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巡れ星  作者: 紅月 実
第一話 秋の日
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秋の日(二)

 テン組が巨大なイノシシ――――獣王と幸運にも出会い、それを仕留めて『王狩り』となって二ヶ月が過ぎた。じりじりと熱い太陽が照らす夏から、過ごしやすい秋へと季節も変わった。半月後に秋の収穫祭を控えて領地全体に浮き浮きした空気が漂っている。

 東ガラット領を含めたドルディア自治区は半分以上が山岳地帯だ。山裾は森となっており、交易街とその周辺にのみ広い田畑が存在する。それ故に収穫祭は農閑期の労いではなく、大地の恵みを糧として与えてくれた〈自然〉に感謝するためのものだ。


 そしてドルディア山系に棲息するシカやイノシシは、秋から冬にかけて交尾期に入る。春の出産時期まで身籠った雌を狩るのは掟で禁じられるため、獲物を狩る側も活動を縮小せざるを得ない。主な獲物を狙えないのは苦しいところだが、守らなければ次の世代は減る一方だ。

 幸いかなテン組は〈テス〉である領主の信頼も厚く、自前の縄張りを「休ませて」いても困ることはない。『王狩り』の彼らには、狩り控えの時期が来ても日々の暮らしに困らぬよう様々な配慮がなされる。


 しかし狩り控えは収穫祭を過ぎてから。今時期、山の草木は葉を落とし結実する。それは生命を繋ぐ種子であると同時に、保存しやすい状態の栄養源だ。薬種の産地として名を馳せる東ガラットでは、薬草類の収穫にも余念がない。

 その時期にミアイが不在なのは少々都合が悪かった。治療師師補でもある彼女は、一般の狩り人よりも薬種に詳しい。保存や採集方法に注意が必要な物もあり、今こそミアイの知識を必要としているというのに。彼女の存在を欠いて一抹の寂しさを感じても、稀少な異能力を持った代償だと組衆は諦めていた。




「はあ……、疲れた……」

 彼女がいつも座るのはタカの隣の通路側である。向かいの空いた場所へちらりと目をやって長嘆息する。

 巫女についての訓練は一所ひとところに座って行うものだが、狩りで一日森を駆け回るよりもずっと疲労を感じた。肉体を酷使していないのに重く圧し掛かる倦怠感と、緊張から解放された反動で、寮の自室……正確には寝台がとても恋しい。


 料理を取り分けた皿を渡すタカが早く食べるよう急かした。最近のミアイは食事中に船を漕くことが度々ある。食べながら寝てしまうのも困るが、腹が満たされて帰路が辛くなるのも厄介だった。

 しかし皆も慣れたもので、ミアイの状態によっては、食堂で借りた籐籠バスケットに料理を詰めて渡していた。そうすれば休息を先にしても、目が覚めたときに飢えを凌げる。食味が落ちるのは仕方ないが、冷めても良さそうなものを見繕った。

 律儀に感謝の祈りをしたミアイは、炙り肉の欠片と少量の香味菜を口にする。疲れると無性に肉を食べたがるのを知っているタカは、ミアイの好む家畜の肉を選んでいた。

「美味しい……」

 塩気と肉の旨味がじわりと舌に広がる。ゆっくり咀嚼すると薬味の香りが鼻から抜けた。ぼんやりするのを心配そうに見守るシムを他所に、カクとヤスが煮込みを巡って言い合いをしている。シチューに潰したイモを入れるか否かという内容だ。じゃれ合いから白熱した議論になりそうな二人の話を聞くともなしに聞き流す。


 二口目の肉を噛み締めていると、長い黒髪を太い三つ編みにしたナナイがやって来た。食堂の給仕をしているナナイは、ミアイと同じく治療師の修練もしている。二年前にミアイがテン組へ移籍してから共に過ごす時間が増えて、今では親友といえる仲だ。

 ナナイはお疲れ様と声を掛けてミアイの前に盆の物を並べた。湯気の立つ大きめのカップと小さく切った果実とヨーグルト。生の果実を盛った深皿ボウルはテーブルの中央に置く。

 ヤギ乳のヨーグルトは時期外れなので稀少品だ。搾乳のために繁殖調整するのは手間が掛かるので、そのヤギを所有している者はごく少数だ。

「ヨーグルトはティーアの指示。スープは私から、ミラベルはパウデリから王狩りの皆様へよ」


 マグカップの中身は肉のダシが効いた簡素シンプルなスープだ。両手で木製のカップを包みこんで食欲をそそる匂いにほっとする。僅かな塩で味を整えたスープはほどよい加減で、食道を下りる温もりで身体がほかほかしてきた。

