幸福と充足:裏
「ふわぁ、な、なんでこんなにおっきぃの……」
「ふふふ、ユーゴさんはスゴイんです。」
ピチョン、と音を立てて水滴が落ちる。
識音がスタジオーネへと転移した後、女の子達だけでお風呂に入る事にしたようだ。ひとり残された勇悟がぽつんとしていて、少し不憫だった。
もちろん冒頭の会話は、屋敷に備え付けられた浴場に対する識音の感想である。
「さ、こっちで身体を洗いましょう!」
「う、うん……」
ディーナにぐいぐいと背中を押される識音。識音は恥ずかしそうに手で胸を隠しながら、洗い場へと足を進める。もちろん、二人とも何も身につけていない。まだ遠慮がちな識音に対して、ディーナは積極的に話しかけている。
白髪の少女、エルサも二人の後ろから入ってきた、元気よく浴場の扉を開くと、そのまま浴槽に向かっていく。
「あ、エルサさん! 先に身体を洗わないとダメですよ!」
「えー。だって面倒なんだもん……。」
「ダメです。ほら、こっちに来て下さい。」
ディーナに窘められて、浴槽に入ろうとしていたエルサは口を尖らせながら、すごすごとUターンする。なんだかんだ言っても、ディーナの言う事はちゃんと聞く。姉妹のようなやりとりをする二人に、識音は頬を緩めていた。ちなみに、エルサの方が年上である。
「あれ、なんだか日本と変わらないんだね? ボディーソープに、シャンプーまであるんだ……。」
「そうなんですか? 勇悟さんが作られたみたいなので、日本のものを参考にされたのかもしれませんね。」
洗い場には、シャワーが2つ備え付けられている。個人の邸宅には贅沢なつくりだ。さらに、ボディーソープ、シャンプーやコンディショナーなど、魔王だった勇悟によって大量に作られた消耗品まで置かれており、もはや日本の風呂と何ら変わらない。スタジオーネの洗剤に比べると圧倒的に高品質ではあるが、ディーナ達にとってはすでに当たり前となっており、識音もその事を知る由は無かった。
「さあ、識音さんもエルサさんも、こっちに座ってください。エルサさんは私が洗ってあげますね。」
エルサは渋々と洗い場の椅子に腰掛ける。シャワーから熱いお湯が噴射されて、ディーナの手によってエルサの頭に浴びせられると、「にゅわー」と変な声を出している。その隣で、識音は同じようにシャワーのお湯を出した。魔道具によるものだが、ボタンを押すだけで一定時間お湯が出るようになっているのだ。
ゴシゴシと泡を立てて頭を洗われるエルサは、目に泡が入らないようにギュッと閉じている。最初は嫌そうな顔をしていたが、次第にとろーんと気持ちよさそうな顔になっていった。
「エルサちゃん可愛いね。なんだかディーナちゃんの妹みたい。」
同じように髪を洗っていた識音が感想を言うと、大人しくしていたエルサが手足をバタバタと振り始めた。
「ちーがーうーの! 私がおねーちゃんなの!」
どうやらエルサはディーナの妹と言われるのが嫌なようだ。それを見た識音がクスクスと笑うと、エルサはうーうーと唸る。
「エ、エルサさん! 動かないで下さい! もう……洗ってあげませんよ?」
「え、だ、だめぇ。ううぅ、ディーナ、ごめん、なさい。」
怒られたエルサはしゅんとなって、また大人しくなった。
先に洗い終わった識音とエルサの二人が浴槽に入る。大きな浴槽は何人も一緒に入る事ができる、開放感溢れるものだ。
「ふぅ……いいお湯だね。こっちに来てもお風呂に入れて嬉しいな。」
「ユーゴのおかげなんだよ! 私もここに来るまで、お風呂なんて入った事なかったもん。えへへ。」
エルサはスラム出身で、組織にいる間も大衆浴場すら経験がなかったようだ。
「それにしても、こんな豪邸に住んでるなんて……。勇悟は一体、何をしたの?」
「うーんとね、なんか、王様を助けたって言ってたよ?」
「ええっ!?」
エルサの言葉は間違っていないが、経緯を知らない識音には何がどうしてそうなったのかわからない。
「じゃ、じゃあ……勇悟は王様と知り合いなの?」
「わかんない。あ、でもね、この前、お姫様がここに来てたよ。」
「えええ!?」
すべて事実だが、最低ランクの冒険者がこのような豪邸を持ち、そこに王族がわざわざ足を運ぶなど、異常事態である。もはや勇悟が王国に目を着けられているのは間違いない。
身体を洗い終わってやってきたディーナに確認し直してみる識音だったが、同じ答えが返ってきて愕然としている。
