オペレーション:ピースブリッジ ~フォックストロット~
昼の3時。パルチザン近くに位置する訓練場にて、即応隊は10kmのハイポートから戻ってきた所だった。アズマは体の汗を拭きとり、ドリンクを口にする。今日は旅人にとって、北風の方が手強い敵のようだ。
「数日サボってたから、体がなまってるんじゃねえか?」
「うるせえ、言われなくてもわかってるわ」
その横でヒロが腱を伸ばしていた。茶々を飛ばしてくる声に耳を貸さず、アズマは荒い息を整える。
「アズマ、いるか?」
兵舎から、同じ部隊の仲間がアズマの顔を探す。それに手を挙げると、手招きして建物の中へ戻ってしまった。疲れた体を奮い立たせ、立ち上がって追いかける。
「なんだよ、訓練直後の短い休憩時間に呼び出さなきゃいけないくらいの用なのか?」
「そうだな。5分前に、お前宛に公衆電話から掛けてきた。また5分後に掛けるらしい」
それだけを告げると、通信室へ押し込まれた。
軍は大きく分けて二つの電話番号を所有していた。一つは通報・相談用の受け付け番号。これは公に公開しているもの。もう一つは機密レベルの高い、秘匿された番号。アズマは小隊長の許可を得て、来月の暗殺についてを円滑に進められるよう、レジスタンスにこの番号を伝えていた。
暫く待っていると、電話機のディスプレイが発光し、公衆電話の電話番号が表示される。
「はい、こちらオージア陸軍、国内非常事態……」
「――長いよアズマさん――」
口上を待たず、分解・再構築された機械音声が溜息を吐く。その態度にアズマは「規則だよ規則」と反論して見せた。
「――このマニュアル人間め。まあそんなどうでもいい話は後にして、一つ聞きたい事があるの――」
「なんだ?」
備え付けのボールペンを持ちメモ帳を開いたアズマは、ヒカリの話を小隊長に伝えるため耳を傾けた。録音は後に自分の首を締めるかもしれない為、消す必要がある。
「――アズマさんの部隊の人達は皆、信用できる?――」
思わず辺りを見回した。室内には誰もおらず、部屋の奥に大型の無線機が鎮座しているだけの小さな部屋。人が隠れられるようなスペースはない。
「それは、どういう意味でだ?」
「――私達レジスタンスにとっての意味。あの時は隊長さんが協力を取り付けてくれたけど、部下の中には快く思ってない人はいない?――」
これがヒカリ個人の単なる疑問だとは思っていなかったが、それでもその質問は、少しだけあいつらしいと感じた。その心配は杞憂だからこそ。
「平気だ。こっちでも秘匿情報漏洩と分裂を恐れて全員に個別で聞き取りをしたし、ニシやヒロにもそれとなく聞いてみてもらったんだ。皆戸惑いや躊躇いはあるが皆一様にこう言ったらしい、『お前たちが本当にこの国を思ってるんなら』ってな」
漏れ出た吐息がアズマの耳に入る。
「安心したか?」
「――うん、よかった。それで、ひとつお願いがあるの――」
話は本題に入りそうだ。アズマはペンを回し、ヒカリの言葉に意識を集中した。
「そんで? 昨日の電話はなんて内容だったんだ?」
ハンドルを握るヒロが、交差点を曲がりつつ尋ねる。後ろの席に座るニシも、アズマの席のヘッドレストを叩いてくる。
「わぁーってる、教えるよ! 小隊長から任務内容は聞いてるだろが……」
『一つ謝らないといけないのは、私が探偵の書類を一部くすねた事。オージア各地の偽装探偵所の一覧を頼りに、さっき一ブロックの掃除を終えたの。勿論探偵は全員生きてる。それで、そいつらに誘拐されてた人達が思いのほか多くて、軍に保護してほしいなって。アズマさんたちなら安心して任せられるから。人数は……えっと、探偵18人に人質39人かな。下は14歳から上は63歳まで、皆かなり衰弱はしてるけど身体外傷・心的外傷は共に無い』
小隊長に伝えた情報と同じことを、アズマは覚えている限りで反芻する。
「39人も無傷で保護したのか」
「それに探偵もな」
ヒロとニシが舌を巻く。実際、小隊長が被害者の引き取りを認可した理由の一つは、レジスタンスが誰も殺していないという事実があるからだった。
「で、場所がサウスとセントラルの間にある町か。まさかセントラルシティじゃねえだろうし、サウスブロックにアジトでもあんのかもな」
ニシが目的地の地理情報を考え、レジスタンスの根城の位置を大まかに想像する。
「そう思わせてるだけかもよ。あのリーダーだ、そのくらいは警戒するさ」
