表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
116/118

オペレーション:フォースエスコート ~Left behind~



 午後8時、青のスポーツカーが町の看板を通り過ぎる。ランドマークとなるような大きな建物も、人を引き寄せる観光地もない、小さな住宅街。各ブロックやセントラルシティに職場を持つ普通の民間人の町で、道路脇の家々からは温かい明かりが漏れている。


「この町が、保護対象がいるっていう場所?」


「ああ。地図によると、大通りを少し外れた先にあるそうだ」



 通りを曲がり、路地の入口で路肩に車を止める。教授の家へは、もう歩いていける距離まで近づいていた。


「その教授ってのは、軍への協力を拒んで隠れてたんだろ? なんでこんなセントラルシティのすぐ傍にいんだ?」


 車から出て背筋を伸ばすと、コウはバンダナを結びながら道路標識を見る。数十キロ車を走らせれば、そこはもう軍の司令部だ。


「さあな……何かの目的があるのか、裏をかいたつもりなのか。いずれにせよ、もうじきわかるだろう」



 サクは拳銃のセーフティを解除して、地図を見返す。それから振り向いて、車を出ようとする副局長を押しとどめた。


「すみません、この車、住所の裏にまわしておいてもらえますか? 教授の捜索は我々三人で行います、危険なので」


「あっ、じゃあコウ、拳銃渡してあげて」


 言われるがまま唯一の武装を渡したコウは、使い方を簡単に説明してから、両手をひらひらさせてどうすんだとヒカリに無言で尋ねる。


「私がハンドガンしか持ってこないなんてことないから、安心して」


 車のトランクを開けると、ヒカリのリュックと、いつもの楽器ケースが現れる。リュックの中からP90を引っ張り出すと、マガジンと一緒にコウに手渡した。


「……相変わらずだけど、お前、いつもこれ全部持って歩いてんの?」


「まあ、状況によるけど、大体は」


 何か言いたくなる気持ちを抑えて、コウはP90にマガジンを叩き入れた。





「こちらレジスタンス。聞こえますか?」


「――ああ、聞こえているよ。もう着いたのか?――」


 副局長と別れた後、渡された無線機でテイジ(研究局長)と連絡を取る。


「いや、目標の家へ向かう最中です。確認しますが、万が一家が軍の制圧下にあった場合、或いは目標の姿が確認出来ない場合はどうすれば?」


「――ふむ……その場合はまた連絡をくれ。私は恋する乙女の様にこの無線機の前に待機していよう――」


 コウの吐くような表情に苦笑いを浮かべ、サクは通信を終える。




 時折道を歩くスーツ姿の民間人が、三人を気にしながら通り過ぎ、或いは車道の反対側から視線を遠慮なくぶつけてくる。


「俺達そんな睨まれるようなことしてねえんだけどな」


歩きながら耳打ちをしてくるコウ。ちらりと横を見てから、ヒカリはサクにも聞こえる声で返事をした。


「謎の三人組がバンダナ結んで歩いてたら、近隣一帯に連絡が行くくらい不審だよ。それより、特に何の騒ぎも起きてないみたいだから、まだ軍は現れてないみたい。急いで向かおう」


 大きく一歩を踏み出したヒカリを、サクが手で制す。驚いたヒカリが抗議をしようとしたが、その視線の先を辿り、口を閉ざす。3人の先には、赤い屋根の小さな一軒家が、ひっそりと静かに佇んでいた。












『……やあ、久しぶり……あぁ、あぁそうだ、何年経っても変わらず研究ばかりだよ。これが私が選んだ道だからな。そっちは元気でやっているか?』



『……お前たちが恋しい。何枚、何十枚と写真を送ってもらっても、その瞳が私を映し出すことはない。私たちの天使が美しく羽ばたいていくその過程も、私が20年前に夢と引き換えに捨てた、余りにも大きすぎる代償だった。だが例え遠い異国にいようと、お前たちが元気でいることが私の支えだ。

