遥かな里(一)
「大昔にいた王狩りのナヴァって知ってるか?」
枝から下りたカクが口にしたのはドルディア自治領を五分割する氏族のひとつ、サフィン=テスの英雄の名だ。ナヴァは百年くらい前の『王狩り』で生涯に二頭の獣王を倒した。狩り人ならその名を知らぬ者はいない。
「閃光のナヴァがどうだっての」
「聞いて驚け、オレらの先祖だ」
カクがしたり顔で告げてもシムは別段驚いた風でもない。係累に異能力者を持たないシムのような『先祖返り』でもなければ、系譜を辿ればどこかしらにテスの郷の者がいるのはままある。いや、例え先祖返りでも、遥か遡ればテスの民がいる可能性は大いにある。
事実ヤスがそうである。東ガラット村生まれの母からは、親類に能力者がいたという話は聞いたことがなかった。それでも女親から間違いなくテスの民の血を引いている。カクは予想通りの反応が得られず不満を隠せなかったが、諦めて肩を竦めた。
「母方の祖父さんの祖父さんなんだよ。つまり本当の本当に直系の子孫」
「それじゃサフィンの……、王子サマ!?」
「父方の祖父さんが領主だったから、そうなるな」
今度こそシムが驚いた。カクとタカは母方からナヴァの、父方からサフィンの血を受け継いだ生粋のテス一族だった。にやりと笑うカクは腰の鉈と小刀を見せると柄と鞘は獣王の物だと告げた。なお一層驚くのを見て悦に入る。
何かの骨を加工した物なのは一見して知れるが、ヤスとミアイもシムに負けず劣らずの興味を示した。シムはといえば、目も口も大きく開いて目の玉が零れ落ちそうだ。母の実家は市井で軽食を出す小さな屋台を営んでおり、たまたま町に出向いていた父が、仕事を手伝う母と出会ったのが両親の馴れ初めである。
ナヴァも元は町生まれで荷運び人を父に持つ。知らぬ間に祝福に目覚めた先祖返りで、力が強く身体が大きいのは、幼いころから父を手伝っていたせいだと思っていたらしい。長じて後にサフィン=テスの本拠地レイファンを訪れる機会があり、その際に巫女に見出された人材だ。そして狩りに出るようになると、強運にも獣王に二度見える機会を得た。
そうなれば一族に迎えたいと思うのも無理からぬことである。しかしナヴァには既に妻子がおり、強引に別れさせて婿に迎えた――――。
「ナヴァの息子が次のクウォンになって、無事分家として確保できたサフィン=テスは万々歳。お袋の方は狩り人になる前に生まれた子供の子孫ね。始めは自由民って理由で反対されてたのに、その血筋なら申し分無いってことになったらしい。……ほんと、ご都合主義だよな」
当時のナヴァも喜んで妻子を捨てたわけではなく、領主の権勢を慮って仕方なく手離しただけだった。その後も口の固い人物に頼んで様子を見に行かせ、こっそりと金を届けさせていた。そして孫が生まれてからは、「親戚の小父さん」として時折顔を見に行った。
特別製の鉈と小刀はいつの間にか消失していた物だが、実際には不義理をした詫びとして本人が孫に与えたのだ。カクの祖父――――ナヴァの孫は娘のために、今まで隠していたそれを持ち出して身の上を立てて良縁を得た。
鉈とナイフは柄に細工がしてあり、柄頭を回して外すと内部の隙間から飾り玉が転がり落ちた。大ぶりのビーズは黄ばんだ乳白色と黒ずんだ茶色をしていた。カクはふたつの管玉を手の平で転がして見せた。
「これもシカ王の角とヒグマ王の爪なんだってよ。どっちにも母方の祖父さんの名前が彫ってあって、自分が渡した証拠にわざわざ作ったらしいぜ」
ビーズが獣王の一部であることはサフィンの巫女のお墨付きだ。兄弟はまごうことなき勇士の血筋だった。
カクはビーズをシムとミアイに一つずつ手渡した。王狩りであっても、解体後は獣王の毛皮にすら手を触れていない。落ち着かないので二人は一頻り感心するとすぐに返した。
カクの鉈を調べたヤスも感心している。ただし装飾された外側より、業物の刃に見入っていた。さぞや名のある鍛冶師の作だろうそれは、手入れが行き届いていて古ぼけた感じはしない。柄のみと思われた鉈の方も小刀と同じく鞘も揃いだった。鉈の鞘は少々目立つ品なので、普段は厚手の布を巻いて隠してある。
連れ合いに先立たれていた先の所有者は、老齢で身体が利かなくなると娘の嫁ぎ先レイファンに居を移した。テス一族の婿との間にできた孫や一人娘と過ごす時間が何よりの療養になったようだ。そして最後は、〈狩り人〉としての将来が約束された二人の孫息子に、ナヴァの遺品を譲るよう婿に頼んで静かに息を引き取った。
