ブリーフィング
医務室のある一階の廊下奥から出てきたシュンは、黒ずむグローブを左手に嵌めてエントランスへ出てくる。相変わらずメンバーが歓談していたが、そこにいつものような余裕や、いつも見る顔――爆発物の扱いが得意な仲間――は見当たらなかった。
「よお、シュン君。ヒカリちゃんは大丈夫だったか?」
古くからいるメンバーの男が、医務室から出てきたシュンに手を挙げる。
「はい、背中は少し痛むかもしれないけど、骨や筋肉には問題ないそうです」
それを聞いた男は、安堵したような、それでいて不安そうな顔をして言葉を継いだ。
「やっぱり、ヒカリちゃんも行くのか?」
複雑そうな笑顔を浮かべ頷く。どこか不安げだったのは、それを気にしていたのだろう。結局、その不安は晴らすことが出来なかったが。
「だって、ヒカリですから」
「シュン、お前はどうするか決めたのか?」
階段を上り、ほぼ私室と化している工作室に向かう途中で再びサクと会った。
「僕も戦いますよ。今回の作戦には僕が必要ですから」
「そうか、頼もしいな。俺も手伝いたいが、AGMOZの連中を説得しないことには避難すらできないからな。早くに現地入りして、スムーズな避難が出来るよう尽力する。
話し合いで解決、という志は共感できるが、それだけじゃ駄目だということをきちんと言わなければ、『お前達が攻撃するから話し合えないんだ』なんて非難されかねん」
「それでも、皆を助けないと」
「そうだな。俺達が武器を持っているのは、弱い人たちを助けるためだ」
そこでシュンは、予かねてからの疑問をぶつけてみることにした。
「サクさん。ずっと不思議に思ってたんですけど、どうして僕達は大量の武器を持っているんですか? 銃や弾薬は政府軍が使ってるのを奪ってますけど、それでも全員に分け与えるほど大量には手に入らないでしょ? レジスタンスを結成したころより明らかに増えてますし」
「……この国を変えたいと思っている奴は、何も俺達だけじゃないってことだ。さ、今のうちに支度をしておけ、これから激戦だぞ」
そう言って足早に去っていってしまう。一人取り残されたシュンはサクの説明に納得がいかなかったが、自分達に賛同してくれている密輸商人か何かがいるのだろうと推測する事にした。
「いたいた、シュン。ヒカリが銃を頂戴って」
ミズキが後ろから追いかけてきて、ヒカリから預かった伝言を伝える。どうやらあの狙撃銃が無いと何となく落ち着かないらしい。
友達としてそれって大丈夫なのかとは思う。思うが、だからといってあの銃を持つことを禁止することは二人には出来ない。というより、ヒカリの幼馴染なら誰にも出来なかった。
「ま、しょうがないか。今持ってくるよ」
ヒカリの銃は、ヒカリが二人に担がれてきた時にシュンが受け取って整備していた。戦車に吹き飛ばされたという話だったので、その衝撃で銃身が歪んだりしていたら簡単に暴発する。結果としては、大鋸屑や木の破片なんかが付着していた程度で大きな問題点はなかったが、きちんと取り除いておかなければいつか問題が起こるかもしれない。そういった銃の整備なんかは、こだわりがあって自分でやりたい、という少数派を除いて、全てシュンがやっていた。
そして、ヒカリは狙撃銃に関して、全てを自分の手でやりたいという少数派だった。
シュンとミズキがヒカリの銃を持って医務室に戻った時、ヒカリはサナとコウの二人に説教をされていた。
「あっ! シュン、ミズキ、待ってたよ!!」
ヒカリは頭を垂れてしゅんとしていたが、扉が開いた瞬間に、話題を変える絶好の機会が来たと言わんばかりの笑顔になってシュン達を出迎えた。犬が尻尾を振る様に喜んでいるのがわかる。
「ヒカリ、おまたせ。MSRのメンテナンスはしたけど、いつも通り分解清掃まではしてないよ。ボルトの部分に少し付着物があったから、そこを少し丹念に見てやって。それと、M&P9については分解までしといたよ」
シュンの手にかかればMSRも分解すること自体は可能だが、ヒカリが自分でやりたいと希望していた。分解すればどうしても分解する前とほんの少し変わってしまう。普通の小銃なら気にするほどの誤差でなくとも、狙撃銃ではそうはいかない。時に1km以上の射撃を行うこともある銃では、数mmの誤差が着弾する頃には数cm、数十cm、酷いときには数mの誤差になる。
