師弟 1
城壁の縁に腰掛けて王都を見下ろす。
すうっと一呼吸すると濃い魔力が胸から指先に至るまで行き渡る。
心地いい。
満ち足りたこの感覚。
取り戻したものの大きさに心が歓喜に震えた。
万能感に身を浸し空を見上げる。
この高揚感のままに魔法を行使したら気持ちいいだろうな。
怒られるからしないけれど。
空に浮かぶ月に手を伸ばして身体に流れる魔力を操作する。
マリナを中心に魔力が集まりぱっと散る。何度かそれを繰り返すと高揚感も少し収まった。
「ふう…」
向こうの世界ではずっと魔力不足が続いていた状態なので急激に増えた魔力に身体がついていかない。
子供の頃魔力酔いをしたことを思い出す。あの時は師匠に迷惑をかけてしまった。
魔力が身体を満たす高揚感に酔いしれて辺り構わず魔法を放ちたくなる症状は懐かしいものだ。
もちろん今は衝動をコントロールする術も理解しているので同じような過ちはしない。
魔力が落ち着いたのを確認して視線を下に戻す。
都は深更であるのに明るい場所も多い。
反して王宮内は闇があちらこちらに見える。
騎士たちも巡回しているし、所々に灯りも配置されているので真っ暗ではない。
ただ王宮内にいくつもある庭園などが暗いだけだ。
暗闇を見ていたら眠くなってきた。
明日も書類仕事に忙殺されるのだろうし部屋に戻ろうと城壁から降りる。
「…っ!」
振り返ったらすぐ近くに人がいた。
「びっ…くりしたぁ。 驚かさないでくださいよ師匠」
驚いて落ちたらどうするのかと口を尖らせる。
「しばらくぶりに帰って来たのに挨拶にも来ない薄情な弟子にそんな気をつかう必要があるかしら?」
「うっ…」
耳と胸が痛い。
言い訳するなら一度は会いに行ったのだ。
ただたまたま留守で、手紙も残さずに帰ってきてしまったけれど。
「申し訳ありません…」
素直に謝ると珍しく師匠も小言を口にしないで許してくれた。
「まあ忙しいのもわかるからいいわ。 よく帰ってきたわね?」
「ええ、何とか」
何かが一つ違っていたら今ここにいなかったのかもしれない。ふとそう思った。
師匠に言わなければいけないことがあった。
なんと言ったらいいのかわからなくて手紙にも出来ずにいた。
「師匠、師匠に報告しないといけないことがあります」
「リオールに会ったんでしょう?」
「!」
全て知っているかのように師匠は笑みを湛えている。
「何で、わかるんですか?」
異世界で会ったなんて想像もつかないことだろうに。
「何でか知らないけれど、あの子のことは何でもわかるのよ」
双子の神秘なのかマリナとリオ様が遭遇したことがわかったらしい。
「お元気そうでしたよ。 詳しいことは教えてもらえませんでしたけれど」
師匠の双子の弟、リオール様は数年前突然、本当に忽然と姿を消した。
あまりに突然のことで、周囲では犯罪に巻き込まれたのではないかという噂も一時期立った。
兄であるラウール様が心配ない、弟は何処かで元気にしていると取り合わなかったからそれほど騒ぎにはならなかったけれど、本当にいきなりのことだった。
異世界で再会できたのは僥倖だったし、マリナはいっぱい助けてもらっている。
どうしているのか気になって聞いてみたけれど、悪いことはしてないというだけでどうして異世界で暮らしているのか、今何をしているのか、何も教えてくれなかった。
「きっと好きに生きているだろうから、心配はしてないわ」
「好きに…、そうですね」
マリナが向こうに自由を見出したみたいにリオ様もきっと自分の好きなように暮らしているだろう。
「あなたも自分の意思で戻ってきたのね」
「ええ、決めましたから」
「そう」
短い言葉だったけれど師匠は穏やかに笑っていた。
「あんたは昔っから頑張り屋だけれど、少し行き過ぎね。 たまには人を頼りなさい」
師匠の手がマリナの頭を撫でる。
珍しい。子供の頃から数えてもこんな風に撫でられたことは数えるくらいだった。
細くて長い指がゆっくりと撫でていく。
この手がマリナを連れ出してくれた。
「師匠」
改めて深い感謝と敬愛の気持ちが胸を打つ。
「ありがとうございます」
師匠は何も言わずに笑う。
慈しみに満ちた瞳に笑みを返してマリナは黙って撫でられ続けた。