「最近たくさん肉を食べると胃が痛くなるって言ってたでしょ。お腹を宥めてから食べてね」

 ナナイが特別に用意したスープは、うるさくない程度に薬草の香りがした。こってりした料理を食べていた男たちは、口直しに旬の香り高い果物にかぶりついている。

 小鉢のヨーグルトにもミラベルが彩りよく乗っている。水切りした濃厚なヨーグルトとスモモの仄かな酸味と甘味が疲れた身体に染みこんだ。スープに入っていた消化を助ける薬草も役目を果たしたようで、ミアイは猛烈に空腹を感じた。


 ナナイが食堂の主人パウデリに慌しく呼び戻された。厨房は料理を作るので精一杯なので出来上がった料理は大皿でカウンターに並べ、選んだ品をその場で精算してテーブルに持ち帰る。狩り人の旺盛な食欲を満たすために給仕が料理を運ぶと混雑に拍車がかかるので、使った食器も自分たちで片付けるのが村の流儀だった。

 テーブルまで出向いたのは巫女ティーアから言い使っていたからだが、組衆への心づけは「ミアイだけ特別扱いね」とナナイがパウデリに上申した成果である。


「今日は特に遅かったね」

 二つ目の李をかじるシムがミアイを気遣った。訓練の進み具合によっては狩り番の日でも巫女の元に出向く。一対一で扱かれる精神的な重圧は如何ばかりか。会話には参加しなくとも、大人数で食事をするだけで気分が解れるものだがそれも難しい。

「あ……、うん。やっとコツが分かったような感じなんだけど、まだ……」

 狩り場に同行できないミアイの話は訓練の愚痴が多い。誰にでも話せる内容でもないので、自然と狩り組の仲間相手になる。聞き上手なシムが一頻り吐き出させると、かなりすっきりした顔を見せた。しかし、それだけではないようだと勘の鋭いシムはぴんときた。


「もしかして、また・・!?」

「狩り組を移らないかって……」

 下を向いたミアイがフォークで肉をつついた。

「多いねえ……、三回目か」

「いや、四度目のはず」

「お前ら……、よく覚えてんな」

 他人事のように言っているが、男たちも一、二度はそういう誘いを受けた。もちろん彼らは断ったが、ミアイだけは未だに声が掛かる。そこへテンが戻り、ミアイを労ってから熱々のシチュー壷を長卓の中央に置いた。

 テンだけはどこからも声は掛かっていないが、そもそも組頭のテンは引き抜きをする側である。しかし、狩り組を解散するつもりも、組衆を入れ替える気の無い彼でも無関係ではいられなかった。


「リオとギフから連絡があって、ミアイを引き抜きたいというので断っておいた」

 狩り組を移籍するには在籍している組頭の許可も必要だ。ミアイは先にテンに話がきたときは断ってくれと頼んでいた。

「どうして平気な顔してられんのか、オレにはわかんないなあ」

「優秀な人材を欲しいと思うのは当たり前だ。だがミアイにその気は無い。それで終わりだ」

 女衆が王狩りになるのは始めてではないが、シム曰く『ミアイ熱』が中々冷めないのは特殊な事情がある。




 シシ王は〈祝福〉を打ち消す特異な能力を持っており、咆え声とともにそれを浴びせられたシムは危うく生命を落としかけた。同じくミアイも獣王の〈咆哮〉を浴びたが、生命力が活発化して〈癒し〉が発露した。

 二人の肉体からだ祝福ちからを調べた巫女は残った痕跡から、症状の差は性別によるものと結論付けた。雄の生命は奪い、雌には生命を与える。不可思議な能力であるが、そう思えば合点がいった。組衆の中で最年少の彼は『雄』として未熟であるが故に生命を拾った。

 しかもシムだけでなく、シシ王の遺恨が宿った長大な牙を運んでいたテンらの生命も救ったのが、癒し手になりたてのミアイだったというのだ。

 男性のみの組はこぞってそこに目を向けた。シシ王の潜伏を見破った件もあり、ミアイがいれば――――彼女の異能力があれば、己も『王狩り』になれるのではないか。そう期待する者を誰が責められるだろう。かくして度々引き抜きの誘いが掛けられることとなった。


 素っ気無いように見えても、テンの態度は信頼からくるもの。好いように捉えたミアイはいそいそと煮込みを取り分けた。自分の食事が済んでも皆席を立たないのは、食後の歓談がてらミアイに付き合うためだった。

 シチュー壷の中は味の濃い煮込みだと思っていたが、実際にはごろっとしたカブやイモ、ニンジンその他がたっぷり入った野菜スープだった。燻製肉で香り付けしたあっさり味のスープが身体に染みた。ミアイは一人ではない食事にもう一度心の中で感謝した。

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