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オペレーション:ピースブリッジ ~コキュートス~

汝らここに入るもの一切の望みを捨てよ












「……ユイ、さん……」


 振り返り、黒いコートを風にはためかせる少女は――ナイフを畳んでポケットにしまった少女は、何度瞬きをしてもその表情を変えることはしなかった。



「ユイさん、ね。いいじゃない、次の就職先はレジスタンスに決めたの?」


「私がターゲットと親しい素振りを見せるのは、それが任務だから。私のコードネームの由来は貴女も知っているでしょう? ……それをぶち壊した責任は、取ってもらうわよ」




 ヒカリの背後でナイフをしまったユイが、不機嫌そうな表情のまま目の前の女を――ヴィクセンを睨みつけている。ヴィクセンは飄々とした態度でその視線を受け止め、ヒカリとユイの2人を交互に見比べていた。


「なるほどねぇ……そうやって嘘ばかりついてると、いつか体に染み込んじゃうわよ? それとも、必死に自分に言い聞かせてるの? ユイちゃんも可愛いとこあるじゃない」


「そうやって人の話を聞かないところ、本当に嫌悪感を禁じ得ないわ。私は組織に入ったその時から組織のため、そして何より私自身の目的のため動いている。あなたみたいにその場の気分で生きてるわけじゃないの」


「そうね、私は私情第一、気分第一に生きてるから。今の組織のくだらない小競り合いにも、うさぎちゃんたちの掲げる正義にも、興味はないもの。今興味があるのは、どうすればこの子を戦いから遠ざけられるか。それだけなのよ」


 言葉だけを聞けば、心優しい女性なのだと理解することが出来る。それでもヒカリは目の前の女性から、どこか近寄りがたい空気を肌で感じ取っていた。




「……それが正しいわね。奴はヴィクセン、女狐よ。信用するには、その言葉はあまりにも軽い」


 ユイが小声でヒカリに話しかける。だがヒカリは反射的に背後のユイからも離れ、二人を同時に視界に入れられる位置まで下がっていた。その瞬間、ユイの目が少し――ほんの少し、大きく開かれた様に見えたのは、ヒカリ自身が自分の行動に驚いて目を見開いたからだろうか。



「あらあら、素気無(すげな)く振られちゃって。”あの日”に何を話したのかは知らないけど、もう臆病なうさぎちゃんはあなたの事、友達だとは思ってないみたいよ」


「ちがっ、ユイさん」


「それも正しいわ。ここで出会った時点で、貴女が勇気を振り絞って間抜けな踊り子を追跡した時点で……いえ、ヴィクセンに介入された時点で私と貴女は友達ではなくなったもの。仮初めの友情は楽しかったかしら?」


 ヒカリの伸ばした手の先でブーツをこつこつと鳴らし、ユイはヴィクセンの傍に寄っていく。


「貴女からもらったレジスタンスの情報は、大事に使わせてもらうわ」


 そう言い捨てて、耳元に手を当てる。


「……そう。わかったわ、その時になったら教えて」





「うさぎちゃん。私はね、争いも苦しみも、絶望だって、負の感情は人間が必要とするべきじゃないと思うの。誰しも平和が一番なのよ」



 一歩前に出てきたヴィクセンに、ヒカリは遅れて焦点を合わせた。


「……それは、確かにそうですけど」


「でしょ? 戦いだってそう。仲間が傷付いて、誰かを傷付けて、その繰り返し。楽しくなんてないものね。銃はいつだって重たいし、血は爪の間に入って落ちてくれない。友達と楽しくランチを食べても、心地良い疲労に包まれてベッドに入っても、ふとした瞬間に自意識が思い出してしまう。辛くて苦しい過去を、殺した敵の最期の表情を」


 正直に言えば、今はそれどころではなかった。ヒカリにとって大事な“友達”の一人が今まさに、この手からすり抜けようとしている。それでもその言葉は、確実にヒカリの心を捕えた。



「……つまり、なにが言いたいんですか?」


「戦いなんてやめてしまいましょう? 正直に言うわ、あなた達レジスタンスが戦い続ける限り、私たちは監視し、干渉し、時には手を下す。それにこれからどんどん軍の反撃は苛烈になっていく。……死ぬのは怖いわよ?」