安心、信用という形の無いものをヒカリが重視する以上、十中八九ニシの考え通りなのだろう。それに39人もの衰弱した民間人を長時間運ぶのは難しい。
――あいつが人を騙しといて平然としてられるとは、とても思えないしな。
だがアズマは、ニシの推論を支持しようとはしなかった。「俺の仲間は信じられる」というアズマの言葉を信じたヒカリを、裏切るように感じてしまった。だから口を噤んだまま、助手席で静かに目を閉じた。
「ねえ、本当に良かったのかな?」
シュンが、トラックに先行する車の中でそう言葉を漏らした。後続する6台のトラックには、被害者と探偵がそれぞれ寄り合って、あるいは詰め込まれていた。
「確かにあの即応隊に民間人の保護を頼めば、協力を惜しまない姿勢と、ただ軍隊を襲うだけのテロリストじゃないってことは理解してくれるかもしれないよ。だけど、万が一即応隊が彼らを無下に扱うような人たちだったら……」
3シートの後ろで誰にともなく問いかける声は、全員をもう一度考えさせた。今まで軍人は全て敵で、秩序を乱す悪い奴等。そう思い込んでいたところに降って湧いた突然の協力だ。恨みや憎しみを持つメンバーの多いレジスタンスにとっては容易に受け入れられる話ではない。初めてアズマと出会った時のヒカリのように、相手を良く知り、自分の心を落ち着かせる時間が必要だろう。
「シュンが言いたいことはわかるよ。確かに私は人を簡単に信用し過ぎかもしれないし、そもそも軍を許したわけじゃないよ。だけど軍人の中にも良い人は確かにいるし、アズマさんはその良い人に入ると思う。それに、あの人なら捕らわれてた人達のことは必ず何とかしてくれる。
そのアズマさんが仲間を信じるっていうなら、私もその人たちを信じてみたい。だって、ずっと疑うのは疲れちゃうでしょ」
助手席のヒカリがオーディオの音量を下げて、後ろのシュンを振り返った。慌ててシュンは首を振ると、僕もそれを信じてると言う。
「あの即応隊の人たちが……他の軍人とは違うってことはわかってるし、ヒカリのことを責めてるわけでもないよ。僕だって、あの工場で軍人たちと喋ったしね。
確かに、知らない人同士なら、一度会って話した相手は少なからず知り合いになれるだろうけど……だけど僕たちレジスタンスは、政府軍と戦う武装組織なんだよ。もしかしたら彼らの同僚とか知り合いを殺してしまってるかもしれないし、逆に僕らの仲間の大切な人が、彼らに捕まったり処刑されてしまってるかもしれない。全員とは言わないけど、間違いなくメンバーの中には、それが頭から離れない人はいるはずだよ」
的確なシュンの言葉に、コウやミズキは小さく頷いた。政府軍は今やあまりにも巨大な組織だ、当然一枚岩ではないだろう。メンバーだって軍の全員が全員、非人道的な行いをしているとも、それを容認しているとも思ってはいないだろう。
だが同時に、メンバーの家族や友人に乱暴を働くのも軍人で、今回協力する相手もまた軍人だ。
「……わかってる。……私は、危険を承知で私たちについて来てくれるレジスタンスのメンバーを、この国を良くするために戦う皆を信じてるから。きっと大丈夫だよ」
今回も、ただ被害者と探偵を引き渡すだけでなく、6月の大佐暗殺任務についての情報共有や、もっと組織としての交流を行い互いの不信感を払拭したいという思惑がヒカリとサクにはあった。可能ならば仲間と認められるようになりたいという純粋な思いと、レジスタンスという組織の存続をかけた策謀。根底にある思いは異なるものだったが。
だが幹部の中で誰よりも軍に敵意と恐怖を抱いているヒカリが引き渡しの提案をしたということは、レジスタンスが和親派に傾いたように思われた。
実際はどうであれ、メンバー達はそういう印象を抱かずにはいられなかった。
「そうだ、名前どうしよっかな」
車内の空気を変えるように、ヒカリが明るい声を出す。
「ピースブリッジとか?」
「……あ、作戦名?」
何の事かと少しだけ考えてから、サナがヒカリの言葉に意味に気付く。
「良いんじゃねえか。俺達と即応隊の平和の架け橋ってことだろ?」
コウがヒカリの案に賛成する。その声音は普段通り明るいが、表情には少し陰りがあった。昨日の地下刑務所で遭遇したあの刑事が頭から離れないのだろう。
サナもコウも大した怪我はなく、それどころか彼の残したカードキーのおかげですぐに被害者たちを助け出すことが出来たというのは理解しているが、あれから二人は――とりわけコウは、複雑そうにずっと考え込んでいる。
「安直な名前ね」
