだ。今ヒカリに見えないということは、当然煙の内側にいる兵士からも外の様子が見えないということ。
だがそれでも、彼らには装甲車輛がついている。車輛の後ろを進めばはぐれるといった問題はないのだから、確かに効果的だった。
更に、レジスタンスの意図しない爆発が――約半km離れたビルが振動するほどの強烈な爆発が、辺りを襲った。
数分前。ライナー記念橋の上、アズマ達がLAVの陰に隠れながらじりじりと前進している途中、突然の爆音と共に先頭の戦車が大きく跳ねた。戦車の後方にとりついていた兵士たちはその衝撃に吹き飛ばされ、橋や後続の戦車に頭を打っている。中には、動かない者もいたが。
「――今度は何の爆発だ!? 状況を報告せよ!――」
苛立ちに塗れた将校の声が、耳鳴りの止まないアズマに襲いかかる。人事不省にまでは至らなかったが、車外で警戒していた仲間は軒並み耳を押さえていた。
「――2号機がやられました、敵の地雷です! 随伴兵3名が軽度の負傷、1名が、死亡――」
「――ちっ、役立たず共が! 狙撃手にばかり気を取られるな、足元もしっかり確認しろ! ここは橋だ、地雷は埋まってすらいないんだぞ。夜中だからなんて言い訳は聞かんからな、くそったれども!!――」
先頭の戦車から噴煙が上がるが、敵スナイパーのせいで助けに行く事は出来ない。ニシはちらちらと前方を覗き込みながら、戦車のハッチから手が出てきたことにとりあえずの安堵を覚える。それでも、彼が窮地に立たされていることを忘れたわけではなかった。
「駄目だ、出てくるな! スナイパーに狙われてるぞ!」
LAVの大きなタイヤの陰から頭を出しつつ、前方の擱座した戦車から這いだしてきた戦車長に叫ぶ。しかし、彼は地雷が爆破した影響で耳が遠くなっているようだった。
いつまでも頭を出してるわけにはいかないと、LAVに隠れなおしたニシは無線機に向かって再び叫ぶ。
すると、何かが聞こえたのか戦車長が無線機を手で押さえた。
「――すまない、もう一度言ってくれ!――」
思わず顰めたくなるほどの大声が耳に飛び込んできたが、構わずに叫び返す。
「今すぐ、戦車に戻れ! スナイパーが狙っている!」
敵スナイパーが狙っているという確証はないが、あの僅かな間に立て続けに二人を射殺したスナイパーが格好の的を逃すとは考えにくい。それに、狙われていなかったのなら戦車長があちこちに体をぶつけるだけで済む。
二度三度と声を荒げたことによってようやく自身の置かれた状況を把握したのか、血相を変えてちいさなハッチの中へ飛び込んだ。
戦車の車体に火花が散ったのは、その数刹那後だった。
「お前と一緒にいるせいで、俺まで勘が冴えてきちまったよ……こちらアイリス4、擱座車両の乗員は全員無事か!?」
ニシは隣のアズマに嫌味とも感謝ともとれる言葉を投げかけ、戦車に指示を出す。一兵士としては一刻も早く橋の中央から動きたかったが、後方撤退は処刑。だったら進む方向は一つしかなかった。
「――こちら第3戦車小隊2号機戦車長。操縦士と砲手は意識がない、装填手は頭回してるが無事だ。さっきの無線はお前だったか。心より礼を言いたい――」
「今度飯でも奢ってもらうさ。それより、合図をしたら車両から飛び出せ!」
だがその会話に将校が割り込む。その声音は誰が聞いても分かるほどに怒りを孕んでいた。
「――ラッシュ1からアイリス4、勝手な行動をするな! いいな、これは警告だ。次勝手な真似をしてみろよ?
第3戦車小隊はスモークディスチャージャー使用、第3機械化狙撃兵小隊は2号機内にいる奴等を引っ張り出せ。第4狙撃兵小隊は導爆線を用意しろ――」
確かに少しでしゃばりすぎたと、自分でも思うところはあった。平時ならとっくに銃殺されているだろうが、将校は初めての戦闘に案外気が動転している様で、警告だけで済んで幸運なんだぞと自分に言い聞かせる。だがそれと同時に、将校の苛立ちも感じられたことに少し寒気を感じた。
車輛の後方でタイミングを窺っていると、次第に煙が立ち込めてくる。戦車から飛び出すスモークグレネードが、橋の袂と同じように煙を焚く。
「――いまだ、行動せよ!――」
将校の掛け声と共に、第3、4小隊の歩兵が煙の中を弾かれたように動き出す。第3小隊はキャタピラが切れて動けなくなった車両へ駆け寄り、中で救助を待っている4名を引っ張り出す。
その間手の空いている者は隙間なく銃を構えて警戒。第4小隊は導爆線を車内から引っ張り出し、煙の向こう側へ放り投げる。きちんと一端は掴んでおく。
「――導爆線点火用意完了!――」
「――2号機の乗員救出完了!――」
「――ラッシュ1了解、起爆に備えろ――」
歩兵が装甲車両の陰に身を隠すのを待って、導爆線――爆薬で出来た紐――を起爆する。すると導爆線に誘爆された地雷が一気に炸裂し、今までのそれとは比べるべくもないほどの振動が走った。
「おいおい、この橋は大丈夫なんだろうなぁ!?」
ニシが興奮した口調で声を荒げる。
「こんなにでかい橋なんだ、心配なんかいらんさ!」
隣でアズマも同じように声を発するが、その心は至って冷静だった。
「――全地雷爆破確認。これより進攻を再開する――」
こいつぁとんでもねえ話だ!(貶し言葉)
という感想が大半を占めそうですが……ご意見ご感想、待っております。