甘い時間の作り方 初級編 3
~お部屋訪問 ヴォルフ編~
重厚な扉の前で立ち止まる。
マリナの部屋の扉をノックするのは初めてのことだ。
入ったこともない。
「すぐ近くにあるのにな」
有事の際すぐに駆けつけられるよう、ヴォルフの部屋もマリナの部屋も王子の居室の近くに作られている。
扉を叩くと開いてるよ、とすぐに声が却ってきた。
ノブを回して扉を開く。
目に飛び込んできたのはいくつもの本棚に囲まれた部屋と、その真ん中に置かれた一人掛けのソファに座るマリナの姿。
大きく作られたそれにすっぽりと収まった格好で本を開いていた。
「どうぞ」
ソファの前の机には中身の入ったカップが一つとポットが乗っている。
部屋に入って扉を閉める。かちりと閉まった扉には鍵がなかった。
表には鍵穴があったのに何故だ?
「何で鍵がないんだ?」
以前マリナの部屋に入ろうとした女官が、鍵が掛かっていることに文句を言っていたのを見たことがある。鍵がないとは思わなかった。
「魔力で封じてあるからね。 誰かに入られて細工でもされたら面倒だから」
「今は掛けてなかったのか?」
俺が扉を開けた時にはすんなり開いた。仕掛けがされていたようには感じなかったのだが。
「元々王子とヴォルフには反応しないようにしてる。
緊急のときでもそれ以外でも入れるように、二人の魔力は弾かないように設定してあるの」
表に鍵穴が作られているのは侵入しようとする輩に不審を与えないようにするためだという。
魔力を用いた仕掛けだからいくら開けようと試みても無駄なわけだ。
「ふぅん、おもしろいな」
鍵があるように見えるから魔法を使った鍵だとは気づきづらい。
良く考えられた仕掛けだ。
「興味があるならヴォルフの部屋にもかけてあげるよ?」
「…」
「何?」
「いや、別に。 何でもない」
他の人間が部屋に入らないようにしたい、などという意味を含めたわけではないらしい。
もう少し独占欲というものがあってもいいと思うが、マリナらしくもある。
「悪いけど、椅子がこれ以外ないの。 ベッドに座るか、そのあたりにある物を適当に使ってくれる?」
そう言われて戸惑いながらもベッドに腰掛ける。藍色のカバーが掛けられたベッドはヴォルフが使っているものに比べるとかなり小さい。
「何か飲む? お酒飲むなら持ってくるけど」
「いや、茶で良い」
わざわざ城の厨房から持ってこさせるのも気が引けるし、酒が入らない方がいいだろう。
「お前の入れた物は美味いし、な」
味にそれほどこだわらない自分でもおいしいと思う。
「そう、ありがとう」
短く答えて隣室に消えていく。マリナの頬が薄く染まっているのをヴォルフは見逃さなかった。
可愛いな、と思いながら戻ってくるのを待つ。
ふと、扉の横にある物に目が留まる。
(あれは…)
ヴォルフも毎日目にしている、双翼の紋章だ。
双翼の名を与えられたときに授かる勲章をいつも目に入るところに置いている、その意味を正しく感じ取れるのは自分だけだろう。
優越感にも似た思いが胸に湧く。
「出来たよ」
マリナがカップを持って戻ってくる。
「そこじゃ取りづらいよね。 机、動かしてくれる?」
ヴォルフがベッドの前に机を移動すると、マリナはカップを置いてソファに座りなおした。
「マリナ、そこじゃなくて隣に座れ」
「っ、何で?」
近くに来いと言うとあからさまに動揺される。
「いいから、来い」
動こうとしないので強引に手を引きよせる。ベッドに座らせて後ろから抱きしめた。
「っ!」
マリナが息を呑む。
宥めるように手を撫でて落ち着くのを待つ。
硬直した身体から緊張が伝わってくる。
日中犬にされたときはこんなに反応する理由がわからなかった。けれど知ろうと思って考えると答えが出てくるものだ。
触れ合う手も包めてしまうくらいに小さい。いつも感じている存在感とは違い、彼女が小さい存在なのだと実感させられる。
頼りなくすら思える器に不似合なほど大きな力と心が入っている。
ヴォルフが誰より対等だと思うくらいに。
「少し考えたらわかることだった」
「何が」
「触ろうとすると逃げたそうな素振りをする理由」
「…!」
「責めてる訳じゃない」
素直に反応してくれるだけ、本音で接している証拠だ。
本当に嫌いな奴なら笑ってかわすだけだろう。だから別に気にしていない。
「嫌なわけじゃないの。 本当よ?」
「わかってる」
小さな頃に母親を亡くし父親には見捨てられたような状態でほとんど人と触れ合ったことがないのだろう。後見人であるラウールともそんなにべたべたした関係ではなかった。
異世界で同僚の少女に抱きつかれて戸惑っていた姿を思い出す。
異性に限らず他人に触れられることに耐性がないだけ。
だから、慣れればいい。
「これから慣れればいいだけだ」
こうした時間が増えるごとに自然になっていくだろう。
抱きしめた身体がぎこちなく体重を預ける。
自然とは程遠くてもうれしい。こうして自分の腕の中にいることを認めてくれたのだから。
「マリナ、愛している」
「っ!」
重ねた手がびくっと動く。逃げないように包み込んで撫でると小さく息を吐いた。
「わ、私だって、ヴォルフが好きだわ」
珍しく言葉にしてくれる。後ろから抱きしめて正解だったな。
表情が見えない方が素直に口に出しやすいと思ってのことだ。
「マリナ」
手を掬い上げて口付ける。びくりと動く身体に逃げられてしまうかと思った瞬間、振り向いたマリナと目が合った。
潤んだ瞳がヴォルフを捉える。怯えと期待の混じった視線。腕の中から逃げないのを確信したら勝手に身体が動いていた。
長いキスが終わった後、マリナがぽつりと落とした言葉を拾い、また口づけをする。
「ヴォルフ、私…、幸せよ」
怖いくらい、という言葉は言わせなかった。
不安を忘れるくらい時を重ねていけばいい。
こうしてヴォルフの腕の中にいるのが当たり前になるくらい。
強く抱きしめると小さく震えるマリナだったが腕から逃げ出そうとはしなかった。
その姿に愛しさが込み上げて来てさらに強く抱きしめる。
緊張か苦しさか息を詰めるマリナが可愛くて、長すぎる抱擁にマリナが怒りだすまでずっと抱きしめていた。




