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越境:裏

東識音の魂をスタジオーネへと転生させるための準備をする。


魂の器となる肉体はその世界に属するものであるため、新たに創り出す必要がある。今回はそのままコピーすれば良いだろう。以前の肉体は破棄するしかない。破棄すればもう世界とのつながりが完全に絶たれる。


そこで、わずかに逡巡が生まれた。


自分の気持ちは理解しているつもりだ。東識音は、私の娘とも言えるミネルバを助け出してくれた。彼女の望みであれば、叶えてやりたい。神である前に、父として。だが、これは明らかに越権行為なのだ。


——いいかい? 僕達は世界を維持するために『管理』しているだけなんだ。決して『操作』しているわけじゃない。自然の理をねじ曲げるのは極力避けるべきだ。


私が以前、ミネルバに対して言った事だ。本来、魂というものは生まれた世界を離れるべきではない。魂魄濃度と呼ばれる環境変数が変化するからだ。魂魄濃度が低下すると、人間達の共有潜在意識、つまり本能(イド)と呼ばれる部分のカルマが増える事になる。


カルマの増加により、人々の間で諍いや争いが起きやすくなり、安定していた地球の文明に影響が出る恐れがある。いくつかの国で新たに起きている内紛や内乱は、カルマの増加によるものもある。例え、人一人分の魂でも、その影響は決して小さくはないのだ。


はたして、一人の人間のために、そこまでする事は許されるのだろうか。



——ミネルバを、よろしくね。



脳裏によぎった女性の顔。彼女だったら、何と言うだろうか。


彼女なら、今の私を見て笑うかもしれない。


あなたは随分と優しくなったのね、と。



昔の私であれば、絶対にこんな事で悩んだりはしないだろう。


神のルールを律儀に守ることしか頭になかった。


そのせいで、大事な伴侶を失ったのだ。



仁木勇悟を助けるために世界を渡った東識音。


東識音を助けるために世界を渡った仁木勇悟。


彼と彼女は互いに求め合い、共に在る事を望んでいる。


まさか魂のつながりを通じて世界を渡るなど、考えもしていなかった。


人と人とのつながり、想いは存外に強いものだと思い知らされた。



ミネルバが仁木勇悟の魂を勝手に転生させた時、一刻も早く仁木勇悟の魂を地球に戻すべきだと考えた。今も、その考え自体は変わっていない。彼の望みや未練が解消され、魂が昇天すれば地球へと還すべきだろう。


だが、今からやろうとしているのは、それとは全く逆の行いだ。神として、極力避けるべきとされている行いなのだ。所有者といえる神がいない地球世界だからこそ出来る芸当であり、他の神の管理する世界で行えば審判ものだろう。


本当に、いいのだろうか。



「ユーピテル様、どうされたんですか?」


私の隣で一緒に地球の様子を見ていたミネルバが尋ねてくる。


勇悟と識音の両親達との別れを見て、彼女は終始涙を流していた。ハンカチで目を拭いながら、しきりに『親子愛って素晴らしいわ』と漏らしていた。


「うん。ちょっとね。少し考えていたんだ。本当にこのまま東識音を転生しても良いものだろうか、とね。」


「えっ!? 今更、何を仰ってるんですか! 識音ちゃんがあそこまで勇悟君のために決意したのに!」


頬を膨らませてプンプンと怒るミネルバは、いつ見ても愛らしい。しかし、私はそれを態度に出すことはない。


彼女は、私が彼女を娘のように思っている事を知らない。東識音には異世界へ向かう事を頼むときに漏らしてしまったが、ミネルバには言わないように口止めしてあった。恥ずかしさもあるが、それ以上に彼女のためでもある。


彼女が生まれた経緯、それを彼女に知られる訳にはいかなかった。


「そう簡単に自然の理を曲げてはいけない事、君には何度も口酸っぱく言ってきたからね。その私自らが、それを破るというのが、どうもね……」


「もうっ! ユーピテル様は頭が固すぎます!」


彼女の仕草と言動が、私の伴侶を想起させる。ルールを守ろうと頑なな私をたしなめる彼女の姿に、そっくりだった。


「少しは勇悟君を見習ってください! 識音ちゃんのために禁を破って、はるばる地球までやってきたんですよ?」


そう。彼は私とは違って、ルールを破って彼女を助ける事を選んだ。


「識音ちゃんが、勇悟君が可哀想だとは思わないんですか!?」


「……わかった。そうだね。君の言う通りだ、ミネルバ。」


どのみち、約束していた事だ。人と神との約束とはいえ、破るべきではない。



私は、東識音の魂を神界まで呼び出した。




長く美しい黒髪、勇悟と同じ黒い瞳。活発そうな大きい目。


識音の魂が自我を持ち、形を象る。彼女のメリハリのあるボディーラインが静かに構成されていく。彼女が来ていた私服のままだ。涙の痕はない。


神界では魂や意識が肉体を持たずに顕現する事ができる。自己意識を投影した姿形になるのだ。神が魂を持たずとも神界にいられるのは、神は意識のみの存在だからだ。肉体がないため、寿命も死も存在しない。人界に降りる時は、人形のように仮の肉体を受肉して動かすのが普通だ。