「シンプルって言ってほしいんだけど!」
昨日の事を思い出して車の真ん中で淀んでいく空気を感じて、ミズキはわざと辛辣な評価を下す。そしてヒカリは不貞腐れて頬を膨らませる。そんな子供らしい仕草で、ようやく幼馴染の間に笑顔が広まった。
「よし、全員ここで降りてくれ!」
サウスブロックを出て車で4時間、町の駐車場に停まったレジスタンスは、仲間と39人の被害者をトラックから降ろした。犯罪者である探偵はわざわざ出す必要もない。
「車を出す前も言いましたが、これから公園であなた方達を軍に引き渡します。引き渡す部隊は軍の中でも信用が置けますので、どうか安心してください」
皆不安そうな顔をしているが、文句を言う人はいない。あの薄暗い地下に助けに来てくれたレジスタンスを信じようとしていた。
そんな彼らの正面に立つレジスタンスの面々は、武装をしてこなかった。最低限拳銃は腰に差しているが、それだけだ。ヒカリを例外として。
「ヒカリ、PSDだ。頼んだぞ」
車の鍵を渡し、サクが被害者を先導して階段へ向かう。
ヒカリは狙撃手である。そして狙撃手は様々な任務をこなす。その中には、PSDと呼ばれる、要人警護任務も含まれる。別任務を任せられたヒカリは、頷いて楽器ケースを背負いなおす。この場において、ヒカリだけが完全武装をしていた。
引き渡し地点の公園から離れた立体駐車場。その最上階まで車を運転し、角に位置するエレベータの真横にバックで駐車した。
車にキーを差したままにし、ヒカリは公園から隠れるようにボンネットに座りこむ。そのまま車の天井にリュックを置くと、その上にMSRを置いて構えた。思ったより高さが合わなかったため、バイポッドをリュックの上に立てる。
「距離は600mくらい?……おっ、ぴったりだ。カンペキ」
公園中央の幾何学的なモニュメントに距離計を向け、ヒカリは自分の勘が合っている事を確かめる。それから手帳を開くと、今目の前に見えている景色を簡単に、そして忠実に描き出した。
大きく広がる芝に、同じ色の若々しい青葉が付いた木々。想像以上に木が多く、公園全てを監視することは出来ないが、モニュメントを中心とした広場や出入口は遠くのヒカリからでも見えた。なだらかな丘になった公園はバドミントンやフリスビーを楽しむ市民が似合いそうではあったが、今日は民間人の姿は一人も見えなかった。
「よし、レンジカード作成完了。丁度皆も来た」
木の陰から、サクやシュンの姿が現れる。モニュメントの反対からは時を見計らった様に、アズマや小隊長を始めとした即応隊の姿も見える。どれもあの廃工場で見た顔ぶれで、小銃は持っていなかった。だが何人か、あの場にいない隊員もいるようだ。ヒカリはMSRのセーフティを解除して、一欠片の氷砂糖を口に放り込む。その背後から、一つの影が伸びてきた。
サクは小隊長を真正面に見据え、10mほど離れた所で足を止める。
「どうも、数日ぶりですね」
「ああ、そうだな」
言葉少なく挨拶を交わす。やはり油断出来る相手ではなかった。
「そっちの狙撃手の姿が見えないようだが?」
小隊長はヒカリのことを覚えていたのだろう。この場にいないことを訝しんでいるようだった。
「あいつには、この公園周辺の警戒を任せています。いざという時に頼れる狙撃手なので」
「狙撃手が我々に牙を剥かないという保証は?」
ヒカリは誰よりも先にお前たちを頼ったんだ――そう言おうとしたサクの右耳に、デバイスに挿したインカム越しに報告が入った。
「……では、そちらの隊員が我々を狙っていないという保証も頂きたい。公園の管理小屋と、あのヘリポートにもいるようですね」
「……そちらの狙撃手が捕捉する方が早かったか。だが甘いな。我々の後方支援は3人だ」
同時に、再びヒカリからサクの元へ連絡が入る。
「――もし『狙撃手は3人いるぞ』ってなってたら、こう言ってください。駐車場の一人は、私の横で一緒に狙ってますって――」
状況はわからないが、恐らくは状況が急変するまでの協力を結んだのだろう。疑問を浮かべながらもそれをそっくりそのまま伝えると、小隊長も眉をひそめた。それに加え笑い声を我慢するように漏れる鼻息や、理解できずに思わず出たであろう「は?」という声が微かに聞こえる。二者の間にあった空気が少しずつ、春の陽気にあてられて溶けていくようだった。
「……あの狙撃手には乱されてばかりだな。
我々は無差別拉致事件の被疑者、及びその被害者の手掛かりがあるという匿名の通報によりこの公園に急行した。君達が『情報提供者』だな?」