 前掛けを離乳食で汚し、転んでは泣いてばかりいたあの娘が、思春期を私の小言など聞かず伸び伸びと育っていくことだけが、研究を続けるという愚かしい選択をした私にとっての、はっ、唯一の喜びさ』





『……国に帰れないとはどういうことですか? 俺には国で帰りを待ってる家族がいます、生まれたばかりの娘だって。自分たちで招いておいて帰さないとは、この国の客人に対する態度がそれですか? 口八丁な高官たちも、力を振りかざすあなた達軍人も、俺にとってはこの国を背負う代表であることを理解してその言葉を選んでいただきたい。

 ……なら俺の答えはこうだ。戦争だなんて知ったこっちゃない、あんたらのふざけた囲い込みなんか関係ない! 研究者は決して技術を軍事利用させはしない。今すぐ、俺を、家に、帰せ!!』




『ごほっ、ごほっ……違う、違う……そんなのは知らない。疑うのなら俺の家でも研究室でも、ひっくり返して調べればいい……っ! がはっ、がぁ……

 ……ふっ、はぁ、ははは……いや全く、まさかこんな、ふざけた状況になるとは毛先程も思ってなかった……研究費の免除、環境の用意、同志の存在。そんな甘言に、袖を掴む妻と泣きじゃくる娘を振り払って、飛びついてしまった結果が、戦争で帰れなくなり、挙句に産業スパイ疑惑か。ははぁ……全く、自伝でも出せば、幾らか贖罪の足しになると思うが、どう思う? っ、ぐぅぅ……あああぁぁ!!』




『……ふぅ……ふぅ……分かった、分かった……頼む、これまで通り、協力させてくれ……まだ娘は、二本の足で立つことすらできない子供だ……そんな子の心を曇らせた挙句、未来まで奪うなんぞ、どこの世界の出来損ないにだって、許されやしない……そうだろ……?

 ただ、ただ一つ、頼みごとがある……月に一度、いや年に一度でいい。あの天使が、俺の人生に研究以外の色を与えてくれた、あの日に……あの日に、あの子の声を聴かせてくれ……』






『…………うん? 何をそんな不吉なことを。もう何十年もこの国のために協力し続けた。その結末がそんな呆気ないものであって良いはずないだろう? だから安心してくれ。私は必ず、お前たちの元へ帰る。……今、近くに我らが光はいるか?

 ……久しぶりだな。今は……もう二十歳か。参ったな、お前の誕生日に飲むはずだった酒が、今頃棚の裏で埃を被ってしまってるよ。ちゃんと母さんの言うことは聞いてるか? お前には本当に迷惑をかけたが、同じくらい、母さんを不幸にしてしまった。それにもし父さんのせいで、お前の人生から夢を追う楽しさを奪ってしまっていたら、申し訳ない』




『……お前の声が聴けて良かったよ。私がお前たちに与えられたものなど、恨みや怒りを除いてしまえば数えるほどもないが、お前と母さんは、私にあまりにも多くの物を与えてくれた。それらを手放してから胸に空いた穴に気付くような愚かな私を、それでも父親と認めてくれるなら、どうか何も聞かずに、さよならを告げてくれないか』











「……ヒカリ? どうした?」


 声と共に、サクの顔が目の前に現れる。驚いて踏鞴を踏んだヒカリは、何度か瞬きをしてから辺りを見回した。


「突然ぼーっとして、何かあったか? 気を抜くなよ」


「い、いえ……何でもないです、すいません」


 敷地に一歩踏み込んだ時に感じた自責の念は、すぐ次の瞬間には霧散していた。4月の夜に相応しい風が首筋を撫でる。



「コウ、裏口に回れ。俺とヒカリは正面から行く、ノックをしても反応がなければ、合図で突入するぞ」


 コウが庭を横切っていくのを見送り、二人も正面玄関へ近づく。窓にはことごとくカーテンがかけられ、その隙間から明かりが差すことはなかった。扉の両脇はガラス張りになっていたが、そこから見ても状況は同じだ。



