オペレーション:ピースブリッジ ~子犬のワルツ~
スコープの先で、民間人もレジスタンスも即応隊も、皆関係なくばたばたと倒れていく。逃げ惑う声や混乱した叫び声などは何も聞こえない。ただあの場の異常さだけが、地面に落ちた手榴弾を遠くで見守ることしかできないヒカリ達にひしひしと伝わってきた。
「皆応答して、ねえ!」
ヒカリは左耳のイヤホンのボタンを押してそう叫ぶが、答えは返っては来ない。隣に並んだ即応隊側の狙撃手も通信機に呼びかけてはいるものの、状況は同じようだ。
「麻酔ガスのグレネード……? 一体そんな装備、どこが……」
「ちっ……身元不明者からの攻撃だ。狙撃班はこれから公園内で見かけた人影は全て撃て。君もだ」
隣の彼はまだ若く、ヒカリの4つ5つ年上な程度だが、他の狙撃手に指示を出す姿は見た目以上に落ち着いていた。その彼がヒカリに対しても、不審者は殺せと言う。
「えっ……この公園は既に即応隊が封鎖してるってことですか?」
「いいや。だが何十人も倒れているあそこに近づく民間人はいないだろ。この同盟を守りたいなら、それ以外は全部敵だと考えるべきだと思うけどな」
「……そうですか。ですが、私は私の判断で撃ちます、お構いなく」
男の言葉は一理あるかもしれないが、ヒカリはそれでも拒否感を抱いてしまった。出来る限り、無関係の人間を傷付けることは避けたい。
「……あれは?」
モニュメントの後ろから、6人の男女が姿を現す。口元を防毒マスクで覆い、倒れた人を足で転がしている。誰がどう見ても、彼らがこの状況をもたらしたのだろう。
「見えてますか?」
「ああ。狙撃班、合図で奴らを撃て。先頭の女は撃つな、口を割らせる。……君、あの女の足を撃ってくれ」
「わかりました」
どうやらあの不審者たちは、あそこに倒れている人々の顔を確認しているようだ。だがヒカリが狙いを付けた茶髪の若い女だけは、耳元を押さえて誰かに通信をしている。それが終わると、何の前触れもなく、彼女はヒカリのいる駐車場に向けて人差し指で銃を作ってみせた。
「やっぱりばれてる……!?」
最初に彼らを発見した時も、笑いかけられた気がした。ほんの一瞬だったから気のせいとも思ったが、今その疑念が確信に変わった。
「すぐに撃ちます、準備良いですか!?」
「待ってくれ。おい、狙撃班返事はどうした? おい? おい応答しろ!」
苛立たしげに無線機に怒鳴る男を尻目に、ヒカリは女に向けて引き金を絞った。
その視界が、突如として奪われる。
ヒカリは、何者かに手で目隠しをされていた。咄嗟の事で思わず固まってしまってから、すぐにP90に手を伸ばすが、その手すら掴まれる。
即応隊の狙撃手は即座に拳銃を取り出して、ヒカリの後ろにいる人物を狙った。だがヒカリの背中に上手いこと隠れたようで、撃てずにいる。
「おいおい、そんな殺気立つなよ」
「っ、あなた何者!?」
気配を感じ取ることが出来なかったヒカリは、悔しそうに背後の人物に言葉を投げかけた。
「君、確か敵意を感じ取ることが出来るんだろ? どうだ、敵意を持たない敵は。まさか背中を取られるわけないって油断してた感じだな」
「……やっぱり、私達を狙った攻撃か。殺すわけじゃないならなんのつもり?」
男は、ヒカリの背後を取っておきながら命を奪おうとしない。まるで弄んでいるようだった。掴まれた右手に無理やり指を絡ませ、踊っているかのように軽く左右に振る。
「なに、ただの威力偵察だよ、一体どれほどの実力があって見込まれてるのか知りたくてな。……だが、結果がこのざまだ。いくら俺達を警戒してないからって、いくらなんでもあんまりさ」
「……私達が、誰に見込まれたって?」
目と手を押さえられ形勢は不利だったが、ヒカリは勇猛に口を開く。声から察するに、30代後半の男で、背の高い細身のようだ。
「良く人の話を聞いてる子だな、隙を見せたら怖そうだ」
その言葉を皮切りに、男は文字通り“気配”を変えた。途端に強烈な殺気が発せられ、ヒカリの肌に鳥肌が立つ。
「ひっ……!?」
「敵意を感じ取れるのは良いが、感じたら感じたでこれじゃあな。『腕はいいが心が弱い』ってのは本当か」