 ヒカリの顎をヴィクセンの指がなぞる。



「……私たちは皆、この国を変えるために命を懸けてます。確かに死ぬのは怖いですけど、それで足を止めるわけにはいきません」


「それは“あなた達”だけじゃないかしら? あなた達に付いて来てるあのお仲間たちはどうかしら。あなたは彼ら全員分の命を背負えるの? 市民という他人のために国を変えようとしてるあなた達が、仲間という他人を犠牲にすることが出来ると言うの?」


「それは……」



 思わず答えに詰まる。軍に大切な人を奪われたメンバーたちは、たとえ死んでも、と言うかもしれない。だが他の仲間は、果たして銃口を眼前に突き付けられて死ぬ直前まで、一つの恨み言も言わずにいるだろうか。


 きっとそれ以前に、ヒカリ自身が自分を許さないだろう。



「だから、これ以上無理をするのはやめましょう? あなた達が銃を握ろうと握らまいと、現実が変わるとは限らない。いつまでも周りと自分を騙して、いつ死ぬともわからない命がけのごっこ遊びをする必要はないじゃない」


「…………」


 ヴィクセンは答えられないヒカリの頬に手を伸ばし、母親のように優しく撫でた。まるで毛布に包まれたかのような安心感に、肩の力が下がるのが自分でもわかる。




「――……た、あと…………――」





「……よくわかりました」


「あら、わかってくれたの? 嬉しいわ、誰も傷付かずに……」


「はい、わかりました。あなたは、敵です!」



「……!」



 ヒカリはヴィクセンを突き飛ばし、P90を向けてその手から離れる。


「ひどいことしないで。私はただ……」


「もう十分です! あなたは私から友達を奪う敵なんです。交渉でもない口先だけの言葉でどうにか出来ると思わないでください!」


 そのままヴィクセンの真横を通り、ユイの背中を追う。ヴィクセンは止めようとはしなかった。



 ――悪い待たせた、あと二分で着くから。無事でいろよ!



 ついさっき、デバイスに繋がったイヤホンからそんな無線が届いた。想像以上に増援が来るのが早いことに驚いたが、同時に危機感を抱いた。


 ――今到着されたら、ユイさんまで敵視される……!



「ユイさん、待ってください! ユイさんがどんな目的で近づいて来てたとしても、私言ったじゃないですか! ユイさんは私の手を取ってくれました、私はユイさんの友達なんです!」


 ユイの家で目覚めたあの日を思い出す。もしかしたらヴィクセンがいる手前、思いを口にしづらいだけかもしれない。だけど、もうすぐ私の仲間が来るから大丈夫です。そう言おうとヒカリはユイの肩に手をかけた。





「だから、一緒に――」





 その次の瞬間、ヒカリの体は地面に横たわっていた。数秒してわかったのは胸に掌底を食らい、腕をひねり上げられて彼女には成す術がなかったということだ。咳き込みながら道路の上をのたうち回り、それでも視線だけはユイから逸らさない。



「一緒に、どこに行こうって? いつまでも仲良しこよしのお友達でいられるとでも思っていたの? 貴女もわかっていたでしょう、それがいつだろうと、決別の時は誰にでも訪れるものなのよ」


 尚も手を伸ばすヒカリの手を、ユイは躊躇なく踏みつける。ヒカリの叫び声が通りに木霊した。



「あの日、私は忠告したはずよ。貴女は他者を求めすぎている、敵は目に見える人間だけじゃないって。それにも関わらず貴女は私を友達と呼び続ける。

 ようやく瘡蓋(かさぶた)で遊ぶ悪癖をやめたと思ったら、裏切られるとわかっていて尚期待を寄せて。貴女の現実は貴女の為に足を止めることはしないというのに」


 手から足をどけると、腹を蹴り上げてヒカリを仰向けにさせる。




「ヴィクセン、寄越しなさい」


「あら、どうしてわかったの?」


「全ては貴女の策の内でしょう。挑発による焦りで彼女をここまで追跡させたのも、短絡的なダンサーに私を呼び出させたのも。そして私の報告書に一度でも目を通したのなら、群れから離れたウサギを一人ぼっちにさせるわけがないものね」


