執務室 1
王子の執務室。
うず高く積まれた書類を見つめて一言。
「これはまた…」
口の端が皮肉につり上がる。喉の奥で笑うと横で王子がびくりと身体を揺らした。
「どうしました?」
「いや、マリナの怒り方が…」
恐ろしいと言いたげな王子に呆れた眼差しを送る。
「心配しなくても少ししか怒っていませんよ」
「少しは怒ってるんだな」
ヴォルフの呟きは無視する。そりゃ怒るでしょう、この状態は。
「ずいぶんな量の嘆願書ですねえ」
一番上に会った一枚を手に取って目を滑らせる。
「暇人が多いんですね」
この程度の内容ならわざわざ王子に上奏するまでもない。
関係部署に嘆願書を出せば済むことだ。時間はかかるだろうけれど。
「まさか王子、この書類全部目を通して決裁してるんじゃないですよね?
時間の無駄ですよ」
「いやしかし、ここに書類が届いている以上は私がやらねばならないだろう?」
「内務卿に言って事務処理に長けた部下を貸してもらえば良かったじゃないですか。
明らかに王子の裁量じゃないことまで片づける必要はないと思いますよ?
突き返せばいいんです」
担当省務を飛び越して王子に直接嘆願するなんて無礼もいいところだ。それが見合っていないものなら尚更。
「そ、そうか…?」
「そうですよ、この建国祭の要望なんて典礼官の領分です。
王子に言うのは間違ってますよ」
もしくは予算を扱う内務省か。
どちらにしても最終的には内務卿の決裁が必要になってくる。
これを出した人は何を思っていたんだろうか。王子にも内務卿にも印象が悪いのに。
「そういえば内務卿も書類の仕分を任せる部下を派遣しようかと言っていたな」
「断ったんですか?」
「双翼が欠けたくらいで何も出来ないと言われるのは嫌だったんだ」
内務卿はそんな意図があって言ったわけではないだろうけど、当時の王子には伝わらなかったみたいだ。
「今からでも借りてきましょうか」
内務卿が王子の側に行かせようとする人材ならかなり能力が秀でた人だろうし、この山を片すのも難しくないと思う。
「マリナがやってくれるのではないのか?」
「私がやってもいいですけど……」
異世界に行く前と比べて明らかに多い書類は、双翼不在の時なら王子を誘導しやすいだろうという魂胆が見えた。
なんというか…、腹立たしい。
「愚かしい文面を書いた人間をリストアップして記憶に留めてしまうかもしれませんが…」
それでもいいですか、と続ける前に王子が口を開いた。
「わかった、今すぐ内務卿に依頼する」
有無を言わせぬ調子で宣言する。
マリナがどんな仕返しをするか考えたくないと言いたげな王子。
(だって、ねえ…?)
原則を無視した行動も不快だけれど、何よりも…。
「王子を侮っていると示した人間に優しくする必要はないわよね?」
王子に聞こえない音量で呟くと隣にいたヴォルフが目で同意した。
内務卿の部下に書類を渡せば当然そんな不届き者の名も内務卿の耳に入るだろうから。
マリナなんかよりよっぽど有効な注意の仕方をしてくれると思う。