「へえ……。じゃあタカも何かもらったんだ」
「こいつの分なんか無い」
カクが形の良い口を「へ」の字に曲げてシムに答える。なんとタカは賭けの質草として譲り受けた小刀を流したのだという。それを知ったカクは翌日急いで買い戻すことにしたが、賭場兼酒場の主は良い品だとかなり吹っかけてきた。
もし獣王を素材にした『王狩り』の遺品だと知れたら、手元には戻らなかっただろう。父の形見で思い入れがあるからと、少々色をつけた程度で済んだのは幸運だったとカクが弟を睨む。
負け癖があるのに賭け事を止めないタカは同じことを繰り返すと踏んで、先祖の遺品は二品ともカクが管理することにした。タカはごつごつと筋肉のついた肩を竦めて縮こまっている。愚かな真似をしたのは分かっているようだが、賭けばかりはどんなに小言を言われても止められないのだ。
「おかげで路銀が少なくなって苦労したんだからな……」
「路銀てコトは遠出してたんだ」
ぶつぶつと零すカクに再びシムが尋ねる。それは二人がレイファンから東ガラットへ来る途中の出来事だと答えれば、どうしてレイファンを出たのかと聞く。疑問を見過ごせないシムの性格が、脇道に反れそうになる話を大筋に戻していた。
「親父は伯父貴と次のテスの座を争ってたんだよ。親戚どももどっちかについて、いつも険悪な雰囲気で……。ところが親父は領主の祖父さんより先にぽっくり逝っちまって、跡継ぎは呆気無く伯父貴に決定。お袋はずっと前に麗しの女神がおわす『春の野』に行ってたから、オレとそのでかぶつは体良く追い出されたってわけさ」
結構な境遇をさらりと語るカクの態度はいっそ清々しい。そして両親それぞれに抱く感情も垣間見えた。
東ガラットの為政者の血筋は絶えつつあり、分家は無く親類も同郷に存在しない。当然テスを補佐する狩り人の長クウォンの成り手もおらず、領主一家族でかろうじてサヤナの血統を守るに留まっていた。部族間の親交の結果、他氏族に遠縁はいるものの近年はそれも減っていた。第一そこからの嫁取り婿取りは政への介入を意味するし、血族婚はかえって血を弱めることになるので続けて行うのは好ましくない。
特権階級は収入のかなりの部分を狩り場の収穫に頼っている。個人の縄張りで狩りをする場合、使用料若しくは収穫の何割かを所有者に差し出さねばならないが、東ガラットでその権利を持つ者はごく少数である。
そこでサヤナ=テスの長は領主直轄地の一部を一般に開放し、自由度の高い通常の狩り場とした。そうして、他氏族であぶれた若者を取り込む政策を数代に渡って続けている。
カクとタカが東ガラットへ移住した理由の一つがそこだった。レイファンに残って狩り人になったとて、狩り場が順番待ちでは食べていくのがやっと。伯父や親類に頭を下げて頼んだとしても、権力争いに敗れた者の家族は冷たくあしらわれるのが関の山だ。実の無い特権にしがみついても仕方ないので、自分たちの力で生きていくことにした。
元々狩り人は実力主義である。縄張りの良し悪しも多少は絡むものの、様々な条件を加味しつつ稼ぎを得るのだから。
「あー……、そゆコトね……。でさ、それのどこがテンに関係あんの」
核心をついたシムの十八番「なぜ、どうして?」がテンに向けられた。
しかしいざ話が振られると、テンは何から話せばいいのかと迷っているようだ。何事か呟きながら考え込むのへシムがずばりと斬り込んだ。
「あのさ……、悪いんだけど、テンが父無し子なのはみんな知ってるんだよね。だから他のこと聞きたい」
勝手に何くれと推測するより、本人に聞いてしまう方が早いのは純然たる事実である。そこで言葉を濁すならそれ以上は詮索せず、話してくれるのなら喜んで聞き役になる。
だからといって何もかも誰かに教えてもらうのではなく、小耳に挟んだ情報を基に真実を見出す。知らないことを知らないと言い、相手に聞いてしまう素直さと、言うべきことと口を噤むべきときの見極めがシムには可能だった。
シムは好奇心が人の形になったようなものだ。何か聞かれるとつい答えたくなるのはある種の才能だろう。苦笑したテンはヤスとミアイに、他に何か知っていることがあるか尋ねた。「本当かどうか分からないことしか聞いたことがない」と異口同音に答えるのを聞いて、テンはとうとう重い口を開いた。