踊らされた人々 1
マリナとヴォルフが退出した後の執務室。
ふたりは珍しく一緒に訓練所へ向かった。
マリナも闘いの型を忘れないようにヴォルフに稽古をつけてもらうと言っていたが、仲の良いことだ。
想い合っているふたりが少しだけうらやましい。
喧嘩をして仲直りをして…。
想いを伝え合える相手がいるというのはいいことだ。
時間があるので少し本でも読んでいくかと隣室に足を運ぶ。と
扉を潜る瞬間、執務室の扉を叩く音が聞こえた。
「王子、お忙しいところ申し訳ありません」
入ってきたのは内務卿。
恐縮する彼に構わないと答えて部屋に招き入れる。
「時間があったので本でも読もうかと思っていたくらいだ。 気にしないでくれ」
「それは…! 貴重な勉学の時間を奪ってしまったとは申し訳ない」
内務卿がますます恐縮する。読もうとしていたのが娯楽小説だと言ったら失望させてしまうだろうか。
「それで、珍しいね? そんな様子で訪ねて来るのは」
公の用事があれば彼は遠慮なんてしないで入ってくるだろうし、いったいどういった用件なのか。
言い辛そうにしている内務卿は誰かを気にしているようだった。
外にいる近衛に人を入れないように伝えて内務卿を隣室に招く。
内務卿にソファを進めて自分は執務室の入口付近に戻り茶を入れる。
入れた茶を持って行くと酷く驚かれた。
「王子自ら入れなさったのですか!?」
普通は女官に頼むものだが人払いをしているので自分で入れただけで、そんな大層な事ではない。
「こういうのもたまにやると面白いものだ。 女官を呼ぶのが面倒な時などは役立っている」
女官に比べて味は落ちるが、と言うとおもしろいくらい頭を振って否定する。
「恐れ多いことです…!」
「気にするな」
「王子は昔からお優しいですが、最近また大らかにおなりですな」
「そうか? ヴォルフやマリナに似てきたのかな」
あのふたりはどちらも大らかだ。大雑把なところもある。
端から端まで大雑把なヴォルフと違い、マリナは繊細なところもあるが。
「あの二人に…? それはあまり望ましいことではありませんが…」
内務卿が苦い顔をするので笑って誤魔化す。
「それで? 話は二人に関することかな?」
執務室で落ち着かない様子だったのは二人が戻ってくるのを懸念していたんだろう。
「ふたりは今日は戻って来ないから心配しなくて良い」
「そうですか…。 本人たちのいないところで話すのもどうかとは思ったのですが、やはり最初に王子の意見を聞いておくべきだと思いまして」
そう来れば大体の用向きは知れる。
「話は流れている噂に関することかな」
派手に流れた噂だ。内務卿が知らないということはないだろう。
内務卿も頷く。
「王子はあの二人を祝福していらっしゃるのですかな?」
「勿論だ。 誰よりも喜んでいる」
最初に聞かされた時は驚きというより衝撃だったが、今となってはこれほど相応しい関係もないと思っていた。
「しかし、二人が婚姻ということになれば双翼の魔術師はどうなるのですか?」
尤もな心配だが、そこに関してはマリナは確約してくれている。
「心配いらないよ。 いずれふたりが結婚したときもマリナは変わらず私に仕えると約束してくれた」
「しかし、それは前例のないことです。 反発もあるのでは?」
「まあ、ここ数十年は双翼は男性ばかりだったからね。 そんな心配もしなくてよかったのだけれど」
昔は女性は婚姻を結んだら家庭に入るのが当たり前だった。
しかし今ではそう決まったものでもない。女官にも結婚してからも王宮勤めを続けてくれている者は多く、珍しくもなんともない。
双翼としては前例がないけれど、時代を考えたら文句もそう出はしないと思っている。
文句を言うのはマリナを排除したい者たちだけだろう。
「誰が何を言っても二人は引かないだろうし、心配は無用だよ。
私もマリナを辞めさせるつもりはない」
「そうですか…」
内務卿が息を吐く。
「私も少し先走ってしまったようですな」
「ああ、そういえばマリナの後ろ盾が出来そうな相手を探していたようだね」
「…知っておられたのですか?」
「ふたりに話を聞いてから信頼できる者に話をしておいたのだが、ふたりの為に色々と動いてくれてね」
二人の間に立ちはだかりそうな障害を排除しようとあれこれ調べていた。
「ずっと見守っていた娘や妹のような存在だからね。 マリナは」
私の周りにいる近衛たちにとっては子供の頃から見知った存在だ。
家族のように、と言えるような関係ではないけれど、幸せになろうとしていることをとても喜んでいる。
邪魔をする人間がいたら自分たちに出来る範囲で取り除こうとするくらいにはあの子を大切にしているのだ。
「内務卿にとっては孫かな?」
口元に笑みを乗せて内務卿を見ると苦々しい顔で否定する。
「止めてください。 あんな孫など…」
そう言いながらも否定する声にはそれほど力が入っていない。
内務卿には男の孫しかいないからマリナにどう接したものか迷っているのだろう。
結果厳しく部下に接するような態度になっていた
「最近はマリナに色々教えてくれているようだし、私も感謝しているよ」
「恐れ入ります…」
内務卿も戻って来たマリナに思うところがあったようで、口ではあれこれ言いながらマリナに足りない知識を指南している。
呑み込みの早いマリナを相手にして結構楽しんでいると思うのだけれど、決してマリナの為にやっているわけではないと言う。
素直になればいいのにとも思うが、内務卿の立場では今の関係が最善なのだろう。
味方ではない、しかし敵にもならない距離を保った関係。
何事もバランスが大事だと知っているからこそ、立場を崩さない。
ふたりを心配してくれてありがたいことだ。
「しかし、突発的にな事態に対して備えておくことも必要ではないかと思います」
「ん? 何のことだ?」
突発的な事態?予想されることは今のところないが。
「二人の間に子が授かったりですな、こういったことは突然降ってくるものですから」
内務卿が咳払いをして言いにくそうに口にする。
私は呆れに口を開いたまま内務卿を見つめ返した。
「内務卿…、それは杞憂というか…」
「わかりませんぞ? 数か月後には片翼が不在という事態もあるやもしれません」
「それはないな」
ふたりの主として断言する。それだけはない。
「しかし…」
「噂は噂。 真実とは違うものだ」
それに、と言葉を続ける。
「双翼不在になったときはもっと突然のことだったが、どうにかやって来れた。
その経験もあるし、突然どちらかが、あるいは二人ともが休暇を取ることになっても対応は出来る」
いずれ二人が結婚式を上げたりする時が来れば、同時に休暇を取ることになる。そのときにも慌てることはないだろう。
何時になるかはわからないが。ヴォルフの弟の結婚式の方が当然先だろうしな。
あれはもう日取りが決まっている。
「そうでしたか、では私の心配は全て杞憂ということですな」
心配事が全て払拭できて内務卿は嬉しそうだった。