男の口ぶりからも、何らかの組織の構成員だという事はわかる。だが、不可視である無色の麻酔ガスグレネードという管理に手間がかかる武装を、軍が好んで使用するメリットはないし、なにより「見込まれてる」という言葉の説明が付かない。
結局ヒカリの頭では、同じ疑問が堂々巡りをしていた。
「まあ今日の所は殺さないさ、五月蝿い奴がいるからな。先にそいつを始末してからだ」
そう優しく告げると、顕わにしていた殺意を消し、同時にヒカリを押さえていた手も離した。と思いきや、体が重力に引かれて車から転げ落ちる。足を払われて転んだヒカリが立ち上がったときには、即応隊の狙撃手も床に倒れ、咳き込んでいた。
ヒカリはすぐに振り向き、男の姿を確認する。
その男は大胆にも、顔を隠そうとすらしていなかった。パリッとした白シャツに黒いベスト、黒いスラックスという姿は社交ダンスの服装に酷似している。
すると男はにやりと片方の口角を上げ、右手を腹に添えて頭を下げるお辞儀をヒカリに見せた。「お前程度、目を離した所でどうとでも出来る」という余裕の表れだろう。実際、ヒカリのM&P9もP90も、いつの間にか男の手にあった。
「意地でも敵の情報を持ちかえってやるって気概に満ちてるな。そういう奴は嫌いじゃない。
怖気づかずに振り向いた御褒美だ、俺のコードネームはザ・ダンサー。次に相見えるときは、どうかこの手をお取り下さるよう」
ヒカリの銃を床に置き、男は背中を見せて悠々と歩く。急いでMSRを男に向けたが、次の瞬間には、男は姿を消していた。
「くそっ、逃げたか……」
悔しそうな狙撃手の声で、ヒカリはハッとして公園を確認する。いつの間にか女を筆頭とした不審者たちも姿を消していた。それに麻酔ガスが切れたのか、ちらほらと何人か起き始めてもいる。
「……いえ、あとお願いします」
「あっ、おい!」
ヒカリは車から飛び降りると、狙撃手にその後を任せ、銃を拾い上げて正装の男の後を追いかけた。
「あんたは私より、自分の夢を取るんでしょ? だったら私の事なんて忘れて、戦場でもなんでも行っちゃいなさいよ!」
やめろ、やめてくれ。
「戦争なんかどうなったっていい、私にはあんたさえいればよかったのに」
違うんだ、ただ、俺はお前を護りたくて……
「18にもなって、まだそんな青い事言うんだ。まだ私はあんたの特別になれてないんだ」
違う、違うんだよっ!!
アズマは倒れた体をゆっくりと起こす。二日酔いのように頭が痛い。麻酔ガス攻撃の影響が残っているようだ。
「あぁ……ニシ、ヒロ、起きろ」
痛む頭に顔を顰めつつ、近くに倒れている友人を叩き起こす。吸入麻酔薬を吸い込んだ程度では深い眠りには落ちず、軽く数回体を叩くだけで2人ともその瞼を開けた。
「やめろ、銃を下ろせ!」
「お前達もだ! 逸るな、冷静に考えるんだ!」
その緊張感を多分に孕んだ声がアズマに顔を上げさせる。そこには、互いに銃を向け合う数人の姿があった。
「一体何をしてんだ……おいお前ら、落ち着けよ!」
拳銃を持つ仲間に詰め寄り、その肩に手を掛ける。だが仲間は手を振り払うと、敵愾心も露わに叫んだ。
「さっきの攻撃は、きっとあいつ等の仲間がやったんだよ! どうせ引き渡しなんてのも嘘なんだ、お前は騙されたんだよアズマ!」
怒りに満ちた言葉をアズマに、そして目の前のレジスタンスに浴びせる。
「なにが騙されただ、お前らの手先だろうが! 俺たちのこと殺そうとしたんだろう!?」
「ふざけるな、自分達のしたことを人のせいにするんじゃねえや!」
「ふざけてんのはそっちだろうが! どうせてめえらもそこいらの手抜きな奴らと同じなんだろ!」
「なんだとてめえ……!!」
一触即発、売り言葉に買い言葉。互いに引くに引けなくなり、言い争いは徐々に熱を帯びる。得体の知れぬ敵への恐怖心はいつの間にか、目の前の人間へ注がれていく。
だがそれを止めたのは、他でもない彼等の仲間だった。
「……おいアズマ、お前らなにやってんだ、どけよ」
「サナちゃん? コウ君も、皆……」
銃を向け合う二組の間、3人の兵士はレジスタンスを、4人の子供は即応隊を向いて背中合わせに並ぶ。そしてその手の拳銃を足下のコンクリートに置き、“仲間”であるべき彼らに声を掛けた。