「……ユイさん、な、なにを言って……」


 痛みがゆっくりと引いて、ようやく口を開いたヒカリの前に、銃口が向けられる。ユイはヒカリにリボルバーを向けたままヴィクセンから何かのリモコンを受け取った。


「貴女は甘いから、自分の目で見なければ信じないでしょう? 貴女は既に地獄の門をくぐっているの、一切の希望は捨てなさい」


 冷酷に見下ろしてくるユイの視線が、不意に遠くを見つめる。それにつられて向いた先は、ヒカリがさっき歩いてきた方向。公園のある方角だった。




「っ、コウ……!」


 その先からは、コウやニシ、それに若い狙撃手を筆頭に歩く数人のグループがいた。当然あっちもヒカリ達に――倒れたヒカリに銃を向けるユイに気付く。


「お前、ヒカリの友達の……!? 全員散れ、構えろ!」


 突然の命令に驚いたように、一緒にいた数人が戸惑いながら道路上の車の陰や左右の家に広がる。レジスタンスメンバーと即応隊員の混成部隊のようで、その動きは潤滑油を欠いた歯車のようだった。


「早く位置についてくれ、逃すわけにはいかない!」




「本当にそのボタンを押すの、ユイちゃん?」


 ヴィクセンの言葉でヒカリは注意を再びユイに向ける。


「私にはその度胸がないとでも?」


「そんなことは言えないわよ。情報の回収も裏切者の処分も、度胸がないと務まらないもの。だけどユイちゃんもまだまだ若いから、彼女たちを近くで見てきて、人並みの情は持っちゃうんじゃない?」


 そこまで聞いて、ヒカリは反射的にユイのリボルバーを掴んだ。


「そのボタン、まさか……絶対、絶対駄目ですユイさん、仲間を傷つけられたら、私、私……!」


 変わらずヒカリを見下ろすユイ。視線と視線がぶつかり合う。だがその口元が一瞬、微かに綻んだように見えた。



「『私、ユイさんを許せなくなる』? それならこれから先、その目を決して逸らしてはいけないわよ。エントロピーは逆行しない、時間の矢は射手の元へは戻らない。貴女の目の前で起きた現実だけが絶対的な事実なのよ」


 ふっと絡み合う視線が切れる。その直後、ヒカリの右頬を熱風が舐める。衝撃と爆発音がヒカリの心を揺さぶった。


「……コウ……? みんな……!?」


 ゴミ箱が、車が、家が、爆発する。直前までいたはずの仲間たちは、瓦礫と黒煙によって掻き消されていた。





「ちょっと早かったんじゃない? あれじゃ生死が確認できないじゃないの」


「現実は理想とは違うのよ、ベストタイミングを待って一人でもすり抜けたら面倒だわ。それに貴女の設置はそんなに杜撰なものではないでしょう」


 まだ吹き飛んだ家の木屑がぱらぱらと落下しているにも関わらず、何食わぬ顔で会話をする二人。ヒカリは確かに、全身の血が燃え盛り、血管が焼け付くのを感じた。



「……争いはやめようって、平和が一番だって、言ってましたよね……」


 小さくゆっくりと、呟くように問いかける。傍から見れば失意のうちに力なくしゃがみこんでいるように見えるかもしれない。だがユイもヴィクセンもそうは考えていなかった。


「ええ、言った」


「じゃあ、なんで……」


「勘違いしないで、起爆させたのはユイちゃんよ? まああのまま私がリモコンを持ってても起爆したけど。

 だって、別に他の人に私興味ないもの、そもそも知らない人だし。言ったでしょ、『今興味があるのは、どうすればこの子を戦いから遠ざけられるか』、それだけだって。だからさ、戦うのはもうやめちゃいましょ?」




 燃え盛り熱を持った体が冷えていく。素早く腰の裏から拳銃を抜くと、ヴィクセンの顔面に向けて乱射した。


「きゃ、怖い。落ち着いてうさぎちゃん」


 素早く後ろに下がり踏鞴(たたら)を踏むヴィクセンを追いかける拳銃が、ユイに蹴られ飛んでいく。すぐにヒカリは立ち上がり、突き付けられていたリボルバーをねじって遠くへ投げ飛ばした。


