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越境:表

次の日、僕達は昼近くまで惰眠をむさぼった。何せ、昨日は寝るのが遅くなったから、眠くて眠くて仕方なかったのだ。ディーナは途中で起き出して、洗濯や食事の準備をしていた。女子力が高い。


それからゆっくりと朝食兼昼食をとり、3人で外に出る。大きくなったエルサの着る服が無いのだ。今はディーナの服を着ているが、体型的にはエルサの方が大きくなってしまったので、どことは言わないがキツいらしい。ディーナはそれを聞いてショックを受けた様子だったので慰めておいた。


エルサは相変わらず満面の笑みで僕にべたべたと甘えてくる。ディーナはそれを見て最初は戸惑った表情を浮かべていたが、すぐにやんちゃな子供を見るような目を向けるようになり、最後には子供のように可愛がりはじめた。すると、エルサもまんざらではない様子で、ディーナにも甘えるようになった。それを見た僕とディーナはお互いに苦笑いを交わした。


それは、ショッピングの後、喫茶店で一休みしていた時だった。


ズキン、と胸が痛む。


強い喪失感のような。切ない気持ちが僕の中に広がってくる。どうやら、これは魂のつながりを通じて流れ込んでくる感情のようだった。目の前の2人ではない。今は幸せそうに甘いパフェを口に運んでいる。


身を引き裂かれる思い。何か大きな悲しみが僕の胸を苦しめる。


僕の様子に気づいた2人が心配そうに顔を覗き込んでくる。だが、僕には応えてやる余裕がなかった。悲しい。辛い。苦しい。どうして。なんで。おびただしい感情の奔流が僕を飲み込んでいた。自然と目に涙まで浮かんでくる。


識音。


僕の大切な人が、傷ついている。


僕は必死に魂のつながりに呼び掛けた。識音の名を何度も。何度も。しかし、その声は届かない。つながりがか細く、薄くなっている。昨日は届いていた念話も、今は相手につながる気配がない。ただただ、圧倒的な悲壮感が一方的に送りつけられてくる。


「しき……ね……」


彼女に何が起きているのか分からない。感情の隆起が少し収まっても、定期的に、寄せては返す波のように、何度もそれはやってきた。


僕は何とか立ち上がると、ディーナとエルサに謝って、一緒に店を出る。その間も僕の目からは落涙が止まらず、会計をしてくれたウェイトレスが不審な目で見ていた。すぐにでも、大声で泣き出したかった。どうして識音が。


ディーナに支えられながら屋敷に向かって歩いていると、次第に別の感情が溢れ出してくる。僕の心の底にある深い闇から、じわじわと漏れ出すように。それは、黒い感情。僕の中の彼が、こう呟いた。


『識音を傷つけたのは誰だ?』


ぎりりっと歯を食いしばり、悲しみと怒りを抑える事なく発奮する。道を行く人々が僕の方を見て、怯えた表情をしている。僕を支えているディーナの身体が震えているのがわかった。だが、どうしようもない。識音を助ける事もできない。地球は、あまりにも遠すぎる。


「ユーゴさん……落ち着いて下さい。今のユーゴさんは冷静ではありません。」


「ごめん、ディーナ……でも……識音が、識音が傷ついているんだ。誰かが識音を傷つけたのなら、自分を抑えられそうにない……。」


「ユーゴ。そういう時でも、殺気は抑えないとダメなんだよ。身体に力が入りすぎると、出来る事も出来なくなっちゃうから。ね? 深呼吸して。」


思わぬ方向からアドバイスが来た。エルサは真剣な面持ちで僕を見ている。彼女は暗殺者として訓練を受けていた。きっと、その経験からの発言だろう。


僕は民家の壁に寄りかかりながら、何度か深呼吸する。


「怒っている自分をイメージするの。自分の気持ちを意識して、自分の中にある大きな器に溜め込むように。でも、溜め込みすぎるとパンクしちゃうから、少しずつ蛇口を捻るみたいに出してみて。」


随分と難しい事を言われているが、深呼吸すると少し気持ちが落ち着いてきた。怒っている自分をイメージするのは簡単だ。僕の中にいる彼は狂ったように暴れ回っている。どうも、僕は彼の影響を受けすぎるようだ。