「……あんた達が私達レジスタンスを疑うのは当然かもしれない。だけど私達は何もしてない。ただ単純に、ここにいる人達を助けてあげたいだけ。あんた達を罠に掛けるつもりなんて毛先程もないし、敵対なんてもってのほか。そこら辺を理解してほしい」
サナが冷静な言葉で即応隊を諭す。それは決してへりくだってるわけでなく、努めて冷静に振る舞ってるわけでもない。だからこそそのすべてが本心から来る言葉だということは、あまり面識のない即応隊にも伝わった。
「それは俺達もだ。あんた等の中には、軍人に嫌な思いをした人も多いんだろう。だから信じられないかもしれない。だけど敵は他にいる。俺達もあんた等も、この国を救いたいのは同じだろう? だったら今は、手を携えるべきだ」
アズマが、レジスタンスに真摯な言葉を投げる。その姿に嘘偽りが混ざっていないことくらい、レジスタンスの面々にもわかった。
そんな2人の言葉を受けて、男達はどちらからともなく銃を下ろす。そして双方から「悪かった」の声が聞こえて初めて、アズマとサナはその背中を合わせた。
「ヒカリはあんたを信頼してる。それを裏切るんじゃないわよ」
「そうなんだろうな。勝手に信頼されて、勝手に裏切られて……俺も同じだ、人を裏切るのは嫌いだよ」
他の誰にも聞こえない声で、短く会話を交わす。サナは言葉の意味を確かめたかったが、その前にアズマはレジスタンスの面々と握手をしていて、タイミングを逃してしまった。
そんな様子の公園に、駐車場から走ってきた若い狙撃手が困惑しつつサクと小隊長の元へ駆け寄った。
「……なに? 追いかけて行った?」
「はい、あの少女が1人で追跡につきました。敵の装備は確認できず、その身のこなしは並のものではありませんでした。少女が万が一見つかればただではすみません、応援を」
「……おい、そっちの狙撃手と連絡は取れるか?」
部下の報告に難しい顔をする小隊長の隣で、サクがデバイスをチューニングしてヒカリに呼びかける。
「ラビット、報告できるか? ラビット?」
その様子にコウやミズキが気付き、近寄ってくる。何かあったのか聞こうとした二人に人差し指を立て、サクは続けて呼びかける。そして30秒ほどが経ち、ようやく小さな声が返ってきた。
「……こちらラビット」
「――おい、今どこだ? 男を追跡してると聞いたが、それは事実か?――」
「今は女もいます。恐らく二人とも指揮官クラスかと。……たった今立ち止まりました。会話しているようですが、距離が遠くて聞き取れません。もう少し近づいてみます」
「――わかった、だが決して深追いはするな。5分おきに現在位置を送ってくれ、追跡部隊を編成して応援に送る。いいな?――」
「了解。ですが民間人の護衛を最優先にお願いします。アウト」
男は、公園からヒカリに向けて人差し指で銃を作ってみせた女と合流して、公園近くの住宅街に移動していた。郊外の街並みはブロックの中と違い、庭のついた一軒家が多く立ち並ぶ。家5軒分距離を取って追跡していたヒカリは、家の庭を通って少しずつ接近していく。物音を立てないため、リュックも、そしてMSRすらも持ってきていなかった。身軽に柵を乗り越え、しゃがみながら走り距離を詰める。
「……で、どうだ?」
「そうね、まあ……」
少しずつ話し声が聞こえてくるが、男たちのすぐ横の――つまり目の前の家には残念ながら大きな庭も身を隠せる柵もない。ヒカリは家の真横に取りつくと、壁に沿うように素早く移動し、玄関の柱に身を潜めた。近づかれたら逃げようがないが、今のところバレてる様子はない。思い出したように位置情報を送ると、P90を抱いてじっと耳を澄ました。
「……だから、ひとまずは出方を見るのも一つの手かしら。下手に動けばレンティアだけじゃなくて、委員会のご老体にまで睨まれるでしょうし、彼女も早々に立場を失いたくは……」
すぐそばで茶髪の女の声がする。見た目に反してゆっくりとした話し方の様だ。柱から飛び出ないように服の裾を前に持ってくると、静かにしゃがんで話し声に集中した。
「……で、あいつの代わりに動くであろうひよっこの首根っこを掴むのか。流石は女狐だな、Vixen」
「狐は賢く、それでいて臆病なのよ。直接手を打ってしまえば、きっと彼女達は怒りだす。今は土に水がしみ込むように、深く静かに様子を見るの。踊りたいというのならその後よ、ダンサー」
