秋の日(一)
*改稿作業のため非公開にしました。作業の都合によって、予告無しで削除や差し替えもします(2016.07.05)
水を含んだ〈虚無〉の欠片は膨らんで大地となった
光に照らされた欠片は天空となった
欠片同士がぶつかり合った小さな光は星となった
───はじまりのうた───
村に唯一の食堂は、いつも通り夕食時の混雑に見舞われていた。空腹を満たそうとする主な面々は、〈自然の恵み〉の恩寵を受けた者たちだ。〈自然〉の賜物〈祝福〉――――己の肉体を大幅に強化し超人的な能力を発揮する彼らは〈狩り人〉と呼ばれていた。
しかし狩りが行えるのは太陽が空にある間のみ。彼らは暗いうちに村に集まり、日の出と同時に、領主から貸し与えられた縄張りに出向く。そして山林を駆け回って仕留めた獲物や、採集した植物などの『収穫』は日暮れまでに村に持ち帰るのが掟である。
協力して狩りを行うために『組』を作る若者たちは殆どが独り身の寮住まい。異能力を発揮するための活力は食料から得るしかないので、彼ら狩り人の食欲は異常なほどだ。狩り場では軽食で済ませてしまうのと、寮で大掛かりな煮炊きはできないので、食堂で栄養を補給することになる。
その中でいつもの長卓に座した男たちがいた。彼らは組衆が多いので大きなテーブルでないと全員が共に食事をできない。必然使える場所は限られるが、そこは彼らがいるときは優先して皆が空けるようになっていた。
それも全て彼らが特別だからだろう。人が踏み入ることの無い聖地で広大な縄張りを誇る巨大な獣、獣王を仕留めた者は『王狩り』の誉れを得る。彼らこそドルティア自治領で十五年ぶり、東ガラットでは三十年以上存在しなかった王狩りであった。
しかし、本来六人であるはずの組衆は一人欠いていた。無言で大量の料理を消費する男衆の一人が口を開く。
「遅いね……、今日も間に合わないのかな」
五人の中で最も年若い少年は、肩よりも長い黒髪を無造作に首の後ろで括っていた。ろくな手入れもせずに美しい艶を放つ髪を、女性なら誰でも羨ましいと思うに違いない。一見すると華奢な体格と愛らしく整った顔立ちをしており、ドレスを着れば美少女で通るだろう。
しかし、袖無しの胴着から伸びる腕にはしなやかに畝る筋肉が見て取れた。他の四人は二十歳前後の同年代。その中にいる彼は小柄で童顔ゆえ実年齢より年下に見られがちだが、これでも十七歳の健康な男子である。生き生きとした青い瞳は好奇心を湛えていて、時折ちらりと食堂の出入り口を確かめる様子からして目端も利きそうだ。
美少年の独り言に答えたのは、向かいの壁際に座った美青年だ。褐色の眉が縁取る涼やかな目元と甘く整った面には、残念かな皮肉な笑みを浮かべている。当人は己の容姿を心得ていて、間延びした口調とこういう表情が相手にどんな印象を与えるかよく知っていた。
「お子さまは一人じゃ飯も食えないのか?」
しかし、普段ならむきになって言い返す少年が黙々と食べ続けたので少々不満げだ。美青年は嫌味を向ける相手を自分自身に切り替えた。
「オレの相手するのも嫌だってのか。王狩りってのはそんなに偉いんですかね」
「心配なんだよ……」
「自分だって心配してる癖に……」
美少年とその真向かいの大男の言葉が重なった。美青年の隣に座るのは、正面の美少年とは対照的な偉丈夫だ。縁台に座っているのに美少年よりもずっと頭の位置が高い。肩幅も身体の厚みも少年の倍以上はある。だが威圧的な体格をしていても、ぐしゃぐしゃの金髪が半ば隠す目はとても優しかった。
「おい、タカ! どうしてお前はいつもそうやって人の心ん中をバラすんだ。兄貴の対面を考えろ!」