「どの部屋も真っ暗……20時半だし、助けを求めておいてこの時間に眠ってるなんてことはないだろうけど……」


「……資料にあった家の構造は憶えてるな? 中に入ったらお前はキッチンからまわっていけ。コウには二階を当たらせる」


「了解です。手遅れじゃないといいけど」


 M&P9のグリップを握る手が冷える。昼間からこの寒さを予想出来ていたなら、薄いパーカーではなく厚手のジャケットを持ってきていただろう。手に息を吐きかけて、その震えを誤魔化す。




「――リーダー、準備できたぜ――」


「わかった、これからノックする。合図があったら二階をクリアリングしてくれ」


 家全体に届くよう、殴りつける一歩手前の力で扉を叩く。響いた音の名残がなくなるまで息を詰めて待ったが、照明が付くこともなければ、客を待たせないようにとせわしない足音が近づく気配もなかった。首を振ったサクに従って、ヒカリは無線機を握りしめる。


「……コウ、突入するよ。オペレーション:フォースエスコート、開始」


「――おっ、今回もかっこいい名前だな――」


「やめて」





 サクが扉横のガラスを叩き割る。家人がいれば飛んで出てくる音が鳴るが、変わらず気配はなかった。二人は拳銃と懐中電灯を取り出し、左右に分かれる。


 左に進んだヒカリはゆっりとドアを開け、キッチンに入る。洗い物は溜まっておらず、濡れたタオルも、臭いを放つごみもない。食器や食品は丁寧に棚に並べられ、まるで生活感がなかった。


 ――私の家みたい。



「キッチンクリア、綺麗な状態のままです」


「――リビングルームもクリア。埃は被ってないが、本当に住んでいたのか疑わしくなるな――」


「――二階に上がった、こっちにも人の気配はない。一応一部屋ずつ探してみる――」


 頭上を歩くコウの足音が聞こえる。ヒカリはキッチンから続くもう一つの扉を開けて、部屋中隈なく懐中電灯を向ける。中は小さな貯蔵庫で、棚に多種多様な缶詰や密閉処理された食品が乱雑に並んでいた。他の部屋と比べても空気がひんやりとしていて、大きく吐いた息が少しだけ白く変わる。


「隣の貯蔵室もクリア。冷蔵庫並みに寒いんですぐ出ます」


「――わかった。洗面室とバスルームも見たが、痕跡はない。襲撃を警戒して移動した可能性もあるな――」


「――今二階の部屋も見たけど、やっぱ誰もいねえ。とりあえず一回下に戻る――」




 三人はなんだか肩透かしを食らったような気分のまま、玄関と階段を結ぶ廊下に集まる。明かりを点けると、冷たい白色灯が音を立てて点いた。


「靴は何足持ってるか知らないが、少なくともポールハンガーから上着を取った形跡はないな。昼にコウの父親に助けを求めてからすぐにどこかへ逃げたか……」


「助けろっつっといて行き先も言わずに逃げられたら助けようなくね? どっかにメモでも残してんのかね」


「そうだな……手分けして探そう。俺は局長に現状を報告する」


「じゃあ、私は上で。コウはサクさんが見たところを見てみて」



 ヒカリは静かに階段を上がると、とりあえず一番近くの部屋に入った。少し詰めの甘いメイキングの施されたベッドと木製の机がある程度の、随分と殺風景なベッドルームだ。念のためベッドの下も確認するが、うっすらと積もった埃以外は何もない。


「机の上には……」


 机にも大したものはなかった。文書セットとボールペンが目に付き、何となくペンで筆跡が浮かび上がらないか確かめるが、効果はなかった。そこで伏せられた写真立てに気付く。元に戻すと、赤ちゃんを抱える女性の肩に、船のようなペンダントを付けた男性が手をかけている、何の問題もない家族写真。