「ユーゴさんは本当にスゴいお方です。私は、そんなお方と一緒にいられて幸せです。それに……その、結魂までしていただきましたし……。」
「うん! 私もユーゴと一緒になれて嬉しいな!」
勇悟に対して親愛を感じさせる言葉に、識音は少し押され気味になる。日本人である識音は、ここまで自分の感情をストレートに出せないようだ。
「うん……勇悟はすごいね。違う世界に来ても自分で道を見つけて、ちゃんと人を護ってるもん。私は勇悟に会いたい一心でこっちに来たけど、勇悟にはもう二人も大事な人がいるんだね……。」
「……シキネさんはユーゴさんが好きなんですよね?」
「ふぇっ!? な、何、いきなり?」
ディーナの突然の問いに、識音はバシャリと水を跳ねてビクリとする。
「エルサさんも、私も、ユーゴさんの事が好きです。命を救って頂きましたし、ユーゴさんには一生を掛けても返せないほどのご恩があります。でも、それだけではなくて、私はユーゴさんを愛しているんです。」
「う……うう……」
ディーナのまっすぐな言葉に、たじろぐ識音。
「私も! 私もユーゴが好きだよ! だってユーゴは私の勇者様だもん! 私を助けにきてくれた勇者様なの! いっぱい、いっぱーい好きなんだ!」
エルサも拙い言葉でユーゴへの愛を語る。
「シキネさんは、どうですか?」
ディーナの改まった問いに、ううう、とうなりながら恥ずかしげに俯いてしまう識音。お湯の中でのぼせてしまったように、その顔は真っ赤になっている。
「……わ、私も……勇悟のことが、好きだよ。好きだから、ここに来たの。」
識音がポツリと漏らすと、ディーナはニコッと笑って、識音の手を掴む。
「じゃあ、私達はユーゴさんを好きな者同士、仲良くしましょう。みんなで一緒にユーゴさんを支えましょう。ね?」
ディーナの言葉に、顔を上げる識音。意外そうな顔をしてディーナを見る。
「ディ、ディーナちゃん……その……いいの?」
「ふふ、やっぱりユーゴさんと同じ国の人ですね。この世界は一夫多妻制が当たり前ですから。シキネさんが遠慮する必要はありませんよ。ね?」
「……うん、わかった。その、ありがとう、ディーナちゃん。」
微笑み合うディーナと識音を、エルサは不思議そうな顔で見ていた。
◆
識音が勇悟達に迎え入れられて翌日、ディーナのたってのお願いで四人は屋敷の庭で訓練を始めたようだ。
ぎこちなかった識音も、ディーナ達と仲良くなっているようだ。勇悟はそんな三人を安心したような目で見ていた。
ディーナはまず武器選びから、エルサはもともと慣れている短剣、識音はユーピテル様に授けてもらった光魔法を練習している。勇悟は三人を一緒に見ている。
私はしばらくその様子を眺めていたが、飽きてきたのでテレビのチャンネルを切り替えるように【遠見の鏡】の表示を切り替える。パッ、パッと画面が次々と移り変わり、『スタジオーネ』の主要人物達を映し出していく。
「あちゃー、やっぱり帝国は戦争の準備してるわね……」
画面には、勇悟達のいるビアンコ王国と同じ大陸にある、アマラント帝国の様子が映し出されている。帝国兵達が陣を張って行軍訓練をしているようだ。
「帝国にとって王国は目の上のたんこぶでしょうからね。あの野心家の皇帝がいつまでも放っておくことはないでしょう。」
肩の上にとまっているソフィアの言葉に思わずため息をついた。
「はぁ。まったく。どうしてこう、争いを起こしたがるのかしら。」
「偽勇者と貴族達によるクーデター工作は勇悟殿によって失敗に終わりましたからね。王国内にはまだ潜伏工作員がいるとはいえ、事が露見して王国も警戒を強めましたし、皇帝も焦っているのでしょうか。」
「王国も王国で、平和ボケが進みすぎたわね。王宮にも簡単に潜入されてるし、貴族達にも軍幹部達にも危機感がなさすぎるわ。国王も賢王と呼ばれる割には、戦備が少なすぎるし……。」
「あの国王は内政特化の人物ですからね。戦に対する意識に欠けるのでしょう。むしろ外交で帝国の懐柔に動くのでは、と思っていましたが。」
あの皇帝はそんな懐柔に応じるような人物ではないだろう。このままでは、王国と帝国の衝突は免れない。勇悟達が戦渦に巻き込まれるのではないか。
「うう……どうしましょう。戦争なんてやめさせないと、勇悟君達が危ないわ。」
「ミネルバ様……戦争になるのは仕方ないでしょう。人間とはそういうものです。ユーピテル様も仰っていたではないですか。流れを無理に堰き止めるのはよろしくありませんよ。」
