マリナの過去
身体を休めるように言われてはいたが、じっとはしていられなかった。
王子の言葉にも気になることがある。
『無関心』
マリナの言葉を思い出す。自分がまだ知らないマリナが、この世界にもいるはずだ。帰らない理由を知らないとアイツは戻ってこない気がした。
まずはマリナを一番よく知っている人物に会うことにした。彼のいる場所へ向かっていると柱の陰に少女が二人隠れているのが見える。
ヴォルフが来るのを待っていたのか、目が合うと顔を見合わせ柱の陰から出てきた。
「あのっ! ヴォルフ様、お時間よろしいですか?」
正直邪魔だったが無視するわけにもいかないので足を止めて少女たちを見下ろす。見たことがあるような気もするが、よく思い出せない。
「お久しぶりです。 お体は大丈夫ですか?魔女に邪悪な術をかけられたと聞きましたの」
邪悪だとは比喩表現なんだろう。実際に何て術を使ったんだとも思ったが、他人に言われると不快感が大きかった。もう一つの単語も引っかかる。
「魔女?」
「ええ、片翼を名乗っていたあの魔女ですわ。
ヴォルフ様の件で王子の怒りに触れ、何処かに追放されたと伺いました」
魔女、などという蔑称を聞いたことはなかった。…はずだ。いくら以前の自分が周りに無関心だったとはいえ、不快な話まで忘れはしないだろう。
「今までが異常だったのです。 何処の馬の骨ともしれない女を双翼として召し抱えるなんて、前例もありませんし、英明な王子のただ一つの過ちと噂でしたのよ」
「この度のことで王子も魔女の本性に気が付かれたようでよかったですわ。 もしかしたら聡明な王子のこと、本性を見抜き追い払う機会を狙っていたのかもしれませんわね」
「全く。 ただの平民ごときが選ばれるだけでも起こりえないことなのに、学び舎すら通ったことのない娘ですもの。 王子の英断には私どもの父も感嘆していましたわ」
「学び舎に通ったことがない? 初等科にも…?」
そういえば学校に行ったことがないと言っていた。初等教育は義務だ。それすら受けられない環境にいたということか?
「まあ! ヴォルフ様はご存じなかったのですか?」
「そういえばヴォルフ様は魔女と慣れ合おうとはしなかったのですものね。
王子を守るために魔女に心を許そうとしなかった高潔さは私たちの間でも話題になっています!」
現状に合わない話に目が鋭くなっていく。
信頼関係がないように思われていたのか。聞けば聞くほど不快になる内容に少女たちを睨みつける。ヴォルフの視線にびくりとして怯えたように体を縮こませる。
憤りを理性で抑えて少女たちから離れる。詰問してしまいそうな状態で話を聞くには少女たちは向かない相手だ。
通りがかる官僚や兵士を片っ端から呼び止めて話を聞く。
聞ける話はどれも同じだった。『魔女』『平民』『捨てられた娘』など、腹立たしくて仕方がない。何故今までこれが耳に入らなかったのか。自分に腹が立つ。
王子も言っていた。居心地が悪いのはわかっている、と。つまり今までもああいった言葉はヴォルフの周りで飛び交っていたはずだ。
(俺は、今まで何をやっていたんだ…!)
話を聞いた中にはマリナに同情的な者もいて、詳しい生い立ちを語ってくれた。
父親が養育を放棄し、初等科にも通えず町から見捨てられていた子供を城の医務官が引き取って養育したこと。
その才が認められ双翼候補に挙がったが、古い貴族を中心に今も存在を疎む者がいることなど。
王宮にいる誰もがマリナの存在を意識していた、そう感じさせられるほどに誰もがマリナを知っている。
少し耳を澄ましただけでこれだけの話が聞こえてくる。本当に知らなかったのは自分だけだ。
(マリナが怒るのも当たり前だ)
どれだけ詰られても足りない。どんな思いで『もういい』と言っていたのか。
今まで自分が付けた傷も、周りに付けられた傷も、一度として見せたことがない。
最も近しいはずの片翼に頼らずに、一人で耐えた。
まだ十かそこらの子供にそんな決断をさせていた。不甲斐ない自分を心から呪う。
「マリナ…」
もう一度会いたい、会わなければならない。文句でも恨み言でも、何でもいいから聞かせてほしい。
このまま分かたれたままにはしておけなかった。