Orphanage family
「ほら、着いたわよ。我が『笑顔と正直の園』にようこそ。私たちは、巣立った子供たちとその友人を、いつでも歓迎するわ」
一歩門を潜り抜けた4人を、レミは先んじてお辞儀で迎え入れる。彼女の背後には、一階ごとに赤や黄色などが塗り分けられた、カラフルな4階立ての建物が広がっていた。目の前は門の様に空いていて、その左右に入り口があった。建物の向こうにはブランコや滑り台が見えて、どうやら学校でいう校庭のようだ。更にその奥には、雰囲気に似付かわしくない縦長な建物があるが、あれが礼拝堂だろう。
想像の数倍は大きい孤児院に、口をぽっかりと開けたままサクラは建物を見上げていた。窓の形も丸や星など様々で、その上一つ一つがどこか不揃いで、まるで手作りのような温かみを感じた。
「『我が』って……もしかして、お母さんが院長なの?」
出迎えの言葉に引っかかりを憶えたシュンは、まさかという表情を浮かべる。しかし予想に反し、レミは少しだけ考えて、それから両手を合わせて謝罪のポーズを取った。
「そういえば、あなた達には言ってなかったわね。前院長先生は腰を悪くして入院していらっしゃるの。それに結構なお歳だから、是非私に継いでほしいって」
院長と聞いて、サクラは焦点を目の前のシスターに戻す。しかし笑う彼女の姿は、どこか複雑そうに映った。
「嬉しくないんですか?」
「ん? そんなことないわ。私を育て上げてくれた院長先生が、私を育ててくれたこの施設を任せてくれたんですもの。……ただ、子供たちの事だけ考えているわけにもいかなくなってしまったのは、少しだけ残念ね」
誰にも聞かれてはいけない秘密の話を耳打ちするように、レミは周りを見回してから小さく漏らす。
「レミさんって、本当に子供が好きなんですね」
「そうね……子供たちのことは好きだし、それが恩返しにもなるから。事務仕事とか運営に関わる仕事が苦手っていうのもあるけどね」
「ちょっと、レミ先生? こんなところで一体何をしていらっしゃるのですか?」
ほうきと塵取りを持って出てきた銀髪の女性が、レミの姿を見つけて眉根を寄せる。その雰囲気からして厳めしく、レミは無意識に指先まで伸ばし、気を付けの姿勢をとった。
「いつも子供たちを気にかけているのはとても殊勝な心掛けですが、それだけではこの孤児院は回らないと、いい加減ご存じのはずですが。お陰で他の仕事がたまっているんです、お客様だって、我々であしらうのは限界が……」
そこでずれた老眼鏡を直し、サクラたちの姿を正確に認識する。
「あらあら、これは大変お見苦しい所をお見せしてしまいました。ようこそいらっしゃいました、『笑顔と正直の園』へ」
そう言って恭しいお辞儀をするが、顔を上げると、その目は再び険しくなっていた。それを察知したレミは何かを言われる前に、「それじゃあ!」と場を切った。
「それじゃあ、私はまだ用事があるから、ここで一旦失礼するわね」
子供たちを振り向いたレミは、小さく唇を尖らせて反抗してみせる。サクラが堪え切れずに笑うのと同時に、背後の先生が大きくため息をついた。
「悪態をつくのは、院の子供たちの前では決してやらないように。貴女は今や、子供たちだけでなく、他の先生らの規範とならなくてはいけないという事を」
「ああっもうわかった、わかりました! わかりましたからメアリー先生も業務に戻ってください!」
「ええ、言われなくとも。ただし、貴女を監督するのも私の役割だと、忘れてはいけませんよ」
何食わぬ顔でレミに微笑むとその場を離れる。
「お母さん、相変わらずメアリー先生に怒られてるんだね」
「出会ってから今日まで、頭が上がったことなんて一日たりともないのよ。彼女自身が苦労したからか、とても礼儀や態度に厳しい人だから。勿論、形式上は私の方が偉くなった今でもね」
「べー」と、去っていく背中に舌を出す。
「ごめんなさい、皆は子供たちに会ってきて。シュン、ミズキ、いつもの部屋よ。私も仕事が片付いたらすぐ行くから!」
