秘めたるもの
スーパーに寄って食材を買っていく。
最近ではバイトのある日でも食事を作って一緒に食べることが多い。まかないが出るから必要ないのに。
(余分なお金使ってるなー)
一人なら貯金に回すお金だ、将来に備えるために。
それを数か月のことだからと言い訳して食費に使っている。
向こうの世界では食事を共に取ることはあっても二人で、とか作ったものを食べてもらう、といったことはなかった。
今日もマリナの作った料理をおいしそうに平らげて満足そうにしている。
油断しきったその顔を見て、前はこんな表情見たことないな、と思う。
王子相手にもあまり笑ったところを見たことはない。無愛想な男だった。
誰に対しても愛想の無い顔が自分の前で緩みきっている。
任務中でないときなら、ヴォルフはこんな顔もしていたのかな。そう埒もないことを考える。
口の大きなカップに入れたコーヒーをヴォルフの前に置く。
鼻をくすぐる香りにヴォルフが顔を上げた。
「淹れてくれたのか? ありがとう」
「熱いよ」
冷ますのが面倒だったので熱いまま出して注意だけする。
「お前は飲まないのか?」
コーヒーを吹き冷ましながら聞く。犬の口って結構器用なことができるな。
「私はコレがあるから」
そう言ってペットボトルのお茶を示す。飲めないこともないけれど、マリナは紅茶の方が好きだ。
少し考えるような素振りをして、ヴォルフが口を開く。
「お前は俺の好きなものをよく知っているな」
特別含みのある表現じゃない。そのことにほっとする。ヴォルフにそんな芸当ができるわけないか。
「一緒に働いてたら、それくらいの好みは把握するよ、普通」
普通を強調して嫌味っぽく返す。ヴォルフは一瞬だけ怯んで、すぐに立ち直った。
「そういえばお前がコーヒーを飲んでいるところは見たことがない気がするな。 嫌いなのか?」
「嫌いってわけじゃないよ。お菓子に使ってあるのは食べるし、お茶の方が好きなだけ」
スポンジにコーヒーを含ませたケーキとかは大好きだ。コーヒー単独の苦みはどうにも好きになれないけれど。
「何だ、苦いのが駄目なのか。 意外に子供だな」
マリナの考えを見透かしたように笑う。子供だと言われてむっとする。
「子ども扱いしないでよ、おっさん」
「誰がおっさんだ! 俺はまだ二十代だ!」
「子供を笑うのは歳を取った証拠よ」
本気で嫌がるヴォルフをからかう。笑ったお返しだ。
からかっているのがわかるから言い合いもそれ以上激しくならない。目が合うとどちらからともなくふっと笑う。
笑んだ黒い瞳にじわじわと胸が熱を上げていく。
早まる鼓動を感じても、表情には出さない。
(好きだなぁ…)
自分の胸の高鳴りを感じて、心の中で呟く。
殆ど見たことのない笑顔が自分に向いている。うれしさに、顔が自然に笑顔を作る。
今なら笑っていても大丈夫。ここには他人の感情に敏い人間はいないから。多少顔が緩んでいても心の内を悟られることはない。
目の前にいるのは鈍いヴォルフだけだし。
犬になっていても、やっぱり元の面影は残っている。
精悍な顔つきや騎士らしくがっしりした体つき、そういった外面より、辺りを見る視線や静かな気配に変わらない人間性を感じる。姿が変わってもヴォルフはヴォルフだ。
顔を見る度にうれしくなる。
名前を呼ばれるごとに緊張して、手が触れる都度動揺する。
ままならない心を抱えて幸せだと思う。
動揺も緊張も好きだと思う感情から来ていることがうれしい。
隠した感情に少しだけ素直に笑う。
気づかない相手だからこそ一緒に笑っていられる。
(ヴォルフが犬の姿でよかった)
人間の姿だったらこんな風には振る舞えなかったかもしれない。
意地を張って、素直な態度なんて取れなかったな、きっと。
先のことはわざと考えなかった。今は一緒にいられる。
こうして笑い合って過ごせる。それだけで、十分だった。