甘い時間の作り方 初級編 1
密売組織と密売領主を取り締まってから早や二週間。
マリナたちはおおむね平穏な日々を過ごしてると言えた。
穏やかで充実した時間に満足していたマリナは気づかなかった。
それを不満に思っている人間がいることに。
「マリナ」
書類を繰る手を止める。
顔を上げると真剣な顔をしたヴォルフが立っていた。
「何?」
書類の束が積まれた机。その向こうにあるヴォルフの机にはまだ未処理だろう書類が多く積まれている。何か聞きたいことでもあるのかと言葉を待つ。
ヴォルフから出てきたのは予想外の質問だった。
「ここのところ考えていたんだが…、会う時間が少なくないか」
(は?)
毎日四六時中一緒にいるのに何を言うのか。
反射的にそう思ったけれど、よくよく考えたら仕事を交えないで会っている時間はほぼない。
そもそも城に常勤して王子の傍に侍っているマリナたちには私事に使う時間が極端に少ないのだ。王子に休日などあるはずがなく、双翼にも同じく休みはない。
一日で仕事をしていない時間というのは早朝と食事の時間と眠る前だけ。
朝ヴォルフは訓練の為騎士団に顔を出しているし、昼は共に王子の護衛や政務の補佐、夜はヴォルフが王子の護衛を兼ねて共に食事を取っている。
それが終わったら自室に戻って休む。そういったサイクルで生活をしている以上、時間は作らなければ、ない。
今さらに気付いた。仕事を除いたらヴォルフと会っている時間がないことに。
「前にキ…触れ合ったのがいつか覚えているか?」
言いかけた言葉の直接的な響きに赤く染まる頬を誤魔化しながら考える。
「1か月前くらい?」
「2か月だ」
「…数えてたの?」
「最後に触れ合ったのがお前が戻ってきた次の日だぞ、覚えていないわけがないだろう」
言われてみたらその通りだ。
「お前は触れたくないのか?」
そうは言われても…。
ヴォルフが真剣な瞳でマリナを見ている。
あんまじっとこっちを見ないでほしい。
視線を受け止めるのに耐え切れなくなってぷいっと横を向く。
まともに視線が合うとどういう顔をすればいいのかわからなくなってしまう。
仕事の話をしているときは意識しないで済むのに。
ヴォルフの手が伸びて来たかと思うとマリナの頬を挟んで正面に向かせる。
まっすぐ見つめる瞳を直視できなくて目を逸らす。
「目を逸らすな」
咎める口調は強いものではない。
ヴォルフに視線を戻すとあまり表情が豊かとはいえない顔が目に入る。
黒い瞳がこちらを突き通すような強さで見つめている。いたたまれない。
頬にじわじわと熱が溜まっていく。
目を逸らすなと言われたのでその通りにじっと瞳を見返す。
恥ずかしい、のに。何故だろう、瞳を逸らしたら負けという感じが湧いてくるのは。
瞳だけを見つめる。黒い瞳に自分が映っているのに動揺してぴくりと反応してしまう。
頬に触れる硬い手の感触にまだ慣れない。
「俺はお前に触れたい」
真っ直ぐで素直な感情。
居心地が悪い。緊張と不安の奥に期待が隠れていることに自分で気づいている。
マリナだってふとした瞬間にそう思うことはある。
けれど、どうしていいのかわからない。
「マリナ…」
追い詰めるようにヴォルフが更に身体を屈める。
くちづけられる―――…、そう思ったら勝手に魔力が反応していた。
「…っ!」
息を吸って呼吸を整える。目の前に暴走の結果が鎮座している。
《お前…》
低い声でヴォルフが唸る。こちらを睨みつけているのはいつぞやと同じ黒犬姿のヴォルフ。
「ご、ごめん!」
慌てて魔法を解除する。決してわざとではない。
「そんなに触れられるのが嫌か?」
怒っているというより傷ついた声で言われたことが衝撃だった。
「違う! 違う、けど…」
反射的に否定する。けれど上手い言い訳なんて出てこない。拒否したのは事実なのだから。
「ほら。 ここ執務室だし、ね?」
仕事中だし…。出てきたのはそんな台詞だけ。誤魔化すならもっと言葉があるだろうに。
「ここじゃなければいいんだな。 俺の部屋とお前の部屋でも」
考えたらお互いの部屋に行ったこともない。
場所は知っていてもお互いに一度も足を踏み入れたことがなかった。
答えられないでいるとヴォルフは勝手に決めて言葉にする。
「夕食が終わったらお前の部屋に行く」
そう宣言して立ち去っていった。