レミはそう言うと、内向きの腕時計をちらりと見て、そそくさと建物へ入ってしまった。
「院長先生って忙しいんだね……」
「さっ、ここだよ。ここ普段皆が遊んでるレクルーム。いつもここで皆におもちゃを配ったりしてるんだ」
レミとは反対方向の入り口でスリッパに履き替えて、4人は3階の一室で立ち止まる。中からは子供たちの元気なはしゃぎ声が漏れていた。
「おもちゃを配る、って?」
「途中でお母さんが言っていた通り、孤児院は新しい刺激が少ない。だから私たちは、たまに新しい玩具を持って行ってあげてる」
ぬいぐるみとか、カードゲームとか、サナの選んだゲームとか、と、今まで運んだおもちゃを列挙しながら、ミズキは扉に手をかける。だがその腕をサナが掴み、「待って」と制した。3人の視線がサナに集まる。
「サナ、どうしたの?」
「……私、やっぱ表で待ってることにするわ。よく考えたら、子供たちの事よく知らないし」
「ちょ、ちょっとさっちゃん、どうしたの突然? そんなこと言ったら私なんて、ただの部外者だよ?」
引き留めようとするサクラの言葉を受け、それでも戻ろうとするサナの服の襟を、ミズキは何も言わずに掴んだ。
「もう子供じゃないんだから、拗ねるのは終わり。行くよ」
「ぐぅっ……だ、誰が拗ねてるって? ……ていうか、手離しなさいよ!」
ミズキが手を離し、サナは首元を擦って睨みつける。それから服の調子を整えるが、相変わらず3人の視線が向いていることに気付くと、「行きゃいいんでしょ、行きゃ!」と扉を開け放った。
「せーのっ」
「おかえりなさい!!」
先生の合図で、子供たちの声が響く。下は歩き方のたどたどしい女の子から、上は学ランを着た男の子まで、レクリエーションルームを埋める程の子供が、シュン達が扉を開けるのを心待ちにしていた。
「あっ、サナ姉ちゃんだ! 鬼ごっこしよ、僕たちサナ姉ちゃんに負けないくらい速くなったよ!」
「兄ちゃん兄ちゃん、見てこのロボット、ハナコが壊しちゃったのを俺がかんっぺきに直したんだぜ!」
「ミズキおねーちゃん、だっこして、だっこ! わーい!」
子供たちの溢れるエネルギーにサクラは気圧される。孤児だからと身構えていたのがバカバカしい程に子供たちは明るかった。それに、拗ねていたサナも瞬く間に気分を良くして、ベランダから庭に伸びるトンネル滑り台を滑り降りていく。あっという間に子供たちの熱に飲み込まれていた。
工具の使い方を教えるシュンを、小さな子たちと遊ぶミズキを、元気を取り戻したサナを、何より、元気の塊である子供たちを写真に収める。
「それってカメラ!? すげーっ、超かっこいい!」
「お姉さんは皆の友達なの? こっちで一緒にあそぼ!」
カメラのフラッシュを焚いた途端、貯まった興味の堰を切ったようにサクラの周りにも子供たちが集まる。面食らいはしたが、すぐに近くの子供の頭を撫でた。
「へっへー、かっこいいでしょ! 皆撮ってあげる、集まって!」
先生の指揮の元、子供たちが整列する。そこにちゃっかりとシュン、ミズキ、それに先生が加わると、サクラは再度フラッシュを光らせた。庭で遊ぶサナたちに、後でまた撮るからと謝りながら。
「ねえせんせー、ほんとにいんちょーせんせーきてくれるの?」
「ええ、そのはずだけど……シュンさん達が来てくれる時は、いつも一緒に遊んでくれるじゃない」
「でもおそくない? もうあそんでくれないのかな……」
「きっと来てくれるわ、今はちょっと、仕事が多くて手が離せないのよ。だからもう少し待ってみましょ?」
先生と子供の会話で、サクラは時計を見る。皆と打ち解けてからもう30分は経っていた。
「レミさ……院長先生って、いつも一緒に遊んでくれてるんですか?」
ポロシャツにエプロン姿の先生に小さく聞いてみる。
「はい、週に何度も子供たちと遊んでくださるんですよ。一人ひとりの顔と名前は当然、好きな物や前に話したことなんかも全部覚えていてくださって、この前なんか、私も忘れてた子供からのおねだりも用意してくれたんです」
