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花ひらく

作者: 奏木 犀

 ひとの目がこわいと、少女はそう言っていた。

 あなたの目は怖いと、少年はそう言われてきた。

 だから、彼は決めたのだ。彼女を怖がらせるのは、望むところではなかったから。


 少女がこちらを向く気配を察しては、本のページに目を落とす。その注意が逸れてしばらくすると、また気になってそちらを見てしまって。そんなことを繰り返しているから、なかなか資料を読み進められずにいる。さっき開いた魔法陣の図解のページから、先に進む気配が欠片もない。

 羽ペンを握る彼女の手つきは、あきらかにおぼつかない。たしか、彼女の故郷とこちらの国とでは、文具がだいぶ異なるのだったか、と少年はぼんやりとした記憶をたどる。それにしたって、わざわざ羽ペンなどと扱いにくい文具を持ち出して、彼女はいったいなにを始めようとしているのか。

 ずいぶんと時間をかけてペンの握り方を確かめていた少女が、おそるおそる、インクの瓶に手を伸ばす。その拍子、藍にも見える黒髪が一筋こぼれた。少女はその髪を指ですくって耳にかけると、またペンを握り直す。なかなかしっくりこない、と言いたげに、薄紅の目を眇め、首を傾げ。その動作ひとつひとつが彼の目には危うく映って、つい手を貸したくなる、けれども。

 また、彼女がこちらを向こうとするから、少年は手元の本に視線を戻した。資料の返却期限は差し迫っているというのに、少しも内容が頭に入ってこない。これでは、わざわざ借りてきた意味がないのだが。

 放課後の教室にわざわざ残る生徒は少ない。本が読みたければ図書館があるし、魔法の練習や研究がしたければそれに即した設備が用意されている。いまこの教室にも、少年ひとりと、少女ひとりがいるばかりだ。壁時計が淡々と針の音を刻み、窓から差し込む日は少しずつ色づいていく。

 ──やがて、かり、とペン先が紙に触れる音。

 見れば、白い指先が繊細な紋様を描き出していくところだった。中心から円を描くように広がっていくその紋を、少年は頭の中の知識と照らし合わせる。見たことのない意匠ではあるが、おそらく花を抽象化したものだろう。

 なんの花か。そこがわからず、考え込む。その耳に、かすかな声が届いた。

「蓮、という花をかたどった紋です」

 少女の瞳が、彼を捉える。少年は、その目をわずかに見開いた。

「興味がおありです、か? あ、……あの、さきほどから、時折、こちらをご覧になっていた、気が、して……」

 言葉をつかえさせながら、少女がまつげを伏せた。視線が、揺らぐ。

「いえ、その、……あ、ああ、私、ずいぶんと自分に都合のよい解釈をしてしまいました。読書のお邪魔になってはいませんでしょうか。すみません、自分の部屋で作業すればよかったのに」

 少しずつ早口になっていく彼女の声を聞きながら、少年はかすかに首をひねる。

 なにか、思い違いを、している?

「ご、ごめんなさい、いま片付けますので……!」

「少し待って。どうしてその結論に行きつくの」

「──は、い?」

 薄紅の瞳が、まるくなる。こぼれ落ちそうなほどに。

「いえ、私の作業であなたの気を散らしてしまっているのかと、……それと、その」

 少女は言いよどみ、それから。絞り出すように、答えを返した。

「前々から、……気のせいか、お話ししていても、目を合わせてくださることが、すくない、ので。……私のこと、お嫌いなのかな、と」

 少年は、瞑目する。──なるほど、そこで食い違ったか。

 ひとの目がこわいと、少女はそう言っていた。

 あなたの目は怖いと、少年はそう言われてきた。

 だから、彼は決めたのだ。彼女を怖がらせるのは、望むところではなかったから。

 けれども。

「──そう、捉えるのも、無理はないね。思い至らなかった僕が愚かだった」

 本を静かに閉じて、机に置く。 

「僕があなたと視線を合わせないようにしていたのは、事実だよ。ただ、その理由は、そうではなくて」

 誤解が禍根に転じてからでは、遅い。彼はそっと、口を開いた。

「──狼の目」

「え……?」

「『狼の目』という形容があるんだ。僕のような、こういう色合いの目を指して、そう呼ぶ。実際、『目つきが怖い』だとか、『睨まれているみたい』だとか、そういうことも言われてきた」

 紅の花を溶かしこんだような、まるい瞳が揺れていた。少女は痛みをこらえるように薄い唇を噛む。その目のふちに、雫が浮かんでいる。

 少年は、淡く笑う。

「……あなたは、ひとから目を向けられることを、恐れているようだったから。僕の目は、あなたには、なおのこと怖いのではないかと思って」

 しばらく、少女は呼吸さえ忘れて彼の目を見つめていた。やがてゆるゆると息を吐くと、ぽつり。

「はじめて、知りました」

 そして、なにを思ったか、少女は自分の頭の後ろに手を回した。髪をまとめていた髪飾りを、引き抜く。藍色がかった黒髪が、ふわりと舞う。その髪飾りを薄い手のひらに乗せ、彼に差し出した。

「この、かんざし。いくつか、石が飾りに使われているんです、けど、……この、ここの部分の装飾、わかりますか? 琥珀、という石、なんですが」

 彼女の話がいったいどこへ向かおうとしているのか、わからないまま、ひとまず少年は頷くことで相槌に代える。

「琥珀は、わたしの故郷では、宝石のひとつとして扱われます。虎が化身したもの、とされていました」

「それ、は。……たしか、樹脂の化石ではなかったかな」

「はい、そのようですね。こちらに来て、私、はじめてそのことを知りました」

 薄紅の瞳が、やさしげに細められる。

「最初にお会いしたときから。目のいろが、琥珀に、よく似ていらっしゃるな、って。明るいところだと、金色にも見えて、……綺麗、で」

 髪飾りをきゅっと包み込むように握りしめて、少女はやわらかに微笑んだ。

「たしかに私、あまり、ひとから視線を向けられることに慣れていなくて。それで、こわいと感じてしまうことも、あるのですけれど……あなたの目は、こわくないですよ。だいじょうぶです」

「そう、か。……わかった」

「はい」

 少女は笑顔をこぼし、それから唐突に目線をずらして俯いた。流れた髪が、その表情をわずかに隠す。こわくないと言いきったそばからなにごとかと思えば、彼女は慣れた手つきで長い髪を束ね、かんざしで綺麗に結い上げる。そうして再びペンをとり、少年に向き直った。淡い紅色の瞳が輝いて、いつもは色のない頬も心なしか明るい。

「ところで、なのですが。この紋様、わたしの故郷のものなのですけど、お守りとしての意味合いも持っていて。なので、魔法陣に応用することはできないかな、と。……ただ、私、まだ魔法の知識が足りないのもあって、なかなかうまくいかなくて」

 いつものゆったりと穏やかな話し方よりも、なにか急いているようにも感じたけれど。気のせいだろうと心の中だけでひとりごち、彼は机に置いた分厚い本の目次を開いた。

 借りてきていたその資料の題材は、『魔法陣の基本構造』だ。

「あなたがよければ、手を貸すよ」

 ふわり、花が綻ぶように、少女は笑う。

奥附


2015年12月16日 第一稿完成

同日 本ページを公開

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