彼が放つ怒気と殺気を意識すると、色がついたように赤や黒のオーラを見る事ができた。それらは、川を下るように僕の外へとそのまま流れ出している。僕はそこに、大きなダムをイメージした。感情がどんどんと流れ込んでいく。ダムを少しだけ開くとチョロチョロと流れ出した。


スッと身体から力が抜ける。まだ沸々とした怒りはある。火山の底に眠るマグマのように、かえって凝縮されている。しかし、それを上から見ている冷静な僕がいた。そうだ、ここで怒ってどうする。これじゃあディーナ達まで巻き込んでしまう。


額に浮かんだ汗を拭いながら、一息ついた。


ふとステータスを見ると【気配操作】と【感情抑制】を習得していた。


「……ありがとう、エルサ、ディーナ。なんとか、抑えられた。」


するとディーナとエルサは安堵した表情で僕に縋り付いた。


「ユーゴさん……良かったです。」


「ユーゴ、偉い偉い!」


僕の中の彼を抑えつけるような真似はしない。だが、僕がその影響を受けすぎると、きっとやりすぎてしまう。彼との向き合い方は難しいが、上手く付き合えるようにならなくてはならない。少しずつ学んでいこう。




屋敷に着いてからも、識音から流れ込んでくる大きな悲しみは止まらない。


ソファに腰掛けて、その感情を読み取ろうとした。先ほどまでは、そんな余裕は無かったが、今なら識音の感情に向き合うことが出来そうだ。


『勇悟、私のことを嫌わないで』


識音はしきりにこう叫んでいた。僕が識音を嫌うなんて、そんな事あるわけがない。どうして彼女は、ありもしない事に怯えてるのだろうか。


その時。


ドクン。


魂のつながりから大きな黒い塊のような絶望感が流れ込んできた。深い深い穴に落ちていくような気持ちになる。全てを投げ捨ててしまいたい。無力感が心を覆い尽くし、目の前が暗くなる。


ダメだ。こんな気持ちになっては。


識音が深く傷ついている。その事に怒り狂い、全てを破壊してしまいたい。身を焦がすような憤怒の炎が、僕の中で燃え盛り渦を巻いている。絶望感と殺意が混じり合って衝動に身を任せたくなる。


心を強く持たなくてはいけない。


なんとか溢れ出す感情を堰き止める。荒くなっていた呼吸を整える。


すると、今まで感情が流れ込んでくる一方だった魂のつながりが、ほんのりと熱を帯びてくるのを感じる。じわりじわりと熱が上がり、手足へと広がっていく。



(勇悟、たすけて……)



識音の声だ。


魂のつながりが、熱を取り戻した。


僕は即座に決断する。


これ以上、識音を傷つけさせはしない。


僕は識音を護るのだ。



「ディーナ、エルサ、ごめん。ちょっと識音を助けに行ってくる。」


えっ、という表情をした二人を残したまま、僕は地球へと旅立った。




「識音を……傷つけたのは……お前か」


煮えたぎるマグマのような怒りを覚えながら、識音と対峙していた影のような存在へと振り返る。見覚えのある黒い塊だ。これはあの『穢れ』だろうか。しかし、どうやら確固とした意思を持ち、赤い瞳で僕を睨み付けている。


『はっ、しょうがないな。まさか本物が来るなんて。』


影の声は僕にそっくりだ。しかし、かすかにノイズのようなものが混じっている。こいつが識音をここまで追い詰めた。僕の声で彼女を傷つけたのは明らかだった。絶対に許さない。許せるはずがない。



ここは、地球の僕の家だ。いや、家だった(・・・)。もう僕は地球人ではなくスタジオーネ人なのだ。地球に帰る場所などない。しかし、胸にこみ上げてくる懐かしさはどうしようもなかった。見覚えのある台所と、リビング。そして。


「ゆ……勇悟、なの……?」


「な、な、何が……起きている……勇悟、お前なのか?」


背後から僕の両親が声を掛けてきた。脳裏に二人の顔が浮かぶ。しかし、僕は振り返らない。返事もしない。僕はもう死んでいるのだから。



さっさとケリをつけよう。


心の中にあるダムを解放し、感情を左手に注ぎ込む。凝縮された僕の怒りが脳内を真っ赤に染め上げる。


「ああ……あああああああ!!」


思わず声が出る。左手が赤から黒へと変色し、そしてメキメキと音を立てながら形を変えていく。黒く鋭い爪が生え、青い光が紋様を描き出す。全身から鋭い殺気が漏れ出したのがわかった。