まあその分、お仕事の方は溜まってるそうなんですが……と苦笑してから、口元に片手を当てて話を続ける。
「管理職としての仕事って言うんでしょうか。学校や行事の団体さんとかと交渉するのはとても円滑に進めてくださるのですが、特に書類仕事が苦手のようで……いつも書類の山を作っては脱走して、メアリー先生に怒られるっていうのを繰り返してます」
「あ、なんかそれ、わかります。今日来るときもメアリー先生? って人に釘刺されてましたよ」
「いつものことですよ。院長さん昔この孤児院で、メアリー先生に育てられたそうなんです。だから実の娘のように接してるんですよ。それにメアリー先生自身、過去に苦労されたそうですから」
そこで先生は、子供の一人に呼ばれて話を切り上げる。それを見送った先の壁に、子供たちの絵が飾ってあるのが見えた。何枚もの絵に、彼らの母親になる先生と一緒に、手を繋ぐレミが描かれていた。
部屋の興奮も落ち着いてきたころ、サクラは太腿を叩いて立ち上がった。
――少し様子窺いに行こっかな。……あと、ちょっと探検も兼ねて。
「あれ、お姉ちゃんどこいくの?」
「ちょ、ちょっとお手洗い行ってくるね!」
「ちょっとコウキ! 女の子に何聞いてんの! お姉ちゃん、このお部屋出て、右に歩いてくとありますよ!」
女の子が男の子の肩をバシバシ叩く。サクラはそれに気のない感謝を告げると、静かに部屋を後にした。
「ええっと……随分広いな」
サクラは階段の近くの壁に院内図を見つけると、『院長室』の文字を探した。地下一階から屋上まで、西棟と東棟に分かれて描かれている。
「あ、あった。ええっと、西棟の一階……あっちの階段降りたとこか」
廊下を渡って、一階へ降りる。子供たちの声が遠くなり、と同時に日当たりが悪くなったからか、どこか寂し気な雰囲気を感じた。
階段の隅から頭だけを出し、廊下に人がいないことを確認してからようやく足を踏み出す。
「医務室、涙の部屋、家族の部屋、将来の部屋、職員室、で、院長室か……」
無事目的の部屋はあったが、それ以上に目を引く教室がある。ごく普通の学校の風景に溶け込むように存在する独特な名前を記したプレートに、サクラは自分が孤児院にいることを改めて実感する。
なんとなくカメラを構え、目の前の風景を写真に撮る。それから『家族の部屋』の扉に聞き耳を立て、人がいないことを確認してからゆっくりと中に入った。
「……? なんもない……」
てっきり孤児院の卒業アルバムや過去の写真を置いておく部屋かと思って侵入したが、その読みは完全に外れた。部屋にはアルバムどころか棚の一つもなく、その割に広い。子供が八人ほど入ってもまだ余裕がありそうだ。
「なんだ、つまんないの。まさかここまで何もわからない部屋を引くなんて……」
ぼやいて部屋から出ると、横の『将来の部屋』を覗く。今度はきちんと本棚があり、大小さまざまの本が差し込んであるのが見えた。さっきより躊躇いなくスムーズに中に入ると、適当に一冊を選ぶ。表紙には『職業図鑑』と書いてあった。
「将来の夢を決める部屋ってことなのかな。私には無縁な部屋だな」
無縁無縁、と口の中で繰り返すと、パラパラとめくってから棚に戻した。
「で、もう隣は院長室か」
部屋を出て右を見る。他の部屋よりがっしりとした扉の院長室がすぐ横にあった。また涙の部屋というのも見てないが、これ以上子供たちを待たせるわけにもいかない。扉の前に立つと、拳を固めて振り上げ……そこで止まる。
「……つま……ことか!? あぁ!? いつまで…………」
あまりの剣幕にサクラはぎょっとする。どうやら来客がいるようだった。
――それも、とびっきり関わりたくないタイプの。
怒鳴り声以外、気配すら感じられない。サクラが人の気配に敏感なわけではないのもあるが、部屋の防音性も大きいだろう。そして、院長室の防音性を突き抜ける怒鳴り声を上げるようなことが中では起きている。
