第4章 凄惨な死闘
北川家でカレーライスをご馳走になってから約二週間後の日曜日の朝、ぼくの部屋に二人の招かれざる客がやって来た。
ドアホンが鳴ったのでドアを開けると、スーツ姿の二人の男が佇んでいる。
二人ともぼくに警察手帳を見せ、名刺を渡した。
一人は裏野警察署刑事課の増岡警部、もう一人は野村刑事。
「これを知ってるよねえ」
増岡警部は白い手袋をはめたまま、ビニール袋を差し出す。
中には白い骨が入っている。
「君がこれを公園の砂場に捨てたのを目撃した人がいるんだ」
起きたばかりでまだ朝食も済ませてないぼくは目をこする。
カレーライスをご馳走になった夕方、公園の砂場でこの骨を見つけたことを思い出した。
「ぼくが捨てたんじゃありません。もともと砂場に捨ててあった骨を拾い、それをすぐ投げ捨てました」
砂場に捨てたところを目撃されたとなると、警察が言う目撃者とは北川幸子さんか裕介君のいずれかだろう。ぼくは瞬間的にそう思った。
ひょっとしたら、その日の前の晩、巨大な白い犬が202号室から飛び出して、砂場に捨てたかもしれない。そういう話をしようとも思ったが、話がややこしくなるので黙っていた。
「裏野川幼児殺人事件は君も知ってるよねえ。実はDNA鑑定の結果、この骨があの事件と関係あることがわかったんだ。つまりこれは、被害者の右腕の骨なんだ」
裏野川幼児殺人事件--それは一週間前くらいからテレビや新聞で連日大きく報道している猟奇事件だった。
裏野川の河原でゴミ袋に入った幼女のバラバラ死体が発見された。発見したのは近くをたまたまジョギングしていた青年で、警察に通報した。
被害者の身元は地元の裏野幼稚園に通う園児であることが判明した。
犯人はまだ逮捕されていなかった。
死体発見現場となった裏野川の河原は、裏野ハイツから車で10分、南の方角に進んだところにあった。ここから歩いて行ける距離ではない。
「他に何か事件に関係ありそうなことで、君が知っていることはないかな」
「いいえ......ぼく、もしかして、あの事件の犯人だと疑われてるんですか」
「そんなことはない。安心したまえ。君以外にもいろんな人に事情聴取して回っているよ」
野村刑事が黄色い紙を渡す。そこには特捜本部の連絡先が書いてある。
「何かありましたら、こちらへご連絡下さい。本日は捜査にご協力、ありがとうございました」
二人の刑事は一礼してその場を去った。
ぼくはシリアルに牛乳をかけるだけの簡単な朝食を済ませると、駅前の床屋に出かけた。
散髪を済ませると午前11時だった。
ファーストフード店でハンバーガーを二つ買い、自室に戻って食べた。
ベットに寝転がって軽く昼寝をした。
昼寝から起きると、なぜかしら202号室のことが妙に気になってきた。
あの巨大な白い犬は何なのか。
裏野川幼児殺人事件にも関係があるのか。
ぼくはスニーカーを履いたままベランダに出てみた。
202号室を覗き込むと、ガラス戸は割れたままだ。
ぼくは少し躊躇した後、ベランダの柵を上り、202号室のベランダに飛び降りた。
子供の頃、木登りは得意な方だった。
ガラス戸の割れた箇所に手を入れ、錠を外す。
サッシのガラス戸は簡単に開いた。
部屋の中に入ってみる。
空き部屋を思わせる何もない殺風景な洋室だった。
リビングルームに入ってみる。
中央に細長いテーブルが置かれ、ところどころ黒ずんだ染みが付着している。
血の跡だ。ぼくはそう直感した。
床に黒い十字架のペンダントが落ちていた。
ぼくは屈んで拾い、それをテーブルの上に置いた。
再び洋室に戻る。
物入れの戸を開けると、床に1メートル四方の穴が開いていた。
中を覗いてみる。
薄暗くてよくわからなかったが、おそらく下の102号室の物入れに通じているようだった。
ぼくは穴から下へ降りてみた。
