突然の再会 1
パックジュースの入ったコンビニ袋を提げて日の落ちかけた道を歩く。
闇色に姿を変えていく空が目に入り、思う。
「やっぱり色が違うって思っちゃうな」
子供の頃から目にしていた空はもっと色が薄かった。
この空も綺麗だとは思うけれど、まだ違和感がある。
空を囲む高い建物は夕日を反射して赤く染まっていた。
自分のいた世界とは全く違う世界。
―――異世界。
話には聞いていたけれど、まさか来ることになるとは思わなかった。
ましてその世界で働いて暮らす日がくるなんて。
ふと、視線を感じて目線を下げると立ち止まって空を見つめるマリナを見ていた主婦と目が合う。
不審な者を見るような視線がいたたまれなくて歩き出す。
バイト先までは歩いて十分くらい、今日は少し早く着くかもしれない。
ぼんやりと街並みを見つめながら歩く。
学校帰りの学生、塾へ向かう小学生、スーパーから出てきた会社員など、元いた世界では見たことのない光景はひと月経っても興味深い。
黒い道も初めて見たときは驚いた。固まった黒い石みたいな素材もそうだけど、マリナの世界では舗装された道といえば石畳だった。
都市から離れると土を固めただけのところも多く、風が吹いても視界が悪くならない道路を純粋にすごいと思った。
それもこの街は首都でもないのに、いたるところまでこうした道になっている。
てれび、というもので見た限りこの国の多くの場所で同じように舗装してあるみたいだ。
その国力の高さに驚く。文化の違いもあるので一概に言えないけれど、マリナの生まれた国よりはるかに進んでいた。
とはいえ、その反対のところもある。
「魔法がないなんて…」
街を走る大きなトラックも電車も、さらには空を飛ぶ飛行機ですら魔力を動力としていない。
それを知ったときは愕然とした。
マリナの生まれた国は世界で最も魔法技術の高い国として有名だった。国民も魔力を動力とした道具に頼って生きている。
こちらでは魔力という概念はあっても、想像の産物として物語に出てくるだけらしい。
「おもしろい世界だよね」
魔法という力が無くてもこれほどに発展している。
試す相手もいないので使えないけれど、遠く離れた国の人と通信できる機械もあるという。
異なる技術で作られたそれらは全て興味深く、退屈しない。
突然飛ばされた異世界だったがマリナはそれなりに楽しくやっていた。
「ん?」
視線を感じて目を動かす。公園には家に帰るために通り抜けていく人のほか、犬の散歩をしている人たちが多くいる。
そのうちの一匹に目を留めたとき、心臓が大きく波打った。
公園内にいた一際大きな体躯をした犬がマリナを凝視したかと思うと一転して走り出す。
「あ、おい…!」
誰かが叫ぶ声が聞こえる。
マリナは身動きも出来ずに犬が飛びかかってくるのを見ていた。
「…!」
押し倒されて背中が地面に触れた。頭を打たないでよかったと思う余裕もない。
「あ、あんた…」
マリナの上に乗っかり吠え立てるのは―――。
《見つけたぞ、マリナ!》
「ヴォルフ…?」
《俺を元に戻せ! 今すぐに!》
驚きに言葉をなくしていると、慌てた声が聞こえた。
「大丈夫かい!?」
ジャージを着たお爺さんが慌てた様子で走ってくる。
「すまないね、うちの子が」
お爺さんが犬に着けた首輪を引っ張る。身体にのしかかる圧力が消えて、ようやく身を起こす。
「ヴォルフ…」
まじまじと見つめる。黒い艶やかな毛並と鋭い瞳、大きな体躯。眉間にしわを寄せてマリナを睨む表情は以前と全く変わらない。
(何でこんなところにいるの!?)
驚きのままただ犬の顔を見つめる。
犬はまだ興奮しているが吠えるのは止めた。
見つめ合うマリナと黒犬に向かって遠慮がちな声がかかる。
「もしかしてお嬢さんの飼い犬だったのかな?」
お爺さんがマリナの顔を覗き込む。
「とりあえず立とうか、はい」
差し出された手を取って立ち上がる。
「うわあ…」
服をひっぱり背中を確認する。白い服なのに背中には土がついてしまった。
思わずヴォルフを睨む。少ない生活費で買ったお気に入りだったのに!
そんな様子をみたお爺さんが申し訳なさそうに謝る。
「すまないね、私がもっとしっかり紐を握ってればよかったんだけど」
「いえ! 大丈夫です!」
むしろそうでなくてよかった。
ヴォルフが本気で力を出したらお爺さんを引き摺ってくることくらい朝飯前だ。
そうしたらもっとひどいことになっていた。
想像して身を震わせる。心の底からそんなことにならなくてよかったと思う。
「怪我はないかな?」
「はい、全然。 大丈夫なので…!」
身体はどこも痛くない。一応手加減はしたみたいだ。
「それより、この子を知ってるのかな?」
お爺さんが犬を指差す。
飼い主じゃないかと思われている。こんなのの飼い主とか、勘弁してほしい。
「いえ、私は違います…が。 彼の主はよく知っています」
言葉を選んで答える。さっきから飼い犬と言われるたびに犬の顔が険しくなっている。
聞けばお爺さんがこれを拾ったのは数週間前らしい。
雨に打たれて弱っていたところを保護したとのこと。
多分それはお腹が空いていたのが理由じゃないかと思う。雨風くらいで身体を壊すほど繊細じゃないから。
「そうか、出来るなら元の飼い主のところに連れていってやってくれないかな?
私のところにいてもずっと外を気にしていて、飼い主さんを待っているような感じなんだ」
黒犬を見下ろしてそうだろうな、と思う。彼はどうしようもないほど主を敬愛していたから。
出来るならで良いからと頼むお爺さんに断りきれず犬を引き取ることになった。
話をしている間中、黒犬はマリナを睨んでいた。
仕方ないとも思うけれど、犬と目が合うとむかむかした気持ちがわいてきてしょうがない。
「とりあえず場所を移すわよ」
短く言い捨てて歩き出す。
ここは人通りが多い。犬と話をするには向かない場所だった。