「――聞こえますか?――」


「――ああ、聞こえる。良い答えが頂けるのかな?――」


 無線機からサクと局長の会話が流れ出す。


「――申し訳ありませんが、あまり良い報告ではないですね。目標の家屋を捜索中ですが、もぬけの殻です――」


「――……争いの形跡は?――」


「――それも皆無です。むしろ生活感の欠片もないくらい清潔です――」


「――参ったな……彼は非常に理知的な人だ、無暗に出歩くなど考えられない。可能性としては、何か我々にのみ分かる手掛かりを残し隠れたか……――」


「――俺達もそれを考え捜索中です。もしそちらに連絡があったらすぐに――」


「――ああいや、待て! 待て待て……そうだ、彼は昔、一度だけ言っていた。『地下室だけは、恥知らず共に踏み荒らされるわけにはいかない』と――」




「地下……」


 局長からもらった資料には家の間取りが記載されたものもあったが、そこに地下室の存在は無かった。庭や敷地にそういった扉は見受けられなかった以上、家のどこかに隠し扉でもあるのかもしれない。



「……それにしても、寒いな……」


 廊下に戻って、思わず呟く。まるで風が吹き抜けたような悪寒に肩を震わせ、カーテンを捲って窓が締まっているのを確認する。



 ――なんか、この家に来てから妙に寒いと言うか、寒気がするっていうか……



 一階は二人に任せて、ヒカリは引き続き二階を捜索する。だが残る3部屋はベッドルームが二つと書斎で、いずれも隠し扉や行き先を示してくれそうなものはなかった。書斎ではいくつか適当な本の背表紙を引いてみたが、隠し扉が現れることはなく、小さく肩を落とす。


 気になったことがあるとすれば、二つのベッドルームはどちらも――それまでの部屋と比べても――あまりに生活感がなかったこと。そして、その内一室は子供部屋だったことだ。


「中古物件を貰い受けた……にしてもベビーベッドとかおもちゃとか、そのまま置いとくかなぁ。それに……」


 そう、カラーボックスを見遣る。本当なら絵本なんかが収まっていそうな棚には、『娘と向き合う方法』『妻を怒らせた ~謝罪の伝わる贈り物~』などといった父親向けの本ばかりしまい込まれていた。



「――ヒカリ、そっちでなんかあったか?――」


「んん、特に……色々気になることはあったけど、少なくとも教授の行き先とか地下室の扉については、何一つ……そっちは?」


「――こっちもなんもねえな。なんも無さすぎて不安になるくらいだ。ただ、ひとつ気付いたのは、リビングだけ妙にあったけえ。多分エアコンが付いてたんだろうけど、リモコンはテーブルの上に、テレビのと一緒にきっちり並べられてんだよな――」


「――こっちは特に何もないな。キッチンに古い幼児用のプレートが一枚しまってあるのが見えたが、これと言って気になることは何もなかった――」



 二人の報告を聞いて、ヒカリは思わず唸る。どこを探しても地下室への道は見えてこない。


「――もしかして、地下室って全く別のどっかにあるとかじゃねえよな――」


 コウの呟きが無線機を通って聞こえる。


「ううん、少なくとも夜までは教授はこの家にいたはず。昼は暖かかったから、暖房は夜、寒くなってから使ったんだろうし」


「――もし夜に出掛けたとしたら上着の一枚くらいは羽織るだろうが、玄関のハンガーは全て埋まっていたしな――」


 一先ず下の2人と合流しようと、ヒカリは階段の一段目を降りる。その時、背後の窓から再び冷たい風を感じた。


「さっむ……なんなの、もう。……隙間風か」


 どうやら建付けが悪いようで、鍵は閉まっているが、窓と窓の間に隙間が空いていて、そこから風が入り込んだようだった。こんなんじゃ風邪引いちゃうよ……と呟いて、それから手すりを掴もうとする手が止まる。