対してM&P9の方は、単純に使用頻度が少ないのとヒカリの知識が足りないのとで、シュンに丸投げだった。
「ありがとう、シュン」
手渡されたMSRを両手で持ち、その感触を確かめるようにさりげなく腕に抱く。ふと、シュンがヒカリの顔を覗き込んだ。
「えっ、どうしたの?」
「いや……ヒカリ、泣いてたの? 涙の跡が顔に……」
慌てて頬の辺りをごしごしとこすり、跡を消し去ろうとするヒカリを見てシュンとミズキが笑う。
「サナもコウも、少し休ませてあげたらどう? ヒカリも疲れてるし、死にたくてやったわけじゃない。2人を助けたかっただけなんだから、ここは大目に見てあげたら?」
ミズキが、最早ヒカリの保護者と化してる二人を諌める。
「別に怒られたから泣いてたわけじゃないよ! サナに思いっきり笑わせられたのと、気を失ってる間に、忘れたかったこと思い出しちゃって……ま、なんでもないよ、なんでもない!」
こすり過ぎて真っ赤になった頬を見せながら笑うヒカリを見て、4人は心が締めつけられる。
「……そうだヒカリ、338使うよね? バレルと弾持ってきてあげるから、ちょっと待ってて!」
「私も行くわ、シュン。ヒカリは待ってて」
「えっ、二人とも行ったらまた怒られちゃう……」
――置いて行くの……?
湯気の立ち込めるカップを持ち、絶望の淵にたたき落とされたような顔でいるヒカリと、ミズキに諌められて尚眉間に皺を寄せている二人を置いて、二人は医務室を後にする。
「ねえ、ミズキ……」
不安そうな足取りで、シュンは傍らのミズキに問いかける。だがその質問に言葉は無い。言葉は無くとも、確かに通じた。
「分かってる。頭を打ったせいで記憶がフラッシュバックしたのかもしれない」
「大丈夫かな?」
「ああ見えて、ヒカリだって強いわ」
そこには10数年の絆が存在していて、簡単には断ち切る事の出来ないそれは、信頼という形でこうして現れた。
しかしシュンは首を振ると、そうなんだけど、と濁らせる。
「サナも大丈夫かな? サナ、ヒカリのことが大好きだし、それに……」
「……きっとサナも大丈夫。あの子はヒカリ以上に強い」
真っ直ぐ前を見据えたまま、ミズキは過去を思い出す。過去の2人を。
「シュンは昔から心配性過ぎる」
そう言ってミズキはシュンの背中をぺしぺし叩くと、銃器の保管庫へ向かった。
「そういうミズキはほんと強いね。皆の前じゃ」
「二人は心配しすぎなんだよ、私は二人の子供じゃないというに……」
シュンとサナがヒカリにお説教――ミズキに諌められて、ほんの少しだけ優しくなっている――をしている間、ヒカリがカモミールティーを啜りながらなんとなしに口を開く。
「それだけヒカリさんのことが大事なんですよ」
「あ、アイさん」
ヒカリが呟いた直後にアイが部屋に入ってくる。
「そうだぞヒカリ、大事だから言ってるんだ。今回は助かったからよかったものの……」
「もし打ち所が悪かったりしたらどうするのよ!」
こんな時だけやたらと息の合う二人だった。
「こんなに友達に想われて……ヒカリさんは幸せ者ですね」
「まあ、嬉しいと言えば嬉しいんですけどね? なんか、いつまでも私だけ子供扱いされてる様で嫌なんです」
ティーカップを両手で持ちながらむくれているヒカリと、それを聞いて謝っているサナを見て、この子達がまだ成人すらしていない子供だということを、アイは再確認した。
「? 私の顔に何か付いてますか?」
気が付くとアイはヒカリの顔を見ながら考え事をしてしまっていた。失礼をしてしまった事に気付き、慌てて首を振る。
「いえ、なんでもないです、ごめんなさい」
そうして目線を逸らした先、ヒカリの持っているカップの中身が空になっていることに気が付く。
「私のカモミールティー、そんなに気に入って頂けました?」
「あ……はい、そうなんです。とても美味しかったし、ずっとお説教を受けてたのでついつい」
それを聞くと、アイはふふふと笑った。
「とにかく、ご自分の命は大切になさってくださいね?」
――アイさんまで……
ヒカリは、口を尖らせてそう呟いた。
「そう言わないでください。帰ってきたら、ハーブティーを淹れて差し上げますから」
「はーい! わかりました!」