サクラは少し離れてからしゃがんで考えこむと、深く呼吸をしてから立ち上がり、扉を力強くノックした。
――皆の事を見てたら、私だって、無視して逃げ帰るわけには、いかないよ。
何秒か、何十秒か。乾きを感じ始めた唇をぺろりと湿らせたタイミングで、扉がゆっくりと開いていく。まず始めにサクラの頭より高い位置から現れた右手が扉を掴み、次いで肘をついた左手、最後に歪んだ表情が部屋から出てくる。その目はじろりと上からサクラを品定めするように舐めまわし、それから廊下を見回す。
「うん? ふぅん……ごめんね、今院長先生は僕たちとお話し中なんだ。何か用があるんだったら伝えようか?」
その言葉でようやく、男は笑顔を浮かべていることに気付く。それにスーツを着ていることにも。サクラは背中に張り付く服を浮かすと、咳払いをして男を見上げた。
「えっと、私、レミさんを呼びに来たんです。一緒に遊ぶ約束してたのに、全然来ないので……」
「なるほどねぇ……ちょっと待ってね」
ニコッと笑顔をサクラに向けると、扉を閉める。男の対応は至極真っ当で礼儀正しいものだった。それが尚更サクラに緊張を強いた。
今度は少しも待たずに扉が開く。
「ごめんね、お待たせ。もうすぐ僕たちの用事も終わるだろうから、中で待ってなよ。立って待つよりいいでしょ?」
男はサクラに有無を言わせずあっという間に背中に手を回す。拒否を許さない威圧感のようなものをサクラは感じ取っていた。
ただしそれ以上に、部屋の中の空気は、男の持つ威圧感の数倍は重圧を感じさせたが。
「……あぁ?」
「アニキ、そのガキは?」
「ああ、小さなお客さんさ。この子、あんたの子供だろ? 院長さんよ」
部屋の先のデスクに座るレミ。その脇には毛皮のファーを掛けた金髪の女が机に腰かけていて、中央の応対セットのソファには、紫のスーツに体を無理やり押し込めたような大柄の男が、灰皿に煙草をぐりぐりと押し付けてサクラを睨みつけていた。
「……その子は関係ありません、私とあなた方の問題では?」
レミは机に強く手を置いて、身を乗り出す。
「いいえ、俺達とこの施設との問題ですよ。彼女は院長先生を呼びに来たそうですよ、良い子ですね、先生?
俺たちは慈善事業じゃない、だけど慈愛の心は持ってる。この子たちの家を奪いたくはないんですよ。だから、ね?」
不吉な言葉に、サクラは男を見上げる。その表情は微塵も変わってはいなかった。
「だけど、でも、だからってこんな大金、すぐには用意できません」
トン、トン、と規則的な音が鳴り始める。
「少し落ち着きなよ、あたしたち、あんたを取って食おうってんじゃないんだ。ただ、そう……こっちとしてもこれで飯を食ってる以上、情けをかけるわけにはいかないんだ。分かってくれるだろ?
それに、期限はずっと前から決まってた。会ってくれなかったのはセンセ、あんたの方じゃないか」
「そうだ、姉さんの言う通り! だからうだうだ言ってねえでさっさとその紙書けや!」
ソファに座るゴリラみたいな男が、腹の底から響く大声で威嚇する。
「こんな紙、サインなんか出来ません。あなた達みたいな不当な高利貸しの書類なんて……」
「あぁっ!? てめえ、面と向かってふざけたこと言いやがって。女だから殴られねえとでも思ってんのか!?」
「やめないかみっともない! ……悪いねえ、一番下の弟は喧嘩っ早くて困る。でもあんたも悪いよ。そんな言いがかりつけて。あたしたちはきちんと前の院長先生に説明したよ? きちんと書面にだって利息についての詳細は書いてある。それなのにそんな悪評を流して、しかも踏み倒そうってんだ、こうやって馳せ参じるしかないじゃないか」
金髪の女はマッチで細い煙草に火を点けると、味わうようにゆっくりと煙を吐き出す。その煙がかかったレミは嫌な顔をすると、毅然として女に抗議した。
「あんな欄外の小さな文字、誰だって読めません。それに本当に説明したのかも疑わしい。何なら軍の窓口に駆け込んだっていいんですよ! 私は事を荒立てる気は一切ありません、元金は何とかしてお返しします、だからもう、この孤児院に関わらないでください」