 ――風。通り道。寒い……



 急速に一つの考えが頭に浮かぶ。階段を一段飛ばしで降りると、ヒカリは一直線に貯蔵室に向かった。




「ん? どうしたヒカリ、慌てて。腹でも減ったか」


 貯蔵室の扉を開けると、中にはサクがいた。その勢いに驚き、持っていた缶詰を差し出してくる。


「いやいや、そんなわけないじゃないですかサクさん。改めて思ったんですけど、ここ寒すぎませんか?」


「ああ、確かにな。入った瞬間に思ったよ、足元からせり上がってくる寒気を感じるな」


 だからこそ保管庫として使ってるんだろうが、と爪で棚を弾く。



「そっちはどうだ、上には何か……ヒカリ?」


 サクの言葉を聞いて、ヒカリは突然蹲った。指を舐めて、棚の底に手を伸ばしている。


「……ほんとにあった……」


「…………ここが寒いのはそういうことか。下がれヒカリ」


 ヒカリは頷いてコウを呼びに行く。サクは棚を掴むと、金属の擦れる嫌な音を発しながら片隅に寄せた。しゃがみ込んで壁際に手を宛がうと、壁の向こうから冷たい空気が流れ込むのを感じる。近くには床に偽装したフットペダルも埋め込まれていて、強く踏み込むと、正面の壁が小さく浮き上がった。


「ロマンのある家だな……」



「リーダー、隠し扉があるってマジ……マジかよ、すげえな」


 ヒカリに連れられてやってきたコウが見たのは、壁の一部が扉の様に開き、その向こうにはしごが地下へと伸びている光景だった。


「秘密基地みてぇだな、ちょっとワクワクしてきた。いつかこういう家に住みたいんだよな」


 緊張感もなく目を少しだけ輝かせるコウに、ヒカリは冷めた視線を投げる。


「えぇ……? なんで?」


「なんでって……引き出しの二重底の下の拳銃とか、壁に飾ってあるライフルとか、カンペキだろ?」


「へぇ……今度サクさんと一緒にお使い行ってきたら? 多分楽しめると思うよ」


 冷めたヒカリの態度に、サクは同情の苦笑を漏らす。


「さあ行くぞ、気を引き締めろ」










 小さな空間に、はしごを降りる音が木霊する。あまり深くまで降りずとも、地面はすぐに現れた。冷え切った空気が三人の吐息を白くさせ、手が温めるよりも早く、銃から熱が奪われていく。


 通路の明かりは、足元の高さにある間接照明だけだった。そこから照らされる壁や床はビニル床で、病院や研究局と同じような雰囲気の光景だった。薄暗い通路をP90を持つコウが先行する。


「何か見えるか?」


「いや……」



 短い廊下の行き止まりが見え、左に折れている。コウは壁際にぴったりとくっついて静かに行く先の様子を窺う。先には薄く照らされた扉が待ち構えていた。


 三人は両脇に構えると、ゆっくりとノブを回し、思い切り開け放つ。だが内部に人の気配はない。



「寒さの発生源はここか……暗くて見えないな」


 どうやら行きついた部屋は大きな円形で、壁際の照明では部屋の中央まで明かりが届いていない。だが一つ、青く光っている画面があり、コンピュータが置いてあるのはわかった。


 壁に沿って歩き、電灯スイッチを見つける。オンにすると、天井の間接照明が点き出し、部屋の全貌が明らかになった。



 部屋の中央に、大きな液晶パネルが鎮座している。その周囲にごてごてと沢山のコンピュータが繋がっていて、無数のケーブルは床下へと延びていた。


 壁には入ってきた扉以外外部と繋がりそうなところはなく、三人は壁際からゆっくりと中央に近づく。一歩進む度、嫌な予感が胸の鼓動を速めた。




「……いくつか予想はしてたが、やはりこうなるか」


 コンピュータの置いてあるカートの向こう。液晶パネルにもたれかかるように、白衣姿の男性は事切れていた。額に一発、正面から撃たれたようだった。どの角度から見ても、事前にもらった資料の教授と特徴が一致している。大きな船のようなペンダントも、写真と変わらぬ形で胸にかけられていた。