美青年と偉丈夫は同じ両親を持つ正真正銘の兄弟だ。外見に全く似通ったところのない二人は〈絆〉という能力を共有している。心話は己自身にのみ作用する力が多い中で、他者に影響を及ぼすことができる珍しい異能力だ。
絆を持つ特定の者同士は心の一部が繋がっており、相手の考えや感情の他、離れた場所にいる魂の片割れまでの距離や方向などもおおよそ判る。極度に鋭い「虫の知らせ」というと分かりやすいだろうか。
血縁で発現することの多いこの力で、大男の弟タカは美青年の兄カクの秘めた思考を暴露したわけだ。
少々うんざりした様子で割って入ったのは美少年側の壁際、美青年の向かいにいた眼光鋭い黒髪である。短く刈り込んだ髪や高い頬骨と薄い唇、陽光の下では銀に見えるほど色の薄い灰青色の瞳。酷薄な印象を見る者に与えるが、外見に反して繊細な心遣いができるこの男衆の名はヤスという。
「わざわざ混ぜっ返すからだろうが。心配してんのは皆同じだってえの、なあ?」
美少年の更に隣、通路側の端に座る人物に話を振った。
「おい、テン。何か言えよ……」
他の四人の批難めいた視線を浴びても平然としているのは、王狩りとなったこの狩り組の頭テンである。彼は潰したイモとシチューを木の匙で混ぜていた。
首の後ろできっちり束ねられた黒々とした直毛は、結び目を解けば肩に届く長さだ。黒い瞳で中々に整った顔立ちをしているが、眉根を寄せる仕草が吊り気味の目尻と協力してテンを陰鬱に見せていた。目に見えない壁で周囲と自身とを隔てているような雰囲気だったが、その壁は同じ卓につく者には隔てられておらず、狩り組の頭はすぐ隣の美少年を諭した。
「無理をすれば祝福自体を失う可能性があるし、力の使い方を間違えば最悪生命を落とすかもしれない。本当は数年掛けて覚えることを駆け足でやっていると皆でティーアから聞いたはずだ。……シムもミアイが死ぬのは嫌だろう」
「わかってるけどさ……」
淡々とした口調にシムと呼ばれた小柄な少年は自分の皿に目を落とした。同様の会話は始めてではなく、ミアイが別行動を取るとしばしば話題に上った。
テン組唯一の女性狩り人ミアイは獣王と対峙したことで〈癒し〉の能力が覚醒した。〈祝福〉は生命力そのものである。自らの体内で新しい生命を育む能力が具現化されたモノが癒しの力で、これは女性にのみ発露する。だが、その力を使うための源は能力者自身の生命だった。
生まれ落ちたときに寿命が定められているように、〈自然の恵み〉は幼いほど強く、徐々に弱まっていく。〈祝福〉は成熟するほど安定してしまい、新たな能力を開花させるのが難しくなる。
それ故肉体強化を主とする戦士――――狩り人の訓練も、十二歳までに〈恵み〉の力を示した者にしか行われない。身体が成熟する過程で厳しい訓練を課して、強化に耐えうる肉体を作る。屈強な心身がなければ〈祝福〉を使いこなすことは不可能だった。
癒しの力は巫女の必須能力なので、東ガラットの巫女ティーアも能力を有している。齢十八のミアイは巫女になるには年が経ち過ぎていた。聖地にある巫女の隠れ里で修行するには及ばないと、ティーアが師として稀有な能力を研鑽していた。この地には今一人〈癒し手〉が存在するが、彼女は治療師であって祝福の導きは専門外だった。
「わかってるけど、心配なんだよ」
シムはミアイにひどく肩入れしていた。獣王に四肢の力を奪われ、生命の灯火さえも消えそうになったシムを助けたのは、知らぬ間に癒し手となったミアイだった。元から姉弟のように仲の良い二人ではあったが、シムはそのことでミアイに恩を感じているのだ。
「それなら俺たちくらい過保護にするのはやめてやろう。普通に接するほうがミアイも喜ぶと思うぞ」
ふっとテンの表情から固さが消えた。シチューの残る深皿に匙を置いて立ち上がり、手の動きでシムの目線を誘導する。彼らの元に最後の仲間が加わった。