口を真一文字に結んで、一歩も退くことなく3人に立ち向かう。サナのような苛烈さとは違う種類の、だけど確かな強さをサクラは感じた。
「軍? 軍だって?」
レミの言葉を真正面から受けた女が、煙を歪ませて言葉を繰り返す。そこには驚きや怒りではなく、嘲笑するような嫌な空気を感じた。
「どうぞ、院長先生の勝手にしてください。俺たちは会社にいらした方々には全て説明してるし、書類にも記載してる。それで奴らが重い腰を上げてくれると思っているのなら、どうぞ窓口でも何でも、ご自由に」
笑って煙草を吹かす女の代わりに、サクラの頭の上で手をポンポンと弾ませる男が余裕の笑みを浮かべると、レミは考え込んで、それから暗く顔を落とした。
「センセには4つの選択肢がある。1つ、水を吸った乾飯のように膨れた借金を5月までに全額支払う。2つ、明日、元金を耳揃えてうちの会社に持ってくる。3つ、一か月程度うちらの紹介する仕事をセンセにこなしてもらう。大丈夫、一か月終わればすぐにでもこの施設に戻れるし、別にノースで金鉱掘りをさせるわけでもない。
そして4つ目……」
女が小指を立てた時、けたたましくアラームが鳴り響く。サクラも、3人の借金取りも、そしてレミも驚いて置時計に釘付けとなった。
「失礼します。院長先生、もうご準備は……」
ノックから間髪入れず、職員室の扉が開く。そこから姿を現したのは、メアリー先生と呼ばれていた銀髪の女性だった。
「……あらお客様、これは失礼致しました。これより理事会を控えているため、本日の所はお引き取り頂けますでしょうか」
「おいおい、また邪魔か!? いったい何回」
「やめな! しょうがないさ、院長先生は忙しいんだ。4つ目の選択肢はわかってんだろ? うちらは帰るとするよ、ここに来るのが最後になるよう祈っとくよ、お互いにね」
レミとメアリー先生、そしてサクラを順に確かめるように見つめると、女は2人の男を付き従えて部屋から出ていった。
「……はぁぁ……」
扉が閉まった瞬間、レミは穴の開いた風船の様に息を吐き出し、ひっくり返るように椅子にもたれかかった。メアリー先生は置時計をポーチに仕舞うと、レミの横に移動し何か目配せをする。
「あぁ、それでサクラちゃんはどうしてここに?」
「……あ、えっと、子供たちがレミさんを待ってるから、呼びに来たんですけど……」
「ああ、そうね、待たせてごめんなさい。すぐ行くって言っておいてくれるかしら」
どうやらまだ『大人のお話』が残っているらしい。サクラは黙って頷くと、部屋を出て扉を後ろ手に閉めた。
――あそこまで聞いといて、はいそうですかって退散できる私じゃないよ。
サクラはそのまますぐ横の職員室に入ると、立ち上がる職員を人差し指で静かにさせつつ、院長室に繋がる扉に耳を当てた。
「……決まりましたか? 差し出がましいようですが、私も軍隊が助けてくれることはないかと」
「そうよね……そうですよねぇ……でも明日までに元金全額なんてとても無理だし、今月で返済なんてもっと無理よ」
「だからと言って自分を売るのは、私が許しませんよ。奴等のことです、一か月どころか一年経っても帰ってこれる確証はない」
「じゃあこの孤児院を諦めろっていうの? 皆の、いや私にとっても、家はここしかないのよ!? ……メアリー先生、それだけは出来ませんよ。二度も家を失う必要はないもの」
どうやら借金取りの4つ目の選択肢は、この孤児院を手放すこと、らしい。いつの間にかサクラの周りで同じように聞き耳を立てていた職員が息を呑む音が聞こえる。
「他の施設の方々は快く引き受けると仰って下さってます。現状、我々には打つ手はありません。家なんていくらでも捨ててしまえばいい、家族の集まるところが家なのです。ですが人は……人は一度失えば、二度と戻ることはないのですよ」
「…………」
何も言わずに立ち上がり、職員室から出る。サクラはカメラの側面を撫でると、静かにその場を後にした。