「ヒカリ、局長にこのことを伝えてきてくれ。俺たちは……犯人の手掛かりや、遺品になりそうなものを探しておく」


 トスされた無線機を両手で受け止め、ヒカリは厚意のまま来た道を引き返す。地下から出れば、凍えるような寒さが和らいでいくのを感じた。油断をすれば風邪を引くのは間違いないが。



「もしもし、聞こえますか?」


「――おや、無線交換手さんの出番か。状況はどうなっただろうか、希望があるといいのだが――」


「……地下のコンピュータルームで、教授の遺体を確認しました。抵抗した様子はありませんが、何者かに射殺されたようです」


 無線機の向こうからは、癖のある迂遠な言葉も、吐息すらも聞こえない。まるでヒカリの言葉がそっくりそのまま聞こえなかったかのようだ。それでも少しの間ヒカリは待った。ゆっくりと歩いて二階へ上がり、教授の私室であろう部屋に入る。そこでようやく、テイジが口を開いた。



「――わかった、私のわがままを聞いてくれてありがとう。君は彼が、地下のコンピュータルームで倒れていたと言ったな?――」


「はい。部屋の中央に透明なガラス板みたいなのが立ってて、そこにもたれるように。多分足元にはサーバールームがあるみたいで、冷凍庫まではいかなくても、冷蔵庫並には冷えていました」


「――…………アントンさん、あなたはまさか、本当に……?――」


 きっと今の言葉は、ヒカリに向けられた言葉ではない。



「……それで、どうしますか?今二人には、手掛かりと遺品になりそうなものを探してもらってますが」


「――……そのコンピュータの中身を開くことは出来るか?――」


「ちょっと待ってくださいね……サクさん、聞こえますか? 部屋にパソコンがあったと思うんですけど、開く事ってできますか?」


「――……ああ、どうやらスリープ状態だったらしい。今つけたが……『パスワードを入力してください』――」



 サクの言葉を遮るように、無機質な女性の声が無線機に入る。驚いて部屋を見渡したが、テレビは置いてなかった。


「――驚いたな……液晶に少女の姿が映った。どうやらこのディスプレイはコンピュータと連動しているらしいな」


『エラー。パスワードが違います』



「――……それに、音声入力らしい――」






「局長、パスワードはわかりますか?」


 サクからの通信が切れた後、ヒカリはもう一度テイジに連絡する。だが返事は「すまないがわからない」という謝罪だった。


「――残念な話ではあるが、彼に地下室の話を聞いたのも、酒精の力によるものが大きい。AIを作り出したなどという話に至っては聞いたことすらない。

 彼は元々異国の人間だ。戦争による混乱を利用し軍は彼をこの国に幽閉した。そういった意味では、腹を割って話せる友人など、一人として作ることは出来なかったのだろうよ――」


 棚に収まった本をぱらぱらとめくってメモ書きを探していたヒカリは、テイジの言葉に表紙を閉じてベッドに腰かける。



「地下のあのコンピュータ、AIなんですか?」


「――推測にすぎないがね。そもそも彼は人工知能の専門家だ、その分野の功績が認められて、破格の報酬と共に教授として招聘(しょうへい)される程の。もっとも彼は知識や理論の協力はしたが、一度たりとも物質としての成果物を作成しなかった。軍に悪用されるのを防ぐためだろうな――」


「だけど、自宅の地下に、秘密裏に人工知能を作っていた……」


「――そうなるだろう。人は血に抗えないと言うが、彼もその例に漏れず、自らの内に潜む研究者としての欲求を抑えることが出来なかったか。或いは遠く離れた母国に残した家族に会うための唯一の打開策か。だがどちらにせよ、きっとその人工知能の存在が嗅ぎつけられたのだろう。