「ああ、そうさせてもらおう。……それで、そろそろ姿を見せろ。いつまでも聞き耳立てて、不快だ」
ダンサーと呼ばれる男が、口調を一転させてそう吐き捨てる。
「それで隠れてるつもりか? 出て来いよ、こそこそ嗅ぎまわりやがって」
驚いて飛び上がる心臓を押さえながら、ヒカリはP90のセレクターをゆっくりとフルオートに合わせた。
――どうしてばれた? そんなことよりどうする? 居場所は送ってあるから増援来るまで引き延ばす……いや、追跡対象を刺激しないよう慎重に来るはず、あまり頼りには出来ないか。
薄く息を吐き、覚悟を決める。そして前に出ようとしたヒカリの一歩を制するかのように、新たな女性の声が空間に響き渡った。
「聞き耳を立てられたくないのなら、他人の任務に手を出さないようにしたらどうかしら? そこまで手癖が悪いと、ダンス相手を見繕うのも大変でしょうね」
どこまでも冷たい声に、ヒカリは足を止める。突如現れた第三者の声は、どうやら道の更に先から響いているようだった。
「あらぁ、久し振り。いつも私の事を避けてるのに、今日は姿を見せてくれるなんてね」
茶髪の女が、風貌に似付かわしくない丁寧な口調で第三者に話しかける。どうやら彼らは3人とも仲間ではあるようだが、その関係性を推し量るには材料が足りない。
「やっと出てきたか、溝鼠。気付かれてねえとでも思ってたのか?」
「隠れたつもりはなかったから、私に言ってるとは思わなかったのよ、申し訳ないわね。それで、自分たちの領分を超えて任務を挿げ替えた挙句、その監視対象に加害行為を行ったことについては、どう申し開きをしてくれるのかしら」
「誰が、誰に申し開くって?」
「貴方が、私によ。尻尾を振るばかりのワンちゃん」
どうやら新たに現れた人物とダンサーはかなり険悪な仲のようだ。だがそんな空気を吹き飛ばすように誰かが手を叩いた。
「ほらほら、そうやって挑発するのはやめましょ。私はあなたが働き詰めだから、休んでほしかったのよ。ダンサー、あなたは先に戻っててちょうだい。私は……いえ、私たちは少しお話してから行くわ」
「何言ってるヴィクセン、勝手な行動は慎んでくれ。あんたを連れてきたのだって、こいつのターゲットを見たいなんて我儘を……」
「あら、だったら遠くで見てる彼女の後輩君に、その引き金を引くよう命令させてもいいわよ? 安心して、本当にただお話しするだけよ、私はあなた達の小競り合いに興味はないもの」
ダンサーの怒りを噛み締めたような唸り声が聞こえたかと思うと、足音が遠ざかっていく。どうやらダンサーよりも、あの女――ヴィクセンの方が立場、或いは実力が上なようだ。
――今飛び出したところで、制圧は無理か……大人しく応援を待たなきゃ。
「逆にあなたは出てきておいでよ、うさぎちゃん」
「……っ!!?」
不意に右耳に、温かな吐息がかかる。背筋から全身に鳥肌が広がっていった。すぐに飛びのき、P90を構える。
「そう怯えないで、取って食うわけじゃないんだから。言ったでしょ、お話ししたいのよ」
「っ、私たちを襲っておいて何を今さら!」
油断なく銃を構えつつ、ヒカリは素早く左右に視線を振ってもう一人の仲間の姿を探した。その首元に冷たい刃が押し当てられ、ヒカリは既に、完全に敵の掌中だということを悟った。
「そんなに睨まないで、大丈夫よ、あなたを傷付けるつもりはないから。でしょ? ミラージュちゃん」
「……コードネームに敬称を付けるのはやめてもらいたいわね」
首元のナイフがゆっくりと下がっていく。すぐ後ろから聞こえたその声はやはり、ヒカリのよく知っている声だった。
「私の任務は良く知ってるはず。こうなってしまえばもう遂行は不可能だけど、貴女はいったい何が目的なのかしら?」
「だってぇ、あなたは十分情報を吸い出したわ。これ以上素性を隠して近づいたところで、収穫はないもの。それに二人はとっても仲良しだから、問題ないでしょ? ミラージュちゃん……いえ、確か今の名前は、ユイちゃんだったかしら」
ヒカリがゆっくりと振り返る。ナイフを首に宛がった人物は確かに、ヒカリのよく知るユイだった。「前にもこんなことあったわね」なんて小さく口角を上げているが、その目は笑っていなかった。