102号室の物入れはドアが半開きだったので、迷わず洋室に行けた。
洋室はいっぱいになったゴミ袋や、投げ捨てたティッシュで散乱していた。いわゆるゴミ屋敷だ。
102号室--それは山崎竜太郎とかいう無頼漢の部屋だ。
ぼくは音をたてないよう、おそるおそる進んで行く。誰もいないようだった。
リビングルームに通じるドアも半開きだった。
中から覗いてみると、リビングルームもゴミ屋敷だ。山崎は出かけているのだろうか。人気は全くなかった。
ぼくは物入れに戻り、もう一度、天井の穴から懸垂の要領で202号室に上ってみる。
洋室に入ると、リビングルームの方から物音がする。
何だろう。
音をたてないよう注意しながら、ドアを少し開けてみる。
すると緑色の作業服を着た大男の背中が見える。テーブルの上にリュックを乗せ、何やら荷物を整理しているようだ。
ふと大男が振り向く。山崎だった。
「何の用だ」
「あっ、いえ......」
山崎はリュックからチェンソーを取り出した。
チェンソーの刃が回転する。「ウィィィイーン」という機械音。
それを聞いてぼくはハッとした。
これだ。この音だ。まちがいない。以前、女の子の悲鳴の後に202号室から聞こえた機械音はチェンソーの音だったのだ。
「ぶっ殺してやる」
山崎はチェンソーを持ってこっちへ歩いてくる。
ぼくは物入れに戻り、穴を飛び降りる。
「小僧、逃げられると思うなよ」
102号室の物入れから洋室に抜け、リビングルームを通り、玄関から外に出る。ゴミ袋の山の上を駆け抜けるのは、思っていたより手間取った。
自転車置き場の小道を抜け、裏野ハイツの東側に回る。
「待ちやがれ」
背後で山崎の声とチェンソーの機械音が聞こえる。まだぼくを追いかけているのだ。
児童公園のブランコでは北川裕介君が遊んでいる。その隣には幸子さんが佇んでいる。
だが挨拶する余裕など今のぼくにはない。
「おまえだけは、絶対に許さんからな」
振り向くと山崎はすぐ側だった。
チェンソーを荒々しく振り回す。
ぼくは反射的にしゃがんでチェンソーの一撃をよける。
このままでは殺される。
ぼくは児童公園の隅まで走る。イチョウの木の側まで来ると振り返る。
山崎はぼくに追いつくと、肩で息をしながら鋭い眼光で睨みつける。
「おまえ、あの部屋で何を見た」
山崎の問いにぼくは答えない。
「死ね!」
山崎は力いっぱいチェンソーを振り下ろす。
ぼくはよける。
チェンソーの刃がイチョウの幹に突き刺さる。
ぼくは山崎の背後に回る。
チェンソーの刃は幹の突き刺さったまま、なかなか抜けないようだ。山崎はチェンソーのスイッチを入れたり消したりしながら力いっぱい引っ張るが、刃は幹に刺さったままだ。
「ウィィィィイーン」という機械音。
ぼくは思い切って山崎に体当りする。
回転したチェンソーの刃が山崎の喉元に当たる。
飛び散る鮮血。
山崎の首がロケット噴射のように胴体から飛び出す。
返り血を浴びて、ぼくの上半身は血だらけになる。
首なし胴体が地面に崩れ落ちるまで数秒かかった。
チェンソーの機械音が止む。
ぼくは放心したように児童公園に戻る。
足元の芝生には白目を剥いた山崎の首が転がっている。
「小野寺君、大丈夫?」
気がつくと幸子さんが駆けより、心配そうな顔をしている。
「ぼく、人を殺しちゃったんだ......これからどうしよう」
「あなたは悪くないわ。正当防衛よ。それより怪我はないかしら。警察にはわたしが電話するわ」
すると裕介君が持参している水筒のコップをぼくに手渡す。
「お兄ちゃん、これ飲んで」
コップには赤い液体が入っている。
「飲んで」
ぼくは幸子さんの方を見る。すると幸子さんは無言でうなずく。
ぼくは一気に赤い液体を飲み干す。
いきなり耳鳴りと眩暈がする。
世界が回り出し、意識が次第に遠くなっていく......。