 遠慮なく繰り出したミドルキックを腕で防がれると、即座に反対の足で横蹴りを放ってユイを下がらせる。その隙に拳銃を拾いヴィクセンへ再び向ける。


「っ!?」


 だがユイに蹴られた拍子で排莢不良を起こしたようで、チャンバーが完全に動かなくなってしまっていた。


「あら……落ち着かないと薬莢は取れないわよ?」


 ヴィクセンの声にヒカリはつい舌打ちを漏らすと、マガジンを外して銃のスライドを逆手に持ち、グリップで殴り掛かった。



 二度、三度とヴィクセンの眼前を切り裂く。ポリマーで出来た拳銃を持ち、何も考えない全力のスイングだ、当たれば痛いでは済まない。


 だがその全てを寸前で避けられる。それどころかその合間合間に「落ち着いて」や「うさぎちゃん」などと声をかけられ、ヒカリは歯が折れそうなほど食いしばった。


「あなたが、あなた達のせいで、皆、この、くそっ、あああぁぁ!!」


 渾身の振りかぶりが、確かな手応えと共に止まる。ヴィクセンは振り回された拳銃を自分の腕で受け止めていた。


「やっと、止まってくれた」


 舌を出して笑うヴィクセン。もう一度叩きつけようとしたヒカリの腕が、後ろから来たユイに絡めとられる。背中に腕を回されて肘を持ち上げられると、ヒカリの上半身は肩が外れないよう無意識に倒れこんだ。


「あまり暴れない方がいいわよ、左腕が脱臼するもの」


 だがヒカリはその言葉を聞いて尚動きを鈍らせることはなかった。完全にアームロックを受けた状態であっても無理やりに体を捻り仰向けになる。左肩から音が鳴り、激痛が全身に走った。


 それでもヒカリは残る右手で裏拳を放つ。一瞬の躊躇いもない攻撃を止められず、ユイはこめかみに一撃を食らい膝をつく。


「腕を完全に外してまで……このっ、馬鹿……」


 ユイの拘束から解放されたヒカリ。だが立ち上がる前にヴィクセンが体の上にまたがり、顔の前に何かを差し出してきた。



 暫くは暴れていたが、片腕が外れて完全に動かない状態ではひっくり返すのは難しい。そうして喚いていたヒカリの呼吸が徐々に小さくなっていく。ヴィクセンが出したのは麻酔ガスの充填された手榴弾だった。やがて意識が遠のき、自分の右手が道路に力なく倒れるのを小さくなった視界で見つめることしかできなくなる。



 ――くそっ、くそっ、動いて、動いてよ……! コウ……皆……



 いくつもの言葉が頭を埋め尽くし、激痛を覆い隠し、視界すら塗りつぶす。そうしてヒカリの意識は消えていった。

 









「ふう、怖い怖い。やっぱり怒りは良くないわね、本人を飲み込んで暴走してしまうもの」


 静かになったヒカリの髪を整えて、ヴィクセンは拳銃による殴打を受けた左腕を押さえながら立ち上がる。


「腕は?」


「後で診せてみるけど、少なくともヒビは入ってそうね。まあ、そうならそうで病院での仕事もあるし、気にしないでちょうだい」


 指をひらひらさせて気軽にユイに手を振る。だがユイはヴィクセンから視線を逸らすと、瓦礫の散乱した通りを一瞥した。



「はてさて、何人が召されたかしらね」


「あの爆破は目的でなく手段。私たちは戦闘員ではないのだから、足止めという目的が達せられたのなら副次的効果に興味はないわ」


「副次的効果、ねぇ……本当は一番気にしてるのはユイちゃんだったりするんじゃない?」


からかうような言葉に、目を細め鋭く睨みつける。


「人の心を知った気になってあれこれ邪推するのを止めはしないわ。だけど私がこの場に来たのは、私がこの地位にいるのと同じ理由だと言う事を忘れずに」


「怒らないで、冗談よ」



 踵を返し歩くヴィクセン。ユイもその背後について歩き、遠くで見守っていた部下に撤収を命じた。


「――これで良かったんですね?――」


「行動の是非は、難しいわ。景色や立場が違えば、そこから感じ取れる機微はあまりにも違うから」



 ヒカリを横切る直前、ふと歩みを止めて目を閉じる。瞼の裏には怒りに震えるヒカリの瞳がありありと浮かんでいた。しゃがみ込んで、一滴の涙を掬い取る。



「……ここは地獄か煉獄か。この苦しみの果てに待つのは嘆きの川か、或いは山の頂か。私はビーチェたる資格を失った、あとは涙を凍らせながら貴女を見上げることにするわ」





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