『な、何だ……何なんだよ、お前! くそっ!』


黒い人影は悪態をつきながら、台所の勝手口から逃げだそうとする。しかし、逃がすわけがない。この手で切り刻みつくすまでは。



僕は左手で空間魔法を発動した。創りだした空間内に人影を閉じ込める。


【断絶】が付与された空間は、何者も通る事はできない。光と音、そして僕の身体だけ通す設定だ。そのまま空間を狭めていくと、動くスペースがなくなっていく。


『なに!? 出られない! う、動けない!』


身動きのとれない人影に、一歩、また一歩と近づいていく。人影の表情はわからない。しかし、赤い瞳は大きく見開かれている。


『く……来るな……! 来るなよぉ!!』


しかし、僕は歩みを止めない。



心の中の強い感情を注ぎ込んでいくと、悪魔の左手が燃え盛る憤怒の炎を纏う。表面が一気に白熱化し、周囲に熱気を撒き散らす。


「お前はただ浄化するだけじゃ足りないよ。」


左手を振り上げ、断絶空間ごと切り裂く。僕の手は境界をすり抜けて、奴の身体へと到達した。炎を纏った爪を受けた部分が、ジュワッと音を立てて蒸発する。


『ぎゃああああああああ!!』


奴の悲鳴が家の中にこだまする。うるさいから、音も遮断しておこう。


口をパクパクさせている奴を、何度も何度も斬りつける。黒い煙の身体が徐々に削られていく。識音を傷つけた分、報いを受けてもらう。



「ふう……もういいか。」


溜まりに溜まっていた憤怒を吐き出した僕は、気持ちを落ち着かせる。すでに奴の身体はほとんどが蒸発している。このまま最後まで終わらせてもいいが、『穢れ』は浄化しなければならないとミネルバから聞いている。


左手から炎が消え、今度は七色の光が溢れ出す。この光の正体はわからない。悪魔だった僕の力ではない。ただ、穢れを前にすると、意識して出す事ができる。


「さあ、逝けよ……」


七色の光を纏った左手を残された奴の身体に差し込む。黒い煙がどんどんと白くなっていく。奴はパクパクと大きく口を開閉して叫んでいるようだ。


最後には全て浄化され、空間の中には白い煙が漂うだけになった。


断絶空間を解除して解放すると、白い煙は空気中に霧散していった。


あとには、何も残らなかった。




「勇悟! 勇悟ぉ!」


へたり込んでいた識音が、僕に飛びついてきた。しっかりと抱き返してあげると、安心したのか泣き出してしまった。よしよしと頭を撫でてやる。左手は既に人間のものに戻っている。