途端に元気になるヒカリを見て、サナとコウは同時に深いため息をついた。
しばらく経って、ようやくヒカリの説教が終わった頃に、ミズキが咳払いをして4人の前に立った。
「これから、簡単なブリーフィングをしたい。作戦……クローバー作戦の大まかな動きを」
恥ずかしそうにしてるヒカリを無視し、イーストブロック郊外のマップをパソコンからプロジェクタに投影する。
「イーストブロックは高層ビルが多い為、ヒカリの狙撃ポイント選びには困らないと思う。ただし主戦場に設定したいのは、ブロックの周りに伸びる深い水無川にかかる大きな橋、『ライナーメモリアルブリッジ』。この緊要地形なら防衛しやすい」
画面中央には、大きな橋が架かっていた。その下は深い深い水無川が長く続いていて、とても迂回しては行けそうにない。
「セントラルシティからイーストに行くには、この橋を通るか、ノース或いはサウスブロックに大きく迂回するかしかない。だから敵は必ずここを通る。そして迎撃部隊はこの橋で待機し、叩く」
人差指が、橋を突く。
「戦車と装甲車はどうするの?」
先程のシュンの説明を覚えていたサナは、装甲車輛の倒しようがないと手を挙げる。それに答えたのも、他ならぬシュンだった。
「それなら、僕らにいくつか考えがある。一つは、ヒカリが随伴兵を排除した後に別部隊が接近して、後背部に爆薬を仕掛ける。或いは、橋を通りぬけるのを待ちぶせ、ビルから一番装甲の薄い戦車上部を一気に叩く。それか……」
とめどなく出てくる作戦は、シュンとミズキがこのレジスタンスの作戦立案者であることを示していた。主作戦がうまくいかなかった際の補助、若しくは全く別の切り口からのアプローチ。それを上手く扱う力があるのなら、作戦は多い方が良い。
「ミズキ、その橋の幅員って分かる?」
ベッドの上でMSRを分解しているヒカリが、細長いピンを口に咥えながらバレルを取り外している。そのフィールドストリッピングの手際は、流石持ち主というほかない。
「幅は全幅約15m。だから車道が10mくらい。歩車道の間にはガードレールあり」
「おっけ。M1戦車の幅が約4mだから、2列縦隊かな。もし随伴兵がいたなら戦車の砲撃は無いだろうから、ポイントは2つ、効率重視なら移動なしでもいいか。随伴兵がいなかったら……ねえ、軍がビルに向かって砲撃すると思う?」
「いやぁ、流石に自国の市街地を砲撃は……でも、今の軍だったらなぁ」
ヒカリが尋ねたのは、狙撃地点を選定する為に必要なことだった。戦車は随伴兵が間近にいる状態では砲撃出来ない。生身の兵士では衝撃波によって、最悪死ぬことも有りうるからだ。よってこの場合、ヒカリは戦車の砲を気にせず援護できる。
一方で兵士がいない場合、戦車がヒカリへ砲を放つかもしれない。それによって狙撃地点も大幅な修正を求められ……これはどこまで考えてもきりの無いものだった。
だが、考えることを止めるわけにはいかない。これでいいかと妥協したとき、死ぬのは自分か、守りたい仲間なのだから。
「あ、でもさっき、この作戦ならシュンが必要って言ってたわよね? あれは?」
プロジェクタを見ていたサナが、思い出したように尋ねる。
「それはね、まあ、戦場をちょっと考えたら簡単な話だよ」
どこかばつの悪そうに、シュンはその人好きの顔を曇らせる。
「……あー、そういうこと? 本気?」
ピンを口から取り、何とも言えない顔でヒカリがシュンを見つめる。本当にいいの? といった疑問や、大丈夫? というような心配も、その表情からは窺うことが出来た。
「僕は大丈夫。一番の問題は、この作戦が終わったとき、レジスタンスはもう元の道には戻れないってことだよ」
「それは……説明して、民間人を助けるためだって理解してもらうしかないよ」
「私もそれが一番だと考えている。それが一番、被害が少ない」
作戦立案者のミズキとシュンに加え、何かを察したヒカリの会話を聞いても、サナやコウにはいまいちピンと来ていないようだ。
「で、つまり?」
シュンの顔に一瞬の逡巡が生まれる。それでもきっと、話すべきだと考えたのだろう。目の前の二人にすら話せないなら、二十数名のメンバーになど言えるべくもない。
「僕は……ううん、レジスタンスはこの作戦で、ライナー記念橋を落とす」