神界の地面に降り立った識音がゆっくりと目を開いた。


「識音ちゃん、いらっしゃい!」


私が歓迎の声をあげると、彼女は驚いたような表情になった。


「あ、あれ? ミネルバさん? ってことは、ここは神界?」


「そうよ。転生するにも、色々と準備があるからね。」


肩の上にいるソフィアも羽ばたきして、彼女に挨拶する。


「お久しぶりです、識音殿。」


「あ、そうだった。ソフィアさん、ミネルバとユーピテル様も、お久しぶり!」


彼女は私を呼び捨てで呼んでくれる。それは私から頼んだ事だった。勇悟と識音と私で話し合った、あの時に。


「やあ。君の熱意には負けたよ。いや、君とミネルバの、かな。」


「ミネルバの?」


「な、何でもないのよ。ほら、識音ちゃん。勇悟君のところに行くんでしょう?」


ユーピテル様が余計な事を口走ったので慌てて取り繕うと、識音はまた思い出した表情になってユーピテル様と向き合う。


「そう。私は勇悟の元へ行きたい。どうすればいいですか?」


「うん。転生の前に君に確認しておきたい事があったんだ。それは、君の力についてだ。君の魂には、私が与えた力が刻み込まれている。無理に引き剥がすことはできない。魂にダメージを与える事になるからね。

 今の君の魂には限界容量近くまでスキルが詰め込まれている。だから君は今のままでは新たにスキルを習得する事はできない。」


識音がうなずいた。この辺りの事情については、すでに識音に説明してあったらしい。魂の容量は、『才能』とも呼ばれるものだ。その人の才能に見合った力しか手に入れる事はできない。識音は勇悟を助けるために、限界までスキルを習得した。


特に容量を食ったのが【万物破壊】の力だ。文字通り、どんな物でも破壊できるスキルだが、当然これは人が習得できるものではない。ユーピテル様が識音のために創ったユニークスキルだ。このスキルに、識音の才能のほとんどが費やされた。


「仁木勇悟君を救うために戦いに特化した力になってしまった。私の都合で、君の才能の枠を潰してしまったんだ。私としては、君にお詫びがしたいところだ。」


意外な申し出だった。


ユーピテル様は、神として必要以上に人に肩入れするのを嫌う。それは私に対する説教でも明らかだ。どういう心境の変化だろうか。


「べ、別に私は今のままでも……」


「識音ちゃん。ユーピテル様がこう仰ってるんだし、せっかくだからご厚意は受けちゃえばいいのよ。」


くすくす笑いながら識音ちゃんを促す。どうしてこう日本人ってみんな遠慮するのかしら。


「そうだね。だから私は君の魂に少し細工をしたいと思う。君は、仁木勇悟君と魂のつながりを持っているね?」


「え? は、はい。」


「彼の魂はもはや無限に近い容量を備えている。元々、ミネルバが考え無しにスキルを与えられるぐらいには容量が大きかったんだが、それに加えてミネルバが神力を彼の魂に注入してしまったからね。」


ユーピテル様がちらりと私を見た。私は焦りながら目を逸らす。うう、ごめんなさい……。


「そこでだ。君には魂のつながりを通じて、勇悟君の魂の才能枠を間借り(・・・)できるようになってもらおうと思う。要するに、彼の中に君のスキルの一部を保管するわけだね。」


「ええっ!? ゆ、勇悟の!?」


「うん。ただ、残念ながら彼のスキルを君が使えるようになる、というわけではない。あくまで、君のスキルを彼の中に保管してもらうだけだ。ああ、しかし副作用として、仁木勇悟君は君が保管したスキルを使う事ができるだろうね。」


ユーピテル様にしては珍しく、かなりトリッキーだ。


つまり、識音が新たに【家事Lv1】を覚えたとする。するとそれは、勇悟の魂に記録され、勇悟も同様に【家事Lv1】が使えるようになる。スキルの共有だ。


ただし、勇悟が既に覚えているスキル、例えば【剣技Lv5】を、識音が使えるという訳ではない。


なんという事を考えるのだろう。先ほどから遠慮して黙っていたソフィアもあんぐりと口を開けていた。


「気を付けなければいけないのは、あくまでも魂のつながりによるものだという事だ。彼とのつながりが切れたり、薄くなったりすると、預けたスキルは使えなくなるからね。」


「は、はい。でも、いいのかな。勇悟に無断でそんな事しちゃって……」


「大丈夫よ! 勇悟君ならきっと笑顔で許しくれるわ! 識音ちゃんのためなんですもの! それに、勇悟君だって新しいスキルが使えるようになるんだから、却って助けになると思うわよ?」