「遅くなってごめんね、識音。」


「ううう……ありがと……ゆうごぉ……ふぇええ……」


識音を慰めていると、背後から2つの視線を感じる。どう説明すべきだろうか。識音を助けるために、後先考えずにやってきた。まさか転移先が僕の家だとは思わなかったのだ。


「勇悟……なのよね?」


母の声。


「生きて……いや、そんなはずは。確かに勇悟は……」


父の声。


地球での僕はとっくに火葬されただろう。二人は僕の骨を拾ったはずだ。



「……父さん、母さん。」


後ろを振り返らないまま、口を開く。二人の顔を見る勇気はない。


「勇悟……! 勇悟なのね! あなた、どうして……!」


母の涙声を聞くと決意が緩みそうになる。でも、僕はここにいるべきではない。


「いや、違う。僕はもう死んだんだ。」


「じゃ、じゃあ幽霊、なの……?」


「……うん。似たようなものだよ。識音を護るためにちょっとだけ戻ってきただけなんだ。僕はすぐに帰らなくちゃいけない。」


「な、なんて事だ……。」


父は幽霊や超常現象の類いを信じる人ではない。それも今日までだろう。



「……ごめんね。父さん、母さん。二人より先に逝った僕は親不孝ものだ。」


思わず謝罪の言葉が口をついて出る。ずっと胸につかえていた。事故とはいえ、僕を産み育ててくれた両親を残して、地球を去った事。心残りだった。


「そんな、そんな事、言わないで……あなたは——」


「勇悟!」


父が張り上げた大声で、母の声が掻き消された。


「お前は! 最後にその子を護った! そうだろう!」


腕の中にいた識音がビクリと身を震わせた。


「……うん。識音を護れた。」


「なら……ならば! 俺はお前を誇りに思う! お前は俺の息子だ! 俺なんかよりもよっぽど出来が良い! 俺にはもったいない息子だ!」


「父さん……」



怪我の後遺症で、仕事であるボディーガードを続けられなくなった父。


荒れていた時期もあったが、今はやる気を取り戻して友人の会社を手伝っている。


小さい頃からの憧れだった。


背中を追い続けていた。


いつだって。


僕の中の理想像は、父の大きな背中だったんだ。


その父が、僕を認めてくれた。



「……戻っては、これないんだな?」


「はい。僕はもう違う世界で生きているから。大切な人が、待っているから。」


識音が僕の顔を不安げに見上げたので、ニコリと微笑む。もちろん、識音もその中に含まれている。彼女がスタジオーネに来るかどうかはわからない。彼女が地球に残るとしても仕方が無い。でも、識音が大切な人である事に変わりはない。


「そうか……。なら、行ってやれ。行って、護ってやれ。お前にはもうそれが出来る。俺の、俺たちの息子だからな。」


父さんの穏やかな声。だが、しっかりと僕の心に響いた。


「勇悟……。あなたはどこかでまだ、生きているのね? 生きて、幸せに暮らしているのね……?」


「うん。今でも僕は幸せだよ。色々と大変な事もあるけど、そのお陰で大切な人達と出会えた。今はその人達と暮らしてる。」


「そう……そうなの、ね……。う、うう……。」


母はもはや号泣しているのだろう。しかし、僕は振り返る事ができない。二人を見てしまったら、きっと僕は帰りたくなってしまう。


「ごめんね、母さん。でも、僕の事は心配しないで。」


「勇悟……勇悟ぉ!」


母が背中に縋り付く感触。暖かく懐かしい。母が零した涙が僕の背中を濡らした。


「母さん……」


「勇悟、いつでも帰ってきていいのよ。辛くなったら、顔を見せて。母さんわかってる。勇悟は昔から頑固なところがあったから。でもね、あなたの家は、ここにもあるのよ。あなたは、私達の子供なのよ……」


「うん……。ありがとう、母さん……。」



僕の目からも、ぽろぽろと涙が零れていた。


どうして、こんなにも涙が出るのだろう。


どうして、こんなにも暖かいのだろう。



どうして。


こんなにも、嬉しいのだろう。



「僕は……僕は、生まれてきて良かった。二人の子供で、良かった。幸せだった。ありがとう、父さん、母さん。嬉しい。嬉しいよ……。」



しばらく、嗚咽だけが響く。


僕も、識音も、父さんも、母さんも。


みんな、泣いていた。



『仁木勇悟君。君はもう戻らなくてはいけない。』


不意に頭の中に低い男の声が響いた。どこかで聞いた事のある声だ。


『さあ、別れを告げなさい。』


わざわざタイミングを教えてくれるなんて、律儀な声だな。



「父さん、母さん、識音。僕はそろそろ戻らなくちゃ。」


「そうか……」


「も、もうなの?」


僕が口を開くと、両親が名残惜しそうな声を出した。


「うん。本当は戻るつもりはなかったんだ。僕はもう死んだ人間だから。僕がここにいるとおかしな事になっちゃう。長くいる事はできないよ。」


「勇悟ぉ……私……私も……」


「識音。前にも言った通り、それは君が決める事だよ。」


「う……うん……」


識音には、後悔しない選択をして欲しい。人に言われたのではなく、自分で決めた事であればこそ、どんな結果になっても受け入れられる。正直に言えば、このまま識音も連れて帰りたい。でも、それはしてはいけない。



「じゃあ……僕、行くね……三人とも、元気で。」


「勇悟……何度でも言う。お前は俺の誇りだ。達者で生きろ!」


「ああ! 勇悟! お母さん、あなたの事愛してる! 私達のこと忘れないで!」



母さんと識音から身を離すと、僕の身体が光に包まれる。暖かい光だ。


ふっと意識が遠のく。



僕はまた、地球を離れた。


読んで頂きありがとうございます!

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