やけに形式ばった言葉遣いで話すのは、軍にそういう報告を上げるという事を教えてくれているのだろうか。サクは後ろのメンバーに目配せをして、捕まえた探偵と保護した被害者の名簿、そして廃工場でヒカリが回収した資料を渡した。
「被害者はこちらの方々で、探偵たちはまだトラックに詰め込んだままです。彼らは皆、大切な何かを質に取られて捕まっていました。ですが我々だけでは全国には流石に手が回らない。だからあなた達を頼ったんだ。どうか彼らの保護を、お願いします」
そう言うと、サクを筆頭とした幹部5人が頭を下げた。後ろのメンバーが小さく声をかけても、その姿勢をやめようとはしない。
「……頭を上げろ。我々は我々の職務を全うしに来ただけだ。警察を潰した今、我々が負わねばならぬ本来の職務をな」
その言葉で頭を上げたサクと小隊長が歩み寄り、中央のモニュメントに近づく。その足を止めるように、一つの声が割り込んだ。
「――リーダー、警戒を厳に。6人組の民間人が東の入り口から入ってきました――」
ヒカリの声が右耳から流れ込む。それはただちに戦闘準備をしろというものだった。
「民間人? 疑う理由は?」
「――そりゃもうばっちりのが。……銃を持ってる私を発見して、にこやかに笑いかけてきました。今は木に阻まれて姿を視認できません――」
思わず、サクは駐車場の屋上を見る。そこにはヒカリと共に軍の狙撃手がいるらしいが、この距離といい、その姿は壁に隠れて見えなかった。
「全員集まれ、素性不明の人間が6名接近してくる。俺たちの後方からだ」
即応隊にも聞こえる声で仲間を集め、39人を公園の中央へ寄せる。その被害者たちを囲う様に、即応隊とレジスタンスは円を形成した。
「それは警戒が必要な相手なのか?」
「俺達は何よりも狙撃手を信頼してます。あいつが警戒しろって言うのなら、警戒して損はありませんよ」
モニュメントの元、不安そうな視線を背中に受け、男達はホルスターの拳銃に手を掛けた。この瞬間だけは異なる立場を忘れ、ただ守るために肩を並べる。
そんな彼らの目の前に、木の陰から投げ込まれたそれが、芝の上に物音立てず着地した。
「っ、皆しゃがめ!」
民間人を守る彼らが目にしたのは、ピンの抜かれた手榴弾だった。レジスタンスが民間人を庇う様に、そしてその上に即応隊が覆うようにして、モニュメントの周辺に群がるように寝そべった。
だが、衝撃も痛みもやってこない。十数秒経っても何もおきない。ただ、どこかから異音が聞こえるだけだ。
「……誰か、異常を感じた者はいるか?」
小隊長の呼びかけにサクも辺りを見渡すが、誰も口を開かない。皆首を横に振るだけだ。
体勢を整え、立ち上がって拳銃を抜く。だが騒ぎは彼らの警戒する外側でなく、民間人のいる円の中央から発生した。
「ねえ、ねえちょっと! ねえどうしたの!?」
「おいっ、起きろ! なんだ、あた、あらまでもうっらの……」
モニュメントの傍で倒れる青年を助け起こそうとした還暦の男性が、呂律を失って折り重なるように倒れる。それを見ていた周りも、驚いて離れようとレジスタンスや即応隊を押し出すように動き始めた。
「なっ、なんだお前ら、何があった!?」
「落ち着いて! そっちにはグレネードがあるから!」
「だけどっ、真ん中にいたら死ぬんだよぉっ!!」
「おい今の聞いたか!? 逃げろ、吹き飛んじまう!」
混乱を収拾しなければならない男達は、慌てて逃げたり、或いは混乱してしゃがみ込む人々を安心させようと、周囲を警戒しながらも声を張り上げた。
「大丈夫、ただのハッタリです! 急いでここを離れて、安全な所に……避難……」
だが、ついにはレジスタンスメンバー、即応隊員も倒れていく。ミズキが慌てて近くのメンバーの首筋に指を宛がい、呼吸が安定していることを確認した。
「大丈夫、生きてる。だけど……これは、寝てる?」
ミズキの言葉にサクが振り向くが、その時にはミズキの意識も既に朦朧としていた。立ち上がろうとするが、足に力が入らないようで、尻餅をついてそのまま倒れこむ。
「寝てる……まさか、麻酔ガス……か……」
回転する手榴弾は、無色の麻酔ガスを散布していた。だがそれに気付くのが少し遅すぎた。すでにガスは全員の体にまんべんなく吸入され、バタバタと地に伏せる。そして今、バンダナの上からハンカチを宛がっていたサクが倒れた。瞼が閉じ切る直前に視界に入ったのは、革で出来たダンスシューズだった。