 ……ここに重ねて頼みたい。どうか彼の、亡きアントン氏の最初で最後の生きた証を、回収してもらえないだろうか――」



 それは最早交渉や交換条件ではなかった。テイジの“頼み”を聞き、クローバーが刻印されたライターが目に浮かぶヒカリに、答えは元より一つしかなかった。



「局長さん、私たちは……」




 だが答えを口にしようとしたところで、不意に言葉が切れる。体中の産毛が少しずつ粟立つような、この感覚。部屋の電灯スイッチに慌てて手を伸ばしたが、消す直前に思い止まる。敵意を向けられている以上、この家に誰かがいることはわかっているのだろう。ヒカリは明かりの点いていない隣の部屋に移動すると、カーテンの隅をめくって辺りの様子を窺った。



「二人とも、それと局長も。敷地正面に軍の部隊です。規模……一個小隊程度、道路にはM2重機関銃を積んだテクニカルも」


「――一個小隊だと? 3、40人前後か、一軒家を訪ねてくるには少し多すぎるな――」


 車の陰で軍人の一人が左右に腕を振ると、家を囲うように数人が広がっていく。どうやら彼らは最初から“やる気”らしい。


「敷地内に左右5人ずつくらい別れて囲い込んできてます。もうお(いとま)するわけにもいかなそうですね。籠城戦、でしょうか」


「――つっても、ハンドガン2挺とP90、MSRだけだろ? 戦えっか?――」


「ううん、籠城するだけなら、警戒さえ怠らなければそこまでの武装は必要ないかな。あくまで、『大した武装がない』ってバレなければだけど。

 それよりリーダー、パスワードの解読を急げますか?」


「――この状況でか? 軍に渡らないようにするなら、破壊するだけでも問題はないが――」


「駄目です! 破壊は駄目です、それは教授の遺品です。局長も、何より私も、どうにかして中身を持ち帰りたいんです」


「――……努力しよう。エッジ、上に上がってラビットの援護を。ラビットは二人で軍が近づかないよう見張り、必要に応じて牽制だ。余裕があるようなら、パスワードの手掛かりの捜索も並行して行ってくれ。

 副局長も聞こえてますね。車で強硬脱出もあり得ます、用意を――」


「――りょ、了解です――」


「了解、ですが撃つのは可能な限り控えます。万が一増援を呼ばれたら打つ手無くなりますから」



 ある程度の方針は決まった。あとはこの難しい作戦を実行に移すだけだ。


「……そこまで長い作戦は今回はあらゆる面で不可能ですが、耐え忍ぶ戦いは精神力との勝負です。私たちは絶対に教授の遺品を回収し、4人全員無事に脱出する。皆、忘れないでね!」


 皆を鼓舞し通信を終了する。だがもう一方の手に持った無線機が今度は反応した。




「――……人の外見というのは信用に値しない。それらは医療技術の発達だけでなく、個人的技術一つで容易に覆い隠され、取り繕える代物だからだ。その裏に隠された趣味、嗜好、哲学、それらを窺い知ることはあまりにも難しい。だからこそ我々は、言動や行動といったものの中に鏤められた内面を一つ一つ集めなければならない。少なくとも私はそう考えている。

 どうか君に謝罪をさせてもらいたい。先程研究局で会った際、私は君に侮辱をしてしまった。他者へ内面をひた隠しにする者ほど外見をよくするものだから。だが君の心はまっすぐだ、誠に申し訳なかった――」


「勘弁してくださいよ、私はそんなまっすぐな人間じゃないんですから。でも、そう言ってもらえるのは嬉しいです。

 ……申し訳ないと思うなら、一つお願いを聞いてもらえますか?」


「――レジスタンスへの技術提供か? それとも、軍内部の情報を漏らせと?――」



「私のお願いは……」


 まるで今日の晩御飯をリクエストする娘の様に、ヒカリは頬に人差し指を宛がい、小さく相手にだけ聞こえる声で“お願い”を告げる。



「――……ははっ、そうだな、わかった。君たちが無事に戻ってきたら、そのお願いを履行することを約束しよう――」


 想像しなかった朗らかな笑い声を最後に通信が切れる。ヒカリは深呼吸をして気持ちを入れ替えると、ケースからMSRを取り出して臨戦態勢を整えた。



 戦いの火蓋は、夜の帳の中で、静かに切って落とされた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