「だってぇ……。あ、それだったら、今のうちに勇悟君に王都から動いてもらえばいいんじゃないかしら! 勇悟君だって戦争に巻き込まれるなんて、避けたいはずだし、そうね! 名案だわ!」
パンと手を叩いて、早速ソフィアにお願いするために、猫なで声を出してみる。
「ねぇ、ソフィア……?」
はぁ、と耳元でソフィアの大きなため息が聞こえてきた。
◆
ピンポーン。
ソフィアを説得して勇悟君と会話をしようとしたタイミングで、チャイムが鳴り響いた。私達の元に誰かがやってきたようだ。
神はそれぞれ自分の固有領域とも呼べる居住空間を持っている。神界は複数の空間が重なった多重空間なのだ。他の神の領域に入るには基本的に主の承諾が必要なのだが、私とユーピテル様の空間は連続しているため、その必要はない。
仕方なく来客に応じる事にする。私達のすぐ側にパッと光が瞬き、次の瞬間にはそこに人影があった。
「はーい、ミネルバ。ご機嫌いかがかしら。」
現れたのは1柱の女神。膝まである長いウェーブのブロンド。白く透き通った肌。ひらひらと手を振っている。
「お、お久しぶりです。ウェヌス様。」
彼女の名はウェヌス。ヴィーナスとも呼ばれる美と愛の女神で、私の先輩である。
「あら、この前に神間会議で会ったばかりじゃない。もう忘れちゃったのかしら? うふふふ。」
「その節は……勇悟君のために、ありがとうございました。」
そう。この前に行われた勇悟君への処遇を決める会議で、ウェヌス様は勇悟君の事を擁護して下さったのだ。その時はとても嬉しかったのをよく覚えている。
「うふふ。いいのよ。なにせミネルバが愛してる子なんだからね。ああ、素晴らしいわ。神と人との間の禁じられた恋……す・て・き。」
パチリとウィンクすると、今度は手を合わせて天を仰ぐように一人語りを始める。
「うう、やめてください、ウェヌス様……」
「あら、何を恥ずかしがる事があるんです。あなたは胸を張っていいのよ。未だかつて、人と交わった神なんていなかったんですもの。私ですら、自分の身が可愛くて一線は越えられなかったの。あなたの事、尊敬してるのよ。」
「そ、そんなこと……」
「ああ、あの人は一体どうしてるかしら。地上に顕現して、せっかく仲良くなれたのに別れてしまったの。人形の身体じゃ愛し合えないものね。」
私の場合は、風理の魂を借りる形で実際の肉体を得る事ができた。今も私の身体はその時の肉体が残されたままだ。
「ねえ、ミネルバ。その勇悟って子とは、その後どうなの?」
「え、そ、それは、見守ってますけど……」
「ええっ!? 会ってないの? ダメよぉ! せっかく愛し合ったんだから、ちゃんと定期的に会って、愛を確かめないと。」
それを聞いてポカンと口を開ける私、肩の上で黙っていたソフィアがバサバサと翼をはばたかせて抗議の声を上げる。
「ちょ、ちょっと、ウェヌス様! ミネルバ様を唆すのはおやめください!」
「あら、そそのかしてなんかいないわ。愛の女神として、言うべき事を言っているだけよ。うふふ。」
クスクスと笑うウェヌス様に、さすがのソフィアですらたじたじだ。
「う……そもそも、ミネルバ様は謹慎中の身。勇悟殿のいるスタジオーネへの干渉も禁止されています。……なんだか結局、干渉し続けている気がしますが……。」
ジトリという目をこちらに向けてくるソフィア。私は慌てて目を逸らす。
「ふーん、そうだったかしら。残念ねえ。せっかく神と人の美しい愛が見られると思ったのに。……でもそれなら、お腹にいる彼との子はどうするのかしら?」
「え……」
彼女の意外な問いかけに、固まってしまう私。
「彼に何も言わずに、ひとりで育てるの? それは子供がかわいそうだわ。愛の女神として、そんな事態は見過ごせません。子供は両親の愛を受けないとダメよ。」
「で、でも……まだ子供が出来たと決まったわけじゃ……」
「あら、それは単なる方便だと思ったのに。神なんだから、そこに愛があれば必ず子は身ごもるわよ? 愛の女神の私が言うのだから間違いありません。100%、確実よ。うふふ、楽しみだわ。人と神の子、どんな子かしらね。」
「えええ!」
私とソフィアは一緒に大声を上げた。
どうやら、私はすでに妊娠しているらしい。
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