「助けに……? うん……なら、お願いします。」


決心した識音はユーピテル様に向き合った。ユーピテル様も頷いて、手を識音の額に添えるように当てる。ぼんやりと光を放って、すぐに消えた。


「うん。出来た。じゃあ、試してみようか。」


手を離さないまま、今度は青色の光が瞬く。


「これで君は【光魔法Lv5】が使えるようになったはずだ。」


「ええっ!? 魔法ですか?」


「うん。そうだよ。魔法の使い方はわかるかな?」


「え、えーと、何となく。確か、体の中の魔力を練って、魔法を想像しながら名前を唱える、でしたっけ。」


「そうだ。想像した現象に沿った名前を唱える事が重要だ。魔法に名前が適していれば効果が大きくなる。つまり魔法は、魔力量、想像力、そして、ネーミングセンスが問われるという事だ。慣れてくれば、名前を口に出さなくても発現できるけどね。試しに明かりをイメージして、『ライト』と唱えてごらん。」


「わかりました! やってみるね!……『ライト』!」


識音が魔法の名前を口にすると、蛍光灯のような白色の光が識音の頭上に現れた。込められている魔力は少ないが、スキルレベルが高いため効率的になっている。眩しいぐらいの光量だ。初めて使ったにしては、十分だろう。


「す、すごい……魔法が使えたよ! やったぁ!」


「うふふ、良かったわね! 識音ちゃん!」


「うん! ありがとう! ユーピテル様! ミネルバ!」


識音ちゃんの眩しい笑顔は見ていて気持ちが良い。勇悟君が好きになるのも、よくわかるというものだわ。ふふふ。


「いいね。大丈夫そうだ。……さて、東識音。そろそろ転生してもらうけど、構わないね? 転生すると、もう地球へは戻れない。そのつもりでいてほしい。」


「……はい。パパとママともお別れしてきました。私は、スタジオーネに転生します。勇悟と、生きていきます。」


識音はユーピテル様の目をしっかりと見ながら答えた。相変わらず、勇悟への想いは凄まじい。少しだけうらやましさを感じながら、私は彼女を見送る。


「……うん。それじゃあ、よい人生を。」


「識音ちゃん! がんばってね!」


「はい! ありがとうございました!」


識音はお辞儀しながら、光の中へと吸い込まれていった。




ユーピテル様は識音を転生させると、すぐに仕事へと戻っていった。


私はまた、ソフィアと一緒に『監視業務』へと戻る。


『神』がいなくなった今、地球の監視業務はもう必要がなくなってしまった。


ただ、最後に彼が起こした天変地異の影響が、爪痕として残されている。


幸い、ユーピテル様によってキャンセルされたため津波も起きず、大きな建造物の倒壊もなかった。震災の規模に比べて被害は驚くほど小さく済んだ。


地球の『神』に対する処罰は、神間会議での決定によるものである。人類に過大な危害を及ぼすようであれば、監視者とその上司である神が封印するもの、というのは決められていた。処罰の際に『神』が抵抗したので、執行した事を含めて他の神々に連絡する必要があるとの事だった。


まさか、ユーピテル様が直々に『神』を罰してくれるとは思わなかったので、呼び出した私が驚いてしまったが、結果として識音が助かったのだ。ユーピテル様の決断に、深く感謝した。


その感謝には、『神』の犠牲となった月野風理の分も含まれている。彼女が私の中に残していった『悔しさ』や『無念』がスッと晴れていった。今、彼女の魂は新しい生命として生まれ変わる準備をしているはずだ。彼女が新しい人生で幸せになれる事を心から願った。



ユーピテル様が『神』に対して漏らした言葉が印象に残っている。


『人々は都合の良い時だけ君にすがり、君を利用し始めた。都合の良い『神』という役割を君に求めはじめたんだ。最初は上手くいっていたのに、どうして、こうなってしまうのだろうね……。』



神とは、一体なんなのだろう。


人を助けてはいけない。


自然の理を曲げてはいけない。


救済もせず、罰する事もなく、人の願いを叶える事もしない。


生きている人々を、ただ見ているだけだ。


迷った魂をそっと助けるだけだ。


人が求めている『神』の役割とは、掛け離れている。


世界を管理するだけの存在。



その疑問は、私の心の奥底にそっとしまい込んだ。


あまり深く考えてはいけないのだと、私の直感が言っていた。


きっとそれは、自らの否定につながるから。



泉の中では、勇悟君と識音ちゃんの再会の場面が映し出されていた。


嬉しそうに抱擁し合う二人を見ると、心が温かくなる。



今はただ、二人を見守っていたい。


読んで頂きありがとうございます!

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